第3話
山を下りて三日。雪は次第に少なくなり、風の匂いも変わってきた。
白い森とは違う、どこかざわめきを含んだ“国の気配”。
アルスはそれを言葉にできないまま、ただ前へ進んだ。
ユベルの残した手紙には、最後にひとつだけ指示があった。
――アルベスにある“マギア院”へ行きなさい。
そこで、リュマという魔法士を探しなさい。
そして私の資料を託してほしい。
それだけだった。
理由は書かれていない。ただ「探せ」とだけ。
アルスはその文を何度も読み返しながら、胸元のコートに縫い付けられた金属のブローチを指で触れた。
いつ縫い付けられたのか、アルスは知らない。
ただ、ユベルらしいと思った。
◆
森の道を抜けると、視界が一気に開けた。
巨大な石壁が空の下に伸び、その中央には分厚い門。
門の上では、見張りが交代の声を上げている。
「ここが……アルベス」
胸の奥が少しだけざわつく。
それが緊張なのか、別の何かなのか、アルスには判別できなかった。
門の前には旅人や商人が列を作っていた。
アルスもその列の最後尾に並ぶ。
順番が近づくと、門兵が声をかけた。
「小僧、名前と目的を」
「……アルス。リュマを探している」
「リュマ……? 聞いたことはないな」
門兵は眉をわずかに上げ、警戒の色を見せた。
「身分証は?」
「……ない」
門兵はため息をつき、アルスを上から下まで見た。
泥だらけの靴、山仕様のコート。
その胸元に、古い金属のブローチ。
「……これは。マギア院の“塔の証”じゃないか」
門兵の目がわずかに変わった。
「なるほど……身元は怪しいが、これは本物だ。
子供一人なら、危険もないだろう。通れ」
「……ありがとう」
そう言うと門兵はアルスを門の中へ通した。
◆
街の中は、山とはまるで別の世界だった。
商店の呼び声、人が行き交う音、遠くの鐘の響き。
魔石で灯された光が、昼でも街路を照らしている。
アルスは歩くたび、見えるものすべてにゆっくり視線を奪われた。
「ここは初めてかい?」
突然、初老の女性に話しかけられた。
たじろぐアルスを見て、女性は柔らかく笑う。
「驚かせて悪いねぇ。坊や、どこに行きたいんだい?」
「……マギア院に」
「なるほどね。なら、あそこの一番高い塔だよ」
女性は白い塔を指差して見せた。
「……ありがとう」
アルスは歩きながら小さく答えた。
◆
白い石で造られた塔は空に刺さるようにそびえ、
窓という窓から淡い光が漏れている。
門をくぐると、魔法士や研究生らしき人々が行き交っていた。
その途中で、ひそひそ声が聞こえてくる。
「――ねえ、あの子誰?」
アルスの前に、同じくらいの背丈の少女が立ち塞がった。
「ねぇ、君どこの生徒?見かけない顔ね」
「生徒……? よくわからない」
「じゃあ何しに来たの?」
「……リュマを探しに来た」
「リュマ様を?……変な子」
少女は一度アルスをじっと見、肩をすくめた。
「まあいいわ。ちょうど私も用事あるし、ついてきなさい」
アルスは素直に頷き、少女の後に続いた。
◆
塔の中は、静かな熱を帯びていた。
通路を歩く魔法士たちはどこか急いでいる。
けれど足音は整っていて、研究の場らしい落ち着きがあった。
少女はある部屋の前で立ち止まり、コン、と小さく扉を叩いた。
「失礼します」
「……どうぞ」
少女に続き、アルスも部屋に入った。
そこは大きな机と本棚、窓際には魔石装置がある研究室だった。
机の前に立っていたのは、長い灰色の髪と深い緑の瞳を持つ女性。
リュマ。
「先生、この前の魔法のことで質問があって……
あ、それとこの子。先生を探して来たみたい」
リュマはアルスに視線を移し、
胸元のブローチを見て目を細めた。
「お前さん、名前は?」
「……アルス。アルス=ローデン」
彼女は言葉を飲み込み、噛み締めるようにひとつ息を吐いた。
「……そうかい」
そして、落ち着いた声で尋ねた。
「それで、ユベルの忘れ形見がなんの用だい?」
アルスは胸元から手紙を取り出し、差し出した。
「……これ、ユベルから」
リュマは深く頷き、手紙を受け取った。
「リデル、ありがと。あとは私が見るから、外で待っておくれ」
「はい!」
少女が退室すると、静かな空気が部屋を満たした。
リュマは手紙を開き、しばらく黙って読み進めた。
そして、ほんのわずかに息を吸った。
「座りな。寒かったろう」
その声には、懐かしい人の影と、これから守るべき子供への温かさが宿っていた。
◆
リュマの指示で呼ばれた少女――リデルが戻ってきた。
「リデル。この子を部屋に案内してあげておくれ」
「はーい。……アルス、だったよね?」
アルスは静かに頷いた。
「こっち。歩き疲れてるでしょ?」
少女は明るく先を歩き、アルスはその背を追った。
◆
部屋に着くと、リデルが扉を開けて笑った。
「ここが今日の部屋。……ゆっくり休んでね」
「……ありがとう」
そのひと言は、
アルスがこの街に来て何度か口にした、
少しだけ温度を持つ言葉だった。




