第27話
「ノルン。誰かと話してるのか?」
低い声とともに、工房の奥の扉が開いた。
油の染みた作業服に、白い髭。
ごつごつした手が、布で乱暴に拭われている。
額には、年季の入った皺が刻まれていた。
ヘンデルは、入口近くに立つアルスと、その横のノルンを一瞥する。
「……珍しいな」
「え?」
ノルンが、びくりと肩を揺らした。
「お前が、あんなに楽しそうにしゃべるところを見るのは久しぶりだ」
その一言で、ノルンの顔が一気に赤くなる。
「べ、別に……ただ説明してただけで……」
「そうか」
ヘンデルは、それ以上は何も言わなかった。
けれど、ノルンは耐えきれないといった様子で、工具を抱え直す。
「ぼ、ぼく、さっきの部品、片付けてきます!」
早口でそう言うと、アルスにぺこりと頭を下げ、
小走りで奥の部屋へと消えていった。
扉が閉まる音がして、工房に静けさが戻る。
ヘンデルは、ふう、と小さく息を吐いた。
「……悪いな。急に出てきちまって」
「いえ」
アルスは、姿勢を正したまま答える。
工房の空気は静かなままだが、さっきまで隣にいた少年の気配だけが、まだかすかに残っているように感じた。
ヘンデルは、さっきノルンがいたあたりに視線を向けた。
「あいつは、元々おとなしい子でな」
独り言のような口調だった。
「小さい頃から、道具ばかり触っていた。
父親が事故で死んで、ほどなくして母親も体を壊して……」
言葉を選ぶように、一度だけ口をつぐむ。
「それからは、ずっと俺と暮らしてる。
前よりさらに、工房に籠っちまった」
静かに告げられる言葉は、どれも短いのに、状況がありありと浮かぶ。
アルスは黙って耳を傾けていた。
「人と話すのが嫌いってわけじゃないんだろうが……どうも難しいらしい」
ヘンデルは、先ほどの光景を思い出すように目を細める。
「あんなふうに楽しそうにしゃべってるところを見るのは、本当に久しぶりだ。
……悪いことをした」
最後だけ、ほんの僅かに声が和らいだ。
「……いえ。そんなこと……」
アルスは、軽く頭を下げた。
自分がさっきまで交わしていた会話が、ノルンにとってどれくらい貴重な時間だったのか、少しだけ分かった気がした。
ヘンデルは、そこでようやくアルスのほうへ向き直る。
「で――お前さんは?」
短い問いかけに、アルスは名乗った。
「アルス=ローデンと言います。ヘンデルさんに依頼があって来ました」
「依頼、ね」
ヘンデルは鼻を鳴らす。
近くの丸椅子を顎で示した。
「立ち話もなんだ。座れ」
「失礼します」
アルスが腰を下ろすと、ヘンデルも向かいにどっかりと座った。
木の椅子がきしむ音が、工房の静けさに溶ける。
「どんな依頼だ?」
真正面から向けられた視線に、アルスは息を整えた。
言葉を選びながら、静かに続ける。
「今は、風暦院でエルネさんの研究を手伝っています。
それで、魔道具の相談をしに来ました」
「ほう。エルネの依頼か」
ヘンデルは腕を組み、じろりとアルスを眺めた。
名前を聞いた瞬間、ほんの少しだけ眉が動いた。
「それで、どんな内容だ?」
「これについてです」
アルスはポケットから、小さな結晶を取り出した。
掌の上で、淡い光がかすかに揺れる。
それを両手で差し出すと、ヘンデルは指先でつまみ上げる。
皺だらけの指に比べて、結晶はあまりにも小さい。
「なんだこれ?」
「僕が魔法で作ったものになります」
「ほう」
短い相槌とともに、ヘンデルの視線が細くなる。
重さや手触り、内側の詰まり方を確かめるように、ゆっくりと角度を変えた。
「実際に見てもらった方が早いと思います」
アルスは立ち上がり、足元に転がっていた小さな石を拾い上げた。
指先でそっと掴むと、結晶に触れたときと同じ感覚を思い出しながら、意識を集中させる。
静かに、マナの流れを組み替えていく。
手の中の石が、内側からほどけるように形を失い――
代わりに、さきほどの結晶と同じような光を宿した塊へと変わっていった。
「これは驚いた。要はこれはただの綺麗な石じゃないってことか」
「はい」
アルスは頷き、結晶になったそれを、ヘンデルに見せるように掲げた。
ヘンデルの目が、わずかに見開かれる。
「で、これを俺にどうして欲しいんだ?」
問いかけに答えず、アルスはもう一度結晶に意識を向けた。
今度は、閉じ込めた「石」のかたちを解き放つように、ゆっくりと流れを戻していく。
光がすっと消え、結晶は、元のただの石へと戻った。
「この魔法は、魔法を結晶に閉じ込めていつでも使えるようにする魔法なんです」
アルスは、石を指先で転がしながら言った。
「さっきはただの石でしたけど……魔法そのものも、同じように“設計図”としてしまっておけます」
「すごいな。ただ、そんな細かいマナの操作、相当腕の立つ魔法士しかできんだろ」
「そうです。そこで依頼の話につながります」
アルスの声に、ヘンデルの片眉が上がる。
「?」
「ヘンデルさんには、この結晶を作る魔道具と、結晶を魔法として構築する魔道具を作っていただきたいんです」
言葉は静かだったが、その内容ははっきりしていた。
ヘンデルは、しばらく黙ったままアルスを見つめ、それからふっと口の端を上げる。
「本来、俺は学院の依頼を断っている」
ぼそりとした独り言のような口調。
「なぜならあいつらは、俺に変なものしか作らせねぇ」
光ればいい、派手ならいい、数字が並べばいい。
そういう顔を、何度も見てきたのだろう。
だけど、とヘンデルは続けた。
「ただ、お前さんの頼みは面白そうだ」
目の奥に、さっき結晶を見たときと同じ光が灯る。
「是非、受けさせてもらいたい」
「はい。お願いします」
アルスが頭を下げると、ヘンデルは「よし」と短く言った。
「よし、早速取り掛かろう」
椅子から立ち上がり、作業台のほうへ向き直る。
「坊主、もう一回、今の魔法を見せてくれ」
「分かりました」
アルスは、さっきと同じように石を手に取り、意識を結晶へと注ぎ込む。
工房の中で、何度も、何度も、
石が結晶になり、また石へと戻っていく。
そのたびにヘンデルは、食い入るような目でその光景を追い続けていた。
◆
宿へ戻るころには、街の色がすっかり薄くなっていた。
高台の道の布は、昼間よりも静かに揺れている。
代わりに、家々の窓から漏れる灯りと、風鈴の音だけが、通りを満たしていた。
アルスは、ゆっくりと坂を下りながら、指先をぎゅっと握ったり開いたりしてみた。
何度も結晶を作っては戻したせいで、腕の奥が少し重い。
けれど、その重さは、嫌な感じではなかった。
(……ちゃんと、届いてた)
結晶を持ったときのヘンデルの目。
観測器の話をしているときのノルンの声。
ひとつひとつが頭の中で浮かんでは、風に撫でられて形を変える。
宿の扉を押して中に入ると、食堂にはぽつぽつと客が残っていた。
窓際の席に座り、簡単な夕食を頼む。
器から立ちのぼる湯気に顔を近づけると、外から風鈴の音がかすかに届いた。
(ユベル……)
スプーンを持つ手を止める。
自分の中だけにあったはずの術が、
誰かの道具を通して、別の形になる。
不思議な心地と、少しの怖さと、同じくらいの楽しみが、胸の奥で静かに混ざり合った。
「……楽しくなってきた」
誰に聞かせるでもなく呟いてから、アルスは再びスープを口に運んだ。
外では、風が少し強くなったのか、風鈴の音が重なり合って鳴っていた。




