第24話
エルネが結晶に近づく。
眼鏡の奥の目が、真剣な光を帯びた。
まずは、素手でそっと触れる。
指先に伝わる温度を確かめるように、手のひらで軽く転がす。
「……やっぱりだ」
小さく呟く。
「ミーナから聞いたとおりだよ」
「でしょ」
ミーナが得意げに胸を張る。
「アルスの“石”、すごいんだから」
「石って言うな」
アルスは小さく抗議したが、誰もあまり気にしていなかった。
エルネは、結晶をそっと金属の皿の上に置いた。
皿の周囲には、細い針のような棒が円を描くように立っている。
さらにその周りに、透明な器と、細い輪がいくつも並べられていた。
「これは?」
「マナの揺れを“形”にする道具だよ」
エルネが答える。
「風向きじゃなくて、マナの流れのほうね」
彼は耳元の小さな魔石に指を触れ、軽く息を吐いた。
次の瞬間。
結晶の上空で、空気がふっと沈んだ。
透明な器の中で、細い羽根がぴり、と震える。
周りの針は動かない。
「やっぱり、動かない」
エルネが、嬉しそうでもあり、どこか落ち着いた声で言う。
「魔石と同じようなマナの塊なのに」
「魔石と、同じ……?」
アルスが思わず訊き返す。
「まったく同じではないよ」
エルネは、首を横に振る。
「自然の魔石は、マナを強く引く。
しかも、自分からマナを“流そうとする”性質がある」
「流そうとする……」
「大きな魔石は、周りのマナを自分の都合のいい形に引きずるんだ。
だから、風も潮も、魔石の並び方に引っ張られる」
エルネは、結晶を見つめながら続けた。
「君の結晶は、マナを引き寄せない。
自分から流れを“作る”ことはない」
「でも――」
エルネは、透明な器を指さした。
「ここまでのマナの濃度は、魔石に近い」
器の中の羽根は、まだかすかに震えている。
結晶を中心に、目に見えない“坂道”ができているようだった。
「言いかえれば、“魔石の手前”だ」
「手前……」
「魔石ほど危うくなく、
けれど、十分にマナだけを濃く集めた状態」
エルネは、ゆっくりと顔を上げた。
「だからこそ、実験にはちょうどいい」
「実験……?」
「自然の魔石は貴重だし、勝手に削ったり壊したりできないだろう?」
エルネは、肩をすくめる。
「でも、アルス君の結晶は違う。
作って、測って、また崩してもらえる」
アルスは、一瞬だけ言葉を失った。
(……僕の、魔法が)
ここでは、研究の一部になろうとしている。
「ミーナの母さんと、僕が何を調べてるか、聞いたことはあるかな」
「風魔石の、分布……でしたっけ」
「そう。風魔石がどこで生まれて、どう増えて、どこで途切れるか」
エルネは、壁に貼られた地図のひとつを指さした。
そこには、風の国を中心に、いくつもの線と印が描き込まれていた。
「風の国に近づくほど魔石は多くなる。
離れると減っていく。
地形や気温である程度は説明できるが、それだけじゃ足りない」
指先で、ある地点を軽く叩く。
「もし、このの結晶を、
人工的に違う場所へ置けるなら――」
エルネは、また結晶を見下ろした。
「マナがどう変わるか、確かめられる」
「……それってすごいんですか?」
「そうだね。
まだわからないが答えかな」
エルネは、目元だけで笑った。
「もちろん、まだ試してみる気はないよ。怒られるからね」
ミーナがくすっと笑う。
「絶対怒鳴られる。特にガルドさん」
「想像できるな」
エルドも、珍しく口元を緩めた。
エルネは、もう一度だけ真剣な目でアルスを見た。
「アルス君」
「はい」
「君の魔法は、ただ便利なだけじゃない」
その声は、静かだった。
「世界の“マナの流れそのもの”を、
手で触って、確かめられる魔法だと、僕は思っている」
「……僕は、ただ、土を壊して、戻してるだけです」
「それが大事なんだ」
エルネは首を横に振る。
「研究っていうのはそういうものさ。思いもよらない効果がある。
全ては発想次第。――もっと自由に考えるものさ」
それは、アルス自身も言葉にしたことのない感覚だった。
(――自由に)
「さっき、マナの線を少しだけねじ曲げたろう?」
アルスは、思わず目を見開いた。
「……見えて、いたんですか」
「全部は見えないさ」
エルネは耳元の小さな魔石を軽く叩く。
「……つまりだね、アルス君」
少しだけ真面目な顔つきに戻る。
「君の魔法は、まだまだ可能性があるってことさ」
アルスは、指先を見下ろした。
まだ、さっきの揺らぎの名残が、ほんの少しだけ残っている。
「無理にたくさん作らせるつもりはない。
疲れたら、遠慮なく言ってほしい」
エルネは、はっきりとした声で言った。
「これは君の体を削るための研究じゃない。
君の魔法と、世界のほうをよく見るための研究だ」
その言い方は、どこかリュマに似ていた。
「……できる範囲で、やってみます」
アルスは、小さく、しかしはっきりと答えた。
「ありがとうございます」
エルネは、深く頭を下げた。
ミーナが、横でにやりと笑う。
「ほらね。言ったとおりでしょ、父さん」
「何が?」
「アルスは、“やる”って言うと思ってた」
ミーナは、アルスの肘を小突いた。
「ね、明日も楽しみだね」
「……うん」
緊張も不安も、まだちゃんとそこにある。
けれど、それと同じくらい――
(楽しみだ)
そう思っている自分がいることに、アルスは気づいた。
◆
「今日は、ここまでにしておこう」
いくつか簡単な測定を終えたあとで、エルネが言った。
「初日から詰め込みすぎても、良くないからね」
「もっとやるかと思ってた」
ミーナが呟く。
「僕だって、少しは我慢というものを覚えたんだよ」
エルネは苦笑しながら、机の上の書類をまとめ始めた。
「明日は、少しだけ条件を変えて試してみよう。
砂の量や、マナの位置をね」
「明日も、同じ時間に来ればいいですか?」
「そうだね。午前中にまたここで。
午後は、講義を見学してもいいし、魔道具工房を覗いてもいい」
エルネは、何かを思い出したように、机の引き出しを開けた。
「そうだ、これを持っておきなさい」
小さな木札を、一枚取り出す。
「研究協力者証。
これを見せれば、工房や資料室に入りやすくなる」
「……こんなすぐ、もらっていいんですか」
「もう登録は済んでいる。
あとは“顔と名前”を、こっちが覚えるだけだ」
エルネは、目元を細めた。
「アルス君が何を見て、何を考えるか。
それも、ここでの大事な“研究材料”だからね」
「材料って言い方」
ミーナが笑う。
「父さんなりの“期待してるよ”ってやつだから、気にしなくていいよ」
二人のやりとりを聞きながら、アルスは木札を受け取った。
指先でなぞると、表面に刻まれた風の模様が、かすかにざらついた。
(……ここでも、ちゃんと“いる”んだ)
アルベスとは違う空。
違う塔。
違う風。
けれど、自分の魔法があって、
それを見てくれる大人がいて、
一緒に考えようと言ってくれる人がいる。
それだけで、胸の奥に温かいものが灯った。
◆
研究室を出ると、廊下の窓から風が吹き込んだ。
さっきまで測っていた“流れ”が、
今度はただの風として、頬を撫でていく。
ミーナが、大きく伸びをした。
「ふー! やっぱり研究室の空気、ちょっと固いよね」
「……そうかな?」
アルスは、窓の外を見た。
風の塔の羽根が回っている。
遠くの空に、薄い雲の筋。
その下に、風の街ゼフィルネスト。
『――まだまだ、可能性があるってことさ』
エルネが言っていたことを思い出す。
(――もっと自由に――)




