第22話
学院の門を出たところで、エルドが立ち止まった。
「ここからは、別行動だ」
「エルド?」
「俺は一度、国のほうに顔を出す。
報告と、正式な書類の確認がある」
いつもの落ち着いた声。
「ミーナは――」
「もちろん父さんのとこ!お母さんに渡された資料も届けないと」
ミーナは間髪入れずに答える。
「久しぶりだし。どうせ研究室から出てこないから、引っ張り出してあげなきゃ」
「アルスはどうする?」
エルドの視線が向く。
「街を、少し歩いてみたいな」
アルスは、素直に言葉にした。
「港からここまでもすごかったけど……
もっと、ちゃんと見てみたい」
「いいね」
ミーナが笑う。
「じゃあさ――」
ミーナは指を折りながら、予定を組み立てる。
「今日は街を見て、宿でのんびり。
明日の朝、宿の前で集合して、一緒に研究棟ね」
「分かった」
「寝坊したら置いてくからね!」
「そんな……」
「冗談冗談。半分くらい」
ミーナは舌を出して笑う。
エルドは、小さく息を吐いた。
「アルス」
「はい」
「――頑張れよ」
言葉は短い。
けれど、それはアルスの背筋を自然と伸ばす響きを持っていた。
「……うん」
「じゃ、またあとで!」
ミーナが手を振り、学院の中庭のほうへ駆けていく。
その背中を、エルドが一瞬だけ目で追い――
反対方向、城門の方角へと歩き出した。
アルスはしばらくその場に立ち尽くし、
やがてゆっくりと、風中庭のほうへ歩き出した。
◆
夕方の風中庭は、朝とは違う色をしていた。
布に縫い込まれた魔石片が、くすんだ光を返している。
風灯籠の灯りがひとつ、またひとつと灯り始め、
風が強くなるたびに、その数が増えていく。
中央の風の渦は、昼よりも少しだけ速く回っていた。
吊られた布が、薄闇の中で白い輪を描く。
(……昼は“風の街”で、
夜は“光の街”みたいだ)
アルスは、手すりにもたれながら広場を見渡した。
風で回る看板に灯りが入る。
屋台の上空を、小さな魔石ランプが風に流されて渡っていく。
遠くの塔の上、風読旗が暮れなずむ空を裂くように揺れた。
宿に戻ると、食堂にはもう何組かの客がいた。
風で回る串台には、香草を挟んだ魚の切り身。
風の通り道に置かれた大鍋からは、淡いスープの匂いが漂っている。
「今日は魚がおすすめですよ」
宿の主人が、にこやかに言った。
「風向きがよくてね。どの船も、いい場所で網を張れたみたいで」
「じゃあ、それを……」
出てきた料理は、思ったよりも素朴だった。
けれど、ひと口食べると、
口の中に広がる塩気と香りが、昼間の海と風を思い出させてくれる。
全部が遠くて、でも、今ここにつながっている。
窓の外で、風鈴が鳴った。
宿の上を通り過ぎる風が、街の灯りをひとつひとつ撫でていく。
アルスは、静かに息を吸い込んだ。
この街で。
この国で。
そう思っただけで、胸の奥が少し熱く、少し怖くなった。
けれど、そのどちらも、嫌いじゃなかった。
アルスはスープを飲み干し、
窓の外の風鈴の音を聞きながら、
ゆっくりと目を閉じた。
◆
その日、アルスは夢を見た。
廊下を歩いている。ふと胸のあたりがざわついた。
足音が石床に吸い込まれていく。
窓の外には風の塔と街並み。
けれど、アルスの頭に浮かんだのは別の景色だった。
石造りの教室。
黒板の前で、いつもどおりの声で話すリュマ。
『——じゃあ今日は、アルスの魔法を見せてもらおうか』
ユベルの魔法を初めて学院で展開した日のことを、アルスは思い出す。
あのときも緊張で喉が渇いて、
視線が一斉に自分へ集まって、
手のひらが汗ばむ感覚ばかり鮮明に覚えている。
けれど、魔法が終わったあと——
『いいね。アルスの魔法は、見ていて気持ちがいい』
リュマはそう言って笑った。
誰かを責めるでも、比べるでもなく、
(リュマ……)
あの日、リュマは最後にこう言った。
『――楽しんでおいで、アルス』
その言葉が、アルスの背中にまだ残っている。
(——リュマ、そしてユベル。全力で楽しんでくるよ)
ユベルの魔法だというだけじゃなく、
自分が選んで使っている魔法だと、見せたい。
ふと部屋を見ると、リュマの隣にはユベルが笑っていて、
こちらに手を振っている気がした。




