第43-2話
今回は番外編です。
その日の深夜、眠りにつこうとしたところにスマホに通知が来た。
葛西さんからだった。
『明日の朝、少し時間もらえますか。話したいことがあります』
僕は少し考えてから返信した。
『いいよ。どこにする?』
『駒沢公園でお願いします』
そうして翌朝、僕は駒沢公園に向かった。
早朝の公園は静かだった。ジョギングをしている人が数人いるだけで、ベンチはほとんど空いていた。
正門の前に、葛西さんが立っていた。
いつもの無表情だった。でも、どこか落ち着かない様子だった。
「ごめん、待った?」
「いいえ、今来たところです」
「じゃあ、座ろうか」
近くのベンチに2人で座った。しばらく誰も喋らなかった。
朝の空気が冷たかった。
「……話って何?」
葛西さんがしばらく黙った。手が膝の上で小さく握りしめられていた。
「昨日、あなたにスカウトしてもらいました」
「うん。そうだね」
「嬉しかったです」
「そっか」
再び沈黙が続いた。
「あの、乃木さん」
「何?」
葛西さんが正面を向いたまま言った。
「私、あなたのことが好きです」
公園の木が風に揺れた。
「ずっと、敵意だと思っていました。でも違いました。あなたのステージを見るたびに、胸が苦しかった。超えたいとも思っていた。でも、それだけじゃなかった」
僕は少し黙った。
「葛西さん」
「はい」
「ごめん」
葛西さんが初めて、僕の方を向いた。
「別に好きな人がいるんだ」
彼女がしばらく僕を見ていた。それから、前を向いた。
「……そうですか」
「うん」
「スカウトの話は、関係ないですよね」
「関係ない。蒼ちゃんの才能を見たから声をかけた。それは変わらない」
葛西さんが小さく頷いた。しばらく2人でベンチに座っていた。
「……1つだけ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「その人は、あなたのことを好きですか」
僕は少し考えてから答えた。
「……たぶん」
葛西さんが小さく笑った。
「そうですか。よかった」
「よかった?」
「そういう顔もするんですね」
蒼が少し間を置いた。
「……よかった、と思うことにします」
僕は微笑を作った。
「じゃあ、私は行きます」
葛西さんが立ち上がった。
「練習、頑張ります」
「うん、待ってる」
葛西さんが歩き出して、2、3歩進んだところで振り返った。
「あの、乃木さん」
「何?」
「私のこと、名前で呼んでもらえますか」
「……葛西さん、じゃだめ?」
「だめです」
「蒼、さん?」
「さん、はいらないです」
「蒼、ちゃん?」
「ちゃん、もいらないです」
僕は少し笑った。
「……分かった。蒼」
葛西さん…蒼が小さく頷いた。その目が、一瞬だけ光ったように見えた。
「はい」
それだけ言って、蒼が公園を歩いて行った。その背中は、昨日より少しだけ軽く見えた。
公園を出ると、朝の光が眩しかった。胸の中に、何か温かいものが残っていた。
でも同時に、まだ終わっていないことも分かっていた。
***
その日の夕方、練習が終わった後だった。
「乃木さん、少しいい?」
志歩が僕を呼び止めた。
他のメンバーはもう帰っていた。店内には2人だけだった。
「どうしたの?」
志歩が俯いたまま口を開いた。
「あの時のこと、覚えてる?」
「あの時?」
「キスのこと…」
僕は少し黙った。
「覚えてるよ」
「あれから、ずっと気になってて」
志歩が顔を上げた。
「私………乃木さんのことが好き」
店内が静かだった。
「志歩」
「はい」
「ごめん」
志歩が黙った。
「好きな人がいる」
また、同じ言葉だった。でも、嘘じゃなかった。
志歩がしばらく俯いていた。それから、小さく笑った。
「……千佳さんだよね」
僕は何も言わなかった。
「……ずるいよ」
志歩が俯いたまま言った。
「キスしておいて、ずるいよ」
僕は何も言えなかった。
「分かってた。でも、どこかで期待してたんだ」
「そっか」
「あの時のキス、忘れて」
「忘れないよ」
志歩が少し驚いたような顔をした。
「でも、それ以上にはなれない。ごめん」
志歩がゆっくりと頷いた。
「……分かった」
志歩が荷物を持って立ち上がった。ドアの前で振り返った。
「乃木さん」
「何?」
志歩がしばらく黙った。
「……なんでもない」
志歩が微笑もうとして、うまくいかなかった。そしてそのまま、店を出て行った。
僕は不思議と、胸が軽かった。その軽さが、自分ながら少し怖くなった。
家に帰ると、千佳からメッセージが来ていた。
『健人くんいつ頃来る?』
何でもないような一言だった。でも、それだけで少し息ができた。
しばらく画面を見ていた。それから、返信した。
『今から行く』
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