第42話
最終審査から1時間半が経った20時半頃、僕はMETROPOLARiSのメンバー7人と渋谷の店で打ち上げをしていた。
店内は賑やかだった。
千佳が注文のたびに声を上げて、ルナが対抗するように飲んでいる。それを玲奈ちゃんが笑いながら2人をなだめて、志歩が泣きながら笑っている。
僕はグラスを持ったまま、その様子を眺めていた。
楽しくないわけじゃない。でも、今日あったことがまだ胸の中にある気がして、うまく騒げなかった。
「健人くん、飲んでる?」
千佳が僕のグラスを覗き込んできた。
「飲んでるよ」
「全然飲んでないじゃん!」
「ほら、今日くらい飲みなよ!」
そう言って、千佳が僕のグラスにビールを注いできた。
「分かった、分かったよ」
僕はその様子に観念してグラスを一気に空けた。
「よし!じゃあ乾杯しなおし!」
千佳が立ち上がってグラスを掲げた。
「え、また?もう何回目の乾杯だよ」
ルナが呆れたように言ったが、グラスを持ち上げた。
「METROPOLARiS、優勝おめでとう!」
「かんぱーい!」
***
2時間ほど経った頃、菖蒲さんが時計を見て言った。
「そろそろ行きますか」
「えー、もう?」
千佳が不満そうに言ったが、綾乃さんに「明日も早いし、ね」と言われて渋々立ち上がった。
店を出ると、夜風が心地よく感じた。
「じゃあ解散しますか」
玲奈ちゃんが言うと、全員で最寄りの渋谷駅に向かって歩き出した。
道玄坂を下りながら、千佳がまだ何か喋っている。ルナが「うるさい」と言って、千佳が「失礼な!」と返す。それをみんなが笑っている。
その声が夜の渋谷に溶けていった。
そして5分ほど歩いて、僕らは渋谷駅のハチ公口の前に到着した。
「じゃあ、私たちはこっちだから」
初歌ちゃんがそう言って、JRの改札口を指さす。
「うん、じゃあね」
「明日から忙しくなる、ね」
「まあまあ、嬉しい悲鳴じゃない?」
「そうだね、頑張ろっか!」
そう言って、綾乃さん、志歩、玲奈ちゃん、初歌ちゃんがJRの改札口へ向かって行った。そして、初歌ちゃんがいきなり僕の方へ向かってきた。
「健人」
「何?」
「あのさ…今までありがとうね」
「急にどうしたの?」
「私たちがここまで来れたのは、間違いなく健人のおかげだと思ってる」
「何か照れるな…でも、僕も初歌ちゃんに助けられたし、こちらこそありがとう」
僕がそう言うと、初歌ちゃんは顔を少し赤らめながら、「じゃあね、今日はありがとう!」と言って改札口へ走って行ってしまった。
そして、今この場には僕とルナと千佳だけが取り残された。
「そういえば、ルナってどこら辺に住んでるの?」
「アタシは奥沢ってとこ住んでる」
「じゃあ改札までは一緒か」
「だな!」
僕らはJRハチ公口の目の前の入口から地下に潜る。そして、4分くらい歩いて東急線の改札口に到着した。
「じゃあ、アタシはあっちの改札だから」
「うん、じゃあね。また明日」
そう言って、僕はルナに手を振って見送る。ルナも手を振ってから去っていった。
ここで、千佳と2人きりとなった。
「じゃあ行こっか」
千佳が言って、田園都市線のホームへ向かった。
ホームに降りると、ちょうど電車が滑り込んできた。
「ラッキー!」
千佳が言いながら行き先も見ないまま乗り込む。車内は空いていた。
座席に座ると、一気に疲れが来た。今日一日の全部が、一気に身体に乗っかってくるような感覚だった。
「ねえ、健人くん」
「ん?」
「今日、楽しかった?」
「楽しかったよ」
「本当に?」
「本当に、人生で一番楽しかった」
千佳が満足そうに頷いて、シートに深く座り直した。
しばらく沈黙が続いた。電車が走る音だけが聞こえていた。
ふと隣を見てみると、千佳の頭が僕の肩に乗っていた。
僕は千佳の頭を軽く叩いて、「おやすみ」と言った。
直後に、猛烈な眠気が訪れた。僕は何とか睡魔と格闘したが、気付いたら意識がどこかにいってしまった。
***
「……さん、お客さん、起きてください!」
僕は目を覚ます。いつの間にか、深く眠ってしまったようだ。
目の前には駅員さんと思しき人物が立っていた。僕は若干嫌な予感がして、駅員さんに聞いてみた。
「すみません、ここってどこですか…?」
「ここは埼玉県久喜市の南栗橋駅です」
「南栗橋…?」
しまった。またやってしまった。
しかも、自宅のある駒沢大学駅から真反対の終点に来てしまった。
「千佳、千佳起きて」
僕は急いで千佳を起こす。
「……ん…?どうしたの…?」
「終点まで来ちゃった」
「……え?」
千佳が目を開けて、窓の外を見た。
「どこここ」
「南栗橋駅だって」
千佳はどこだかいまいち分かっていなそうな表情をした。
「とりあえず、電車降りよう」
僕らは乗ってきた電車を降り、駅の西口に出る。駅の前は何もなさそうな雰囲気を醸し出していた。
「ねえ健人くん、ここどこって言ったっけ?」
「南栗橋」
「……どこそれ」
また分からなそうな表情をして首をかしげた。
「埼玉だってさ」
千佳が数秒固まった。
「……埼玉?」
「うん、埼玉だって」
「えっとさ…つまり、私たち…?」
「寝過ごした、ってことだよ」
千佳がゆっくりと今置かれている状況を理解したのか、頭を抱えた。
「え…待って。どうするの!?」
千佳が僕の腕を掴んで揺さぶった。千佳の目が、少し涙で潤んでいるように見えた。
「まあ、騒いだって状況は変わんないし?」
「それはそうだけどぉ~…」
千佳はそう言ってその場にへたり込んでしまった。
「ほら。こんなとこで座ってたって、家には帰れないよ」
「今は無理ぃ〜、ショックが大きすぎる」
「でも、いつまでもそこにいるわけにもいかないでしょ?ほら」
僕は千佳に手を差し伸べる。
千佳はしばらくその手を見てから、渋々掴んだ。
「……ありがと」
「じゃあ、タクシー乗ろっか。もちろん、タクシー代は折半で」
「何かきっちりしてる〜…」
「なんでそんな残念そうなの…いつもこんな感じでしょ…?」
そんなこんなで、僕たちはタクシー乗り場の行列に並ぼうとする。だが、千佳が「コンビニに行きたい!」と言い出し、渋々コンビニに向かっていた。
コンビニまでは結構距離があり、向かうまでの間とてつもなく暇だった。僕はなぜか話したくなったので、千佳に話しかけた。
「ねえ。前にさ、千佳のこと話してくれたときあったじゃん」
「どのとき?」
「お風呂で話してくれた時」
「あ〜、あの時の!でもどうして急に?」
夜の南栗橋の道を2人で歩きながら、僕は少し考えてから口を開いた。
「いや、ちょっと僕のことも話したいな〜、って思ってさ」
「Emmaだった時のこと?」
千佳が少し驚いたような顔でこちらを見た。
ファンだった頃の目とは違う。今は仕事仲間として、1人の人間として真剣に聞こうとしている目だった。
「まあ、そんな感じ。千佳はさ、Emmaのファンとして、僕のことをどう見てた?」
「え…?そりゃあ、まだこんなに若いのにリーダーとかいろいろやってて大変そう、とも思ってた。けど、健人くんはそれを涼しい顔で全部こなしてた。『完璧なアイドル』っていうのは、健人くんみたいな人のことを言うんだな〜、って感じたよ」
「それは美化しすぎだよ」
「そんなことないよ!健人くんは間違いなく私のアイドルだったもん!」
「ありがとう。でもさ、実際はめちゃくちゃしんどかったよ」
「え、そうなの?」
「ステージの上ではあんな風に笑ってたけど、裏ではずっと何かに追われてる感じがしてた。リーダーだから、常に完璧でいなきゃいけない。優太くんや彩葉ちゃんにも、初歌ちゃん、玲奈ちゃんにも弱いところ見せられなくて」
「……知らなかった」
千佳が少し俯いた。街灯の明かりの下で、その横顔が少し翳って見えた。
「まあ、見せないよう努力してたからさ」
しばらく2人とも黙った。足音だけが続いた。
「逆に楽しかったことはあるの?」
「もちろん沢山あるよ」
「例えば?」
「Red eyesでブレイクしてからはめっちゃ楽しかったね」
「あの曲で私、完全にEmmaにハマったんだよね」
「そうなの?」
「うん。あの曲の健人くん、なんか今までと違ったんだもん。なんていうか…」
千佳が少し考えてから続けた。
「ステージの上で、初めて本当の健人くんを見た気がして」
僕は少し驚いた。
「本当の僕?」
「うん。それまでの健人くんって、完璧すぎて近寄りがたかったんだけど。あの曲だけ、なんか違ったんだよね」
「え…最初から僕のファンじゃなかったの?」
「実は…最初は初歌ちゃんと彩葉ちゃんのファンだったんだよね…」
衝撃の事実だった。だが、僕はなぜか笑っていた。
「じゃあ、この曲で一気に僕のファンになったこと?」
「そうなるね!」
そんな話をしているうちに、コンビニに到着した。
「やっと着いた〜!」
千佳が自動ドアに飛び込むように入っていった。
僕も後に続く。深夜のコンビニは明るくて、外の暗さとのギャップが少し眩しかった。
「何買うの?」
「おさけ!」
「……まだ飲むの?」
「飲まなきゃやってられないでしょ!」
千佳はそう言いながら一目散にお酒のコーナーへ向かって行った。
「ちなみに、何飲むの?」
「……ストロング?」
「何か見たことあるな、この展開」
「まあまあ、そんなこともあるでしょ。ほら、レジ行くよ!」
そうやって千佳はストロング缶を2本持ってスタスタ歩いてレジに向かってしまった。
コンビニでストロング缶を買った千佳はご満悦そうな顔で外に出た。
「はあ〜、しあわせ」
「どんな状況でも幸せそうだね」
「だって美味しいんだもん」
千佳がプルタブを開けながら歩き出した。
「ほら、駅戻ろう」
「はいはい」
深夜の道を2人で歩く。さっきより少し空気が冷たくなった気がした。
***
南栗橋駅に戻り、いよいよ僕たちはタクシーに乗り込んだ。
タクシーの車内は静かだった。運転手との間についたてがあり、後部座席は2人だけの空間のように感じた。
「そういえば健人くん。お金持ってるよね?財布持ってるよね?」
「今日は流石に落としてないよ」
そう言って僕は千佳に財布を見せる。
千佳が小さく笑った。
「……あの時みたいにならなくてよかった」
「本当にそうだね」
忘れもしない、2024年の11月。
僕がEmmaをクビになって路頭に迷っていたときのことだった。新宿で飲み過ぎて、なぜか中央線に乗っていて、それで大月駅まで乗り過ごしてしまった。
「あの時、千佳に出会えなかったら今の僕もいなかっただろうし、METROPOLARiSも存在しなかっただろうね」
千佳がしばらく黙った。窓の外の暗い景色を見ていた。
「私もだよ」
「え?」
「あの時、健人くんに声かけてなかったら、私もアイドルになれてなかった。タクシー代も払えなかったし」
「それは確かに」
2人で少し笑った。
「でも本当に、あの夜がなかったら今日もなかったんだよね」
千佳がストロング缶を一口飲んだ。
「不思議だよね。人生って」
しばらく沈黙が続いた。タクシーが高速道路を走る音だけが聞こえていた。
気づいたら、千佳がこちらを見ていた。
「何?」
千佳は何も言わなかった。そのまま、少しだけ顔を近づけてきた。
僕は動けなかった。
千佳が顔を離して、前を向いた。何事もなかったように、ストロング缶を一口飲んだ。
心臓が、さっきより速く拍動している気がした。僕はしばらく、何も言えなかった。
「……千佳」
「何?」
「今のは」
「内緒」
千佳がにやりと笑って、僕の肩に頭をもたれかけてきた。
「……僕のファーストキスはお酒の味だったか…」
「え…普通にごめん」
「冗談だよ」
千佳がそのまま肩に寄りかかってきてすぐに、寝息が聞こえてきた。
温かかった。
窓の外に暗い夜の景色が流れていく。あの夜も、きっとこうだっただろう。
悪くない夜だった、と思った。




