第39話
公園を出て、僕は秋葉原の雑踏に戻った。
人混みの中を歩きながら、まだ頭の中は整理がついていなかった。
葛西蒼のこと。優太くん達の頼み。本気でぶつかる、ということ。
僕に、それができるのか——
気づけば、店が入っている雑居ビルの前に立っていた。
古びた外観はいつもと変わらない。エレベーターに乗り込み、2階のボタンを押す。
古いエレベーターが軋む音を立てて動き出した。
鏡に映る自分の顔を見てみる。少し疲れているように見える。
みんなの前では、こんな顔は見せられない。気持ちを切り替えないと。
しかし、頭の中ではまだ、葛西蒼のことが離れない。
自分も救えなかった僕が、誰かを救えるのか。その問いに、未だ答えは出ていない。
エレベーターが2階に到着し、扉が開いた。だが、僕は少しだけ違和感を覚えた。
スマホを開いてみて、違和感の正体に気付いた。現在の時刻が10時を過ぎているのに、まだ店が開いておらず、「CLOSED」の札がドアに掛けてあった。僕は心配になりながら、おそるおそるドアを開けた。その瞬間、暗かった店内が一気に明るくなり、目が慣れる前に鋭い破裂音が耳をつんざいた。
「健人くん!誕生日おめでとう!」
そう7人が声をそろえて言い、僕に向けてクラッカーを鳴らした。
僕はその場に立ち尽くした。正直、何がなんだかよく分かっていなかった。
目の前には、『METROPOLARiS』のメンバー7人が満面の笑みで立っている。
頭では状況を理解しようとしているのに、胸の中がうまく追いつかない。
「……えっと、これは…どういうこと?」
「サプライズ大成功!」
千佳が両手を広げてそう宣言した。
僕はしばらく、状況を飲み込めなかった。
それどころか、今日が自分の誕生日だということすら、この瞬間まで忘れていた。
それに気づいたら、笑い声をあげていた。自分でも驚くくらい、自然に。
「成功はしたけど、ルナが早まってクラッカー2回も鳴らしたのはどうかと思う」
志歩がすかさず言った。
「え、だって健人が来るの遅かったんだもん!」
「遅かったのはルナのカウントが早かったからじゃない?」
初歌ちゃんが静かに、正確に指摘した。
「まあ、細かいことは気にしない気にしない!ほら健人くん、中入って!」
千佳に背中を押されるまま、僕は店の中に入った。テーブルにはケーキと料理が並んでいて、壁には手書きの飾り付けまである。
いつもレッスンをしている場所が、まるで別の空間みたいに見えた。
「もしかしてこれ、全部…用意してくれたの?」
「当たり前だろ!健人の誕生日だし」
ルナが胸を張った。
「アタシが一番乗りで来たんだぜ?」
「それで一番テンションが上がってたのも、一番邪魔だったのも、確かにあなたでしたよね」
「菖蒲ひどくない!?」
「事実を申し上げただけです」
菖蒲さんがにこりと笑う。ルナが「うー」と唸る。
「健人、誕生日おめでと…」
唐突に綾乃さんがぴたりと止まった。
「……ございます」
「ございます、で締めるんだな」
ルナが笑った。
「なんか急に丁寧になったね?」
志歩が首を傾げた。
「うるさい、ですよ」
「ですよ!?」
その横で玲奈ちゃんが涼しい顔をしてグラスを傾けていた。
賑やかだった。本当に、賑やかだった。
ただ、どこかで僕はその賑やかさを、みんなより少し遠いところから見ていた。
ケーキのろうそくに火を灯すために、電気を落とした。店内が薄暗くなる。
「願い事、考えた?」
玲奈ちゃんが流れるように聞いた。
「え、今?」
「今でしょ」
千佳が畳み掛ける。
願い事を頭に浮かべたが、それを口に出そうとは思わなかった。そこでこんなことが口に出た。
「実はさ…今日が誕生日だって、さっきまで忘れてた」
一瞬、場が静まった。次の瞬間、ルナが噴き出した。
「忘れてた!?自分の誕生日を!?」
「乃木さん、正直ですね」
菖蒲さんがくすくす笑った。
みんなの顔が、炎の光に照らされている。笑顔が、揺れている。
「健人、早く吹いて!ろうそく溶けちゃう!」
ルナの声で現実に引き戻される。僕は息を吸って、ろうそくを吹き消した。
暗闇が一瞬訪れて、すぐに電気がついた。
「おめでとう!」
声が重なった。
ふと、視線を感じた。初歌ちゃんだった。
何かを見透かすような目で、こちらを見ている。僕が気づくと、彼女はすぐに視線を外した。
何でもない、というような顔をして。
笑い声が広がった。僕も同じように笑った。
笑いながら、さっきの初歌ちゃんの目が頭から離れなかった。
パーティーも段々落ち着いて来た頃、少しずつ食器を片付けているとき、初歌ちゃんが立ち上がった。
「健人、片付け手伝うよ」
他の6人はまだテーブルを囲んでいる。自然な流れで、気づけば2人だけになっていた。
食器を重ねながら、しばらく何も言わなかった。先に口を開いたのは、初歌ちゃんだった。
「健人ってさ、昔から誰かのことで頭がいっぱいになると、笑顔がワンテンポ遅れるよね」
否定しようとして、僕は口を開くのをやめた。
「……そんなに分かりやすかった?」
「私には分かる」
それだけ言って、彼女は食器を重ね続けた。
「少し、考えてることがあって」
「葛西蒼さんのこと?」
「優太くんから聞いたの?」
「うん」
沈黙が続いた。初歌ちゃんは何も促さない。
ただそこにいる。その静けさが、なぜか言葉を引き出した。
「自分も救えなかったのに、誰かを救えるのかって。ずっとそれが引っかかってる」
彼女は少し間を置いた。
「救えなかった、か」
独り言のような言い方だった。Emmaの名前は出てこない。
けれども、その言葉の重さで、お互いに何を指しているか分かった。
「……うまくやれなかった。あのとき、僕には何もできなかった。」
「そう思ってるのは健人だけじゃないと思う」
初歌ちゃんの声は静かだった。
責めているわけでも、慰めているわけでもない。ただ、事実として言っている。
「でも」と彼女は続けた。
「私は『救えなかったから、何もできない』、にはならないと思う」
「どうして?」
「失敗した人間にしか、見えない景色があるから」
僕は手を止めた。
「……でもそれって、自分を正当化してるだけじゃないの?」
初歌ちゃんは少し考えてから、首を振った。
「正当化と前を向くことは、違うと思う」
沈黙が落ちた。反論が出てこなかった。
それは負けたからじゃなく、その言葉がどこか正しく感じられたからだ。
「葛西さんが今どこにいるか、健人には分かるんじゃない? 同じところにいたことがあるから」
その言葉が、静かに胸に落ちた。
完璧を演じていたあの頃。誰にも弱さを見せられなかったあの頃。
葛西蒼が今いる場所を、僕は確かに知っている。経験として、体として、知っている。
「……そうかもしれない」
「うん」
初歌ちゃんはこちらを向いた。表情はいつものクールなままだ。
ただ、その目が少しだけ違う色をしていた。
「だから、健人が行く意味があると思う」
それだけ言って、初歌ちゃんは食器を持ってカウンターに向かった。
僕は一人、その場に残された。奥から、みんなの笑い声が聞こえてくる。
失敗した人間にしか、見えない景色。その言葉が、頭の中でゆっくりと広がっていった。
さっきまで、みんなの笑顔を少し遠いところから見ていた。
でも今は、その距離が少しだけ縮まった気がした。
救う、とか、資格がある、とかじゃない。ただ、同じ場所にいたことがある。
それだけで、十分なのかもしれない。




