第37話
今回長めです。
2日後、今日はコンセプトカフェ『METROPOLARiS』の営業再開の日だ。
今までオーディションの準備やら練習やらで、結構長く店を閉めてしまっていた。久しぶりの営業ということもあって、開店前から7人は張り切っている。
「健人くん、看板出しといたよ!」
千佳が店の外から戻ってきた。
「ありがとう。それじゃあみんな準備いい?」
「オッケー!」
7人が元気よく返事をする。
僕は店内を見渡した。テーブルは綺麗に拭かれ、椅子も整然と並んでいる。
カウンターには新しいメニューが置かれていて、壁には7人の新しい写真が飾られている。
オーディション番組の放送後、『METROPOLARiS』の知名度は確実に上がっていた。SNSのフォロワー数も倍以上になり、今日の営業再開を待ちわびている投稿もたくさん見受けられた。
「よし、それじゃあオープンだ」
僕が扉の鍵を開けると、すでに数人の客が外で待っていた。
「お待たせしました!いらっしゃいませ!」
7人が笑顔で出迎える。
営業は順調に進んだ。久しぶりの常連客も来てくれたし、新規の客も多かった。
7人はそれぞれのキャラクターを活かして接客し、店内は明るい雰囲気に包まれていた。
昼過ぎ、少し客足が落ち着いた頃。
入口のベルが鳴った。
僕は厨房でコーヒーを淹れながら、「いらっしゃい」まで言いかけて言葉が、喉の途中で止まった。
ドリッパーを持つ手が、微かに震えた。
店内の空気が、一瞬で変わった。
顔を上げると、上原優太と綾瀬彩葉が立っていた。2人とも疲れ切った顔をしている。彩葉ちゃんの目の下には、隠しきれないクマがあった。
玲奈ちゃんが接客に向かおうとしたが、「僕が行く」と手で制した。
「いらっしゃいませ」
僕はメニューを手に、2人のテーブルに近づいた。
「健人…いや、乃木プロデューサー」
優太くんは僕の顔を見て、少し戸惑ったように言った。
「ご注文は?」
僕は淡々とそう言った。
ここは僕の店だ。感情的になる必要はない。
「コーヒーを2つください」
「かしこまりました」
僕はそう言って厨房に戻り、コーヒーを淹れ始めた。手元に意識を集中させながら、2人がなぜここに来たのかを考えた。
あの舞台裏での再会から大体1ヶ月くらい経った。
あの時、僕は感情をぶつけてしまった。でも、それで終わりだと思っていた。
なのに、なぜ。
コーヒーを淹れ終わり、僕はテーブルに運んだ。
「お待たせしました。コーヒーです」
カップを置くと、優太くんが口を開いた。
「なあ健人、少し時間もらえないか?」
「申し訳ございません。ただいま営業中ですので」
僕は店員としての口調を崩さなかった。
「……そうか。じゃあ、営業が終わるまで待つ。いいか?」
優太くんは真剣な目で僕を見た。
僕は少し考えてから答えた。
「お客様がそうおっしゃるなら、私は止めはしません」
「ありがとう」
優太くんはそう言って、コーヒーに口をつけた。彩葉ちゃんはずっと黙ったまま、申し訳なさそうな表情でこちらを見ていた。
それから2人は、閉店時間まで店にいた。コーヒーを何杯かおかわりし、ただ静かに座っていた。
しかし、その静けさは長くは続かなかった。
「ねえ、あれって…」
客席の1人が小声で言った。
「Emmaの2人…だよね?」
「え、マジで?」
ざわざわと店内がざわつき始めた。店内にいたお客さん達が優太くんと彩葉ちゃんに気づき始めたのだ。
「あの2人、乃木健人を追い出したって噂でしょ?」
「なんでここにいるの?」
囁き声が店内に広がる。
2人はどこか居た堪れなそうな表情でコーヒーを飲んでいた。
そして午後6時、最後の客が帰り、僕は通常より早めに営業終了の札を扉にかけた。
ルナが立ち上がった。椅子が床を擦る音が、静まり返った店内に響く。
「何しに来たの」
その声は、普段のルナからは想像できないほど、低かった。
「健人をあんな風に追い出しておいて」
一歩、テーブルに近づく。
「今更」
もう一歩。
「何しに」
「ルナ」
千佳が腕を掴んだ。
ルナはそれを振り払わなかった。でも、止まりもしなかった。
「アタシは見てたから」
ルナの拳が震えている。
「健人が笑顔でいた時も、その目が笑ってなかったことも」
優太くんと彩葉ちゃんが、顔を上げた。
「弱音を吐かずに、7人のために走り回ってたことも」
ルナの声が裏返る。
「ルナ」
僕は思わず声を出した。
「全部、見てた」
ルナが僕を振り返った。その目が、濡れている。
「だから許せない。あんたたちが、今更ここに来ることが」
「ルナ、もういい」
僕がルナの肩に手を置いた。
「でも健人!」
「ありがとう。でも、大丈夫だから」
僕はそう言って、ルナを落ち着かせた。
7人が片付けを始める中、僕は2人のテーブルに向かった。
千佳が皿を洗いながら、ちらちらとこちらを見ている。
そして、玲奈ちゃんは椅子を片付けながら、じっと耳を澄ませている。
みんな、心配してくれているのが分かる。
でも、これは僕が向き合わなければならないことだ。
「で、話って何?」
「ああ。まず、あの時は本当にすまなかった」
優太くんは深く頭を下げた。彩葉ちゃんも同じように頭を下げた。
その時、優太くんがポケットから何かを取り出した。
テーブルの上に、小さな音を立てて置かれたのは、1つのUSBメモリだった。
「これ…覚えてるか?」
僕は息を呑んだ。
それは、Emma時代に5人で作った未発表曲のデモ音源だった。
あの曲。
僕のパートも、ちゃんと録音されていた。
でも、僕がクビになって、曲ごとお蔵入りになった。
喉の奥が、熱くなる。
「俺達、この曲を聴く度に…お前のことを思い出してた」
優太くんの目が潤んでいる。
「……あの時…一次審査の舞台裏でも謝ってきたよね」
「ああ。でも、あれじゃ足りない。ちゃんとした場所で、ちゃんと謝りたかった」
僕は黙って聞いていた。
「あの日、俺達が言ったこと…覚えてるか?」
「もちろんだよ」
「『デビューからずっと嫌いだった』って」
優太くんは顔を歪めた。
「あれは…嘘だった」
「は?」
彩葉ちゃんが続ける。
「嘘と言ったら語弊があるけど、あの時は本当にそう思ってた」
「でも…」
彩葉ちゃんがテーブルの上で拳を握る。
「健人がいなくなってから、Emmaの全部が狂ったの」
「俺達は、健人の存在がどれだけ大きかったか、いなくなって初めて分かったんだ。健人がいなくなってから、ファンが次々と離れていった」
優太くんの声が震えた。
「レギュラー番組も全部降板になって、広告もよく分からない企業のものしか来なくなった」
「それでも俺達は、『健人がいなくても大丈夫』って強がってた。でも違った。玲奈も初歌も抜けて、俺達はおしまいだと思ったんだ」
彩葉ちゃんが涙ぐみながら言葉を続ける。
「でも、ある日気づいたの」
彩葉ちゃんの声が震える。
「ずっと一緒にいた人の存在って、こんなにも大きかったんだって。あの時言った『9年間ずっと嫌いだった』って言葉…今では後悔してるの」
彩葉ちゃんが口を開きかけて、また閉じた。何度か息を吸って、ようやく絞り出すように言った。
「……嫌いじゃ、なかった」
「は?」
「嫌いだって言ったけど…違う。私、ただ…」
彩葉ちゃんの手が、カップを握りしめる。
「健人が、羨ましかったの」
声が震えている。
「若くて、才能があって、みんなから愛されて…」
優太くんが彩葉ちゃんの肩に手を置いた。
「俺もだ。お前が輝いてるのを見る度に、自分が惨めになった」
優太くんが顔を歪める。
「でも、それを認めたくなくて…だから『嫌いだ』って言葉で誤魔化した」
優太くんが頭を下げる。
「本当に、すまなかった」
優太くんが頭を下げた。彩葉ちゃんも、その隣で。
僕は2人を見下ろした。
優太くんの肩が小刻みに震え、彩葉ちゃんの髪が、頬に張り付いている。
Emma結成からの、9年間。
その重さが、今、テーブル越しに伝わってきた。
「謝罪は受け取る」
僕は静かに言った。
「でも、許すかどうかは別」
優太くんが顔を上げた。目が赤い。
「……分かってる」
優太くんが頷いた。
「じゃあ…私達はこれで…」
「……そういえば」
僕は、2人が立ち上がろうとしたところに声を掛けた。
「今日、葛西さんは一緒じゃないの?……ほら、新メンバーの」
そう言った瞬間に2人の表情が曇った。
「今日は連れて来てないんだ。蒼には関係ないことだからな」
「それもそうか」
数分とも感じ取れた長い沈黙を破るように、僕は絞り出すように言葉を口にした。
「……ねえ、葛西さんってどんな人なの?」
その瞬間、2人の眉が上がった。
「蒼は…」
優太くんが言葉を探すように視線を泳がせた。
「昨日、練習後に彩葉が『お疲れ様』って声をかけたんだ」
「そしたら?」
「固まった。5秒くらい。で、『……そうですね?』って」
優太くんが苦笑する。
「まるで外国語を翻訳してるみたいだった」
彩葉ちゃんが小さく頷く。
「あの子、いつもそう。多分、言葉の意味を頭で確認してから、正解を探してるの」
「正解?」
「嫌われない答えを、ね」
優太くんの言葉に彩葉ちゃんが続ける。
「でもね…あの子を見てると健人を思い出すの」
僕は彩葉ちゃんの言葉に眉をひそめた。
「そしてあの目」
彼女の声が詰まる。
「健人がセンターで歌ってた時の、あの目と同じなの。必死で、怯えてて…」
優太くんが引き継ぐ。
「お前は笑顔で隠してた。でも…蒼は無表情で隠してる」
そこで優太くんの声が低くなった。
「でも、どっちも…自分を殺してる」
その言葉が、僕の胸に刺さった。
自分では全くと言ってもいいほど、自覚していなかった。
ただあの頃は、心の何処かで、得体の知れないものに追われている感覚が常にあった。
それに追われていた僕は、必死に怯えているように映っていたのだろう。
「健人も蒼も、完璧を目指してる。そして、健人も蒼も、自分を殺してる」
彩葉ちゃんが俯いた。
「あの子の目を見てると…健人を思い出すの」
「俺も」
優太くんが続ける。
「お前がセンターで歌ってた時の目だ」
「でも正反対なのに?」
「ああ」
沈黙が落ちる。僕は2人の言葉の意味を探った。
正反対なのに、同じ目をしている。
それは一体、どういうことなのか、理解ができなかった。
「お前はいつも笑ってた」
優太くんが静かに言った。
「でも、蒼は笑わない」
「2人とも…」
彩葉ちゃんが言葉を切る。
「必死なの」
「あの子も…僕と同じように、苦しんでるのか」
「ああ」
優太くんが頷く。
「蒼は健人の『Red eyes』を何回も何回も見て、研究してる。『この人を超えてみせる』って呟きながら」
「でも…」
彩葉ちゃんが続ける。
「あの子の目を見てると、健人と同じ目をしてるの。必死で、怯えてて、孤独で。けど、健人は笑顔で隠してた。蒼は無表情で隠してる。それだけの違いだよ」
「なあ、健人。1つ、頼まれてくれないか?」
「何?」
「蒼を…あの子を救ってやれないか?」
「救う?どうやって?」
「最終審査、俺達に、全力でぶつかってくれ。」
そう言って、2人はまた頭を下げる。
「お願い、これは健人にしかできない事なの」
僕の手のひらに、昔の感覚が蘇った。
Emmaのステージ。スポットライトの熱。
そして、観客の歓声の向こう側にある、冷たい視線。
「いいね、健人。完璧だよ」
デビューしてすぐの練習後、優太くんはいつもそう言っていた。
でも、その目は僕を見ていなかった。
僕の向こう側の何か——「社長のお気に入り」という看板を見ていた。
だから僕は、いつも不安だった。
本当に僕には価値があるのか。それとも、ただ甘やかされているだけなのか。
その答えを、誰も教えてくれなかった。
葛西さんも、きっと同じだ。
本気でぶつかってくれる相手がいないから、自分の価値が分からない。
……情に絆されそうになる。
いや、待て。目の前にいるのは、僕を追い出した張本人だ。
こんな相手の言う事、聞く義理なんてない。でも。
僕の頭の中に、葛西蒼の姿が浮かんだ。
会ったこともない、顔も知らない人。
でも、優太くんと彩葉ちゃんが語った「必死で、怯えている目」は、想像できた。
誰も本気でぶつかってくれなくて、自分の価値が分からなくて、ただ不安だけが膨らんでいったあの日々。
もし、あの時、誰かが本気で僕にぶつかってくれていたら。
もし、誰かが僕を1人の人間、「乃木健人」として見てくれていたら。
僕は、あんなに苦しまなくて済んだかもしれない。
「……分かった」
言葉が、勝手に出ていた。優太くんが顔を上げる。
「本当か?」
「ただし」
僕は2人を見た。
「これは葛西さんのためだ。2人のためじゃない」
優太くんが、一瞬だけ目を見開いて、それから小さく笑った。
「……ああ。それでいい」
再び、沈黙が流れる。鉛のように重く、淀んでいる空気だ。
「……実は」
優太くんが沈黙を破るように、だが、言いにくそうに口を開いた。
「最終審査の後、俺達、Emmaを解散するつもりだ」
僕は息を呑んだ。
「勝っても、負けても」
彩葉ちゃんが続ける。
「もう、続けられない」
「どうして…?」
優太くんが苦しそうに笑った。
「俺達は…もう誰かを潰したくないんだ」
沈黙が落ちる。
「健人を追い出した時、俺達は『これで良くなる』って思ってた」
彩葉ちゃんの声が沈む。
「でも違った。何も良くならなかった。玲奈も初歌も抜けて…」
「蒼が入って、また同じことを繰り返しそうになってる」
優太くんが拳を握る。
「『頑張れ』って言葉が、いつの間にか『完璧であれ』に変わってる」
「気づいたら、蒼の目が…健人と同じ目になってた」
彩葉ちゃんが顔を覆った。
「私達、また同じことしてる…」
「だから」
優太くんが僕を見た。
「Emmaは、俺達の手で終わらせる。蒼には…Emmaの呪縛から自由な場所で、歌ってほしいんだ」
優太くんが僕を見た。
「だから健人、頼む。俺達を、完膚なきまでに叩きのめしてくれ。そうすれば、俺達も…ようやく終われる」
僕は2人を見つめた。
解散。
9年間続いた、Emma。
僕にとっては、最初の2年間は楽しい家族みたいな場所だった。
輝かしいデビュー、初めてのステージ、初めてのファンレター。
でも、優太くんと彩葉ちゃんにとっては、最初からずっと違っていたのだろうか。
いや。
きっと2人も、最初は楽しかったはずだ。
じゃなければ、9年も続けられない。
それを、終わらせる。自分たちの手で。
その重さが、ようやく分かった気がした。
「……後悔はしないの?」
優太くんが首を横に振った。
「後悔するのは、蒼を潰した時だ」
その目には、迷いがなかった。
2人は店を出ていこうとして、ドアの前で振り返った。
「健人」
優太くんが言った。
「蒼は…お前のことを、すごく意識してる。」
彩葉ちゃんが続けた。
「敵意と、憧れが混ざったような目」
「『こうなりたい』と『こうなりたくない』が、同時に存在してるような」
「……なんか複雑な子なんだね」
僕はそう苦笑した。
「ああ。だから、よろしく頼む」
店を出ていく2人を見送りながら、僕はふと空を見上げた。
夕暮れの空が、不思議な色をしていた。西の空は炎のように赤く燃え、東の空は深海のように蒼く沈んでいる。
その境界線は、まるで誰かが定規で引いたように、くっきりと分かれていた。
赤と蒼。混ざらない二つの色。
僕は東の蒼い空を見つめた。
あの色の下に、葛西蒼がいるように感じた。僕と同じ目をした、会ったこともない誰かが。
そして僕は、2人が置いて行ったUSBをポケットから取り出し、空にかざす。
5人だった頃の、僕達の声。いつか、聴けるだろうか。
「健人、何見てるの?」
玲奈ちゃんが隣に来た。
「空だよ」
僕は答えた。
「赤と蒼が、混ざらずに分かれてる」
「綺麗だね」
「うん」
でも、と僕は思った。
この二つの色は、いつか混ざるんだろうか。それとも、ずっと分かれたまま、それぞれの道を行くんだろうか。
最終審査のステージで、僕は答えを見つけられるだろうか。
「……行こう」
僕は店に戻りながら言った。
「やることが、山ほどある」
玲奈ちゃんが微笑んだ。
「うん!」
空は、まだ赤と蒼に分かれていた。
でも、その境界線は、少しずつ、溶けはじめていた。
店の中に戻ってから、ルナが僕に話しかける。
「……健人、本当に優しいな」
「え?」
「普通だったら、もっと怒ってもいいのに」
僕は苦笑した。
「別に、怒っても状況は何も変わらないからね。それに…」
僕は窓の外を見た。
そこには2人の姿は、もう見えなかった。
「あの2人も、苦しんでるんだと思う」
そして、店の片付けが完全に終わった頃、千佳がスマホを見て顔を曇らせた。
「ねえ…これ」
画面には、すでに何件もの投稿が上がっていた。
『METROPOLARiSっていうコンカフェにEmmaの2人いたんだけど』
『乃木健人を追い出した奴らが、なんで乃木健人の店にいるの?』
『めっちゃ気まずそうだった』
『謝りに来たのかな』
『でも今更遅いでしょ』
ルナが舌打ちした。
「もう広まってるのか…」
僕は画面を見て、ため息をついた。
「まあ、仕方ないよ」
「でも健人」
初歌ちゃんが心配そうに言う。
「これ、最終審査前に変な噂になったりしないかな?」
確かに、『乃木健人とEmmaが和解?』とか『八百長の相談?』とか、面倒な憶測が飛び交うかもしれない。
「なったら、なったで」
僕は肩をすくめた。
「僕達は、ステージで全部示せばいい」
初歌ちゃんが頷いた。
「そうだね。歌で、全部答えよう」
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