第30話
一次審査当日の午前7時、僕は結局あのまま寝れなかった。
ベッドから降り、カーテンを開ける。窓の向こうにはもう朝日が差し込んでいた。
スマホのバイブが長く鳴った。通知が7件来ていた。
『おはよう、健人くん。頑張ってくるよ』
『アタシら、負けねえから』
『準備万端です』
『楽しみ〜!』
『今日という日を、みんなで』
『ありがとね、健人』
『行ってきます』
と、『METROPOLARiS』のグループチャットに返信があった。
僕は画面を見つめながら、少し息を吐いた。
胸の重石が軽くなったような気がした。
『その意気だ。じゃあ、会場で』
短い返信を書いてスマホを閉じ、僕はシャワーを浴びることにした。
***
午後1時、サンケーテレビに到着し、7人と合流してから控え室へ向かった。
控え室には他のグループも次々到着し始めた。みんな、神妙な面持ちをしている。
「健人くん」
千佳が僕の袖を引いてきた。
「ねぇ、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
僕は答えた。
嘘はついていない。かと言って、本当の事でもない。
「なんか、見られてるね〜」
初歌ちゃんがそんな事を小声で言う。
「当然だろ。アタシらが今回どんだけやるのか、みんな気になってんだろ」
ルナが不敵な笑みを浮かべる。
「確かに、そうかもね」
僕が言うと、7人がスタイリストとメイクスタッフに呼ばれた。
「じゃあ、準備するよ」
千佳が7人の事をまとめる。
それを確認して、僕は窓の外を眺める。
「乃木さん」
振り返ると、菖蒲さんが近づいてきていた。
「少し外の空気を吸ってきたらどうですか?」
「どうして?」
僕はそう言って笑みを作った。
「今の乃木さんは、いつもより無理をしているように見えます。」
菖蒲さんは静かに続ける。
「私達なら大丈夫です。だから、乃木さんは少し休んでてください」
「……わかった。少し廊下に出てくる」
「はい、ここで待っています」
僕は控え室を出た。廊下は人の行き交う音が混ざり、賑やかだった。
僕は自販機で缶コーヒーを買って、一口飲んだ。そして、一息つく。
「健人くん」
僕は缶コーヒーを持ちながら、その場に固まる。
振り返れない。振り返りたくもない。
あの声。13年前の、あの練習室の声。
「こっち、向いてくれないの?」
足が、動かなかった。逃げろ、と頭が叫ぶ。でも体は、13歳のあの日に戻っていた。
僕は恐る恐る振り返る。江ノ島裕美だった。
「電話、出てくれてありがとう。嬉しかったわ」
心臓が脈打つのが速くなっていく。
足が…動かない。
「……江ノ島さん。」
やはり対面すると恐怖心が出てくる。でも、言葉が出せた。
「ずいぶん緊張してるのね。大丈夫?顔真っ青になってるわ」
江ノ島が一歩、僕に近づく。僕は反射的に一歩後ずさる。
「あら、怖がらせちゃった?ごめんなさいね」
彼女は楽しそうに、笑っている。
「きょ、今日は…僕達の、パフォーマンスを…」
喉が締め付けられて、声が上手く出せない。言葉が途切れてしまう。
「見てください」
ようやく、そこまで言えた。同時に、彼女の目が細まる。
「あら、随分偉くなったみたいね」
「偉そう…なんかじゃ、ないです」
僕はもう一歩後ずさる。壁の冷たさを背中が感じ取った。
「……負けるつもりはない。ただ、それだけです」
「健人くん、あの時から変わったのね」
彼女が僕の頬に手を伸ばしてくる。
「健人くん!」
千佳だった。息を切らせて、でも迷いなくまっすぐこちらへ駆けてくる。
その瞬間、江ノ島の手が止まった。
「あら、あなたこの前の…」
そんな声を無視して千佳が駆け寄ってくる。
「健人くん、探したよ。もうすぐで本番始まるから、早く」
千佳は江ノ島の方を向かず、まっすぐ僕の方を見て言う。
「……わかった」
僕は、千佳の後ろに隠れるように立った。
「では、そう言う事ですので。失礼します」
千佳は江ノ島に一礼し、僕の手を引いてその場を立ち去った。
「じゃあね、健人くん。本番、楽しみにしているわ」
そんな江ノ島の声が僕の背中に矢のように突き刺さった。
***
控え室に戻ると、7人が心配そうに僕と千佳の方を見つめていた。
「健人、大丈夫?」
玲奈ちゃんが肩に手を置いて心配してきた。
「……なんとか、大丈夫だと…思う」
「でも、心配だよ」
志歩が目を少し潤ませて言ってくる。他のみんなもやはり心配そうにしてくれている。
「大丈夫だってば」
僕はそう答えてしまった。まだ膝も震えているし、息も浅くなっている。
だが——
「あの人から逃げなかった」
僕は小さく呟く。
「どうしたの?」
千佳が聞き返してくる。
「ただの独り言」
僕はそう言って笑って見せた。
「みんな、もう準備はできた?」
7人が頷く。
僕は深く息を吸った。
「Okay! Let's go!」
ルーティンを済ませ、僕は7人を送り出し、後からモニタールームのモニターの前に立った。
「それでは、最後の出場者です。『METROPOLARiS』!」
司会者の声が響く。
7人が、ステージに姿を現した。客席から、歓声が上がる。
スポットライトが7人を照らす。
「さあ、『Heaven or Hell project』一次審査、いよいよ開始です!」
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