表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイドル育成計画  作者: 夜明天
第3章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/37

第28話

一次審査前日の午前8時、いつものようにコーヒーを淹れていると、スマホがバイブレーションで震えた。

画面を見ると、志歩からの着信だった。

「もしもし」

「あ、もしもし乃木さん。今って大丈夫ですか?」

「大丈夫だけど、どうしたの?」

「……あの、乃木さん」

「うん」

「今日……」

コーヒーを啜る音が妙に大きい。志歩の息づかいだけが聞こえる。

「今日、空いてますか?」

「空いてるけど」

また沈黙。5秒、10秒。

「わ、私と——」

声が裏返る。

「デート、してください!」

スマホを耳から離したくなるほどの大声だった。

「……は?」

思わず聞き返していた。明日が一次審査だというのに?

手に持っていたマグカップを、思わずテーブルに置く。

「あの、今日って休養日じゃないですか。だから、その……」

「今日遊んで大丈夫なの?明日、完璧なパフォーマンスできる?」

「大丈夫です!絶対やってみせます!」

電話口から伝わる彼女の熱意に、僕は少し考え込んだ。確かに休養日だが、こういう気分転換も必要なのかもしれない。

それに、ここまで言うなら止める理由もない。

「……分かった」

「本当ですか! やったー!」

彼女の喜ぶ声を聞きながら、僕は何だか不思議な気分になっていた。

電話を切り、シャワーを浴びて、着替えを済ませ、待ち合わせ場所の東京ドームシティに向かう。()()(せん)水道橋駅すいどうばしえきの改札から地上へ上がり、ドームシティの中へ入ると、ジェットコースター乗り場の柱に志歩が立っていた。

普段の練習着姿とは違う、白のロングTシャツにジーンズ。ボブの髪も、いつもより丁寧にセットされている。

「乃木さん」

彼女がこちらに気付き、ぎこちない笑顔を向けてくる。

「ありがとう、来てくれて」

「ああ。……ところで」

僕は視線を彼女の背後、柱の陰へ向けた。

「え?」

志歩が驚いた声を上げる。一瞬の静寂の後、物陰からばつが悪そうに2人の人影が現れた。

綾乃さんとルナだった。

「……あちゃー、バレてたか」

ルナが頭を掻きながら苦笑する。

「で?いつから付いてきてた?」

「私は、神保町(じんぼうちょう)(えき)で、偶然志歩を見かけて。あまりに様子が、違うから。つい、気になって……」

綾乃さんが申し訳なさそうに答える。

「アタシは電車の中!健人の様子がおかしいから、『これは面白そう』って思ってさ」

ルナは悪びれもせずにカラカラと笑った。

「もう……」

志歩が顔を赤くして俯く。僕はため息をついた。

「まあいいけど。せっかくだし、志歩がいいなら4人で回る?」

志歩は一瞬、唇を噛んだ。それから、

「……うん、そうだね。みんなで回ろう」

と言った。声は明るいが、視線は足元に落ちている。

「やったー!じゃあまずジェットコースター乗ろうぜ!」

ルナが無邪気に叫ぶ。

「ルナ、志歩の邪魔しに来たわけじゃ、ないよ」

「違う違う!」

2人のやり取りを見ながら、志歩は小さく苦笑した。

僕達は園内を歩き始める。土曜の午前中、まだ早い時間だからか、人はそこまで多くない。

ルナと綾乃さんが先を歩き、僕と志歩が少し距離を置いて後ろを歩く形になった。

「……ごめんね、乃木さん」

不意に、志歩が小さな声で言った。

「何が?」

「せっかく来てもらったのに、2人きりじゃなくなっちゃって」

「別に気にしてないよ。それより、なんで急にデートに誘ったの?」

僕が尋ねると、志歩は少し考えてから答えた。

「明日、でしょ」

志歩が小さく言う。

「審査」

「うん、怖い?」

「……怖い」

彼女は前を歩くルナと綾乃を見つめている。

「落ちたら、どうなるんだろう」

「どうなるって?」

「みんなと、バラバラになるのかな」

――ああ、そうか。

志歩が恐れているのは、審査に落ちること自体じゃない。

仲間を失うことだ。

「志歩」

「うん?」

「絶対受かるよ」

「え……」

「昨日までの練習、ずっと見てた。君達なら、『METROPOLARiS』なら絶対大丈夫」

志歩は立ち止まり、僕の顔を見た。その目には、少し涙が浮かんでいた。

「……ありがとう」

彼女は小さく笑って、また歩き出す。

「お〜い、2人とも何話してんだ〜!早く来いよ〜!」

前方からルナの声が響く。

「今行く!」

志歩が明るい声で返事をする。

さっきよりも、少しだけ彼女の足取りが軽くなっていた。

ジェットコースターの乗り場に着くと、ルナが既に列に並んでいた。

「早く早く!待ち時間15分だって!」

「ルナ、私はここで待ってる、よ」

綾乃さんが申し訳なさそうに言う。

「え?綾乃ちゃん、苦手なの?」

志歩が驚いた顔をする。

「高いところは、少しだけ。じゃあ、3人とも、楽しんできて」

「じゃあ僕も待ってる」

僕が言うと、綾乃さんが首を振った。

「乃木さんは、志歩と一緒に、楽しんで」

彼女は小さく笑って、ベンチの方を指差す。

結局、僕と志歩とルナの3人で乗ることになった。

列に並びながら、志歩がそわそわと周りを見回している。

「志歩、ジェットコースター初めて?」

「ううん、小さい頃に1回だけ……。でも、すごく怖かった記憶が」

「大丈夫大丈夫!慣れたら絶対楽しいって!」

ルナが無邪気に言う。

順番が来て、僕達は座席に座る。座席は2人掛けで、前の列に志歩と僕が、そしてルナが後ろの列に。

安全バーが降りてくると、志歩の手がぎゅっと僕の手を包んでくる。

「……乃木さん」

「ん?」

「手、握っててもいい?」

「ああ、いいよ」

彼女の手は少し震えていた。

コースターが発進すると、ガタン、ガタンと音を立てて、上昇していく。

「志歩、目開けてる?」

ルナが横から覗き込む。

「開けてる……けど、こ、怖い……」

頂上に到着する。東京の街が、小さく見える。

志歩の手が僕の手を握りしめる。

言葉を探す。何か伝えたいことがある。

でも、急降下が始まった。風が、声を奪う。

志歩の叫び声も、ルナの笑い声も、すべてが風に溶ける。

そして——気づいたら、笑っていた。

志歩も、笑っていた。

降り場で、志歩が息を整えながら言った。

「明日も、こうなるかな」

「こう?」

「怖いけど、終わったら笑ってるみたいな」

僕は頷いた。

「きっと、そうなるよ」

降り場で待っていた綾乃さんが、手を振っている。

「どう、だった?」

「すっごく楽しかった!綾乃さんも乗ればよかったのに!」

ルナが興奮気味に話す。

「次は私も、頑張ってみよう、かな……」

綾乃さんが苦笑する。

志歩は、さっきよりもずっと明るい表情をしていた。その顔を見て、僕は少し安心した。

その後も僕達は、バイキングや水上コースター、お化け屋敷などを次々と楽しんだ。気付けば空は夕暮れ色に染まっていた。

「あっという間だったね」

「だな〜」

とルナが言うと、志歩は思いついたかのように声を上げた。

「そうだ、乃木さん!観覧車乗ろ!」

志歩が遠くの観覧車を指差す。

「え…いいけど」

「じゃあアタシも…」

とルナが言いかけたところで、綾乃さんに止められた。

「ルナ、ここは、2人にしたほうがいい、よ」

「お、おう。そうだな」

「聞き分けが、いいね」

綾乃さんが微笑む。

僕と志歩は観覧車乗り場へ向かい、ゴンドラを待った。やがて、僕達の番が来たのでゴンドラに乗り込む。

ゴンドラはゆっくり、ゆっくりと上昇し頂上を目指していく。

窓の外には、夕暮れに染まる東京の街並みが広がっている。オレンジ色の空と、ぽつぽつと灯り始める街の明かり。

「綺麗だね」

志歩が窓に顔を近づける。

「だね」

しばらく2人とも無言で景色を眺めていた。

ゴンドラが半分ほど上昇したところで、志歩が口を開いた。

「ね、乃木さん」

「ん?」

「今日、誘ってよかった」

彼女は窓の外を見たまま続ける。

「最初は、すごく勇気が出なかったんだ。断られたらどうしようとか、迷惑じゃないかなとか」

「全然迷惑じゃなかったよ」

「うん、それは分かった。綾乃ちゃんとルナまで来ちゃったけど……でも、楽しかった」

志歩が僕の方を向く。

「ありがとう、来てくれて」

「志歩、何か不安なことでもあるの?」

僕が尋ねると、志歩は少し黙った。

それから、

「綾乃ちゃん、可愛いよね」

唐突に志歩が言った。

「うん、そうだね」

「ルナは、誰とでもすぐ仲良くなれる」

「ああ」

「私には、そういうの、ない」

志歩は自分の手のひらを見つめている。

「何もない。普通の、ただの女の子」

沈黙。ゴンドラが軋む音。

——千佳も、同じことを言っていた。

あのとき僕は、何と答えただろう。

「そんなことない」「君にも良いところがある」——

ありきたりな言葉だったかもしれない。

でも、千佳は今、あの言葉を信じて前に進んでいる。

志歩の真剣な表情を見る。

今度は、もっと具体的に伝えよう。

「志歩は、歌ってるとき、目を瞑るよね」

「え?」

志歩が驚いた顔をする。

「高音のとき。必ず目を瞑る」

「……そうかも」

「あれ、すごく綺麗だと思う」

志歩が顔を上げる。

「自分では気づかないんだろうけど、

あの瞬間の志歩は、誰よりも歌に入り込んでる。

それが君の武器だよ」

志歩の目に、また涙が浮かんでいた。

でも今度は、不安の涙じゃない。

「……ずるいよ、乃木さん」

「何が?」

「そんなこと言われたら、もう不安になれないじゃん」

志歩が泣きながら笑う。その笑顔は、今日一番明るいものだった。

そうしているうちに、ゴンドラが頂上に到達する。

眼下に広がる東京の夜景。無数の光が、宝石のように輝いている。

「綺麗……」

志歩が息を呑む。

「あそこに、私達の練習場があるんだよね」

「ああ」

「明日、あっちでオーディションがある」

志歩は深く息を吸って、吐いた。

「よし、頑張る。絶対、合格してみせる」

その横顔には、もう迷いはなかった。

「ねえ、乃木さん」

「ん?」

「ありがとう」

志歩が囁く。

近い。いつの間にか、彼女の顔が近くにある。

逃げるべきなのか。でも、身体が動かない。

志歩の瞳が僕の目を見ている。迷いがない。

彼女の唇が、触れた。

柔らかい。温かい。

一瞬、いや、もっと長かったかもしれない。

志歩が離れる。顔が真っ赤だ。

「ご、ごめん」

「……いや」

何を言えばいいのか分からない。志歩も黙っている。

互いに窓の外を見ているが、何も見ていない。

ゴンドラが降下を始める。

ゴンドラが一周し、降り場に着くと、綾乃さんとルナが待っていた。

「どうだった?」

「すごく綺麗だった!」

志歩が明るい声で答えた。

その表情を見て、綾乃さんが小さく微笑んだ。

「良かった、ね」

「うん!」

「つーか、2人とも変じゃないか?さっきまで普通だったのに」

ルナが首を傾げる。

綾乃さんが小さく微笑む。

「ルナ、それは……」

「え、何?何があったの?」

「聞かないほうが、いいこともある、よ」

駅で別れるとき、志歩が手を振った。

「明日、頑張るね」

「うん」

志歩が改札を抜けていく。その背中は朝とは違って、まっすぐだった。

地下鉄の水道橋駅へ戻る道すがら、スマホを見ると、ルナからメッセージが届いている。

「健人、何があった?」

返信はしなかった。

代わりに、明日の審査会場の住所を確認する。

大丈夫だ。

根拠はない。でも、そう思えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ