第22話
ついに年度も変わってしまった4月初旬、1ヶ月前にサンケーテレビ制作局長の大島さんから声を掛けてもらったオーディション番組『Heaven or Hell project』 のオーディションに合格し、無事『METROPORALiS』の出演が決定した。
そして4月10日、初収録の日となった。
最初に、このオーディションの概要について説明しておこう。
このオーディションの概要は至って単純明快。本当に地獄に堕ちるか、天国へ昇るか、だ。
とは言ってもこの説明だと何をしたら堕ちるか、何をしたら昇るのかさっぱり分からないだろう。もう少し詳しく説明すると、このオーディションは視聴者投票、スタジオ観覧者の投票にて地獄か天国かが決まる。
何を根拠に決めてもらうのか、それは事前に収録した普段のレッスン、パフォーマンスをVTR形式で見てもらい、投票する方を決めてもらうといったやり方だ。
だが、何を以って地獄、何を以って天国なのか。ここを説明しよう。
オーディションはトーナメント形式で進められ、一度でも投票によって負けてしまったらそこで地獄行き。もう二度と上には上がれない。
逆を言えば、一度も負けなければ天国へ行ける。天国に行ければ、スポンサーの大手レコード会社、そしてサンケーテレビによって将来が確約されるといった感じだ。
次に、出場メンバーは地下アイドル陣営が4組、元々有名だったが、なんらかの理由で低迷していったアイドル陣営がそれぞれ4組だ。
競う相手はくじ引きによって決定され、地下アイドルで潰し合う可能性もあるし、逆もあり得る。そして、地下アイドルVS低迷アイドルとなることもある。
ただ、この投票の仕組みは地下アイドルVS低迷アイドルとなった場合、地下アイドル陣営にとって少し不利となる可能性がある。どういうことか、腐っても元々有名だったアイドルで、再出発の舵を切ろうとしているアイドルだ。知名度が地下アイドルよりかはあるから知名度票も多少は含まれる可能性もある。
その場合、地下アイドルが勝つには、どれだけ素晴らしいパフォーマンスをするか、という事が求められる。
長々と説明してしまったが、僕達が今いる控え室は地下アイドル陣営の控え室だ。今回くじ引きの結果、『23時、舞踏会にて。』という地下アイドルと対決することになった。
そして、控え室にいる地下アイドルは地下アイドルと侮る事なかれ、地下アイドル組の応募総数は数千に上るらしい、その選考を潜り抜けた5組のアイドルだ。顔が綺麗に整っている。
控え室では『METROPORALiS』の7人が横一文字に並び、スタイリストの人にメイクしてもらっている。
メイク中の7人を見守りながらスマホを操作していると、背後から声をかけられた。
「すみません、もしかして『METROPORALiS』の方々ですか?」
振り返ると、地下アイドルと思われる女性が立っていた。僕の伊達メガネ越しに、彼女の視線が探るように光っているのが見えた。
「はい。『METROPORALiS』のプロデューサーをしている乃木と申します。以後お見知りおきを。」
僕が言い終わっても反応がなかった。というより、僕に見惚れているように見える。
やはり伊達メガネしか身に付けなかったのはいけなかったのか、と思った。
「どうしました?僕の顔に何かついてますか?」
「あっ…いや、なんでもないです。でも、『METROPORALiS 』今すごい勢いですよね。まさかライブを1回しか開催してないのに、選考に通っちゃうなんて…流石です。サンケーテレビに誰か乃木さんの知り合いがいるんですか?もしよかったら乃木さんと仲良くしたいな〜…」
彼女の笑顔には、計算されたような作為があった。最初は見惚れているのかと思ったが、その視線の奥に潜む探るような光を見て、僕の勘違いだったことを悟った。
彼女は今、間違いなく僕のことを探っている。確かに、僕は国民的アイドルグループ『Emma』の元メンバーで、キー局のスタッフの知り合いも多々いる。
だが、僕はそんな汚い力を使ってまでこのグループを大きくさせたって意味がないと思っている。間違いなく、彼女達7人の力でここまでのし上がったんだ。
「すみません、一つ申し上げますが…!」
メイクが終わった千佳が慌てたように駆け寄ってきた。僕の表情を見て、何か良くないことが起きていると察知したのだろう。
「まあまあ、プロデューサー。飲み物買いに行こうよ、7人分。」
そう言って僕の腕を掴んで部屋から連れ出してくれた。
「ねぇ、大丈夫?」
「うん、今はもう大丈夫になった。ありがとう。」
「何があったの?」
「ちょっと、変な探りを入れられたんだ。なんでも、僕がサンケーテレビにコネを使ってるって…」
そこまで言い切った時、『Emma』メンバーじゃない、僕の1番会いたくない人に話しかけられた。
「あれ〜!健人くんじゃないの!」
40代後半から50代前半くらいの人で、その厚塗りの化粧、身に纏っている香水。その全てが僕の思い出したくない記憶を呼び起こしてしまった。
「え、江ノ島…さん。どうも…ご無沙汰してます…。」
濃い化粧と甘ったるい香水。10年前と変わらない、あの押しつけがましい笑顔。僕の体は勝手に震え始めた。あの頃の記憶が、堰を切ったように蘇ってくる。だが江ノ島さんは、僕の動揺など意に介さない様子で話し続ける。
「んも〜、前みたいに、裕美さんって呼んでもいいのよ?ていうか、健人くんはどうしてここに?……もしかして、出演者として!?」
「いや…そういうわけじゃなくて…」
「じゃあどうして?」
「今、『Emma』を辞めて、『METROPORALiS』っていうアイドルのプロデューサーやってて…それで…ここに来ました…」
「あら、そうなの。じゃあ私達、対戦同士ね。」
「ああ…あなたのとこのグループだったんですね…」
「ええ、うちの事務所から期待の大型新人グループよ。ただね、覆面で活動してるから、別の控え室を用意してもらってるのよ。」
「そうなんですか…もういいですか…?僕、結構忙しいので…」
僕は早く話を切り上げて一刻も早くこの場所から離れたいと思った。
「まあ、そうなのね。まあ、健人くんなら、いつでも大歓迎だわ。どこでもね。事務所でも、健人くんの家でも…ね?」
江ノ島さんの視線が一瞬、値踏みするように僕を舐め回した。背筋に嫌な汗が流れる。
「じゃあ名刺渡しておくわね。いつでも電話して。」
江ノ島さんは僕に名刺を渡すと、最後に僕の腰あたりを触ってから去っていった。
まず足に力が入らなくなった。次に額から汗が噴き出し、心臓が異常に早く打ち始める。眩暈と恐怖心が一気に襲いかかり、震えも止まらなくなる。
もう立っていることすらできず、その場に座り込んでしまった。
「ちょっと、大丈夫!?すごい汗だけど!?」
「だ、大丈夫…ちょっと水を買ってきてくれない…?」
「わ、分かった。」
そう言って千佳は自販機の方へ走っていった。その間、僕は恐怖心に耐えながら千佳が帰ってくるまでを過ごした。
「お待たせ。」
千佳が僕に水を差し出す。
僕は「ありがとう。」と震えた声で言って、両手でペットボトルを支えながら水を一口飲んだ。まだ手の震えが止まらない。
「ねぇ、さっきの人誰?彼女にしてはちょっと歳が行きすぎてる気がするけど…もしかして…?」
僕はその言葉を聞いた瞬間、何かが切れてしまった。
「彼女だって?」
僕の声は裏返っていた。
「冗談じゃない。あの人は…あの人だけは絶対に…!」
激しい怒りに駆られ、僕は江ノ島さんの名刺を握り潰した。紙が音を立てて歪む。
あの時のことを思い出すだけで、胃が締め付けられるような痛みが走った。そして涙が止まらなくなってしまった。
「ごめん、ちょっと無神経だったね…」
そう言って千佳は僕の地雷を踏み抜いたことを察し、申し訳ない顔をした。
だが、もうこの気持ちを押し込んではもういられない。誰かに話したい。
その一心で千佳の腕を掴んだ。だが、もうすぐ大事な本番の時間だ。
千佳は優しく微笑んで「どうしたの?」と聞いてくる。
僕が言い淀んでいると、千佳は僕のことを抱きしめた。そして右手で背中をさすってくれて、左手で僕の頭を撫でてくれた。
完全に構図は、泣いている子供をあやしているお母さんと言ったところだ。
「大丈夫、大丈夫だよ、健人くん。もう我慢しなくていいんだよ。」
千佳の声は、母親が子供をあやすように優しかった。彼女の手のひらの温もりが僕の背中に伝わり、その瞬間、ずっと張り詰めていた糸がぷつりと切れた。
思わず声を上げて泣き出しそうになるくらいだった。だが、そこは人目もあるので我慢した。
「うん…ありがとう。でも、今は僕のことなんかより本番に集中して。」
と僕は涙声でそう言った。
「うん、了解したよ。じゃあ、本番頑張ってくるね。」
そう言って千佳はスタジオの方へ向かって歩いていった。
「いってらっしゃい。」
自然とその言葉が出てきた。
僕は深く息を吸った。まだ震えは残っているが、千佳達のために冷静さを取り戻さなければ。
スタジオへ向かう足取りに、少しずつ力が戻ってきた。




