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二話

取り敢えず、電車から降り駅の外へ出た。木造の駅舎が遠くへ来てしまった絶望感を感じさせる。

駅の周りには僕と同じように高円寺だとか三鷹だとか、そんな途中の駅で降りる予定だったであろう寝過ごし難民たちが10人程集っていた。そして、寝過ごし難民たちは次々とタクシーへ吸い込まれている。中にはタクシーが来ないので、赤の他人同士でタクシーに相乗りしている人もいた。

ここで僕は財布を出そうと着ているスーツの内ポケットを探る。しかし、確実に入れておいたはずの財布が、そこにはなかった。慌てて尻ポケット、腰ポケットなどを上から触って確認するが、それでもやっぱりない。手提げバッグも確認してみるが、やはりない。ただし、幸いなことに別のカードケースに入れておいたクレジットカードやキャッシュカードは無事だった。つまり、現金がないだけで決済手段はある。

ICカードの残高は3600円、しかし駒沢大学まででも軽く50000円はかかるだろう。クレジットカードで支払れば良いのだが、あまり使いすぎると翌月の支払いで窮することになる。だからあまり使いたくはない。節約という面で考えるのならば、やはり始発電車を待つしかないだろう。

11月も下旬に差し掛かるところで、現在の気温は2℃。こんなところで野宿したら確実に凍死してしまう。スマホで調べると、歩いて8分のところに24時間営業のカラオケ店がある。そこで夜を明かそう。そう決めて歩き始めると、背後から声を掛けられた。振り返るとそこには女性が立っていた。女性は、黒髪ベースの髪に、金メッシュが入っていてオシャレな雰囲気、そして、長身細身でスタイルがとても良い。

「どこかの事務所に所属してるタレントさんなのかな。」

そんなことを思っていると女性がこっちへ近づいてくる。

「な、な、なんですか?」

僕は思わず驚いてしまう。

「もしかしてなんですけど、『Emma』の乃木健人くんですか?」

「え、ああ、まあ、そうですけど。」

「本当ですか!?私、大ファンなんです!握手してもらっても良いですか?」

どうやらこの人は僕の大ファンらしい。なんだか嬉しくなる。まあ、僕はもうEmmaのメンバーではないけれど。

「そういえば、健人くんって家はどちらに...は!」

女性は慌てたように手で口を覆った。

「アイドルに自宅を聞くなんてもってのほか!すみません!」

「いえいえ、お気になさらないでください」

僕は苦笑いを浮かべた。

「それに、もう僕はアイドルではないので...」

「え…?」

「そうだ、あなたは家どこなんですか?」

「私は、世田谷の方です。」

「僕と同じ方向ですね。じゃあ、アイドルじゃない件についての詳しいことはタクシーの中で話します。」

「え…!?」

「実はお恥ずかしい限りなのですが、所持金が4000円弱しかないもので…よければ相乗りしませんか?」

僕は女性に相乗りの提案をしてみるが予想外の返答が返ってきた。

「私もです…」

「え?」

「実は所持金がなくて…スマホの充電も切れてて、カードも持ってなくて、料金が払えないんです。」

「つまり、僕に奢れって言ってるんですか?」

「あ、いえ、そんな...でも、か、帰ったら絶対返しますよ!本当に困ってて...」

女性は申し訳なさそうに俯いた。この人、いろんな人にこんなこと言って断られてきたんだろうな。でも、本当に困ってるようにも見える。

「分かりました。じゃあ10分くらい待っててください。」

僕はそう言って、近くのローソンに駆け込んでATMで6万円下ろした。残高は200万円程度だ。いつまで持つだろう。

「そういえば、家、世田谷のどこら辺なんですか?」

「駒沢大学です。」

「なんだ、駒沢大学ですか。僕もです。」

「え!?駒沢大学なんですか!?」

女性は興奮したように話す。

「うちの両親が店を経営してて…じゃあ『Taverna da SANNO』ってイタリアン知ってますか?」

「知ってますよ。駒沢病院の近くのところですよね。」

「そうです!」

この店はうちの近くにあって、結構リーズナブルで味もとても良いところで、実は常連だったりする。

「まあそこ行けば会えるってことですね。」

「私に会いに来てくれるなんて、夢見心地…あ、いえ、冗談です!本当にお金は返しますから」

女性は慌てたように付け加えた。さっきまでの明るさの奥に、少し不安そうな表情が見え隠れしている。

「代金を徴収しにいくだけですからね?」

「分かってますよ!さ、乗りましょう!」

女性の表情に再び明るさが戻った。

女性がタクシー乗り場に向かいながら手を上げると、ちょうどタクシーが一台停まった。

「あ、来た!ラッキー!」

女性は振り返って僕を見る。

「本当にありがとうございます。必ずお返ししますから」

そう言いながら後部座席へと乗り込む。

「ほら、早く早く!」

困ってるのか興奮してるのか、よく分からない人だ。でも、嘘をついてるようには見えない。タクシーに乗り込みながら、僕は運転手に告げた。

「駒沢大学までお願いします。」

「承知いたしました。高速使って70分ほどかかりますが、よろしいですか?」

運転手の言葉に、女性が小さく息を呑む音が聞こえた。料金のことを考えているのだろう。

「まあ、それで大丈夫です。」

「かしこまりました。では、出発致します。」

そう言ってタクシーは深夜の大月駅を出発した。

***

「えへへ〜、健人くん大好き〜」

「はいはい、分かりましたよ。」

タクシーの車内、26歳とは思えない態度で僕にベタベタしてくるのは、中央線の最終電車で大月までやってきてしまった戦友の女性こと、山王千佳(さんのうちか)

「ちょっと、山王さん。飲み直しなら家でしてくださいよ…」

彼女の手にはストロング缶(500ml)、どうやらこれは新宿駅のコンビニで財布の中の全財産を叩いて買ったものらしい。見かけによらず、意外といかつい物を飲んでらっしゃる。

「山王さんじゃなくて〜、千佳って呼んでよ〜」

「はいはい」

この人は多分推しの前だから抑えてるんだろうけど、他の人の前だったらもっとダルい絡み方をしてくるのだろう。

「ねぇ〜、健人くんはどうして大月まで寝過ごしたの〜?」

「まあ、ちょっと飲み過ぎちゃいまして…なぜか中央線に乗ってて、そして大月まで…」

「えぇ〜、健人くんでも飲みすぎちゃうことあるんだね!」

そう言いながら山王さんは笑っていた。

「でも、山王さんだって人のこと言えませんよね?」

「あー、バレてる」

山王さんが背もたれに寄りかかり一息つく。横顔に高速の街灯の光が当たって、とても綺麗だった。さっきまでの明るい表情が少し大人しくなって、どこか自嘲的な笑みを浮かべた。その表情に、思わず見とれてしまった。それに気づいた山王さんが恥ずかしそうに頬を少し赤らめながら、

「何?そんなに見つめて」

と聞いてきた。

僕は急いで目を逸らして、

「……いえ、別に。なんでもありません。」

と答えた。するといたずらっぽく

「まさか、変なこと考えてたりして〜」

と言われた。

「うっ…」

正直、今一番触れてほしくない話題だった。

「健人くん、ごめん!そういえばアイドルの時に何かあったって...」

「すみません、お気になさらず。たまたま喰らってしまっただけで、いつもならうまく流せたんですけど。」

「もしかして…?」

「いや、まあ…」

僕は言おうか言わまいか迷っている時、頬にアルミの冷たさを感じた。見るとストロング缶だった。

「これは?」

僕が尋ねると、

「これ、健人くんにあげる!」

そう答えて缶を頬から離し、僕の目の前に差し出した。僕は勢い良くプルタブを開け、1/3程飲んだところで、僕はようやく全てを話すことにした。

「実は…」

タクシーが高速を走る間に、僕は全てを話した。アイドル時代の裏切り、事務所トラブル、そして今の状況まで。

全てを話し終わった時、車内には沈黙の空気が漂っていた。それを破るように山王さんが話し始めた。

「災難だったね。」

「はい…まあ、僕が前の社長に気に入られなければよかった話なんですけどね。」

「そんなことないよ。でも、彩葉ちゃんも優太くんもそんなことするような子だったんだ…」

山王さんは、まるで自分の事のように残念そうにしていた。

「Youtubeとかで告発とかしないの?」

山王さんが唐突に言う。

「そんなことできないですよ。僕が冠番組で持ってたコーナーの名前、なんですか?」

「確かに…乃木健人のキングオブビビリだもんね…」

そう言って山王さんは苦笑いを浮かべる。

「健人くんはこれからどうするの?ニートにでもなるの?」

「まだ考え中です。」

「決まったら、うちの店まで教えにきて。いつでも待ってるから!」

「その前にタクシー代の徴収に行きますからね。」

「忘れてなかったか…」

「忘れるわけないじゃないですか。まだ乗ってますし。」

「確かに!」

そう言って山王さんは今日一番の声で笑った。この声は生まれながら、天性のものだと言うものがわかる。

(そうだ、もしかしたら...)

僕の頭の中で、ある考えが形を取り始めていた。この人となら、僕が考え中のあのことができるかもしれない。

気がつくと山王さんは僕の肩にもたれかかって眠っていた。

窓の外に暗い夜の街並みが流れていく。今夜は長い夜だった。でも、悪くない夜だった。

ふと、明日から何か新しいことが始まる予感がした。

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