第14話
2月11日、いよいよ待ちに待った初ライブの日となった。
今日の会場は、渋谷ストリームの前にある稲荷橋広場だ。僕は午後3時頃に集合し、7人にも手伝ってもらいながら会場セッティングを進める。
セッティングが終わる頃には、設置したステージを囲うように数十人の列が2列、階段の上にも数人立っていた。観客の中には、『Emma』のファンだった人もちらほら見える。『Emma』から移ってきた玲奈ちゃんと初歌ちゃんが路上ライブをするという噂は、思った以上に広まっているようだ。
「すごい…、駅前で演ってた時もこんなに集まった事ないんだけど…」
志歩の手が微かに震えている。集まった人数が、明らかに彼女の予想よりも遥かに上回っていたからだ。
「大丈夫だよ。このくらいで緊張していたら、小さなライブハウスも、後々のドームも立てないよ。だから、頑張って。」
「……はい!」
「志歩ちゃんもこれ飲む〜?」
千佳は缶を振りながら、普段より少し甲高い声で言った。
「緊張なんて一発で吹っ飛ぶって〜♪」
普段の雰囲気よりも少し解れた人懐っこい笑顔を浮かべていた。
彼女の頬が薄く桃色に染まっていて、少し舌足らずな喋り方になっている。「どうしても」と頼まれて1本だけ許可したのだが、持参したのは500mlのストロング缶だった。
すでに酔っている時の喋り方をしていて少し怪しいが、これが吉と出るか凶と出るかはこの後の本番次第だろう。
「渡すならあっちのあの人にしてくれない?」
僕は初歌ちゃんの方を指差す。なぜか分からないが、初歌ちゃんはガチガチに緊張していた。
「初歌ちゃん、どうして緊張してるの。武道館もドームも経験してるじゃないか。」
「あの頃は、全部お膳立てしてもらってたから…。今度こそは…今度こそは失敗したら、本当に終わりって思うと…」
「初歌ちゃん、思い出してよ。僕達も、こういう小さなステージから始まったじゃん。原点に戻ったと思えばいいんだよ。だから、大丈夫だって。一応千佳からビール貰っとく?」
などと声掛けし、初歌ちゃんのことを励まし続けた。結局、千佳から貰ったビール1本飲んだらその緊張もどこかに吹っ飛んでいってしまったみたいだが。
一連の騒動が終わり、僕はSNSにアップロードする用のカメラを設置しに、ステージ横のスペースへ向かう。
設置し終えて振り返ると、7人も準備ができたのか、ストレッチをしたり、発声をしていたりと思い思いのことをしながら、舞台へと立っていた。
「Okay…Let’s go!」
この言葉は僕がライブ前の舞台裏でいつも言っていた、いわばおまじないみたいな言葉だ。そんな言葉を僕は無意識に口にしていた。それと同時に、ワイルドな曲調の1曲目のイントロが流れ始める。
最初の重いベースラインが響くと、7人の表情が一変した。練習では見せたことのない集中した眼差しで、観客を見つめている。
そして、僕が教えたように7人が踊り始める。まだ少々荒っぽい。だが、卵が少しずつ、少しずつ殻を破り始めているような、そんな成長の瞬間を観客たちも感じ取っているようだった。
ルナと千佳が観客を煽ると、最前列の男性が思わず手拍子を始めた。その音に引っ張られるように、周りの人々も徐々にリズムを刻み始める。
志歩と綾乃さんのコンビが主旋律で歌い、菖蒲さんが綺麗にハモっていると、行き交う人々の6割が足を止めて『METROPOLARiS』の演奏を聴いている。
玲奈ちゃんと初歌ちゃんのパートになると、『Emma』のファンだった人と思しき人が、「おぉ…」と感嘆の声を漏らしていた。
そして、千佳のラップパートに差し掛かると、若者も足を止め始めた。
(今だ…!)
僕は邪魔にならないところに移動し、いつも街に出る時のような変装用眼鏡とマスクを付け、『METROPOLARiS』の宣伝を開始する。
「新星アイドルグループの『METROPOLARiS』です!ライブの告知や、彼女たちが働くコンセプトカフェのSNSのフォローはこちらからよろしくお願いします!」
そう呼びかけるように用意していたQRコードを印刷した紙を通行人全員に渡す勢いで配った。こういう事は、6年ぶりくらいだろうか。デビューして間もない頃は、会社にお金もなかった。だから、広報なども全部自分たちでやっていた。
僕はあの時のことを思い出しながら、ただ一心に紙を配っていく。
そうして紙を配っているうちに、いつの間にか警察の人が会場に来ていた。僕は2人の警察官に近寄る。
どうやら、人が集まりすぎて通行困難になったようなので交通整理に来たようだ。
「私が責任者の乃木です。一応無許可では行なっていないのですが…?」
「あ、大丈夫。それは聴いてるから。なんだけどね…、この今の状態じゃちょっと中止してもらうしかないかも。」
「え…本当ですか…?」
「うん…、でも、こんなところでやらずともライブハウスとかでやればよかったじゃない?」
僕は必死に言葉を継いだ。
「彼女たち、今日が初ライブなんです。ファンなんて一人もいない状態から、これだけの人が足を止めてくれて...」
警察官の表情が一瞬和らいだ。
「それでこんなに人が集まったのか!?」
警察官も驚く程の盛り上がりを見せているみたいだ。
「彼女達、これが初めてなんですよ。せめてあと1曲だけでも...」
僕は必死に時間を稼ごうとしたが、3曲披露したところで警察官が時計を見て首を振った。
「すまないが、もう限界だ。安全のために中止してもらう」
こうして初ライブは幕を閉じた。
奇しくも15年前、韓国の大人気グループが日本でのサプライズライブを開催した時も、その盛況っぷりに3分で終了したことがある。その時と開催した場所も状況も全く一緒だった。
僕はこのことを思い出し、これも人気になる兆しだと思った。
***
翌日、ネット上での話題は『METROPOLARiS』の話題で持ちきりだった。
公式Xのフォロワーも昨日時点で50人程度しかいなかったのが、今では50倍となっていた。
問い合わせメールにも、大量のライブ参加のメールが届いていた。
昨日のライブの映像を見るために全員で店に集まったのだが、千佳、志歩、綾乃さんの3人はソワソワしている。
「遂に私も、健人くんみたいに変装しないと街中を歩けなくなる時が来たか〜」
千佳は早くも芸能人気取りの発言をする。
「まだ大丈夫だって。僕だって変装するようになったのは、4年くらい前からだから。」
「えぇ〜、でもなぁ〜。」
「まあ、でも本当にそうなる時は来るって。」
僕がそう答えた時、ふと昔の自分たちを思い出した。あの頃も、こんな風に希望に満ちていたっけ。胸の奥から込み上げる温かさに、思わず口元が緩む。画面に映る彼女たちの輝く笑顔が、まるで未来への扉が開かれたことを告げているようだった。




