表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

一話 

2024年11月18日の昼、僕はいつものようにレッスン室でメンバーたちと談笑していた。

「健人、今日のリハーサルお疲れさま」

綾瀬彩葉(あやせいろは)が笑顔で声をかけてくれる。

「新曲のダンス、だいぶ息が合ってきたよね」

「そうだね。みんなのおかげだよ」

僕は心からそう答えた。7年前の無名時代から、僕たちは本当の家族のような絆で結ばれてきたのだ。

上原優太(うえはらゆうた)が肩を叩く。

「健人がいるから、僕たちはここまで来れたんだ。ありがとう、リーダー」

そんな和やかな午後のひとときを破ったのは、事務所からの呼び出し電話だった。

「乃木さん、社長がお呼びです。至急、社長室までお越しください」

電話を切り、僕は首をかしげた。今日は特に重要な話があるとは聞いていない。新しいCMの件だろうか、それとも年末のコンサートについてだろうか。

「どうしたの?」

彩葉ちゃんが心配そうに尋ねる。

「社長から呼び出し。たぶん、いい話だと思うよ」

僕は軽い気持ちで答えた。社長室の前に立った時、その予感は裏切られた。

扉の向こうから漂ってくる空気が、鉛のように重く、苦しい。まるで葬式の会場のような静寂が支配していた。ノックを3度、返事を待って中に入る。

向かい合わせに配置されたレザーソファの上座に社長と副社長、その横に重役が2人立っている。この陣容を見た瞬間、胸の奥で嫌な予感が膨らんだ。

僕はアイドルグループ「Emma」のリーダー、乃木健人(のぎけんと)。メンバーが問題を起こせば、最終的な責任は僕にある。それがリーダーとしての務めだ。

「座ってくれ」

社長の声は普段よりも低く、重かった。促されるがままソファに腰を下ろす。誰も口を開かない。壁に掛けられている時計だけが規則正しく時を刻んでいる。

一分が過ぎ、二分が過ぎた。やがて、社長が重い口を開いた。

「乃木」

「はい」

「お前も薄々分かってるだろう。今日呼び出した理由を」

僕は脳内でここ数日の出来事を必死に振り返った。思い当たることは何もない。

「申し訳ありません。思い当たることが…Emmaに関する件でしょうか?」

僕は恐る恐る尋ねた。

「まあ、大体正解だ。だが、問題はお前に関する件だ」

社長は副社長と視線を交わし、何かの合図を送った。副社長が僕の前に厚い書類を置く。

「まずは、これを見てくれ」

そこには見覚えのないメッセージが印刷されていた。綾瀬彩葉へのセクハラメッセージ。文面を読むにつれ、血の気が引いていく。

『彩葉ちゃん、今度二人で食事でもどう?君の可愛い唇を見てると、つい…』

「これは…僕が送ったことになってるんですか?」

「お前の名前で送信されている。違うか?」

「違います!僕はこんなメッセージ、送っていません!」

副社長が次のページをめくった。今度は上原優太へのパワハラメッセージ。

『優太くん、君の歌は下手すぎる。センターから外してやろうか?リーダーの僕に逆らうなよ』

文字が揺らいで見える。心臓が激しく鳴り、喉が渇いた。

「これも僕じゃありません。誰かが僕の名前を騙って…」

「落ち着け」

社長が手を上げた。

副社長が無言でスーツの内ポケットに手を伸ばした。取り出したのはスマートフォンだった。

「これもご確認ください」

低い声でそう告げると、副社長は再生ボタンを押した。

スピーカーから流れてきたのは、確かに僕の声だった。だが、その内容は聞くに堪えない暴言の数々。

『彩葉ちゃんなんて、顔だけのくせに偉そうに…』

『優太くんのダンスは見てて恥ずかしいレベルだ。早くクビにしたい』

僕は思わず身を引いた。僕の声なのに、僕の言葉ではない。いったい何が起きているのか。

「ぼ、僕は言っていません。AIか何かで作らせたんでしょうか?第一、僕は…」

言い切る前に社長が片手をあげた。もう喋るな、という意味だろう。

「お前の声紋分析も済んでいる。99.8%の一致率だ」

「でも、僕は本当に…」

その時、社長室のドアがノックされた。

「入れ」

扉が開くと、そこにいたのは彩葉ちゃんだった。一人だけ。彼女の目は赤く腫れており、泣いていたことは明らかだった。

「彩葉ちゃん!」

僕は希望を込めて彼女を見た。

「僕の潔白を証明してくれるよね?僕がそんなメッセージを送るわけないって」

彩葉ちゃんは僕の目を見ることなく、俯いたまま答えた。

「健人…私、もう耐えられない」

「え?」

「あのメッセージ、本当に健人から来たの。私、とても怖かった」

僕の世界が音を立てて崩れ始めた。

「彩葉ちゃん、何を言ってるんだ?僕は…」

「お疲れさま」

今度はドアの向こうから優太くんの声がした。彼も部屋に入ってくる。その顔には、これまで見たことのない冷たい表情が浮かんでいた。

「優太くん、君も僕を信じてくれるよね?」

優太くんは首を横に振った。

「健人、僕はもう限界だった。毎日のように罵倒のメッセージが来て…」

「そんなの送ってない!僕は君たちを家族だと思ってる!」

次に現れたのは赤坂初歌と湯島玲奈だった。4人全員が揃った時、僕は最後の希望にすがった。

「初歌ちゃん、玲奈ちゃん、君たちは関係ないよね?僕の潔白を証明してくれるよね?」

初歌ちゃんが口を開いた。その声は氷のように冷たかった。

「健人、私たちにもメッセージが来てたよ。『お前たちはEmmaの足を引っ張ってる』って」

「そんなの送ってない…」

僕の声は震えていた。

玲奈ちゃんが続けた。

「それに、健人の普段の態度も気になってた。リーダーって立場を利用して、私たちを見下してたよね」

「見下してなんか…」

彩葉ちゃんが顔を上げた。その目には、これまで見たことのない憎悪が宿っていた。

「ねえ、健人。実はあんたのこと、デビューした時からずっと嫌いだったよ」

僕の心臓が止まりそうになった。

「え…?」

「私だけじゃない。みんなあんたのことが嫌いだった」

血の気が引いて、足元が急に頼りなくなった。これまで信じてきたものが、一瞬で崩れ落ちる音が聞こえるような気がした。

「どうして?僕は…僕はみんなのために…」

優太くんが冷笑を浮かべた。

「お前がグループ最年少で、事務所の新人だったのに、前の社長のお気に入りという理由だけでお前がリーダーになったのが気に食わなかったんだよ」

「そんな…そんな理由で?」

初歌ちゃんが畳み掛けた。

「それに健人の態度も気に食わなかった。いつもペコペコして、媚びてるみたいで」

玲奈ちゃんが最後の一撃を放った。

「7年間、ずっと我慢してたのよ。でも、もう限界」

僕の中で何かが壊れた。

「僕たちは家族だと言ってくれたじゃないか。一緒に夢を追いかけようって、そう約束したじゃないか」

叫んでも、目の前の現実は変わらない。

その重苦しい空気を裂くように、社長が口を開いた。

「まあまあ、愚痴なら飲み屋でやってくれ。乃木、状況は理解できたか?」

僕は震える声で答えた。

「やってないんです。これは全て、誰かの陰謀です」

「証拠は揃っている。メッセージ、音声データ、そして被害者たちの証言。お前にはもう弁解の余地はない」

彩葉ちゃんは立ち上がり、僕を見下ろした。

「条件を2つ出してあげる。このことを公表しない代わりに事務所を自主退所するか、このことを公表して懲戒解雇になるか。選んで」

悪魔のような2択を提示されたが、僕の中で答えは決まっていた。

「やってもいないことを認めるつもりはない。」

彩葉ちゃんが最後に振り返った。

「健人のそういうところ、ずっと大嫌いだったよ」

4人は社長室から出て行った。

僕は現実を受け止めきれずに、涙が頬を伝った。

「あれは本当に僕の知ってる優しいEmmaの4人なんですか?」

「泣くのはあとにしてくれ、乃木。お前は今日からクビだ。手切れ金150万くれてやる。明日からもう来るな。邪魔だ」

僕は怒りを必死に堪えて、社長室を後にした。

廊下を歩きながら、昨日まで信じていた仲間たちの笑顔を思い出した。嘘偽りのない本物の笑顔だと思っていた。だが、今では全て仮面に見えた。

***

「お客様!起きて下さい!」

気持ちよく寝ていたら誰かにたたき起こされた。朦朧とした意識の中で辺りを見回すと、電車の中でドアが開いた状態で停車していた。周囲には誰もいない。終点にでも着いたのだろう。

そういえば、僕は今日久しぶりにやけ酒をした帰り、目に入った電車に駆け込み乗車をしてそのまま寝てしまった。

(終点といっても地下鉄なら歩いて帰ればいいか。)

そう楽観的にいられたのも束の間だった。

「すみません、運転士さん。ここどこですか?池袋ですか?荻窪ですか?それとも方南町(ほうなんちょう)とか?」

「お客様、何を言ってらっしゃるんですか?ここは山梨県の大月駅ですよ。」

「え、大月ですか?」

大月って確か、寝過ごした人がたどり着く駅として有名だった気がする…

「すみません、これから東京に戻る電車って、もうないんですか?」

「もうありませんよ。東京方面の電車は21時48分に東京行き最終電車が、22時56分に高尾行き最終電車が発車しました。」

スマホの時計を見てみる。現在時刻は午前1時1分、確かに最終電車が発車してから2時間以上が経っている。

地図で場所を一応確認するが、紛れもなく山梨県だった。これから始発までどうやって過ごそう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ