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(はる)!陽ってば!いい加減起きないと!」

 姉の怒鳴り声と共に体が大きく揺すられる。

「遅刻しちゃうよ!」

 遅刻、という言葉に一気に目が覚めた陽は飛びつくように時計を確認した。

「なんで起こしてくれなかったの!」

「今起こしたじゃない」

「そういうことじゃなくってさ!」

 陽は超特急で着替えて家を飛び出した。バスの本数が少ないのもあり、いつも乗っているバスを逃すと遅刻が確定してしまうからだ。傘をさす手間も惜しんで霧雨の中を駆け抜けた。

 いつもは迂回する公園も、今日は生垣の隙間を無理やり抜けて公園の中を突っ切った。

 もう停留所にバスは来ており、何人かの利用客が乗り込んでいるところだった。

 ひとまず間に合った、と陽は胸を撫で下ろしてバスに乗り込んだ。利用客は少ないので陽のいつもの席は空いていた。

 手で濡れた髪を梳かしながら車内を見回す。

 ——今日もいた。

 通路を挟んで反対側の席に座っている彼は、静かに携帯をいじっている。傍らに立てかけられた群青色の傘からは雨水が滴っていた。

 足が長くて背が高そうだ。柔らかいパーマのかかった髪を無造作に遊ばせている。制服のネクタイはしておらず、ワイシャツの第一ボタンは外されていた。

 三年の顔ぶれはさすがに把握しているので、きっと一年か二年だろう。

 彼が携帯に目を落としているのを良いことにじっくり観察していると、ふと彼が画面から顔を上げた。

 やばい。

 そう思ったが時すでに遅く、陽と彼の目はバッチリと合ってしまった。心臓が嫌な音を立てて暴れ出す。絶対に変な奴だと思われた。陽は読書するのも忘れて窓の外を眺め続けた。

 嫌な動悸がおさまった頃、陽はやっと本を取り出した。一息ついてページをめくる。しかし、話の内容は全く頭に入ってこない。なんだか彼の座っている側がムズムズする。陽は我慢できずに、もう一度彼を見た。

 彼は陽を見ていた。

 思わず目を逸らすこともできず、陽の頭は疑問と困惑でいっぱいになった。真横にいる人を観察するなんて相当変な奴だと思われたか、はたまたアイロンをかけていない髪が乱れているのか。

 彼も固まる陽から目を離さなかった。何か逡巡する様子を見せた後、彼は自分の頭を指さしてみせた。

 陽は彼の指差している辺り、自分の頭に触れてみた。

「あ……」

 髪には葉が何枚かくっついていた。公園の垣根を無理やり抜けた時だ。その時引っかかったに違いない。

 陽は自分の顔が熱くなるのを感じた。

 それを隠すように口元を手で押さえながら、陽は彼に会釈した。

 さすがに読書する気にもなれず、今日は陽が先に降車ボタンを押して逃げるようにバスを降りた。

 雨足が強くなっているようだ。パチパチと傘に当たった雨粒の弾ける音がする。靴下に水がかかるのもお構いなしに、陽は歩調を速めた。

「あの」

 ふいに声をかけられ、反射的に足を止めようとするが、陽はそれをグッと堪えた。すると今度はさっきよりもいくらか声を張って呼びかけられた。

「あの、すみません」

 陽はひとまず足を止めた。振り返るのが怖かった。

「すみません」

 さすがに無視するわけにもいかず、陽は恐る恐る振り返った。彼は群青色の傘を肩に乗っけて陽を見ていた。

「はい?」

 少し声が上ずった気がする。彼は陽の頭を指さした。

「後ろ、まだついてますよ」

「え」

 後頭部に手を回すとギザギザした形が指に触れた。

「本当だ」

 陽は気が抜けたように笑った。

 彼も彼で、満足そうに笑ってみせた。

 彼は少しの間陽を見つめていたが、思い出したかのようにゆっくりと歩き始める。その後ろ姿を呆然と眺める陽に、彼は振り返って言った。その顔にはまだ微笑がたたえられている。

「いかないんですか、学校」

「い、行きます……!」

 陽はパシャパシャと音を立てて彼の後を追った。



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