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 いつものアラームで目を覚ました(はる)はカーテンを開けた。予報通り、外はしっとりと濡らすような雨が降っていた。陽は微睡むのもそこそこに洗面台へと向かった。

「やっぱり」

 予想通り、髪は右に左に跳ね散らかっている。思わずひとりごちながらアイロンを髪に当てた。

 リビングへ降りると、ピリリとした空気が漂った。母親が姉と朝食をとっている。

「おはよう、陽も食べな」

 姉がいつものように声をかけてきたのに対し、母親は陽と目も合わせようとしなかった。陽は母親の斜向かいに腰掛けてさっさと朝食を済ませた。

 部屋で着替えていると、ドアが遠慮がちにノックされた。

「はい」

 短く返事をすると姉が静かにドアを開けて入ってきた。

「まだ喧嘩してるの?」

「もうずっとだよ」

「陽たちの空気、耐えられないから早く仲直りして欲しいんだけど」

 姉は基本的にマイペースなので他人に干渉してくることは少ない。それがわざわざ言いに来たということは、相当こたえているのだろう。だが、陽には納得できなかった。

「それって、私からお母さんに謝れってこと?」

 陽は着替える手を止めた。

「私が何か悪いことした?私だって悩んでるのに、急かしてくるお母さんが悪いとは思わないの?」

「いやいや、陽が悪いとは思ってないし、謝れとも言ってないけどさ。お母さんだって陽が心配でああ言ってるんだから……」

 姉が言い終わるが早いか、陽はまくし立てた。

「お姉ちゃんには関係ないでしょう。とにかく私は謝らないから。私ばかりにそういうこと言わないで。もう出て行って」

 陽は強引に姉を部屋から押し出した。

 全部分かっている。早く進路を決めないといけないことも、母親が自分を心配していることも、姉が自分を悪く言っているわけではないことも、全部分かっている。

 分かっているからこそ何も進まない自分に腹が立つのだ。姉には完全な八つ当たりだった。

 家に居づらくなった陽はそそくさと玄関を出た。

 薄桃色の傘をさしてバス停へと歩き出す。心なしか足取りが重い。

 いつものように公園を迂回すると、そこには停留所でバスを待つ人影があった。ポツンと一人、早くから並んでいるようだった。

 印象的なのはその人がさしている傘だった。まるでそこだけに晴れ間ができたような鮮やかな群青色が広がっている。その人の後ろに並び、何の気なしに足元を見ると、陽と同じ校章の付いたローファーを履いていた。思わず声が出そうになるのを抑えて陽はまじまじとそのローファーを見つめた。よく見ると制服のズボンも陽と同じ高校のものだった。

 朝のメンバーというのは大体決まっている。利用客の少ないバスだからなおさらだ。そしてそのメンバーにこの男子生徒は入っていなかった。

 バスが到着したのでいつもの窓際の席に座り、ちらりと横目で彼を確認した。

 見たことのない顔だ。

 一瞬、目があったような気がして陽は慌てて鞄から本を取り出した。無理やりページをめくって読み進めていく。

 ポーン、と聞き慣れた音で我にかえった。

「次、停まります」

 自動の車内アナウンスが流れ、一気に本の世界から現実に引き戻された。

 彼が降車ボタンを押したのだと気づくまでには少し時間がかかってしまった。

 彼に遅れてバスを降りると、陽の視界は鮮やかな群青色に染まった。

 ——綺麗な傘だな。

 陽も薄桃色の傘をさしてのろのろと歩き出す。

 彼はかなりゆっくり歩くタイプなのか、何度も追いつきそうになりながら進んでゆく。静かな細道に、二人分の足音がやけに大きく響いているような気がした。

 やがてY字路で電車組と合流すると、その足音も騒がしさに紛れて聞こえなくなっていった。

「陽ちゃん、おはよ〜」

「おはよう」

 彼女は最近になってよく話しかけてくれるようになった。クラスが別なので普段話すことは少ないが、こうして声をかけてくれることに悪い気はしない。ただ、彼女はいわゆるミーハーな性格なのでたまに話を合わせるのが大変なこともある。

「雨、嫌だねえ〜」

「そうだねー」

「でも見てこの傘。可愛くない?最近流行りのオーロラカラー、一目惚れしちゃったの〜」

 彼女は傘を左右に振ってみせた。

「うん、すごい綺麗だね。形もベルドームで可愛いよ。果穂ちゃんの髪と同じ形してるみたい」

「うふふ、でしょう?」

 果穂はボブの毛先をくるくると触りながら嬉しそうに笑った。

「……ねえ陽ちゃん。今度よかったらお茶でも行かない?歩美が陽ちゃんとも話してみたいって言ってたし」

「えっ、三人で……?」

 露骨に顔に出てしまったのか、果穂は少し考えて訂正した。

「うーん、じゃあ、陽ちゃんのお友達も誘って四人でならどう?」

「あー、うん。そうだね」

 歩美というのは恐らく果穂の親友である。廊下で見かけると二人はいつも一緒にいる。

 歩美との接点が薄いので、内心断りたくなりながら陽は目を泳がせた。泳がせた先にあの群青色の傘を見つけてつい目で追ってしまう。

 オーロラ色とは別に、特別目立つ傘だった。梅雨空の灰色にぽっかり穴を開けるように鮮やかな群青色が、校門をくぐって昇降口に向かっていく。

 何年生なんだろう、とその傘に思いを巡らせた。

「陽ちゃん?」

「あっ、ごめん。なんだっけ」

「お茶!四人で!私陽ちゃんに話したいこともあるから」

「あー、うん。友達にも聞いてみるよ」

「よろしくね!」

 果穂が大きく手を振って別の友達のところへ走って行ったところで、陽は体の力を抜いた。

 辺りを見回してみたが、もう彼の姿はなかった。

「陽!おはよ!」

 一足遅れてやってきた紗英に背中を叩かれる。陽はホッと息をついた。

「おはよう。今日は朝練なかったの?」

「そんなわけないじゃん。筋トレだよ筋トレ!」

 紗英は上履きに履き替えながら力こぶを作ってみせた。

「うわ、藤堂お前、ごっついなあー」

 いきなり脇から声をかけてきたのはクラスメイトの山下である。茶髪が印象的でおちゃらけた性格である彼は、普段なら陽が好んで話しかけるタイプではないが、彼と紗英は去年も同じクラスで二人の仲も良いことから、山下とは自然と話すようになった。

「山下、ごっついはないよー」

 陽の言葉に紗英が便乗する。

「そうだ山下!お前はいつも余計なことばっか言うんじゃない」

 紗英のカバンアタックが炸裂する。

「痛え、暴力はんたーい」

 そんなくだらないやり取りをしながら教室に入ると、山下はわざとらしく泣きっ面になってみせた。

千羽(せんば)ぁー、俺めちゃくちゃされてるんだけど、助けてよおー」

 千羽と呼ばれた男子生徒は、面倒くさそうに背負ってきたエナメルバッグをドカンと机に落とした。

「あ?別にいつものことだろ」

 大きなエナメルバッグからは野球のユニフォームやフェイスタオルがはみ出ている。

「あれ、千羽、雨なのに外で朝練してたの?」

「……もう予鈴なるから席つけよ」

「どいつもこいつも冷てえなあー」

 へばりつく山下を追い払った千羽は、はみ出ていたタオルを引っ張り出して、雨で濡れた短髪をガシガシと拭いた。腕ががっしりしていて体格がいいのがワイシャツの上からでも分かる。

「陽、あたしたちも席つこう」

 紗英の言葉を合図に窓際の席に移動する。

 ホームルーム中、やはり陽は集中できずにいた。果穂の誘いを思い出して憂鬱な気分になる。

 人付き合いは嫌いではないが、人に合わせることの多い陽にとって今回の誘いは一仕事するようなものだ。

 どうしたものかと、陽は小さなため息をついた。


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