1-3 我らが愛しのバルベイジア通信基地 2
傭兵たちはバルベイジア通信基地の中央コンパウンド施設の最深部へと歩みを進めた。
基地構造物の内観は、アルデ政府公務員のための公営団地を思わせる質素な作りだった。建物内の唯一の調度品は避難経路を知らせるパネルであって、面白くも何ともない。
ぐねぐねとした小腸状の廊下が脈絡なく続いて、やがて、直腸に相当する多少広めの部屋にたどり着いた。山のように通信機の積まれた空間だった。
「ここが僕たちの憩いの間だよ」
先導していた孫考が言った。
孫考通信隊長と大程補給隊長。アルデ軍の頭脳であり、敗色濃厚なアルデ軍をまとめる、実質的な最高指揮官である。
その二人が、貴重な時間を割いて、ありがたくも自ら基地内を案内してくれようとするのを、傭兵たちは言下に断った。
「下らんことは、せんでくれていい。ザーベオンの畜舎や兵器庫、遺伝子調整廓、蘇生廟の場所さえ教えてくれりゃ、わてらの仕事に足るわ」
縁藤が言う。孫考が頷く。
「分かった。あとで、その辺のことを記した基地のパンフレットを渡そう。あと、バルベイジア通信基地の遺伝子調整廓は改装中だ。使うことは出来ない」
縁藤の眉間に皺が寄る。
「……傭兵センターには欠かさずあるもんやがな」
「だが、ここにはない」
大程が進み出る。
「首都のファラーデにいい店があるから、紹介状を書いてあげよう。この大程の紹介とあれば、店主は感涙にむせび泣くことだろうな」
大程は懐から毛筆と半紙を取り出し、なにやら書き始めた。
遺伝子調整廓がない。
それは、軍人と傭兵の考えの違いに起因する事実だった。
軍隊は規格品ザーベオンを好むのだ。狂気の改造で目立とうとする、傭兵風マッチョイズムにとりつかれていない軍隊では、兵隊一人一人の個性よりも、軍という組織そのものの戦闘力を重視している。そんな軍に、ザーベオンを変異させる遺伝子いじりのコンセプトは存在しなかった。
大程は紹介状を縁藤と川強に手渡した。
更に、新たな紙片を取り出す。その紙は、線で細かく区切られ、人名がびっしりと埋められていた。
「バルベイジアのアルデ軍にとって、一番重要な情報は、これだ」
大程が声を低くする。
「なんだそれは?」
「掃除当番表だ。バルベイジア通信基地の人間は、雑巾掛けをしなければならない。隊長も兵卒も例外はない。うちは民主的な軍隊だからな」
大程はさっと懐中時計を取り出した。
「この時間帯、ここを掃除しなければならない奴は誰だ? なぜ、まだ掃除が始まっていない?」
大程は、はっとした顔になった。
「おや、今は小生の雑巾掛けの時間じゃないか! 失礼! 雑巾掛けをしなければ」
大程補給隊長はせっせと床を拭き始める。
「あと、基地内は禁酒禁煙だ」
孫考が付け加えた。
「禁酒禁煙か。覚えておこう」
そう言いながら、川強は手に持った酒瓶をあおった。そして、侮蔑を込めて床に痰を吐いた。大程の掃除しなければならない対象が増える。
ザーベオンはいない。雑巾掛けはある。
アルデ軍というのは、なかなか冗談のような軍隊だ。
「僕達のことをどう評価してくれてもいい。こっちも、あんたらの評価など気にしない」
孫考は通信機の上に腰を下ろすと、ぶらりと両腕を垂らした。
「あんたらには遊撃隊という、新規の部隊に入ってもらうよ。アルデ軍に所属するものの、指揮系統とか、階級、軍規といった縛りはほとんどない。傭兵にそんな制限は邪魔なだけだろうからな」
「おう」
この軍人、分かっているじゃないか、という顔で川強は頷く。
「ま、あんまりアルデ市民相手に略奪とかされると困るから、最低限のルールと契約は作っておこう。あとで、その辺を記憶させた若いもんをそっちによこす」
「わかった」
「戦況に応じて、遊撃隊の編成は動かすけど、他のアルデ軍ともなるべく仲良くしてくれると嬉しい」
「善処しよう」
「戦況と言やあ、敵さんはどないしとる?」
縁藤が尋ねる。孫考がゆっくりと後ろを振り返った。
「関やん、帝王国軍に動きは?」
声に応じて、部屋の反対側で男が顔を上げる。
眼鏡をかけた目つきの鋭い痩身の軍人が顔を上げる。関拍寺作戦隊長である。
「ない。岩塩村まで来て、進軍を止めちまった。ファラーデまで250キロ、ここバルベイジアまで150キロの地点だ。……こいつらのおかげか?」
「うん。メントクア八匹を瞬殺してくれた」
「ふん」
眼鏡の男は傭兵を一瞥して鼻をならすと、顔を下ろしてしまった。
「あの人、ツンデレ」
雑巾掛けをしていた大程が立ち上がって縁藤に耳打ちする。傭兵は訳が分からないという顔をした。
孫考は肩をすくめて、
「帝王国がこれで諦めるとは思えないから、また攻めてくるんだろう。そしたら呼ぶから、それまで基地内で自由に過ごしてくださいや」