1-3 我らが愛しのバルベイジア通信基地 1
<ジュベロ大陸 中心部 運河遺跡荒原>
地表の重金属を含んだ強風が荒れ狂う。
空気中の砂の密度は濃く、極端に視界は悪かった。
それでも、時たま砂嵐の帳をすかして、エメラルド色の眼球じみた球体が睨みつけてくる。
空の三分の一を占める、それは月だった。
ザーンの姉妹衛星であるジーン。この緯度では、ジーンが一日中出ている上に、それは巨大だった。
それも、すぐに砂嵐に隠されてしまう。ナイフで切ることのできそうな、濃密な砂が空気中のあらゆる物を遮蔽した。
過酷な世界だ。
生身の人間なら引きちぎられかねない強風が吹きすさび、岩やザーベオンの化石が転がるばかりで生命の兆候はない。
そんな荒野が何百キロも続いている。およそ、人類が生き延びることのできる世界ではなかった。
だが、この衛星固有の金属生命体にとっては話は別だ。彼らにとって砂嵐は心地よい刺激でしかなかった。
砂嵐を突っ切って、三機のザーベオンが荒野を疾走している。
一機はアルデ軍のティラノサウルス型主力戦闘ザーベオンであるレーザーアイルン。
他の二機は、それぞれが土と塩を全身にこびりつけ、その上塗りとして酸化した血液をまとった戦闘ザーベオンだった。
パイロットたちの哲学が明瞭に表れた彼らの姿は、いかなる国の軍用ザーベオン年鑑にも記載されていない。それは、傭兵のザーベオンであった。
トラ型ザーベオンのガンベータスと、ライオン型ザーベオンのザンファーレンが素晴らしい脚力で荒野を駆ける。強靱な脚の筋肉筒は膨張して、励起した怒れるイオンを纏っている。獣に蹴られた砂が、爆発するように背後へと吹き飛ばされる。
道案内役であるはずのレーザーアイルンが、よたよたと傭兵のザーベオンを追いかけていた。
その走りっぷりには、四足歩行動物に決して速度で適わない悲しさが滲んでいた。
ガンベータスとザンファーレンが丘の頂で脚を止めた。
ボディの下で肺をふいごのように膨らませながら、二頭の獣は感覚器を四方に向ける。パイロットが異変を察知したのだ。
砂嵐が弱まっている。風速が落ちている。
それは、地表面の摩擦抵抗が増加していることを示している。つまり、人工物が近くにあるのだ。
ふいに、視界が晴れる。
二頭の眼下に、大規模な集落が出現した。ごみごみと立ち並ぶタワーやドーム、巨大なパラボラアンテナをつけたカマボコ型の建物。そして、それを囲む風除け付きの胸壁とバンカー。
一見して軍事施設と分かるそれが広がっていた。
どうにか追いついてきたレーザーアイルンから通信が入る。
「我らが愛しのホームベース、バルベイジア通信基地へようこそ」
空電混じりの孫考の声が告げた。
バルベイジア通信基地。
首都ファラーデから、ほんの百キロメートル北方に位置するここが、前線基地としての重役を担わされていた。
位置的に、迫り来る帝王国軍という鋼鉄の波に対して、悲壮な防衛戦を構築するのに絶好のロケーションと言えたし、アルデ軍を率いる三人組もこの基地を使い慣れていて、伸び伸びと作戦指揮をとることができるのだ。
彼らはファラーデで心からくつろげたことはなかったし、ファラーデにいるアルデ軍人も三人組がいると落ち着かなげであった。
バルベイジアは、グォースやパンレイトといった東方の要所とも、ヤリアハ、ヨントックといった北方都市とのアクセスも容易である。
足の速いザーベオン部隊があれば、帝王国軍の攻勢に対して、息もつかせぬ迎撃戦闘を行うことが可能であった。
その他、政治的にも都合のいい点があった。
アルデ軍が首都ファラーデに軍勢を集めることは、論外だったのだ。
いまだにアルデの国民一億二千万人の大半は、アルデ軍なんていうものを税金泥棒程度としか認識していなかったし、可愛いザーベオンを使って戦争なんて許されないという考え方が根強かった。アルデ人の民族的気質の問題である。
そのため、アルデ軍は苦労している。
戦闘は、国民の目のない荒れ地で、こっそりやらねばならないのである。
この不利な戦を戦い抜くためには、そういう慎み深さが大切であった。
不利な戦……。
実際、ここまで旗色の悪い戦も、アルデ建国以来だろう。
アルデの首都の鼻先に、突如として帝王国軍が上陸してきたというだけでも大事なのに、迎撃したアルデ軍が瞬時に叩き潰されてしまったのだ。
少数の勇敢な兵士の犠牲のおかげで、全滅こそは免れたものの、当分の間、アルデ軍はグォース海岸の奪取どころか、積極的な抗戦すら困難な状況になってしまったのだ。
いくら弱兵揃いとして名高いアルデ軍といえども、これは不甲斐なさすぎた。
アルデ軍の質うんぬん以前に、戦略面で全く歯が立っていなかった。
信じがたい話だが、アルデ軍は他大陸から侵攻されることを一度も考えたことがなかったのだ。将棋盤と駒を用いた机上演習すらなし。
宣戦布告された後もアルデの沿岸には、上陸阻止線よりも、プールサイドに似合いそうなやぐらを建てて物見を配置しただけだった。
渡洋上陸は、そのあまりの不経済性から現実的ではないという先入観にアルデ軍そのものがとりつかれていた。
海水は、人間にはもちろん、ザーベオンにすら有毒で、彼らの金属の体を容赦なく侵していく。加えて、姉妹衛星の存在が、海を極めて油断ならない場所にしている。潮汐の影響で大型ザーベオンさえ一飲みにする山のような波が荒れ狂うほか、海水の中で撹拌される重金属粒子が、ザーベオンの方位知覚器を惑わす為、直進することすら難しい。
しかし、帝王国はそういった困難を、莫大な予算と熱意とテクノロジーで克服してしまった。渡洋可能な巨大水棲ザーベオン艦隊を作り上げたのだ。
そして、帝王国軍風にいうと二個師団の軍勢を、アルデ軍風にいうと凄い大軍をグォース海岸に上陸させることに成功した。
アルデ軍はパニックに陥っている。
強力無比な帝王国軍をどうすれば食い止めることができるのか、誰にも分からない。
この四十年間、アルデは平和すぎたのだ、としか言いようがない。
ごろごろと、リボルバー型の門が回転して、ザーベオンたちはバルベイジア通信基地の敷地内に入り込んだ。
案の定と言おうか、鬼神のような重装ザーベオンが待機している訳でもなく、ピストルと気弱な表情を装備したアルデ兵が立っているだけだ。頼りないことこの上ない。
青いアルデ国旗だけが、勇ましくはためいている。
「アルデは、よその列強大国である帝王国やバンズ公国と比べても、社会規模の大きさで遜色のない、いい国なのだが、いかんせん軍が弱いのが玉に瑕なんだよな」
アルデ軍補給隊長である大程がひどく無責任な口調で言った。
彼らを見上げるアルデ兵の表情が剣呑なものと化している。
傭兵たちも慣れたもので、敵意の視線ごときではびくともしなかった。
傭兵が基地に入ってくることを喜ぶ正規軍はいない。弱兵揃いのアルデ軍でさえ例外ではない。
アルデ軍の標章もつけていない傭兵のザーベオンが入ってくるなんていう事態は、嫌いな姑の顔と同様に、忌々しくおぞましい事であった。
それでも、職務に忠実なアルデ兵が進み出てくる。
バトラーと呼ばれるこのアルデ兵の役目は、ザーベオン・パイロットからザーベオンを預かり、駐機場まで運んでいくことである。
彼らは孫考隊長からレーザーアイルンを預かることには成功した。
だが、傭兵を意のままにすることはできなかった。
傭兵たちは、アルデ兵を全く信用していない。
縁藤も川強も、ザーベオンの鍵さえ渡さず、基地中央のロータリーの真ん中にザーベオンを放置して、建物の中に消えてしまった。
自分の軍務をこなせないと悟ったバトラーは唖然とした顔で、立ち尽くすしかなかった。