1-extra 殿軍部隊
「はあ……はあ……はあ」
肩で息をしているが、自分の呼吸音がほとんど聞き取れない。より大きな騒音がいくつもあるからだ。
甲高い金属音は、愛機であるザーベオンの装甲を、砲弾の破片が叩く音。
コムリンクからは、雑音混じりの悲鳴が続いていたが、そちらは途切れがちになりつつある。生き残っている味方は、ほとんどいないのだ。
そして、足下で、愛機の心臓が狂ったように轟いていた。
膿戸彦恭アルデ軍グォース海岸迎撃部隊殿軍隊長は、愛機の足を止めた。
膨張して灼熱した金属筋肉筒が、湯気を上げていた。膿戸のザーベオン、レーザーアイルンは全身に銃痕を刻んでいる。ぼたぼたとそこから血が滴り落ちた。
膿戸はコクピットのおさめられた頭部を巡らす。
「はあ……はあ……はあ」
通信状況は混乱を極めている。現状を視認。キャノピー越しに、膿戸は血走った目を走らせる。
ここはグォース海岸。アルデの治めるジュベロ大陸東端の、静かな海岸。
首都ファラーデからほんの300キロ強しか離れていない、風光明媚なピクニックスポットだった。
かわいらしいカメ型ザーベオン・ラルゴートスの産卵場所としても有名で、シーズンにはザーベオン愛好家たちがそれを見るために集っていた。
いま膿戸が見ている光景は、そんなグォース海岸とは似ても似つかない地獄だった。
帝王国の水棲ザーベオン艦隊による艦砲射撃と上陸兵力による砲爆撃で、大地は痘痕だらけになっている。そして、そこら中に転がる、人間とザーベオンの死骸。死骸の大半は、アルデ軍のものだった。
舞い上がった粉塵で視界は悪化していて、混乱した状況に拍車をかけている。
とにかく、そこら中で爆発が起こっていて、銃弾が飛び交っていることは間違っていない。
ここは戦場であり、敵は自分たちを殺したがっている。
とりあえず、知るべきことは、それだけだった。
「はあ……はあ……はあ」
膿戸は重たい腕を叱咤して、ジョイスティックを押し倒す。愛機は、口の端から血の泡を吹きながらも、主の命令に忠実だった。ティラノサウルス型ザーベオンは13トンの巨体を跳ね上げ、砂浜を駆けだした。
戦闘ザーベオン・パイロットの疲労度は、歩兵のそれを凌駕する。
戦記によくある、ザーベオンから降りると同時に息を引き取る騎兵というのは、誇張でも何でもない。戦闘ザーベオンの機動は、それだけ乗っている人間を痛めつけるものなのだ。
膿戸はアルデ軍教本の定める規定時間を四時間越えてレーザーアイルンを駆っていた。
疲労は極限状態だが、彼の戦意は一向に落ちていなかった。
祖国を侵す敵への憎悪を糧に、ますます気を高めている。
それに……もうすぐ、疲労を気にする必要はなくなるだろう。……永遠に。
「はあ……はあ……来たな……!」
膿戸は歯を剥きだした。
ノイズの多いHUDに敵兵の影が映る。
人間にしては異常な姿。妙に猫背で、体つきががっしりしている。帝王国軍機械化陸戦歩兵部隊に間違いない。
帝王国兵は、死んだザーベオンの外骨格を纏って、装甲服代わりにしているらしい。それが異常な姿の理由だ。
人間の体に合わせて育成されるザーベオン。そして、十分な大きさに育てられるや、殺されて、内部をくり抜かれて、帝王国軍人の身を守る鎧として使われる。
帝王国人の、そんなやりかたに、虫酸が走った。
HUDの上で、ターゲット・カーソルが獲物を求めて瞬く。
「うおおお!」
膿戸は吠えながら、トリガーを引いた。彼の搭乗しているRIー6Bアルデ軍正式主力中型単座戦闘格闘ザーベオン・レーザーアイルンも咆哮する。
その小さな両腕から吊り下げた三十ミリ機関砲が火を噴いた。
帝王国軍歩兵たちは、さっと砂浜に伏せたが、間に合わなかった歩兵がもろに機関砲を浴びる。
小火器相手に高い防御力を示す装甲服も、ザーベオンの砲の前には無意味だ。装甲服は厚紙のようにぶち抜かれ、その内部の人体に至っては原型を留めることすら望めない。
帝王国軍歩兵の体が千切れ、あるいは爆散する。
「おおおお!」
膿戸は熱く吠えながらも、指先では冷静にターゲット・カーソルを巡らせていく。
レーザーアイルンは発砲の衝撃を殺すため、前屈みになって、長い尾を真っ直ぐに伸ばしている。左右の腕の機関砲が交互に火を噴く度に、コクピットは横方向に揺さぶられた。
腕の三十ミリ機関砲と背中の弾倉を繋ぐ弾帯が、高速で機関砲の中へと吸い込まれていく。機関砲の下から、金色の滝となって空薬莢が流れ落ちる。
と、弾帯が途切れて、機関砲が沈黙した。弾切れだ。
膿戸は構わず、機関砲を強制排除した。砲身が真っ赤になった機関砲が砂にめり込んだ。
レーザーアイルンは、火器がないからといって戦えないザーベオンではない。
勇ましいティラノサウルス型ザーベオンは、口をかっと開いて絶叫した。その声の大きさに、膿戸の全身がびりびりと震える。
レーザーアイルンの口の中で、九十七本の牙が伸長して、高周波振動を始める。牙の鋭さは、レーザー(剃刀)なんて可愛らしいものではない。真の凶器だった。
脚の筋肉筒が大きく膨らむと、次の瞬間、レーザーアイルンの姿は空中にあった。
砂浜に伏せる帝王国歩兵の上に、ザーベオンが飛びかかる。
二人の兵士を同時に踏み潰し、長くて太い尾が五人の兵士をぶちのめす。尾に打たれた兵士は、空高くへ消えていく。
そして、レーザーアイルンは首を振り、三人の兵士をまとめて噛んだ。
膿戸のコクピットのすぐ下で、装甲服と人肉が噛み裂かれる、胸の悪くなる音が響く。
しかし、帝王国軍歩兵は果敢に反撃してくる。
対ザーベオン・ライフルや携帯式無反動砲の攻撃がレーザーアイルンを襲う。
だが、被弾箇所から出血しながらも、レーザーアイルンは倒れない。猛り狂った恐竜は血に酔っていて止まらない。
膿戸はコクピットの中、激しく揺さぶれられながらも、フットペダルを踏み込んだ。
レーザーアイルンは突進する。
己に向けられる銃口もろとも、敵兵に噛みついた。
「はあ……はあ……はあ」
『警告。レーザーアイルン・ダメージレベル76%。脚部筋肉筒冷却機能不全。これ以上の活動は危険です』
コンピューターの合成音声は耳に入らなかった。
膿戸は、砂の上に散らばる人体の破片を見下ろしている。この場の敵歩兵中隊は殲滅した。
満身創痍のレーザーアイルン単騎にしては、なかなかの戦果だろう。
戦線が崩壊してから、出会った敵歩兵を手当たり次第殺戮して、砂浜を走り続けた。
殺されるまで殺し続けるつもりだった。
重大な疑問が頭をよぎる。生き残っているのは自分だけなのだろうか? 味方はみんな殺されてしまったのだろうか? 人間も、ザーベオンも?
そのとき、インターコムが雑音を吐き出した。
『こち……こちら……ザザザ……アルデ軍……部隊』
膿戸は、直ちに喉頭マイクのスイッチを入れて、応答した。
「こちらは膿戸殿軍隊長。残存部隊は誘導をしてくれ。こちらに活動中のザーベオンが一機あり」
『原始の神よ! 膿……誘導します。座標32ー8D地区……負傷者が多……』
友軍を見つけた。少数の歩兵が戦い続けていた。
彼らが籠もるのは、沿岸防衛のためのやぐらの廃墟だ。
銃痕だらけの看板にこう書いてある。
『第34沿岸防衛アウトポスト 防衛主任 疑島・呉山』
その瓦礫の頂で、青いアルデ軍旗が弱々しくはためいている。
迷彩服姿のアルデ軍歩兵たちが、レーザーアイルンを見上げて、歓声を上げていた。
生き残りは二十人というところだ。ひどく負傷した兵士までもが、銃を握っていた。
ふと、膿戸は歓声なんてものを受けるのは初めてだと気づいた。
アルデは平和な国だった。
そして、平和な国の軍隊では、本物の歓声なんて浴びたことがなかった。
膿戸は、レーザーアイルンを止め、片膝をつかせる。みるみるうちに、ザーベオンの下に血だまりが広がった。キャノピーを腕の力で押し開ける。
外気は、熱と煙で呼吸もままならなかった。
ぼろぼろのアルデ軍歩兵が駆け寄ってきて、敬礼する。
「膿戸殿軍隊長!」
「紀総指揮官は?」
「すでに、残余の兵を率いて転針なさいました! 残るは我らのみです!」
「……そうか」
膿戸の目に、かすかな光が戻った。
わずかながら、希望のようなものを感じたのだ。
帝王国軍は、アルデ軍を遙かに上回る軍団で襲ってきた。こちらの一兵たりとも逃すつもりはなかったはずだ。だが、アルデ軍の中核は生きてこの地獄を脱した。強大な軍事国家の精鋭である帝王国軍は、目標を達成できなかったのだ。
……アルデは生き延びることができるかもしれない。そう思った。
わずかな希望だ。
帝王国軍はアルデ軍の敗兵を追撃するだろう。だが、自分とレーザーアイルンはここにいるし、殺されるまで帝王国軍の追撃を遅延させてやる。
膿戸は歩兵たちに告げる。
「おまえたちもすぐに退避しろ。ここは小官一人で十分だ」
だが、歩兵たちは誰一人として武器を下ろさなかった。
「いいえ、我らは友軍の撤退を支援するために、志願しました。殿軍隊長と共に留まります」
「よかろう。では、小官に続け!」
膿戸はキャノピーを閉めた。
レーザーアイルンは天に向かって一声吠えると、身を震わせ、突進を始めた。
攻め寄せる帝王国軍歩兵に飛びかかる。その全身を銃弾が叩く。
大口径の対ザーベオン・ライフル弾がキャノピーを突き破り、コクピット内で跳ね回った。
膿戸は故障したHUDをかなぐり捨て、蜘蛛の巣のようなヒビの入ったキャノピーを強制排除する。目視で獲物を探し、レーザーアイルンを飛びかからせる。
彼の恐竜は、忠実に殺戮を続けた。レーザーアイルンの駆けた後には、人体の破片と巨大な足跡のみが残される。
無防備なコクピット周辺へ無数の銃弾が撃ち込まれてくる。
膿戸には、自分の体がどうなっているのか分からなかったし、痛みも感じていなかった。疲労感すら消えていた。
ただただ、視界が真っ赤に染まっていた。
その視界の中で、膿戸はひたすら敵を求めた。
ふいに、レーザーアイルンを叩く敵弾の音が止んだ。
今まで、銃口を向けていた歩兵達が、今は背中を向けている。帝王国軍の歩兵が逃げ出していくのだ。
あの、精強で知られる帝王国兵が、たった一匹のザーベオンに怯えて、恥も外聞もなく逃げていく。
自分たちは勝ったのだ。
「見たか、帝王国軍!」
膿戸はかすれた声で叫んだ。
背後に目をやる。アルデ軍の歩兵の姿は見えなかった。
レーザーアイルンが速すぎてついてこれなかったのか、あるいは全滅したのか。
直後、レーザーアイルンを囲むように砲弾が着弾した。横殴りの砂がザーベオンと膿戸を打った。
「……新手か」
艦砲か? いや、発砲音が甲高い音だった。ザーベオン搭載砲だろう。
硝煙の向こうから、不気味な姿が迫ってくる。巨大な身体を砂の上で引きずる音が近づいてくる。
帝王国軍ザーベオンが来るのだ。
アルデ軍を打ち破って補給を終えた帝王国軍主力戦闘ザーベオン部隊は、歩兵が残敵の掃討に手こずっていると見るや、直ちに支援を投入したのだ。
硝煙を通して、敵の姿が詳密に見えるようになる。
実に不気味なザーベオンだった。ティラノサウルス型ザーベオンであるレーザーアイルンのような精悍さもスマートさもない。
頭部と全身に棘を生やし、各所に増加装甲をまとったそれは、禍々しさしか感じさせなかった。
半魚人型ザーベオン・メントクア。帝王国の主力戦闘ザーベオン。
脚を持たないそれは、腹を砂につけ、右手に槍とおぼしき長得物を構えている。
単騎だった。手負いのレーザーアイルンくらい、それで十分だという意思表示に他ならない。
「うおおお!」
膿戸は叫んだ。
突進する。
生きてここを去る望みは、とうの昔に捨てていた。
一人でも多く、一匹でも多く、殺したかった。
一匹でも多くの帝王国ザーベオンを道連れにしてやる。
殺すごとに、祖国が生き延びる確率が高まるのだ。
殺し続けなければ。
祖国のために。
銀光一閃。
レーザーアイルン胸部の45ミリの厚さの装甲は、あっさりと刺し貫かれた。
ただの一撃だった。敵の慈悲も仮借もない穂先が、レーザーアイルンの胸を串刺しにしていた。
戦いの間、膿戸の聴覚を独占していた、恐竜の心臓の拍動音がばたりと止んだ。
ぞっとする沈黙が訪れる。
心臓を破壊されてなお、レーザーアイルンは敵に噛みつこうと口を開いた。
メントクアは恐竜を串刺しにした槍ごと、恐竜を持ち上げる。恐竜の身体が宙を浮き、脚と尻尾が空しく痙攣した。
恐るべきパワーだ。
逆さまになったコクピットの中、ハーネスに吊り下げられながら、膿戸は巨大な敵を見つめていた。
死の間際に、様々な考えが去来した。
先ほど、胸に感じた希望の炎。
それが、ひどく弱々しく揺らいでいるのを自覚している。
帝王国軍の歩兵は恐ろしく強いが、ザーベオンの強さはそれに輪をかけている。
軍事国家が威信をかけて生み出した、戦闘ザーベオン部隊。敵意よりも先に、畏怖のようなものすら感じてしまう。
祖国はそれに直面しなければならないのだ。
祖国が生き延びられる可能性は酷く少ないだろう。
例え生き延びることができるにしても、戦争は長く長く辛いものとなるだろう。
地に倒れ伏す兵士が、自分たちだけでないことは間違いない。
メントクアは頭上でレーザアイルンを振り回すと、思い切り大地に叩きつけた。
空中ですでにレーザーアイルンは息絶えていたので、これは純粋に膿戸を殺すための攻撃だった。
レーザーアイルンは地面に叩きつけられ大破する。衝撃でコクピットが圧潰して、膿戸の体をバラバラにした。
人間とザーベオンのおびただしい出血が、砂浜を赤い沼へと変じた。
巨大な赤い布地が翻る。爆風に煽られ、雷鳴のように轟いていた。
レーザーアイルンを空中で貫き、大地に縫いつけたのは槍ではなかった。
レーザーアイルンの屍の上、スカーレットを裏地に、金属の尾と鋼の剣が交差する紋章を描いた軍旗が翻っている。
帝王国軍旗に他ならなかった。
メントクアのパイロットが大音声を発する。
「アルデの軍勢は壊滅し、上陸は成功した! 帝王国万歳!」
グォース海岸に残った殿軍部隊。その最後のアルデ兵が倒れたのは、それから二十三分後のことだった。