7話 最悪の知らせ
オニガ村の村長はアクラだった。
それは紹介もないだろうし、村長の所に挨拶に行こうなんて話しも出なかったわけだ。
「これは自分が村長だって言わなかったアクラさんが悪い」
そうヤヒトは自分に言い聞かせて、改めて村長へお礼に行こうという思いは消し去ることにした。
いや、もちろん感謝はしているが一か月も一緒に暮らしてから「村に置いてくれてありがとうございます」なんて言うのはなんだか変な気もする。
この手のお礼は村を出るときとか、なんかあった時のほうが据わりが良いというのがヤヒト個人の意見だ。
「お待たせしました! どうぞ中に入ってください! あ、ヤヒト案内お願いしもいい? 私は水下ろしとくから」
「ああ、わかった。えっと、じゃあ、こちらどうぞ」
ヤヒトが食卓へと四人を通すと、いかにも寝起きと言った感じで大きなあくびをするアクラの姿があった。
アクラは、まだ残っている眠気を覚ますためか両頬をバシバシと叩いた後に、ググっと伸びをする。
「――っうし! あー、待たせて悪いな。恰好を見るに冒険者のようだが、もしかしてツノグマの件か?」
「はい。近頃ツノグマの目撃情報、並びに行商人などへの被害が頻発しておりまして。オニガ村の村長殿から届いた、異様のツノグマの件が何か関係しているのではないかという話しが出まして。それでその調査に……。おっと! そうだ、申し遅れました。改めて――赤黒のツノグマの調査、延いてはその討伐依頼を承りました、パーティリーダーのデュアンです!」
ヤヒトとにこやかに話していた男――デュアンは、先ほどとは違って顔も声色も至極真剣だった。
仕事とプライベートとをしっかりと切り分けられるのはできる人の特徴だ。
アクラは、デュアンの説明をゆっくり、飲み込んだ後、「うむ」と一言発して、視線を部屋の入口に立つヤヒトに向ける。
「例のツノグマを見たってのはそこにいるヤヒトだ。戦う術も逃げる術も持たないこいつが生き延びた理由はわからんが、嘘をついているようにも見えん。それにごく最近、呪いを受けた形跡がある。まあ、それがツノグマによるものだという確証はないが、時期的に見て可能性は高い」
「ぇあ!? の、呪い!?」
目撃者がヤヒトであるということに加えて、さも当然のようにヤヒトが呪いを受けているなんて突拍子もないと言うアクラ。
当のヤヒトにとって、それは寝耳に水というやつで、思わず上ずった声で話しに割り込む。
「俺呪われてるんすか!? なんで!? えっ俺もしかしてマズイ状況!?」
「落ち着け。俺も呪いにはあまり詳しくないが、命を取るような類ではないだろう」
「ほ、ほんとですか? いやでも呪いって言うからには何かしらの影響が出てるってことですよね?」
普通、呪いと聞いて良い印象を抱かないのは当然で、ヤヒトも呪いについてはそこまで明るくないが「丑の刻参り」だとか「コトリバコ」と言った有名なものは聞いたことがある。
いずれもかなり危険なものらしいが、それはあくまでもオカルトの話しであり、気にしない人は気にしないものだ。
しかしここは異世界で、魔力というものがある以上、元の世界の常識は通用しない。
その証拠に、呪いという言葉を聞いた冒険者の中に、驚きはすれど、呪いそのものに対して不審がることも馬鹿にするような発言をする者はいない。
「ヤヒト君に特に違和感がないなら多分大丈夫だよ。村長さんが言う通り、命を取る類の呪いだとしたらもう死んでるか、そうでなくても衰弱して寝たきりになってるだろうからね。だから、今すぐ死ぬってことはないよ。――実はまだ呪いを発動してないだけで、急に心臓が止まったり……なんてね。冗談だよ冗談! もしそうなら何のためにツノグマは君を生かしてるんだって話だよ!」
心配を拭いきれないヤヒトに、デュアンが冗談交じりにそう笑いかける。
デュアン的には場を和ませるつもりだったのかもしれないが、全くの逆効果である。
「そうは言っても――」
「大丈夫だって!」
より一層、顔色を悪くしたヤヒトが不安を吐露しようとした時、それに被せるようにまたデュアンが口を開く。
「――呪いってのは、術者を倒してしまえば発動できないんだから」
力強い声で、ヤヒトに言い聞かせるようにデュアンは言う。
それが本当か嘘かを判断することはできないが、デュアンの声を聞いたヤヒトは、不思議と自分の内に孕んだ不安が小さくなるのを感じた。
「……倒せるんですか? だってすげー怖いし、爪も牙もデカいし、襲われたら腕や首なんて簡単に吹っ飛ぶんですよ?」
「倒せるさ! 俺達はそのために来たんだからな!」
デュアンがここまで言うのだ。
どうせ自分でどうこうできる問題ではないのだから、デュアンを信じるというのがヤヒトにとって最善であり、唯一できることだろう。
「お願いします。――絶対に赤黒のツノグマを倒してください!」
「ああ! ちゃちゃっと片付けて来るから、今度町で遊ぼうぜ! それとも一緒に冒険者やるか? 俺が鍛えてやろう!」
カリスマ性とでもいうべきか、今日会ったばかりなのに、ヤヒトはデュアンをまるで兄貴分のように慕っていた。
元の世界にデュアンがいたら、良い先輩か上司になっていたに違いないだろう。
相性が良いのか単にデュアンの面倒見が良いのか、いずれにせよ、ヤヒトのまだ狭い交流関係の中では、オニガ村の住人以外で一番死んでほしくない。
これ以上、一人の心騒ぎで時間を浪費するのはよくないと思い直すヤヒト。
せめて何かの役に立てばと、約一か月前、ヤヒトがあの恐ろしいツノグマと出会ったおおよその時間帯、場所、毛色以外の特徴など、覚えている限りのことを話す。
「なるほど、鐘の音の咆哮か。聞いた感じそれが呪いと関係あるかもな。気を付けるよ。えっと、川を遡った先にある渓谷の所だったよな? じゃあ今から向かわないと帰還予定日を越えちまうな。――――ってことで村長さん。そろそろ出発します。早くからご迷惑おかけしました。帰りに報告を兼ねてまた寄らせてもらいますね」
エレガトルの周辺地図や、依頼詳細を広げ、ヤヒトからの情報を得たデュアンが早々に発つことを判断する。
パーティのメンバーもその判断に異論を唱える者はなかった。
最後に、山に詳しいアクラからの助言やいくらかの食料を受け取ると、家を出る。
「それじゃあ、行ってきます。ヤヒトもまたな! 嬢ちゃんも!」
そう言って、デュアン達は渓谷を目指して去っていった。
たった小一時間程のことだったのに、まるでずっと一緒にいた人が旅立っていくような寂しさをヤヒトは感じた。
「なんか卒業式思い出すな」
▲▽▲▽▲▽
いつも通りヤヒトとセツナが水汲みのため川へ向かう途中だった。
「ヤヒト! あれ!」
「ああ!」
二人の目線の先には道で倒れている人の姿があった。
慌てて近寄れば、デュアンのパーティにあった顔だ。
気の強そうな女性、確か名前は――――リーナと言っただろうか。
しかし、三日前に村を出た時とは様子が大きく違っていた。
腰にあった一対の短剣の一つはどこにも見当たらず、体中には無数の傷ができている。
取り分け、肩口から背中に刻まれた引っ搔き傷はかなり深く、流れ出る血が腹や足の方まで赤黒く染めている。
「――ぅ……ぐ……デュ、アン……」
「っ! まだ生きてる! セツナ!!」
「うん!」
満身創痍ではあるが辛うじて息はある。
二人はリーナを大急ぎで家に連れ帰ると、アクラ起こして応急処置を施す。
「ヤヒト! ありったけの包帯と水! 水は昨日のがまだ少し残ってる!」
「はい!」
「――お父さん! 回復ポーションの使用期限切れてる!」
「ああ!? 気にするな! 三か月ぐらいどうってことねえ!」
アクラは、セツナが棚から取り出した回復ポーションを奪い取ると、リーナの傷口にバシャバシャとかけ、残りは口に突っ込んで無理やり飲ませる。
「ぅぐっ! ガボ! ゲッベハ! ブッ! ゴクン――」
ポーションが効いたのか、それとも驚いただけなのか、朦朧としていたリーナの意識が戻る。
大きく咳き込み、鼻からはポーションを垂らしながらリーナは辺りを見回す。
「――ゲホッェホ! ここは……? 村長に、確か、ヤヒトと嬢ちゃん。ってことは、オニガ村……か? グッ! 痛っ!!」
「おう。意識が戻ったようだな。傷がひどいからまだゆっくりしてろ――と言いたいところだが、何があった? 他のパーティメンバーは?」
「傷……他の、メンバー……。っ!! そうだ! デュアン!! みんな!!! ぐ、うう……。うぅううああああああ!!!」
アクラが問いかけると、リーナは突然絶叫し、大粒の涙を流す。
不意の出来事に、ヤヒトとセツナは驚いて固まるが、アクラは冷静に、もう一度問いかける。
「何があった? ゆっくりでいい。教えてくれ。どうしてお前は傷だらけで村に?」
リーナは嗚咽をこらえながら、声を絞り出す。
「渓谷に向かう途中、突然だった。目標だった赤黒のツノグマに遭遇して――」
リーナの発する声の一音一音が震えている。
アクラが、セツナが、そして、ヤヒトがリーナの口から出る言葉に耳を傾ける。
そして、三人は一様に願う。
――この想像が現実にならぬように、と。
しかし運命は残酷だ。
次にリーナが口にするのは、最悪の知らせ――
「――――パーティは壊滅した」
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