56話 拉致
良いお年を!
もの凄い速度で景色が流れていく。
木々の間を縫い、林を抜け、野原を飛び越し、また別の森林に入る――。
何が起こったのかなんて、ヤヒトに考える暇などなかった。
唯一、状況というか体感でわかるのは、誰かに連れ去られたという事実。
どこの誰が何の目的でこんなことをしているのか、ヤヒトは限られた情報と記憶で考えるが全く見当がつかない。
一瞬、ビリーやチンピラ三人組のことが脳裏を過るが、いずれもこんな堂々と拉致を決行するとは思えない。
何より、彼らではないだろうとヤヒトが判断したのには大きな理由がある。
汗や汚れの臭いの奥に感じられる甘い香り、フワッというかムニュッというか、暖かな体温を感じられる柔らかい感触――それらから察するに、ヤヒトを抱えているこの人物の性別は女性。
そう、女性である。
チンピラ達は勿論、ビリーの手下にも女性の姿はなかったはずだ。
もしかしたら表には出てきていないだけで、一味の中に在籍しているという可能性もあるが、だとしてもこんな力技の拉致をわざわざ女性にを任せるとは考えづらい。
そうやって頑張って思考を巡らせることで、パニックを起こすことがないように努めるヤヒト。
どれくらいの間そうしていたのか、やがてごうごうと耳元で唸りをあげていた風の音が弱まったのを感じた。
流れる景色も段々と緩やかになり、岩でできた洞窟の前まで来たところで、
「ふう、ここまで来れば大丈夫だろ。危ないところだったな!」
女性はそう言うと雑にヤヒトを下ろす。
不意のことで受け身をとれず、硬い地面に尻もちをついたヤヒトは、顔をしかめ、痛む尻を撫でながら、ここまで連れてきた犯人を見上げる。
――見覚えのある薄汚れたポンチョコートにワインレッドの瞳。
その正体は、つい昨日会ったばかりの女性――
「ルーベル! 何で!?」
「おう! 昨日ぶりだなヤヒト! まさかこんなに早く再開できるとはな」
少しも悪びれた様子のないルーベルは、腰に手を当てて「ワッハッハ」と大声で笑う。
拉致犯が知っている人物だったということもあり安心したのも束の間、そもそも自分がなぜ連れ去られたのか、その理由がわからないヤヒトの表情に緊張が表れる。
ヤヒトは、ルーベルがオオイノシシをいとも簡単に倒してしまうほどの実力を持っていることを知っているからだ。
「――――」
「ん? どうしたそんなに硬くなって。あっ! ひょっとしてまだ怖がってるのか? まあ、確かにあいつは下等生物にしては強そうな感じあったからな。ま、私なら勝てるだろうけどさ」
「怖がる……? あいつ? って誰のことだ? なあ、ルーベルはなんで俺をここに連れて来たんだ?」
「お? なんだ? お前でもあの下等生物に勝てたって言いたいのか? ワッハッハッハ! 馬鹿言えよ。あのイノシシにだって押されてたじゃんか。ワッハッハッハ!」
ヤヒトの疑問にズレた回答を返すルーベル。
どうやら、二人の間で前提となる認識に齟齬があるようだ。
ルーベルの言う下等生物というのは多分、リーナのこと。
つまりルーベルは、なぜかヤヒトがリーナに襲われていると勘違いしているらしい。
「えっと、リーナ――あの冒険者は敵じゃないぞ」
「敵じゃないって? ワッハッハ! わかったってお前のが強い強い。そうムキになるな」
「いや違う違う。そうじゃなくて、リーナは味方で、敵対してないの。何なら俺に戦い方教えてくれるし、冒険者としてパーティも組んでる。まだ手続きしてないけど」
「ワッハッハッハ、ハ、ッハ……ん?」
ヤヒトの説明を聞いたルーベルが笑顔のまま固まる。
「襲ってきたレッサーウルフを討伐したから、その死体をリーナが運ぶの手伝ってくれようとしてたところでルーベルがこう――な?」
「あー、仕留めたレッサーウルフを奪われそうになってたわけでは――」
「ないな」
「えっとぉ、その、あのぅ……。し、しし――」
「し?」
ルーベルは、顔を白黒させてプルプルと小刻みに震えたかと思うと、
「知ってたけど!?」
「ぅおう! ビックリした!」
「知ってたけど!? あの下等生物がヤヒトと行動してたのくらい知ってたけど!?」
顔を真っ赤にしながらそう捲し立てる。
ヤヒトと目が合うと、ワインレッドの瞳がキョロキョロとせわしなく動き、明らかに動揺しているのがわかる。
本人は平静を装っているようだが、さすがに無理がある。
「――――」
「ほ、本当だぞ! 本当だ! 気高い私がそのくらい気付かないはずがない!」
まあ、ヤヒトが襲われていると勘違いしたルーベルが助けるためにヤヒトをここまで運んだということなのだろう。
「あー、わかったわかった。じゃあ、ルーベルは何してたんだ? 昨日はエレガトルの近くにいたよな? トアト畑が縄張りだーとか言って」
てっきりエレガトル周辺をフラフラしているのだろうと思っていたが、どうしてこんなところにいるのだろうか。
昨日、別れた後に歩き通しだったとしても、ここまで移動してくるには異常な速度だ――とも思ったが、それに関しては、今のヤヒトを運ぶ速度を考えればむしろゆっくりなくらいなのかもしれない。
「何って、別に何も。こっちの方にある国の山に特産のキノコがそろそろ出てくるから様子見に」
「き、キノコ……。ほんとにフラフラしてんのな」
「まあ、特に今はやることないし」
「いるか?」と栗のような木の実を差し出しながらルーベルはあっけらかんとして答える。
昨日別れた後も、歩いたりウサギやリスを追いかけたりしていたらしく、ヤヒト達を見かけたのは本当に偶然だったらしい。
「で、ヤヒトは何しに? あんな強そ――手応えのありそうな下等生物も一緒だったってことは、まさかキノコ狩りなんかじゃないだろ?」
「あー、俺は――」
一瞬、他国からの応援と言うこともあり、依頼の内容を言ってもいいものかと悩んだヤヒトだったが、ルーベルもサイネーシャの山を目指しているということは、鐘の音の被害にあうかもしれないと考え至る。
ひとまず赤黒のツノグマという魔獣について説明すれば、ルーベルは意外にも真剣な表情でそれを聞いてくれた。
「――ってことで、その調査と驚異の排除を要請されたんだ。まあ、その音の正体が本当に赤黒のツノグマのものなのかはわからないんだけどな」
「なるほど。正体不明の音か。もしも本当にその赤黒のツノグマって奴のものなら、キノコ採るのに邪魔だな」
腕を組み、深く考え込んで数十秒――ルーベルは、
「よし! 私もその依頼を手伝おう! どうせ行く方向同じだし!」
「はぁ!? 何言ってんだ! さすがにそれはまずいだろ。もし本当に赤黒のツノグマだったら命の保証なんてないし、ギルドに無断で勝手に連れてっていいのかわからないし――」
「うだうだ言うなヤヒト! ギルドに無断って、それ言ったら昨日イノシシをぶち殺したのは私だろ? あれは怒られる対象じゃないのか?」
「いや、だってあれは急だったし、連れてったってより出会って目標が殺されたって感じだし――」
「ようし行くぞ! とりあえずあっちの国の山を目指すぞ。キノコの確認だ!」
「あっ! おいルーベル! あーもう! この世界の女の人は変わったやつしかいねえ!」
煩わしくなったルーベルは、ヤヒトとの話をぶった切り、サイネーシャの方向目指して歩き出す。
何度呼びかけても聞く耳を持たず、鼻歌交じりに足を動かすルーベルに、土地勘も何もないヤヒトは付いて行くしかなかった。
▲▽▲▽▲▽
「――――」
あっという間の出来事だった。
目の前に汚れた布が落ちてきたと思った次の瞬間には光のような速さで飛んで行き、呆気にとられたリーナが気付いた時には、レッサーウルフを残してヤヒトの姿は忽然と消えていた。
「お、おい! ヤヒト! どこに行った!? ヤヒト!」
――リーナの呼びかけにヤヒトが答えることはなく、代わりに馬車の御者が走ってやって来る。
「おい! ヤヒトを見なかったか!?」
「やはり! 私も見間違いかとも思ったのですが、今、大きな布のようなものに包まれたヤヒトさんが向こうに飛んで行きました!」
「と、飛んで行った!?」
耳を疑うような話だが、実際に布が通り過ぎてヤヒトが消えたのだから信じざるを得ない。
「チッ……」
布に殺気どころか気配がなかったせいで反応に遅れてしまったが、あれはきっと生き物なのだろう。
何の意図があってヤヒトを連れ去ったのかはわからないが、今回の依頼において赤黒のツノグマの鐘の音を聞いたことがあるヤヒトがいないのはとても痛い。
布を追うにしても既にその姿はなく、痕跡すら見当たらない。
単純に飛んで行った方向に向かってすぐに見つけられればいいが、そうでなければサイネーシャへの到着予定時刻も大幅に遅れることだろう。
――冒険者としては応援依頼に遅れるということをしたくない。
遅れればそれだけ多くの人が被害にあうかもしれないから。
――リーナ自身としては、今すぐにヤヒトを助けに行きたい。
仲間を失う辛さをしっているから。
「――――」
目を閉じて心と脳とで葛藤し、考える。
そして、
「――おい」
「は、はいっ! 何でしょう!?」
リーナは少し怒気の混じった声色で御者を呼ぶ。
「馬車での送迎はここまででいい。代わりに馬を一頭貸してくれ。勿論、馬車代とは別で金を払う」
「そ、それは構いませんが――」
そこまで聞くと、リーナは素早く馬車と繋がれた馬の一頭を切り離し、その背に跨る。
「お前は今すぐエレガトルに戻ってギルマスのおっさんに今のことを伝えてくれ! 伝言代はそのレッサーウルフを売った代金をそのままやる! じゃあ、頼んだぞ!」
「あっ! ちょっと! リーナさん!!」
一方的にそう告げ、リーナは馬を駆る。
馬は急ぐリーナの気持ちに応えるようにその速度をグングンと上げていく。
林を抜け、一泊する予定だった村を通り過ぎ、開けた野道を走らせる。
途中、最低限の休憩を入れながら、目指すはサイネーシャ。
「この速さなら日が落ちる前に着けるかな。キツいだろうけど頼むぞ!」
リーナの言葉が伝わっているのか、馬は「任せておけ」とでも言わんばかりに猛々しい嘶きを上げる。
そんな馬の頑張りのおかげでリーナの予想通り日没寸前というところでサイネーシャの関所に到着する。
「――なんだ冒険者か? 一応身分確認のために冒険者カードを提示してもらえるか? こんな日暮れにご苦労なこった」
リーナを見つけた関所に駐在するサイネーシャの若い衛兵がそう声をかけてくる。
「サイネーシャには久しぶりに来たってのもあるが、あんたは新人か? 見ない顔だ。――ほらよ。応援依頼で来た」
「リーナ――ランク五!? し、失礼な態度を取りました! すみません! おっしゃる通り、自分は今月から入った若輩者であります!」
リーナの冒険者カードを確認した衛兵は慌てて敬礼し、非礼を詫びる。
これを機にどんな相手にでも丁寧な対応を心掛けてほしいものだと内心で思いながら、リーナは事情を話して馬を関所に預かってもらい、足早にその場を去る。
エレガトルよりも広い街並みには一瞥もくれず、一直線に向かうのはサイネーシャの冒険者ギルド。
割れた窓ガラスを板で補修し、壁には落書きや汚れが目立つ。
開きっぱなしのドアの蝶番は壊れており、もはやドアとしての役割を果たしていない。
――そんなサイネーシャの冒険者ギルド。
建物内もエレガトルとは違って酒場がメインの造りになっており、外の看板を見ない限り一目で冒険者ギルドであるとはわからないだろう。
「応援依頼で来たリーナだ」
酒場兼冒険者ギルドのカウンターに立つ女性職員にリーナはそう声をかける。
「――ッ! お久ぶりですリーナさん! こちらに来るのは明日だと聞いていましたが、お早いご到着ですね!」
ランク五の冒険者ともなれば、大抵冒険者ギルドでは有名な人気者だ。
特別、デュアンの仲間だったとあれば尚更。
「んん」
「あっと、これはすみません! リーナさんと会えて舞い上がってしまいました。では、改めまして、ようこそサイネーシャの冒険者ギルドへ! 本日は応援依頼の手続きですね。予定は明日からですが、手続き自体は今日から可能ですので。冒険者カードの提示をお願いいたします」
職員に促されるまま、リーナはギルドカードを手渡す。
「それでは失礼します――」
職員がカウンターの下から取り出した魔水晶玉にカードをかざせば、魔水晶玉とカードが薄水色に発光する。
冒険者ギルドに登録されている情報とカードに刻まれた情報が合致しているということを知らせる合図だ。
「ありがとうございます。間違いありませんね。今回はサイネーシャの冒険者ギルドからの応援依頼ということですので、手続きは以上です。――けど……」
職員はリーナの後ろや酒場全体をぐるりと見回す。
「あの、エレガトルのギルドマスターからは『応援には二人の冒険者を派遣する』とあったのですが……」
「ああ……。それなんだが――」
リーナは来る途中で起こったことを職員に話すと、職員は眉をひそめて考えた後「少々お待ちください」と奥に引っ込んで行ってしまう。
二、三分の後、職員は複数の資料をファイリングした大きな本を抱えて戻って来る。
「これは特段重要性の高くない資料をまとめたものなのですが、ここを見てください」
「これは――」
職員は本を広げて指をさす。
資料に書かれた言葉は――『飛び回る白い布』。
リーナが目撃した光景にピッタリの表題である。
詳しく目を通してみれば――というほどの情報はないのだが、目撃情報はそれなりに多い。
しかしながら被害はというと、農作物が消えた気がするとか、いつもなら生えているはずの山菜の類が消えた気がするとか、曖昧で小さなことばかり。
過去の資料のどこにも人が連れ去られるなんてものはなかった。
「ギルドとしましては、調査しようにも、いつどこに現れるかもわからないですし、そもそも人なのか魔獣、魔物なのかもわからないといった具合でして……。特別大きな被害が出ているわけでもありませんので取り立てて依頼にするものでもないと判断しているのですが……」
「今回は人が攫われた。過去に目撃されているものと今回のが同じものなのかはわからないが――っていうところだな」
「はい。緊急でヤヒトさんの捜索依頼を出しますが、申し訳ありません。捜索は――」
「早くて明日からだろ? 流石にこの時間からじゃあ暗くてまともな捜索なんかできないだろうからな」
「はい、申し訳ありません……」
職員は自分に非がないにも関わらず、何度も謝罪の言葉と共に頭を下げる。
「いい、そんなに謝ったってあんたは悪くないし、ヤヒトがすぐに戻って来るってわけじゃあないからな。そもそもその場にいたのにヤヒトを連れ去ることを許したあたしが一番悪いんだし。――まあ、そういうことだ。じゃあ、あたしは宿を取らないとだから行く。明日の朝にまた顔を出すけど、何かあったらいつでも呼びに来てくれ」
仲間の行方がわからなくなったというのに、淡々とした様子でその場を去ろうとするリーナに、職員は堪らず声をかける。
「あ、あの! その、こんなことを聞くのは心苦しいのですが、リーナさんは心配じゃないんですか? ただでさえデュアンさん達を――あっ! す、すみません! 私はなんてことを……! 本当に申し訳ありません……。呼び止めてしまいすみません。忘れていただいて構いません」
思わず口走ってしまった言葉に、職員は顔を真っ青にして先程以上に頭を何度も下げる。
その激しい動きに少しギョッとするリーナだったが、カウンターの前まで戻ると、取り乱す職員の肩をポンポンと叩く。
「はぁ……。あんた、そんなに謝ってばっかりで疲れないか? いや、まあ、気持ちはわかるけどな。――デュアンパーティのことはもう大丈夫だ。ちゃんと受け入れて前に進んでるつもりだ。むしろ、あいつらは人と関わるのが大好きな奴らだったんだから、どんどん話題にして、話のネタにしてやってくれ」
勿論、まだ悲しい気持ちや寂しい気持ちがなくなったわけではないが、今言ったこともリーナの本心だ。
だからこそ冒険者を続けているし、ヤヒトという新しい仲間を得ることができた。
ニカッと笑ったリーナの顔を見て、真っ青になっていた職員の顔には血色が戻り、落ち着きを取り戻す。
「そう言っていただけると救われたような気がします。ですが、配慮に欠ける発言でした。本当にすみません」
「あー、わかったわかった。じゃあ今度エールの一杯でも奢ってくれ」
別に気を害したわけではないのだが、そうやって実際の形となる贖罪を提案すれば、職員も気持ちを切り替えやすいだろうというリーナなりの配慮だ。
「あ、それとヤヒトのことは心配してないわけじゃないぞ。ただ、あいつはそう簡単に死なない奴だから大丈夫だ。――多分、あいつはデュアンを越えるぞ」
そう言ってリーナの顔は、決して冗談を言っているようには見えなかった。




