55話 襲撃
二人の背中を見送ったブレンダンは、一人資料を机に広げる。
資料に書かれているのは赤黒のツノグマではなく、一人の冒険者。
「呪いの昇華……。稀にだが起こりうる事象だけど、君のを祝福と呼ぶにはあまりにも――――」
期待、興味、心配、畏怖――それらの根幹にあるのはただただ強い好奇心。
力の源を知りたい。
力の正体を知りたい。
力の持ち主はどこから来て、何を成すのか。
未知を既知にしたいという欲望が止まらない。
「この依頼を経て君はどうなるのかな。危機的状況で進化をするのか、それとも事なきを得るか。頼むから何も為さずに終わってしまうのだけはやめてくれよ」
この先の展開を考えるだけで思わず笑みがこぼれる。
「さて、俺は仕事の続きといこう。あの能無しを下すにはどうしたものか」
▲▽▲▽▲▽
天気は快晴、心地良い風が頬を撫でる。
「遠征にはもってこいの日だな。近頃、大きな雨も降ってないし、水溜まりもないだろう」
エレガトルより西の国、『サイネーシャ』を目指し、ガタガタガロゴロと音を鳴らしながら進む馬車――その幌から外の様子を窺うリーナは、大きなあくびをするほどにリラックスしており、馬車での移動に慣れているというのが誰の目にもわかる。
さすがはベテラン、ランク五の冒険者ともなれば遠征など日常茶飯事なのだろう。
一方、ヤヒトはヤヒトで、長距離の移動が初めてではない。
修学旅行で東京や沖縄に行ったことがあるし、隣の県に遊びに行ったことだってある。
しかし、それらはいずれも現代の科学によって整備されたインフラあってのもの。
当然、異世界の舗装のされていない道は凹凸や小石、小枝でかなり揺れる。
「ウェ……。うっぷ……。なあ、これ、いつ着くんだ? トイレ休憩とかってある?」
「さっきしたろ。ただでさえ西の国までは三日かかるんだ。休憩ばっかしてたらどんどん到着が遅れるぞ」
これも当然と言えば当然なのだろうが、馬車にはサスペンションが付いていないため、揺れや振動が硬い座面に直に伝わり、お尻も痛くなるのだ。
優秀な自動車の足回りやフカフカの座席がこんなにも恋しくなるなんて思いもよらなかったヤヒトは、絶賛車酔いの真っ最中である。
立っているわけにもいかないし、寝るにも振動で寝ていられない。
せめて気を紛らわせようと、ヤヒトはリーナに話を振ることにした。
「なあ、ブレンダンさんってどこまで知ってるんだ?」
「あ? なんだ藪から棒に」
「いや、リーナもブレンダンさんの前ではバレてるだろうから隠さなくていいって言ってたし、そのブレンダンさんもすげえ含みのある話し方をずっとしてたし。もしかして俺の治癒能力のこと知ってんのかなって」
片あぐらに頬杖をついたリーナは、噛み殺し損ねたあくびを漏らし、一言。
「――知らん」
「いや、知らんって……。じゃあ、あの隠さなくていいは何だったんだよ。ベラベラ喋るのもあれだなぁって思って、俺ちょい警戒しながら話してたんだぞ!? すげぇ緊張もしたし!」
「それこそ知ったこっちゃねえよ」
リーナはリンゴーを袋から二つ取り出し、一つはヤヒトに投げて渡す。
「あたしが言ったのは、ギルマスのおっさんの前じゃあ下手な嘘はすぐに見抜かれるから自然にしとけって意味が強い。ただ、ずばり治癒能力とまでいかなくても、何らかの秘密があるってのはバレてるだろうよ。呪いだの祝福だのの話もしたしな。少なくとも、赤黒のツノグマをやったのはあたしじゃないってのは確実にわかってる。死骸を回収しに行った中にはギルマスのおっさんもいたからな」
確かに、死骸回収に来たのなら、リーナが倒したのではないということはわかるだろう。
大怪我を負ったリーナとセツナは少し離れた所に寝かせていたし、ツノグマの死因は斬撃ではなく内部からの爆発によるもので、何より、死体の角にはヤヒトが突き刺さっていただろうから。
「国で一番偉い人がわざわざ魔獣の死体回収!? なんで!? ギルマスってそういうのもやんの?」
「いいや、普通はしねえよ。ただ、あのおっさんは知りたいと思ったことはとことん調べたいって性格だからな。大方、ランク五のパーティを壊滅させるほどの力を持った未知の個体ってのに惹かれたんだろうよ」
「性格ねえ……。好奇心で国のトップが動くってどうなん?」
「まあ、ガチガチの縦社会で性根の腐った貴族連中がデカい顔してるような国よりもよっぽどマシさ」
具体的――というより、まるで実際にそんな国にいたかのような口ぶりで話すリーナは、無意識のうちに眉間にしわが寄る。
「リーナ――うぉわっ!」
「何があった!」
馬車が林の中ほどに差し掛かった時、何の前触れもなく馬車が大きく揺れ、ヤヒトは堪らず座席から転げ落ちる。
リーナはすぐさま立ち上がり、御者に様子の確認をすると、
「魔獣です! レッサーウルフ! 囲まれています!」
怖がっているのか馬車馬が暴れており、それを抑えるので御者も必死だ。
「出るぞ!」
「えっ! ぉえっ! 何て!?」
状況を理解したリーナはすぐさま馬車の外に飛び出す。
吐き気をこらえるヤヒトも遅れて外に出ると、じりじりと円を狭めるレッサーウルフの姿が目に入り、慌てて剣と盾を構える。
二人に戦う意思があるとわかったのか、馬車の横にあった大きな木の影から揺らりと一際大きな個体が姿を現す。
おそらく、あれがこの群れのリーダー。
「後ろ半分は頼んだぞ! あたしは馬と御者を守る!」
「あ、ああ!」
腰から一対の短剣を抜き、風のような速度でリーナは翔ける。
向かう先は群れのリーダー。
走るリーナにつられて数匹のレッサーウルフ追うが、リーナなら大丈夫だろう。
むしろわざと大きく動いて注意を引いているように見える。
大半はそうやってリーナの方に向かったが、一部は馬車の後方に残っている。
その数三匹――それがヤヒトに任された相手だ。
「っしゃあ行くぞぉ!!」
声を大きく張り上げて気合を入れたヤヒトは、正面にいるレッサーウルフに向かって突撃し、上段から剣を振り下ろす。
しかし、
「あれっ!?」
「ガウルルルルッ!」
「ガウッ!」
――ガガンッ。
「危ねっ!!」
呆気なく剣を躱されたかと思った次の瞬間には、左右から挟み込むように跳びかかるレッサーウルフ。
ヤヒトは盾と剣を両方を使って間一髪、牙と爪を受け止める。
安堵したのも束の間、次は初めに剣を避けた一匹が、がら空きになったヤヒトの首元に鋭い犬歯を突き立てるべく迫り来る。
「くっ! ぅらあ!」
「バウッ!」
咄嗟に前方を蹴り上げて迎え撃とうとするが、それも簡単に躱される。
そして、そのレッサーウルフが距離を取ったのを見て、ヤヒトの左右にくっ付いて手の動きを抑えていた二匹もサッと届かない所まで退がっていく。
また振り出しに戻ってしまったわけだ。
いや、戦闘開始時よりもほんの少しヤヒトが消耗している分、マイナスのスタートだ。
「闇雲に斬りかかっても避けられるし、何より3匹の連携が厄介だ。どうする……」
思えば、ヤヒトは一対多の戦いが初めてだった。
あの巨人――ポルロフ達チンピラ三人組も一応は一対多の戦闘だったが、あれは不意打ちだったり何だりで、まあノーカンでいいだろう。
そもそも、対人と対魔獣では戦い方が全然違う。
当然と言えば当然のことだが、魔獣の方がより直感的に動く気がする。
後先や自分の戦法を考えて戦いを組み立てるのではなく、その場その時で反射的に動くのだ。
野性的――それは本能によるものなのか、それともその種が築き上げた戦法なのか、あるいはその両方。
「まあ、強い人も結構臨機応変に動くからな――っと!」
この三匹の連携をどう崩すかを思案していると、こちらに動きがないと判断したのか、今度は向こうから仕掛けてくる。
三匹が順番に絶え間なく跳びかかってきたかと思えば、次は前後や左右から同時に襲い掛かる――。
オオリスの連続突進とは違い、速さも軌道の読みづらさもレッサーウルフの方が上で、盾で捌くのも困難である。
時々、反撃をすることができても少し毛皮を掠る程度で、まともなダメージを与えられない。
それでも、ずっと同じことを繰り返していると少しずつ慣れてくるもので、
「ここっ!!」
「ギャウッ!」
跳びかかりのタイミングと軌道の予測が嚙み合った時、盾の側面を一匹の鼻っ柱に叩きつけることに成功した。
「っしゃああ! ようやく一撃ぃ! 自慢の犬歯が折れちまったなあ!」
「グゥルルルルル……」
攻撃が当たるとなればこちらのものだ。
反撃一回で相手のメインウェポンの一つである牙をへし折ることができたのだから、治癒能力込みでアドバンテージはヤヒトにある。
勝ちに王手をかけたと調子に乗るヤヒトは、笑い混じりにレッサーウルフを煽る。
――あまりに早計で愚かな行為だった。
果たして、煽ったことが原因だったのか、いや、そうではないだろう。
レッサーウルフたちは、今までのように単純に跳びかかるということをやめ、ヤヒトを中心にグルグルとすごい勢いで走り始めたのだ。
「あ? くそっ! なんだ――ぃでっ!!」
「ハッハッハッハッ――ガァ!」
激しい獣の息遣いと地を蹴る音がヤヒトを囲み、隙を見て輪から飛び出した一匹が爪か牙で攻撃し、またすぐ輪に戻る。
遺伝子に刻まれた動きなのか、それとも群れでの狩りで身に付けた狩猟方法なのか、いずれにせよ、レッサーウルフの賢さが感じられるこの動きは、勝ちを確信したヤヒトにとって手痛いしっぺ返しとなる。
決闘に向けて行ったリーナとの特訓が活きているのか、何とか致命傷だけは免れているものの、頬や足、背中などに小さな傷が増えていく。
カウンターをしようと剣を振り上げればレッサーウルフは即座に反応し、攻撃せずに素通りして輪に戻り、真逆の方向から別のレッサーウルフが跳びかかる。
「くっ! ぐぅ! うっ!」
治癒能力のおかげでこの程度の傷ならばすぐに治るのだが、それでも、流れ出た血が目に入れば視界は霞み、手が濡れれば装備が滑る。
そうなったら致命傷を受ける確率が上がるのは必然。
だからこそ必死で防御を固めているわけだが、このままでは討伐することができないのはヤヒトにだってわかっている。
「でも、どうしたらいいんだ! あっ! リーナは!? リーナ! ヤバい! 俺じゃ勝てないかも!」
ヤヒトが助けを求める声を上げた時、ちょうど向こうが片付いたのか、リーナが馬車の後ろ側に姿を見せる。
リーナが加勢に来てくれたことでヤヒトの表情から曇りが晴れるが、それは一瞬のことだった。
ヤヒトの戦況を見たリーナは、少し考えるような間の後、短剣を納めて馬車に寄り掛かる。
「は!? 何で!? リーナおい! 手伝いに来てくれたんじゃないのかよ!」
ヤヒトが呼びかけても、リーナにそこから動こうとする素振りはない。
その間もレッサーウルフの攻撃は続いており、獣の声とヤヒトの苦悶の声が入り混じる。
しばらくそんな状況が続くと、リーナはため息を一つ吐き、
「まあ、ここまでか。おい、ヤヒト! そこ――」
「そこ!? どこ!?」
盾で身を守りながら目だけを動かすと、リーナは親指でクイクイと横方向を指しているのが見えた。
続けてリーナが指示を出す。
「そこのデカい木のとこ行って、木を背にしながら戦え」
「は!? 木ってどれ……あれか! あそこに行けって言ったって――」
防御態勢を解けばあっという間に鋭い牙爪の餌食である。
かと言って、ここから脱却できなければいずれヤヒトの体力が尽きる。
それに、すぐに治るとしても、こう続けて噛まれたり引っ掻かれたりするのは気持ちの良いものではない。
「いでっ! あっづ! あー、クッソが! もうこうなりゃヤケだ!」
ヤヒトは盾を正面持ってくると、身をギュッと縮こまらせて勢いよく走り出す。
「死ぃねえぇぇえええぇ!」
行動と言葉が噛み合っていないが、命懸けで戦っているのだから、気合いを入れるだけなら何を言ったって悪くはないだろう。
予想通り、防御態勢をやめたヤヒトの足や肩、脇腹にレッサーウルフの牙と爪が食い込む。
「いっづああぁあぁぁぁ!!」
「ガウゥフウゥ!!」
ここで痛みに負けて立ち止まってはせっかく決めた覚悟が無駄になる。
盾や剣の柄で叩いて纏わりつくレッサーウルフを振りほどきながら、リーナの指す大きめの木に近づき、ドンと背中を付ける。
「これでいいのか!?」
「ガウルルルルッ」
場所を変えても相変わらず三匹のレッサーウルフはヤヒトを取り囲んでグルグル周る。
「ガアッ! グルォ! ヴォフ! ―――」
次々と襲い掛かるレッサーウルフの攻撃を盾で防ぐ。
「これで! 何が! 変わんだよ!? くそっ!」
右、左、右、正面、左、左、正面、正面――。
衰えることのないスピードと頻度は、ヤヒトの体力をじりじりと削っていく。
ただ、レッサーウルフの攻撃の仕方もヤヒトの防御の仕方も先程までと何ら変わりないはずなのに、
「なんか、楽だ。全然防ぎきれる!」
左、左、正面、右、正面、左、右――。
そうやってもう何度か攻撃をいなしてようやくヤヒトは気付く。
「そうか! 後ろから攻撃できないのか!」
完全に視覚外になる背後を気にしていたせいで、他方向からの攻撃への意識も疎かになり、結果全ての攻撃に対応できなくなっていた。
それが今、大木で背面を隠すことで、注意すべき方向が大きく狭まり、防御が追い付くようになったのだ。
「背後からの攻撃を防ぐ練習としては丁度良さそうだったんだけどな。まあ、悠長にもしてられない。おら! もういつもの防御練習とあんま変わらないだろ! さっさと倒せ!」
「確かに、早めに倒さないと体力がヤバくなりそうだし」
来るのが三方向に絞られたおかげで思考に余裕ができたヤヒトは、カウンターを入れるために意識を改める。
体感、レッサーウルフの攻撃は左から跳びかかってくる回数が多い気がする。
だから、意識の半分を左側、残りを右と正面の攻撃の防御にまわす。
「次に左から来たらカウンター、次に左から来たらカウンター、次に左から来たら――カウンターッ!!」
山を張っていた左側から、地を蹴り、勢いよくヤヒトに向かって来るレッサーウルフに合わせて、剣を力いっぱい突き出す。
「ギャォ――」
剣はレッサーウルフの口を捉え、喉を突き破り、右の脇腹辺りからその切っ先を覗かせる。
剣を下ろすと、レッサーウルフは真っ赤な血を流しながら、ずるりと地面に落下する。
動く気配は――無い。
「――あと二匹」
反撃、ましてや仕留められるとは思っていなかったのか、二匹のレッサーウルフは驚いたようにピタリと動きを止める。
そして、唸り声を漏らしながらゆっくりと後退し、
「あっ! 逃げんな!」
「ワフッワフッ! キャイーン!」
分が悪いと判断したのか、一目散に撤退していくレッサーウルフ達。
ヤヒトも追おうとするのだが、さすがに狼の足の速さには追い付けるはずもなく、みるみるその距離は広がっていく。
「ヤヒト止まれ。――よっと」
リーナの声に反応してヤヒトが足を止めると、顔のすぐ横をヒュンッという風切り音を鳴らしながら何かが通過する。
間もなくして、「キャンッ!」という短い悲鳴と、ドザァという土の地面を擦る音。
――レッサーウルフが二匹とも絶命していた。
「ま、まじかー。あんな簡単に倒せんのかよ。ならリーナ一人で――。いや、俺の特訓のためか」
「よし! ヤヒト、レッサーウルフ持ってこい。この林抜けて少し行ったとこにある村で売るから。んで、そこで今日は一泊する」
「おう」
盾と剣をしまい、短く返事をしたヤヒトは、小走りに倒れたレッサーウルフに近づく。
風切り音をさせて飛んだリーナの短剣は、それぞれレッサーウルフの頭部に命中していた。
頭部を貫けば大抵の獣は瞬殺だ。
それに、胃や腸などの内臓を傷つけないため可食部が汚れないし、毛皮も綺麗にとれるので高めに売れると解体所のアルドに言われたことをヤヒトは思い出す。
「――じゃあこれ狙ってやってんのか。ベテランの冒険者ってすげえな」
「おい早くしろー! 日が暮れるぞ!」
「わかってるよ! 急かすくらいなら手伝ってくれればいいのに」
ヤヒトはレッサーウルフを一匹ずつ両脇に抱えて運ぼうとするが、これがなかなか難しい。
死んだ生き物は重心のせいなのか実際の重さよりも余計に重く感じる。
さらに、乾いていない血のせいで手から滑り落ちそうにもなるため、何度も止まって持ち直さないといけない。
そんな調子のヤヒトに呆れたのか、面倒くさそうに頭を掻きながらリーナが馬車から降りる。
「ったく、もたもたすんな。ほら、一匹よこせ」
「いや、最初から手伝ってくれよ」
「ああ? 元々お前の分だろ」
「そりゃあ、まあ」
リーナはレッサーウルフの頭から短剣を抜き取り、血を払って腰のホルダーに納めると、ヤヒトからレッサーウルフを一匹受け取る。
直後――、
――――ヒュバサァ!
「――っ!」
「ぅおわ!?」
どこからともなく薄汚れた布が現れたかと思うと、それは瞬く間に走り去っていく。
気付いた時には、リーナの視界からヤヒトの姿は無くなっていた。




