50話 オオイノシシ討伐依頼
「ププッ! プッ!」
――ガンッゴンッ。
迫りくる骨をも砕く硬い歯をいなす。
ただ正面から衝撃を受け止めるのではなく、タイミングよく盾を引いて衝撃を上手く吸収したり、角度を付けて受け流したり。
そして、隙を見て左手の剣で――。
「っらあ!」
「プビュッ……!」
首を貫かれたオオリスは絶命し、ぐったりとぬいぐるみのように剣にぶら下がる。
「ぃよっしゃああ! 討伐完了!」
決闘後、ダグ爺さんに新しい盾と剣を用意してもらったヤヒトは、一人で討伐依頼に挑戦することで、戦い方に磨きをかけていた。
決闘のためにつけてもらったリーナの稽古は、対人戦以外でも役に立ち、あれだけ苦戦したオオリスも今回は難なく倒すことができた。
見た目の可愛さに惑わされなかったことも要因の一つだろう。
勝鬨を十分に上げおわったヤヒトは、首に突き刺した剣をグイッと動かして傷口を切り広げると、逆さまにして木に引っ掛ける。
「これでいいのかな? 地面血だらけになるけど大丈夫なのか?」
リーナに教わった血抜きというのを実践しているのだ。
こうすることで、解体せずにそのままギルドに持ち込んでも血で汚れることはないし、可食部も血生臭くならなくて済むらしい。
少し待てば絶え間なく流れ出ていた血も止まり、幾分か軽くなったオオリスが残る。
「おお、これなら町に持ってっても血塗れにならなくていいな!」
木から下ろしたオオリスを担いだヤヒトは、少し考えたあと、持ってきた革の水筒に入った水で血だまりを薄めてから町に戻る。
「そのままだと生々しすぎるから、これで良しっと」
▲▽▲▽▲▽
エレガトルの町に着き、冒険者ギルドまでの道を歩いていれば、何人かの人に声をかけられる。
「ようヤヒト! 今回は綺麗に持ってきたな!」
「ああ! 血抜きってやつを試してみたけど、これいいな!」
「おお、ヤヒト君じゃないか。今日は薬草採集じゃないのか?」
「お、薬屋の爺さん! さすがに俺だって、毎回毎回薬草ばっかむしってるわけじゃないって」
「あらヤヒトちゃん! ほら、リンゴー持って行きな。さっき仕入れたとこだよ」
「ありがと! ん、うまい!」
決闘以来、 あの荒くれ者のビリーと闘って引き分けた新人冒険者としてヤヒトはちょっとした有名人になった。
その戦いぶりから、『劣等戦闘狂』や『血濡れ野郎』、『ゾンビアタッカー』なんて不名誉な肩書きまでチラホラと浮上する始末。
救いなのは、そのどれもが正式な肩書きではないということだろうか。
微妙な顔つきのままギルドでも報告を済ませ、裏手の解体所にオオリスを持って行く。
「あ、アルドさん! 今日は窓口にいるんすね」
「おお、誰かと思えば血濡れ野郎じゃあねぇか」
「ヤヒトな! それにほら! 今日のは綺麗っしょ!?」
ドサッとカウンターに仕留めたオオリスを置くと、アルドは「ほう」と小さく漏らし、検品を始める。
重さと大きさを計り、特徴的な門歯や毛皮の状態を確かめる。
「――悪くねえ。初めて持ち込んだ時とは大違いだ。ルーキーだなんだと噂になってるが、お前さんも成長してるってわけだなヤヒト」
「まあな! さすがにリーナから特訓受けておいて成長ゼロじゃあアレだしな。それか、俺の才能ってやつかも?」
「おうおう調子に乗ってんなあ。ハッハ! まあ、やる気があるのは良いこった。だが、油断してやられるんじゃあねえぞ。――っと、そういやあ、そのリーナは一緒じゃねえのか? あいつとパーティを組むとかって話をチラッと聞いたんだが?」
「ん? ああ、なんかやることあるとかで三日間、魔獣でも倒して実戦を積んでろってさ。だから組むのは明日から? だと思う。ってことで、まだ時間あるし、もう一回くらい討伐依頼を受けてこようかな」
「そうなのか。まあ、無理すんなよ。じゃあオオリスの代金は後でいいな。頑張ってこい!」
ということで、解体所での手続きを済ませたヤヒトは、軽く食事をした後で、一応ダグ爺さんの工房に訪れ、盾と剣の状態を確認してもらう。
盾に多少の凹みや傷はあるが、問題ないらしい。
であれば問題なく連戦に挑むことができる。
回復ポーションと水を補給して、冒険者ギルドに向かう。
「アリッサさん、俺でも受けられる討伐依頼ってまだあります?」
「こんにちはヤヒトさん。今日は精が出ますね。ええと、そうですね、ランク一の冒険者が受けられるものですと――」
パラパラと討伐依頼のリストを確認するアリッサ。
ランク一で受けられる討伐は思いのほか少ない。
なぜなら、ランク一の討伐依頼というのは、村や町、人の出入りが多い場所に出没した小型の魔獣や害獣が主なターゲットとなるのだが、その獣も、毎日毎日頻繁に被害をもたらしにやって来るわけではない。
そのため、恒常的な討伐依頼というのはないのだ。
なんなら、時期によってはランク一向けの討伐依頼が一ヵ月以上出ないなんてこともあるという話だ。
「――あ、これはいかがですか?」
アリッサが見つけた依頼書をカウンターに置いて見せる。
「――オオイノシシの討伐か。オオイノシシってあれだよな。ウィルと初めて会った時の」
あんな大きなイノシシが目の前まで迫ってきたのは本当に驚いた。
大きさだけで言ったら赤黒のツノグマにも匹敵するのではないだろうか。
そういえばあの時、オオイノシシの後ろか来たはずのウィルフレッドの矢が、オオイノシシの額に命中していたのはどういうことだろうか。
「いや、ウィルの矢は魔法で曲がるんだっけ。ロックバードの時見たわ。てか、そっかあ。一人で戦うってなったらあのデカブツの突進を受け止めなきゃいけないのか。それとも上手く躱せるか?」
「あの、もしあれなら別の依頼をお探ししますよ? 実際、近接武器を主に使う冒険者の方が単独で相手にするのは難しいですから。それに、紹介してから言うのもなんですが、オオイノシシの討伐依頼はランク一からランク二の依頼に繰り上げにしようという声も上がっているんです」
確かに、あの巨体の突進を対処しながら剣で戦うのは難しそうだ。
弓矢であれば気付かれない所から狙撃なんてこともできるかもしれないが、ヤヒトは弓矢も持っていないし、使ったこともない。
「んー、まあ何とかなるか。やりますよ。ビリーよりもマシだと思うし。これも経験ってことで」
苦笑いをしながら依頼を受領したヤヒトは、無理はしないとアリッサと約束をして、オオイノシシの出没したという場所を目指す。
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「そういえば、このオオイノシシの出没場所もウィルと初めて会った辺りだ。この辺ってオオイノシシが出やすい地域なのか?」
もしかしたら近くが住処があるのかもしれない。
それとも、沼田場か餌場にでもなっているのだろうか。
泥塗れてジタバタするオオイノシシの迫力ある光景を想像しながら歩いていると、
「――けて! 誰……! ――――!」
「なんだ!? 悲鳴!? どこから――」
少し離れた所から、女性の叫び声が聞こえる。
事故か、それとも盗賊か魔獣に襲われているのか、いずれにせよ助けに行かないわけにはいかない。
道を外れ、木声を頼りに々を縫って進めば、悲鳴の他に木を激しく叩く音も聞こえ始める。
何か巨大なハンマーででも叩いているのか、ドンッダンッという音がする度に、ガサガサバキバキと枝が激しく揺れ、悲鳴も大きくなる。
ズダンッ! ガザザバキッ!
「だずげでぇええ! 落ぢるぅー!」
それぞれの音が一際大きく聞こえた時、林冠が途切れ、木漏れ日が差し込む広場に出る。
視界を遮る木が無いおかげで、状況を瞬時に理解することができた。
「オオイノシシ! 木の上に――人!」
どうやら、叩いているような音の正体は、木に何度も突進するオオイノシシだったようだ。
木の上に登っている人物は枝葉に遮られて定かではないが、ヒラヒラとした白っぽい服を着た女性――子どものように見える。
いったいどうして子どもがこんな森の中にいてオオイノシシに襲われているのはわからないが、とにかくこれを見過ごすわけにはいかないだろう。
ヤヒトは素早く盾と剣を抜き、手近にあった石ころをオオイノシシに向かって投げる。
オオイノシシの注意を木からこちらに向けるためだ。
「フゴ? ブフ、プギィイー!!」
「うおっ!」
ヤヒトに気付いたオオイノシシは、その場で二、三度地面を蹴るような動作を見せると、ものすごい速さで突進を仕掛けてきた。
その勢いに圧倒されたヤヒトは、一瞬怯むが、大きく横に跳んでそれを回避する。
目標を失ったオオイノシシは、そのままヤヒトの後ろにあった木にぶつかって止まる。
しかし、それだけでは終わらず、またすぐにヤヒトを補足し直し、その場で地面を蹴る――突進の予備動作だ。
「オオリスと違って突進は直線的だから避けやすいけど、それだけじゃ攻撃に手が回らない。かと言って盾で受け止めるのもさすがにな……。制限解除するか?」
何度も突進を避けながら、すれ違いざまに剣で切り付けたり、盾で叩いたりしてみているが、どうにも決定打に欠ける。
「プキィーッ!」
「チッ。せめてあの突進を少しでもやめてくれたら……!」
石をぶつける――ダメ。
土で目潰しを試みる――ダメ。
足を狙って攻撃する――ダメ。
色々な術を考えては試しているが、どれも凄まじい突進のせいで満足にできず、オオイノシシには薄っすらとした傷をつけるだけ。
野生で暮らすオオイノシシにとってそれくらいの傷は日常茶飯事で、気に留めるほどでもないだろう。
このまま避け続けても先に疲労してやられるのはヤヒトの方。
制限解除すれば楽に倒せるだろうが、そうしないのは、リーナに制限解除――治癒能力在りきの戦い方はするなと言われているからである。
「やられるよりはマシか。いや、でもそれじゃあ特訓にならないし。いやいや、んなこと言ってる場合か?」
制限解除をするか否かの葛藤を頭の中で繰り広げている間に、オオイノシシが次の突進を始める。
「プゴォォオ!」
「あっ……」
ほんの一瞬反応が遅れたヤヒトは、双方の汗だの血だの唾液だのが混じって湿った地面で足が取られ――。
「ぁげぇっ……!」
正面からまともに突進を受けたヤヒトは、そのまま後方の木の幹に押し付けられる。
反射的に盾を前に出したのは成長と言えるだろう。
が、この場合は正解だったのかと言えばそれは違う。
中途半端に構えたせいで、突進に耐えられなかった右手は明後日の方向に折れ曲がり、さらに木に衝突したのが決定打となった。
「ぐっうぅ……! がぁぁあああああ!!」
ブチンッ――、いや、ゴキンッ――、だろうか。
何度経験しても慣れない激痛と不快な音が、真っ赤な鮮血と共にヤヒトの脳に状況を伝える。
「ぁぁぁああああっ……!!」
「フゴォ! プキィーッ! プギィーッ!」
盾を握ったまま飛んでいく右手を視界に入れたまま絶叫するヤヒトに、オオイノシシは容赦なく追撃を加える。
木にヤヒトを押し付けたままグリグリと頭を動かしたり、中身を絞り出すように何度も圧力をかける。
「く、そが、ぁぁああ!!」
当然、これだけ命の危機に瀕すれば、ヤヒトの脳のリミッターは外れ、制限解除状態へと移行する。
ただ、それでも完全に千切れ飛んだ腕の再生には時間がかかる。
せめてこの状況を脱するために左手の剣で攻撃をしたいところなのだが、そう簡単にはいかない。
崩れた体勢で木に押し付けられているせいで手に力が入らないのだ。
おまけに、地面から足が離れているせいで思い切り蹴り飛ばすことも難しい。
オオイノシシの力が凄まじいのも要因の一つである。
ビリーと闘えるだけの怪力があっても、それは姿勢や環境があってこそ。
剣も馬鹿力も役に立たない以上、このままではじりじりとヤヒトの体力が削られて最後には――。
「だ、れか……ぁ! 助けっぇ!! 」
「フゴォ! フゴォォ!!」
助けを求める声も、押さえ付けられて満足に発することができなくては無意味である。
オオイノシシに諦める様子は微塵もなく、絶対に殺すという明確な殺意がひしひしと伝わってくる。
異世界に来てからもう何度も感じた死の気配――。
とりわけ、今回は治癒能力も最終手段である制限解除状態でもどうにもならないときた。
他の冒険者が近くを通りかかるという可能性も無きにしも非ずだが、そんな万が一になど期待できない。
まさか、ここで終わりなのだろうか――。
自分の死が赤黒のツノグマやビリーでもなく、オオイノシシによって与えられるとは思っていなかったヤヒトの脳内には走馬灯のようにこれまでの出来事が浮かぶ。
ビリーと引き分けたことや、制限解除状態の強さで自惚れていた節はある。
そんな自惚れや自責の念に溺れながらヤヒトはどうにもならない自分の死を受け入れ――――
「――まだ死ぬには早いんじゃない?」




