45話 火事場の馬鹿力と憤怒の馬鹿力
こちら、隙間時間でちょこちょこと書いているのですが、あと数話で書き溜めが尽きます。そのため、更新頻度が落ちるとことになると思いますが、ご了承ください。
「すっげえぇ! これが火事場の馬鹿力ってやつなのか!?」
盛り上がるヤヒトの目の前には、ヤヒトとリーナ二人が並んでもまだ余りあるほどの大きな倒木があった。
これは元々そうなっていたものでも、自然に倒れてしまったものでもなく、今まさにヤヒトが剣を水平に振り抜いて切り倒したものだ。
「お前、それどうやって……。火事……? いくら筋肉が付いてきたからって、この短時間でこれは――」
目の前で起きた出来事に困惑するリーナは、何かの間違いではと、倒木に近づいて切り口を確かめるが、別に木が腐っていたわけでも虫に食われて脆くなっていたわけでもなく、純粋にヤヒトの力によって切り倒されていることがわかる。
そう、技術ではなく力でだ。
ある程度の修練を積めば、幹の弱い所を見極めたり、刃を入れる角度や体の動かし方を工夫したりすることで、この大きさの木を切ることは造作もなくできるだろうが、防御の練習しかしていないヤヒトがその域に達しているわけがない。
現に、リーナの目から見たヤヒトの横薙ぎは素人同然で、剣筋もブレていれば体重も乗っておらず、木を切り倒すどころか半分もいかないあたりまで食い込んで抜けなくなるのがオチだと思えたくらいだ。
それでもこの大木を断ち切るに至ったのは、偏に技術や経験を力だけでねじ伏せた結果に他ならない。
「でもやっぱおかしいだろ! まさか、お前魔法使えたのか!?」
あまりにも急激な成長に、治癒能力以外の可能性を考え出すリーナだが、ヤヒトはそれを否定し、自分の身に起こった変化について自分なりの見解を述べる。
「――人って自分が持ってる力の五割も出せてないって話知ってるか? いや、三割だったっけ? 七割? まあとにかく持てる力の全ては使えてないらしい」
「それなら前に本で読んだことがある。確か、文字通り全力を出せば体が耐えられないから脳が制限をかけてるってやつだな?」
こっちの世界でここまで科学的な内容が本になっているという事実に多少の驚きを感じるが、そういえばリーナは筋肉の超回復のことを知っていたということを思い出し、ヤヒトはそういうものかとすぐに受け入れて話を続ける。
「そうそう。んで、その制限は命が危機に瀕した時なんかに外れることがあるらしいんだけど、多分それだと思う。今の俺の状態」
「……なるほど。にわかには信じがたいが、確かに魔法を使った様子はなかったからな。でもそれって大丈夫なのか? 安全装置が機能してないままでそんなに動いたりしてたら体がボロボロになるんじゃないのか? いくら治癒能力があるからって、動く度に損傷してたら間に合わないだろう」
「あーなんか治癒能力も上がってるっぽいんだよな。これに関しては何でかはわからないけど。木を切った時も腕とか肩からブチッとかゴキッみたいな音鳴ったけど痛みも感じなかったし、怪我になってるわけでもないし」
腕をグルグルと回したりピョンピョンと飛び跳ねるヤヒトを見て、リーナはひとまず安心したのかほっと胸を撫で下ろす。
「もしかしたら、ツノグマを倒した時のお前もその状態になってたのかもな。ペッカ特製の爆火魔石を素手で持って直接殴りつけるなんてこと普通はできないし。――よし! じゃあその状態でどれくらい動けるかちょっと試すか!」
「ああ頼む! さっき言った通り、俺の体のことは気にせずに盾が壊れないくらいの――――」
「あっ! おい、どうした! おいっ! ヤヒト――!!」
▲▽▲▽▲▽
「おうおう! だいぶ動けるじゃねぇか!」
「ぐっ……! なんつぅ力してんだよ! 脳のリミッター外れてんのか!?」
命を脅かす程のビリーの猛攻により、脳の安全装置が外れたヤヒトは、まるで別人のような動きでビリーの攻撃に対応する。
この安全装置が外れた状態をヤヒトは『制限解除状態』と仮に呼んでいる。
制限解除状態は、肉体の筋力を最大限に使えるわけだが、それでもビリーの怪力とようやくトントンといったところ。
それも、全力で戦っていないビリーの力とだ。
ランク五の冒険者との格の違いを最もわかりやすい形で実感するが、だからと言ってここでギブアップするわけにもいかない。
リーナを悪く言われたことが気に食わないのもそうだが、今はそれ以外にも思うところがあるからだ。
単純にこの一週間の特訓を無駄にしたくないし、デュアン達が馬鹿にされたのも腹が立つし、何より、治癒能力の一端を公の場で晒してしまったのが大きい。
きっとこの決闘の後は、『新人冒険者があの荒くれ者のビリーと渡り合った』なんて話題が脚色を経て広まるのは想像に容易い。
そうなれば、ヤヒトに興味を持つ人も増え、延いてはヤヒトの能力について何かしら疑問を持つ人だって現れてもおかしくない。
治癒能力のことはヤヒトにもまだわからないことばかりだし、これに説明を求められたり利用しようと悪者が近づいて来られたりしても困る。
だから、ヤヒトはこの決闘に負けるわけにはいかない。
「――んで、リーナとパーティー組めば面倒なやつらも寄ってこないだろ」
「何ぶつぶつ独り言言ってやがる! もっと集中しねえとすぐに死んじまうぞぉ!」
「死んじまうぞじゃねえ! 殺すな! 普通に! この筋肉ゴリラ!!」
「ぐぬぅ!?」
ヤヒトは棍棒の横振りを屈んで躱すと、そのままビリーの懐に潜り込み、柄頭で鳩尾を突く。
ここにきて初めてまともな反撃を許したビリーは、驚きで一瞬動きが止まる。
それを好機と見たヤヒトは回避から攻めに転じる。
「っらあぁ!! っの野郎!!」
強靭な筋肉の鎧に覆われたビリーの体は、剣で切り付けても表面が薄く切れるだけでまともに刃が通らない。
それでも、衝撃までは筋肉だけで殺しきれないようで、ヤヒトが打ち込む度に、ビリーは小さく苦悶の声を漏らしながら徐々に後退していく。
完全に立場が入れ替わったヤヒトとビリーに観客のボルテージも少しづつ上がり、決闘開始直後のような賑わいが会場に戻る。
「いいねいいねぇ! やっぱり戦いはこうでなくっちゃなぁ! ふぬぅあああ!!」
「うお! 硬ッ!」
会場だけでなく、ビリーまで気持ちが盛り上がってきたのか、イライラしていた顔が満面の笑みに変わっている。
このままずっと防戦一方になっていてくれた方がヤヒトにとってはありがたいのだがそう簡単にはいかず、ビリーが気合を入れると、ただでさえ堅牢だった筋肉の鎧は更に硬度を増し、ヤヒトの剣を簡単に弾いてしまう。
幸い、制限解除された握力のおかげで剣を手放さずに済んだが、硬い金属を棒で叩いたときのように手がビリビリと痺れ、ここでヤヒトのラッシュが中断されてしまった。
ご機嫌なビリーと険しい顔のヤヒト――互いに睨み合いながら次の攻撃の機会を探る。
そんな拮抗した状況でさえ、今の観客にはよいスパイスとなってより一層の盛り上がりを見せる。
しかし、そんな熱狂する観客の中、通路から二人の決闘と手に持った時計を交互に見るリーナの顔は少し曇っていた。
「決闘の残り時間五分……。それまで持つかヤヒト……?」
このまま何も起こらなければ、無事、制限時間を迎えて引き分けることができるだろうが、ビリーがそんな結果で終わらせるとは思えない。
きっと最後は魔力を使ってでも一気に潰しに来るだろう。
そうなれば、いくら制限解状態のヤヒトといえども簡単にねじ伏せられる。
だが、リーナが気にしているのは勝ち負けではなく、あくまで時間である。
それも、決闘のではなく、制限解除状態の残り時間だ。
制限解除状態では動く度に体が壊れるが、その都度治癒能力で治すということを繰り返している。
また、攻撃を受けてできた怪我も同様に、通常時よりも早く、ほぼノータイムで治癒できる。
つまり、肉体的には無敵と言ってもいいほどの破格なパワーアップである制限解除状態だが、いくつか欠点が存在する。
その一つが制限時間、正確には体力の消耗だ。
そもそも、怪我を治すのにはエネルギーを消費する。
小さな擦り傷程度なら特に気にしない程度のエネルギーで治るだろうが、大怪我になればそれを修復するだけの大きなエネルギーが要る。
ヤヒトの治癒能力も例外に漏れず、治癒にはエネルギーを必要とするのだが、そのせいで、腕や足が千切れるような大怪我を何度も治した後は、疲労が限界を突破して突然気絶してしまうなんてこともある。
では、動く度に自壊する体を治癒しなければならない制限解除状態はどうだ。
動いて擦り傷が増える程度であれば問題無いかもしれないが、実際は、骨が折れたり筋肉が断裂したりしているわけで、それを絶えず治すのに要るエネルギーは膨大。
おおよそ七分――それがヤヒトの制限解除状態が持続できる時間だ。
決闘の残り時間と制限解除状態になった時間を考えれば持続時間内に収まる計算なのだが、七分というのはあくまでも制限解除状態で攻撃を受けず、動きも最低限に留めた場合に持続できる時間だ
無理な動きや受けた傷が増えれば、それだけ治癒にエネルギーを割いてしまうことになり、持続時間が短くなってしまうのも当然のこと。
ヤヒト自身、消耗をできるだけ抑えようとしているのだが、盾を失ったせいでビリーの攻撃を捌くのにかなり苦労している。
おそらくかなりのエネルギーを消耗していることだろう。
「ガキぃ、他の魔法は使わねえのかぁ? それとも使えないか? 早く俺を倒さないともうすぐ決闘の時間が終わっちまうぞぉ!」
そう言うと、ビリーは唐突に持っていた棍棒を空高く放る。
「――――」
ブオンブオンと音をさせながら縦回転する棍棒に気を取られたヤヒトの隙を突いて、ビリーはその巨体からは想像できないスピードで一息に間合いを詰めると、
「ぬぅん!!」
「ぶっ……!!」
勢いそのままに、大きな肩をヤヒトにぶつけたビリー。
ショルダータックルやショルダーチャージと言われる攻撃は、シンプルながら、全身の筋肉を使って行う攻撃であるため、かなりの威力がある。
それも、ビリーの重さと速さ、筋肉の硬さまで合わさるとなれば、もはや大型重機による一撃と遜色ない。
骨が砕ける耳障りな音と内臓が破裂した激しい痛み――。
ブレる視界の中、体の損傷は瞬時に治癒されるが、圧迫された胃から逆流した胃液が喉と鼻の粘膜を焼く。
「くそっ!!」
追撃されることを警戒したヤヒトは、後方に大きく跳んでビリーと距離を取る。
視界の端で砂時計を確認すれば、もう残り時間はほんの少し。
「あと三分くらいか? あー、キツ……」
今の突進のせいでかなりのエネルギーを消費してしまったヤヒトはポロリと本音を漏らす。
ヤヒトが言った通り、あと三分耐えれば決闘は終わりを迎えるのだが、このままでは制限解除状態が持たないのだ。
――感覚的には残り一分程度。
もしかしたらもっと短いかもしれない。
頭が熱くなり、アドレナリンなどによって誤魔化されていたであろう痛みをじわじわと感じ始めるのが制限解除状態が終わる兆候である。
「こっからノーダメで凌いでても決闘のタイムアップまで間に合わないし、かと言ってバチバチに戦ってもこっちの体力が削られて負けが早まるだけ。こっちにビリーを倒す手段がないなら、何とかして時間を稼がないとか……」
「また独り言かぁ!? もう時間が無えぞ! 早く俺を倒さないとお前が死んじまうぞぉ! ハハァ!!」
笑いながらビリーは指でヤヒトの上を指す。
また気を引くための誘導である可能性もあったが、不幸中の幸いとも言うべきか、残り時間のことで頭がいっぱいのヤヒトはそんな考えも抱くことなく反射的に上を向く。
見えたのはすぐ目の前に迫る重力に引かれたビリーの棍棒。
たまたまか、それともヤヒトが後退することを見越してか。
ビリーの反応を見るに後者だろうが、荒くれ者だの筋肉ゴリラだのと呼ばれてはいるが、流石はランク五の冒険者。
冷静であれば、相手の行動を読んで攻撃するというくらいはできる頭があるらしい。
「くっ!」
咄嗟に横に転がるように避けるが、避けた先にはいつの間に移動したのか、拳を構えるビリーの姿。
無理な体勢で回避を続けようとしたせいで足が明後日の方向に折れ曲がる。
「おっと運が良いなぁ。限界かぁ?」
「あガあァぁ!?」
堪らず倒れ込むヤヒトのすぐ上を砲弾でも通過していったように空気が唸る。
ヤヒトがここで転ぶのはビリーも予想外だったようで、彼の言う通り運良くその鉄拳に当たらずに済んだ。
しかし、だからと言って状況が好転するわけでもなく、早く立ち上がって距離を取らなければまた一方的に叩きのめされることだろう。
いや、叩きのめされるどころか、今のヤヒトの体力では治癒が追い付かずに死ぬ可能性のほうが高い。
「――――」
時間もないし、攻撃しても筋肉の鎧に阻まれ、耐久するだけの体力も残っていない。
絶体絶命の今だからこそヤヒトはあの択を思い出す。
ひしゃげた足を治癒して立ち上がり、睨み付ける。
戦うことが大好きで、感情の起伏が大きいビリーならこうするだけで、
「おぉ、いいねぇ! 諦めないのはいいことだぜぇ! っても、ここまでこてんぱんにボコられても格の違いがわからない馬鹿って可能性もあるか? ハハハハハハアァ!!」
「っらああああぁぁアアァ!!」
予想通り、ビリーが大口を開けて笑い出した瞬間、ヤヒトは全ての力を出し切るつもり地を蹴り、前方に跳ぶ。
「――ハヴァッ!」
ドチュッという柔らかく湿り気のある感触がヤヒトの手に伝わる。
ビリーの口から手を突っ込んで喉奥を殴りつけたのだ。
堪らず、ビリーは大きく後ろに仰け反って激しく咳き込むと、ゲェゲェと吐瀉物を撒き散らしながらその場をゴロゴロと転げ回る。
「剣も爆弾も効かないような硬い奴なら戦ったことがあんだよ――」
残り時間僅かにして、ようやく有効打を与えたヤヒトに観客が沸く。
ただ、ヤヒトにはここから追撃を与える術もなければ、飛び出した反動で折れた足の骨もまだ治らない。
剣を支えに立っているのがやっとであるヤヒトにできることといえば、ビリーが悶えている間に決闘終了の合図がかかるのを祈ることだけ。
そんな小さな希望も、こめかみに血管を浮かべたビリーがゆらりと立ち上がる姿で、祈りは神に届かなかったのだと失望に塗り替わる。
「がギがァ! ヂョウじに乗りやガッでェぇえぇ!!」
「――――」
潰れた喉から発された叫びは演習場全体の空気をビリビリと揺らし、その怒気をはらんだ気迫に当てられた観客からは嘘のように活気が消え去り、まるで時が止まったように動きを止める。
ゆらゆらと陽炎のようにビリーの肉体から立ち上るのはただの熱気かそれとも湯気か。
否、そのどちらでもない。
おそらくあれは――魔力だ。
武器に魔力を纏わせる時は、ぼんやりとした光に包まれるものだとヤヒトは思っていたが、一概にそうとは限らないのだろう。
それとも、怒りのせいで使うつもりがなかった魔力が無意識に溢れてしまったということもあるのだろうか。
いずれにせよ、ただのフルスイングで盾を砕き、肉を潰すほどのビリーの力に魔力まで加わるとなれば、その威力はいったいどうなってしまうのか。
「ィッヅ!」
せめてこの場から動かなければと力を込めるが、砕けた足の骨がまだ治っておらず、鋭い痛みが走り抜ける。
切れかけた制限解除状態では、もう痛みを誤魔化すこともできず、その苦痛と疲労で今にも意識を手放してしまいそうだ。
フゥフゥと荒い息を吐きながら獣のように血走った眼をするビリーに赤黒のツノグマの姿が重なって見える。
抵抗する術も状況を打破する隠し玉も残っていないヤヒトは、ここまでの決闘で一番濃い死の気配に無意識に体が震える。
過去吸になり、嘔吐しても、激昂したビリーはヤヒトに慈悲を与えることはない。
「ぶっゴロず! ブッこロズ! ぶっ殺ず! ブッ殺ず!! 死ねえええぇぇぇぇ!! ガギいぃぃいぃぃいい!!!」
「――――」
地面が爆ぜるほどの脚力で地を蹴ったビリー。
歪んだ空気の尾を引く棍棒が、通った空間ごと押し潰しているかのような勢いで、身動きの取れないヤヒトに向かって進撃する。
このような素人作にも目を向けてくださる読者の方々、本当にありがとうございます。




