40話 決闘は一種の祭り
名前も知らない小鳥のさえずり、庭先を掃除する近所の住人の話し声――。
窓から差し込む光の若干の鬱陶しさでアマモリ・ヤヒトは目を覚ます。
パタパタと忙しいシリルの足音が聞こえる一階からは、朝食の良い香りがヤヒトの居る客室まで届く。
「――――」
大きなあくびをしながら時計を見れば、おおよそいつも通りの起床時間――と言っても、この世界の時計の見方がわからないため、朝起きた時の時計の状態が大体この見た目であるからそうだろうと思っているだけだが。
何にせよ、これらが日常であると思えるのは、それだけエレガトルの町での生活に慣れてきたということだろう。
「緊張で眠れないかと思ってたけど、普通にぐっすりだったな」
ベッドの上で軽く伸びをした後、寝間着から着替えて階段を下りてすぐの食堂に向かう。
すると、ちょうど配膳を終えて朝食を取ることろだったのか、シリルとサラが食卓についたところだった。
「あ! おはようございますヤヒトさん!」
「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
「おはよう、シリル、サラさん。俺も緊張で眠れないかと思ってたんですけど、横になったらいつの間にか寝てました」
こうして軽く朝の挨拶を交わして食事を摂るのも、この宿屋鈴の音に住むようになってからの日常の一つだ。
そして、ここからがいつもとは違う非日常になる。
「……いよいよ今日ですね」
おはようを言った時の元気とは思えないほど、不安に満ちた声色でシリルは言う。
サラも言葉にこそしていないが、その表情からヤヒトへの心配がうかがえる。
無理もない。
今日はエレガトルの実力派荒くれ冒険者のビリーとの決闘の日なのだから。
「そうだな。でも、そんなに心配しなくても大丈夫だって。そのためにこの一週間頑張ってきたからな」
「でも――」
「シリル、ヤヒトさんはこの後大変なんだから、朝食はゆっくり食べさせてあげなさい」
「んー! んー! ヤヒトさん! 私はヤヒトさんには頑張ってほしいと思ってます! もちろん勝ってほしいです! でも、それよりも怪我をしてほしくないんです。できることなら闘わずに済んでほしいというのが一番の願いですが、それが無理ということもわかってます。ええと、だからと言って降参してほしいというわけでもなくて……。えっと、あれ? えっと――」
サラに諭されるが憂う気持ちが収まらないシリル。
かといって、ヤヒトやサラに反論するには分が悪いというのも理解できてしまう賢いシリルは、迷った末に、とりあえず自分が思っていることを吐き出すという選択を取った。
が、頭の中では整理がつかず、最後には結局何が言いたいのかがわからなくってしまう。
だが、言葉にならなくてもその必死さで、気持ちは十分ヤヒトに伝わる。
「ありがとシリル。――そうだ! 今日の夕食はシリルが作ったシチューが食べたいんだけど、頼めるか?」
「――はい! もちろんです! 腕によりをかけて作らせていただきますね!」
サラには後は頼んだと言うように、少し申し訳なさそうな笑みを送ったヤヒトは一度部屋に戻り、準備を整えて鈴の音を出る。
「おう、よく眠れたか?」
宿屋の外には、大きなあくびをするリーナが待っていた。
「おはよ。すげえよく眠れたよ。そっちは何か眠そうだな」
「ああ、昨日は久しぶりに遅くまで飲んでたからな。朝に目を覚ましたことが奇跡だ。――で、体の調子はどうだ?」
「悪くはないって感じだな。特別良くもないし、まあ、いつも通り?」
両手でガッツポーズをするヤヒトにリーナは「そうか」と一言。
「あのさ――」
「ん? どうした?」
「万が一死んだらアレだから最初に言っとく。負けたらごめん。――ああいや、勿論死ぬつもりはないけど、決闘で命を落とす人って珍しくはないって聞くし……。うわぁ、やっぱやめようかな……。ビリー怖いし」
「――――」
ガインッ――
「っぶね!」
予告もなくいきなり切りかかってきたリーナの短剣を咄嗟に背負ったままの盾で受け止める。
閑静な通りに響く大きな金属音に、掃除をしていたおばさんが「キャッ」と小さな悲鳴を上げるが、それがヤヒトとリーナの仕業であることを察するとホッ胸を撫で下ろして掃除を再開する。
「うん、反応も悪くないな! なあに、心配するなって! この一週間で大きく成長したんだ。死ぬことはねえよ。むしろ――」
「そうは言ってもさ。純粋な力はリーナよりビリーのが上だろ? 攻撃事態は盾で防げたとしても衝撃とかがさ。ああ、何か今になって緊張してきた! どうしよう! やりたくねえ!」
一週間の特訓のおかげで盾の使い方もだいぶ様になったし、治癒能力についてもいくつかわかったことがある。
リーナの特訓が無駄だとは決して思わないが、それで本当にビリーに対抗できるのかはわからない。
せめてシリル達には心配をかけまいと、ずっと大丈夫だと口に出してはきたものの、実際はヤヒト自身が不安を誤魔化すためという意味合いの方が大きかった。
そんなだましだましの自己暗示も当日には意味を成さず、抑え付けていた不安が大きく膨らみだしてしまう。
「今頃うだうだ言ってもどうにもならないって。ちょっと早いど演習場に行って準備でもしとこうぜ」
「うわぁ、もうほんとにヤダ。てか、何で俺がビリーと闘うことになるわけ? そもそもその流れがおかしいよね? あーもーヤダなぁ!」
子どものように駄々をこねるヤヒトをリーナは引きずって歩く。
自分からは足を動かそうとしないが、抵抗もしようとしないあたり、ヤヒトもビリーとの決闘を避けられない運命を受け入れてはいるのだろう。
今日は、町の雰囲気もいつもと違う気がする。
ヤヒトの気が重いせいでそう感じるだけなのか、心なしか人の往来が少ないように見える。
「おっ、もう結構集まってるな!」
不意にリーナが言った。
何のことかとヤヒトがリーナの向く方を見れば、今日の決闘の場となる演習場――その前にある広場には大きな人だかりができていた。
また、ざわめく人の隙間からはいくつかの出店も確認できる。
「なあ、リーナ。今日ってなんか祭りでもあるのか? そんな日に決闘なんてするもんじゃないんじゃないよな? 帰ろうか?」
「いや帰らねえよ」
疑問と一緒に要望もぶつけてみたが、当然、受け入れられることはなく、一言で一蹴された。
その間も足を止めることなく、ヤヒトを引きずったまま、リーナは人混みをかき分けて進む。
「おい、今日はどっちが勝つと思う?」
「当然ビリーだろ!」
「俺もビリー!」
「だよなあ。聞く人聞く人ビリーばっかりだ。まあ、そう言う俺もその一人なんだがな。こりゃあ、賭けにもなんねえんじゃねえか?」
「誰か新入りの方にも賭ける奴いねえのか? 一応、特別に引き分けの場合も新入りに賭けてるやつの勝ちになるって話だが」
「だとしてもだろ! あのビリーと引き分ける新入りなんかがいてたまるかよ!」
途中そんな会話も聞こえてきたが、もしかしてこの人だかりは今日の決闘を見に来た観客なのだろうか。
仮にそうだとして、傍から見ても、やはりビリーが勝つのが当然という認識らしく、ヤヒトが赤黒のツノグマを倒せるような凄腕冒険者であるとは誰も思っていないらしい。
ヤヒトとしても赤黒のツノグマの件、延いては治癒能力のことはあまり公にしたくないためそれでいいのだが、こうまで下に見られると少し切ないと感じる心もあったりする。
やっとこさ人の波から抜け出すとそこは演習場の入口。
出店のある広場程ではないが、ここも多くの人でひしめき合っている。
そんな中、見慣れた、いや、忘れられない顔が一つ――。
「あっ! お前!」
細い体に人を馬鹿にしたような笑い顔――エレガトルに着いた日にヤヒトをボコボコにして金を奪ったチンピラ三人組の一人だ。
その後、一度ギルドで再会した時に、恨みを晴らすチャンスはあったのだが上手く逃げられてしまった。
その日を境に、向こうも警戒しだしたのか、めっきり姿を見かけることもなかった。
そのせいで、ぶつける先が無くなった不完全燃焼の感情がずっとヤヒトの心の底で燻り続けていた。
それが今、あの日と変わらない腹の立つ笑みを浮かべた本人が目の前に現れたのだから、当時覚えた恨みや怒りが再燃してもおかしくはない。
「あ……。し、しばらくぶりだな兄ちゃん! 元気にやって――」
「おらぁ!」
「ひゃっ!!」
反射的に殴ろうとするヤヒトだったが、リーナに掴まれているせいで拳は相手に届かない。
「おおっと! こんな人混みで争いはなしですぜ! 落ち着きなよ兄ちゃん! な?」
痩せ男は殴られる心配がないとわかると、冷や汗を拭ってヤヒトを宥めにかかる。
しかしそれは逆効果で、むしろヤヒトの怒りを煽る結果となる。
「何が落ち着けだ! 人混みが嫌なら建物の裏にでも来いや! ボコボコに殴らせろ! 金返せ!」
バタバタと暴れるがリーナの拘束から逃れることはできず、ヤヒトの手は痩せ男の目の前で空気を引っ掻くだけにとどまる。
すると、いい加減このレベルの低い争いに呆れたのか、リーナはポーチから袋を取り出すと痩せ男に渡す。
「お前、確かポルロフのとこの奴だな。外でこのヤヒトとビリーのどっちが勝つか賭けをやってるから、それ全額ヤヒトに賭けといてくれ。当たったら二割くれてやる。ちょろまかしたら――」
「り、了解しやしたー! それじゃ俺はこの辺で!」
最後は敢えて言葉にせず、腰の短剣に手をかけたリーナを見た痩せ男は一目散に広場に走って行った。
「おい! 逃げんな!」
「暴れんな! お前はこっち!」
痩せ男を追おうとするヤヒトを抑えつけ、リーナは演習場の中に入っていく。
通路にも相変わらず人が多いが、どうやら通路の奥を目指すリーナ達とは違い、途中にある階段に向かう人がほとんどで、人混みから抜けた後は楽に移動ができた。
「いい加減この通路広げたほうがいいだろ。それか観客用の階段は外に付ければこんなにギュウギュウにならなくてもいいだろうに――」
「――おお! ビビらずにちゃんと来たなぁ! いくら弱くても一端の冒険者ってわけだ!」
リーナの愚痴を掻き消すような大声が狭い通路を反響する。
痩せ男に後ろ髪を引かれるヤヒトもビクリと体を跳ねさせ、慌てて声のする方に目をやれば、腰に手を当て、通路の真ん中で仁王立ちするビリー。
その表情は余裕に満ちていて、圧倒的格下である新人冒険者ごときには万が一にも負けるはずがないと確信しているのが伝わってくる。
「おう、早いなゴリラ。緊張で眠れなかったか? まあ無理もないか。ランク五の冒険者ともあろうものが新人冒険者に泥を塗られるなんてことがあったら恥ずかしいなんてもんじゃないからな」
「馬鹿! あんま刺激すんなって!」
いきなり煽りだすリーナに注意をするが、言葉を吐ききった後では意味がない。
ビリーの表情からは厳つい笑みは消え、代わりにこめかみに血管が浮き出る。
「ほら! 怒ってるって! 謝れ! すいません、リーナが適当言って! でも流石にわかりますよね? 俺とじゃ戦いにすらならないって」
「戦いにすらならないだぁ!? 言ってくれるじゃねえか! このガキィ!」
「いやそうじゃないって! 俺のが弱いって意味な!?」
宥めようとしたはずが、言葉のすれ違いでビリーの怒りを加速させる。
辛うじて理性は保っているようだが、これ以上刺激すれば決闘開始前に流血沙汰になってしまいかねない。
そうならないためにも、ヤヒトはリーナの肩に手を置いて、これ以上何も言うなと念を送る。
すると、それが伝わったのか彼女は鼻から小さく息を吐くと、
「そうカッカするな。どうせあと十分もすれば思う存分やりあえるだろ。行くぞヤヒト」
「え、もうそんだけしか時間ないの!? あ、おい!」
通路の真ん中を陣取るビリーの横を抜けて、奥にある控え室にスタスタと臆することなく歩いてい
く。
ヤヒトは置いて行かれないように慌てて後を追うが、ビリーとすれ違う瞬間にチラリと様子をうかがってみれば、向こうも血走った眼でヤヒトを睨み付けていた。
「――――」
身震いしてしまうほどの恐怖に、逃げるように控え室に駆け込めば、「どうした?」と首を傾げるリーナ。
誰のせいだと言ってやりたいところだったが、決闘の開始までの時間が迫っていることを思い出してグッと堪える。
まさか人混みをかき分けて進んでいるうちにそんなに時間が経っているとは思わなかった。
今は最後の作戦会議に時間を割くのが最善だろう。
「――何かめっちゃ怒らせちゃったけど、あれで良かったんだよな?」
「ああ。あれだけ頭に血が上ってればあのゴリラは単調な大振りしかしてこないはずだ」
そう、ビリーを決闘前に怒らせるのは計画通りだった。
時間いっぱい耐え続けるという作戦だが、ビリーの攻撃の直撃を避け、盾で受け切るというのが大前提である。
そのため、気性の荒いビリーを挑発して怒らせることで決闘中の思考を削り、攻撃の軌道を少しでも読みやすくしようというのがリーナ策である。
また、頭に血が上れば夢中になって攻撃するせいで、残り時間を気にする思考もなくなるだろうというメリットも考えられる。
「ただ、その分力任せの攻撃が多くなるから、しっかり防ぐ度に治していかないとあっという間に潰れるぞ。避けられそうなら無理に盾で受けないで避けたほうがいい」
「おう、わかってる。――けど、潰れるとか怖いことは言うな! 士気が下がるだろ!」
「ハハッ。悪い悪い。さ、そろそろ時間だ。気を引き締めていけよ! 最悪あたしが止めるから死ぬことはないから。ま、その最悪はないだろうけど……」
「ぃよしっ! やってやらぁ! これが終わったら一番高い肉とか奢ってもらうからな!」
最後のミーティングを終えたヤヒトは頬を叩いて気合いを入れると、控え室の重い扉を開ける。




