34話 思わぬ訪問
施設の前にはカウンター付きの大きな窓口が設けられており、そこで持ち込んだ魔獣の解体や買取の手続きをするようだ。
今も三人の冒険者が順番を待っている。
窓口は四つあるのでそう待たなくてもすぐに順番は回ってくる。
「次、そこの兄ちゃん!」
「は、はい!」
アリッサは大丈夫だとは言っていたが、本当にこんな血塗れのオオリスを買い取ってもらえるか少し不安で緊張する。
ガタイが良いおじさん職員は、ワイルドな無精ひげをわしゃわしゃと触りながら、ヤヒトの顔を見てニカリと笑う。
「何だ兄ちゃん、見ねえ顔だな! 新米か? にしても目つき悪いなぁ!」
「え、あ、はい。ヤヒトっていいます。まだランクも一です」
「そうかいそうかい! 俺は普段は奥で解体をやってるんだが、暇なときはこうして窓口にも立つ。名前はアルドだ。――で、今日はどうした?」
「あ、初めて討伐依頼を受けたんですけど、俺魔獣の解体ができなくて」
「なるほどな! 新人あるあるだ! どれ、持ってきたやつ出してみろ!」
アルドに促され、オオリスの入った袋をカウンターに置く。
「どれどれ……。おお、オオリスかぁ! こいつなら解体も時間がかからないからすぐにできるぞ! 手数料も銀貨一枚だ。まあ、今回は初めてってことで、初討伐成功も兼ねて特別にタダでやってやる!」
アルドはオオリスの血でカウンターが汚れることなど微塵も気にせず、触ったり持ち上げたりして状態を確認していく。
「ほんとですか!? ありがとうございます! 助かります! ちなみに、これ解体したらそのまま売りたいんですけど、それも大丈夫ですか?」
「ああ勿論だ! 多分この大きさのオオリスなら銀貨十五枚ってところだろうがいいか?」
「はい、お願いします」
「よしきた! じゃあ、三十分後にまた来てくれ。金のやりとりはその時にまとめてするからよ」
気さくなアルドのおかげで、やりとりは何の問題もなくとんとん拍子に進んだ。
解体しているところを見学できるらしく、見てみたい気持ちもあるのだが、それよりもまずは体を綺麗にしたい。
さすがにずっと血塗れでいるわけにもいかないし、シリルもお風呂を沸かしてくれていることだ。
ヤヒトは周りの人達の視線も気にしながら、そそくさと鈴の音に帰る。
「シリルただいまー。お風呂ってもう入れる?」
「ヤヒトさんお帰りなさい! お風呂の準備はできてますけど、ヤヒトさんに用事があるっていう方が食堂で待っているので、先に少し顔を出してもらえますか?」
「うん? わかった。どうせ着替えも部屋に取りに行くし」
客室のある二階に行くには食堂の隣にある階段を使うため、ついでに寄るのは苦ではない。
しかし、わざわざヤヒトを尋ねてくるなんて、いったいどこの誰だろう。
ウィルフレッドは別の国に行ったし、セツナやアクラがオニガ村から出て来るとは考えにくい。
また、もしもセツナやアクラなら、前もって便りの一つくらい送ってくれるはずだ。
しかし、それ以外にヤヒトを知っていて、訪ねてくるような人に覚えがない。
「すいませんお待たせして。今戻りまし――」
「……よう。元気か?」
少し低めの声でぶっきらぼうな話し方。
待っていたのは、肩まで伸びた赤い髪を後ろで括った見知った女性――リーナだった。
リーナとはオニガ村で喧嘩――というより、怒らせてしまってから一度も会ったことがなかった。
本当のところを言うと少し、いや、かなり気まずい。
「ま、まあ、元気ではある。えっと、り、リーナ、だよな?」
「何だ? お前は三十日もあれば人を忘れられるのか? それともあたしの印象が薄かったか?」
どう話していいのかわからずまごついていると、リーナがムッとした顔をする。
「いや、違うって! ちゃんと覚えてるから――っていうか、忘れられないだろ……」
「……そうか」
そもそもリーナと会ったのはあの赤黒のツノグマとのことがあったからで、それを思い出せば、当然、デュアン達のことも――。
忘れられるはずがない。
とてつもなく長く感じられるほんの数秒の静寂が二人の間に流れる。
先に沈黙を破ったのはリーナだった。
「あー、急に来て悪いな。ここにお前がいるのはさっきたまたま知った。すごい目立つ格好で少女の手を引いて人気のない場所に連れ込む不審者がいると聞いてな。それがまさかヤヒト、お前だとは思わなかったけどな」
「あぁ……。なるほど。何か、迷惑かけてごめん」
ヤヒトはカピカピに乾いた返り血塗れの服に視線を落とすと、何とも言えない表情を浮かべる。
「いや、いい。むしろ丁度よかった」
「丁度いい? それってどういう意味だ?」
「うん。そうだな。じゃあ、本題に入ろう」
リーナは、シリルに出されたのであろうお茶を一口飲むと、ヤヒトの目を真っすぐに見て話し始める。
「お前、冒険者になったんだな。武器は、片手剣と盾――まるで誰かさんみたいだ」
「……武器は今日買った。なんとかオオリスの討伐はできたけど、戦うのって難しいな」
「あの赤黒のツノグマを殺したやつが何を言ってんだ」
「そ、それは……」
「冗談だ冗談。で、お前の馬鹿みたいな治癒能力はまだ健在か?」
「治癒能力――」
使えるかという質問にはどう答えるのが正しいのかヤヒトにはわからなかった。
なぜなら、この能力についてはヤヒト本人でさえ詳しく知らないからだ。
「少なくとも。今日はまだ能力が発動した」
そう言って、生え変わった右手の人差し指をリーナに見せる。
「釈然としない言い方だな。『少なくとも』とか『まだ』とか」
「オニガ村でも言った通り、こんな能力があるなんて知ったのはごく最近だ。それまではこんなことはなかった。怪我をしたら数日掛けてゆっくりと治っていく。指がもげたら生えてこないし、首が飛んだら当たり前に死ぬ。それが当たり前だったし、今もその認識は変わってない」
「――――」
また怒らせてしまわないかと、一度話を切ってリーナの様子を窺うが、オニガ村の時とは違い、今回のリーナはヤヒトの話に耳を傾けてくれているようだ。
一先ず安心したヤヒトは話を続ける。
「確かにこの能力は破格の性能かもしれない。でもこの能力に頼り切っていいのかもわからない。怖い程の治癒能力に対するデメリットは、回数制限の有無は、自分の意思で使う使わないを選択できるのか、そもそも何で突然俺にこんな能力が――。わからないことが多すぎるんだよ」
「それならナイフとかで軽い切り傷でも付けて試したらいいだろう?」
「さっきも言ったけど、仮にデメリットや回数制限があるのだとしたら迂闊に試せないんだ」
「……そうか」
ヤヒトの話をきいたリーナは、しばらく考える素振りをみせた後、うんと頷いて、またヤヒトの目を真っすぐに見る。
「お前、いや――ヤヒト。あたしとパーティーを組まないか?」
「……は?」
予想もしていなかった言葉に、ヤヒトは唖然とする。
聞き間違いでなければ、今リーナはヤヒトとパーティーを組むことを提案したのだ。
なぜ、何のためにリーナ程の者がヤヒトとパーティーを組むと言っているのだろうか。
デュアンと同じランク五のリーナが新人冒険者のヤヒトなんかと組んでも、足手まといが増えるだけで何一つメリットがないだろうに。
「いや、えっと、何で? 俺まだランク一だし、オオリスだって何とか頑張って一匹倒せるくらいだし。リーナが俺と組む理由が微塵も思いつかないんだけど」
「あ? デュアンが言ってただろ?」
「デュアンさんが?」
リーナが何のことを言っているのかはわからないが、デュアンとの会話で、リーナとパーティーを組むなんて話は出てきていないはずだ。
それこそ、そんな話があったのなら冒険者登録をしたその日のうちにリーナを探して会いに行っていただろう。
「なんだ? 覚えてないのか? オニガ村の村長のとこで言ってただろ」
「アクラさんとこで? えっと、まじでごめん。何て言ってたっけ? あの時は知らない人がいっぱいでちょっと緊張してたせいで会話の内容あんまり覚えてなくて――」
半分は嘘だ。
多少緊張はしていたが会話の流れは概ね覚えている。
アクラの家での会話は赤黒のツノグマ関係の話だけで、やはりリーナとパーディーがどうのという話は出ていなかったはずだ。
もごもごと口ごもるヤヒトに苛立ちを覚えたのか、リーナはカツカツと爪でテーブルを鳴らす。
「緊張だぁ? チッ。――『一緒に冒険者やるか? 俺が鍛えてやろう!』って、デュアンが言ってただろ!」
「え? ああ、そういえば言ってた――かも?」
何となくそんなことを言っていた記憶もあるが、あれはただの社交辞令というやつで、本当にヤヒトをどうこうしようというつもりはなかったと思う。
だからヤヒトもそれについてはあまり気に留めていたかったわけで。
「まあ、覚えてなくても仕方ないか。多分、デュアンだって何も考えずに言っただけだろうし。社交辞令ってやつだな」
「――――」
やはり、あれは社交辞令だった。
それはリーナもわかっているようだが、それなら尚更、どうしてリーナはヤヒトをパーティーにさそうのだろうか。
ヤヒトの訝しむ気持ちが顔に出てしまったのか、リーナは「すまない」と一言謝り、更に言葉を続ける。
「死ぬ前にデュアンとペッカとギルベルトがやりたいとか、やろうって言ってたことはできるだけ叶えてやりたいんだ。自分勝手なのはわかってるし、これがあいつらへの弔いになるとも思ってない。それでも、あいつらのためにやれることは少しでも多くやってあげたいんだ。だから、パーティーのことも無理にとは言わない。いきなり来てパーティーを組もうなんて、困るだろうしな」
「リーナ……」
「えっと、じゃあ、もう今日は帰るな。急に来て悪かった。パーティーのこと、すぐに答えをださなくてもいいからさ。ちょっと考えてみてくれよ」
その力のない笑みは、あの気丈なリーナのものとは思えなかった。
鈴の音を去るリーナの寂しさを纏う背中に、ヤヒトはどんな言葉をかけたらいいのかがわからなかった。




