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33話 不潔な凱旋

 「や、った? これ、死んでる?」


 念のため、さらに刃を押し込もうとするが太い骨に阻まれてこれ以上は動かなかった。

 オオリスの血で染まった剣をずるり引き抜くと、今度は剣先でオオリスの背を突っついてみる。


 ――ピクリとも動かない。


 思い切って、尻尾を両手で掴んでひっくり返してみる。


 ――口からは血が溢れ、息をしている様子はない。

 クリクリとした大きな目の瞳孔は開ききっていて生気を感じられない。


 間違いなく死んでいる。

 そう確信を持ったヤヒトは大きく息を吐きながら、ガランと剣と盾を鳴らして尻もちをつく。


 「ゥハアアアァァ……。終わったぁ……」


 ツノグマやロックバードの時とは違い、誰かの手を借りることができない状況で、まともに戦ってまともに勝った。

 ただ、達成感や喜びよりも、今は疲れの方が上回っている。

 相手と真正面に向き合って行われた命の取り合いは、体力もそうだが、精神面での消耗が激しい。


 アリッサの「オオリスならヤヒトさんでも勝てる」という言葉や、ダグじいさんの期待だって、正直な所プレッシャーになっていた。

 冒険者になって武器を買って、ようやくだって時にあっけなくリスに殺されるなんてことになったらきっと――。


 「恥ずかしいし、すごく後悔して、自分の弱さを呪って、オニガ村のみんなやウィル、シリル達と会えなくなるのは悲しくて異世界なんて来なきゃよかったって、それで、デュアンさん達に申し訳なくなって――」


 自分の感情を上手く言葉にすることができなかった。

 しかし、今はそれでいい。

 なぜなら、ヤヒトは勝ったからだ。


 勝ったから、アリッサとダグじいさんに初勝利の報告ができる。

 勝ったから、鈴の音に帰って美味しい料理が食べられる。

 勝ったから、またみんなと会える。

 勝ったから、まだデュアン達のような冒険者を目指せる。

 そう思えてようやく、達成感と喜びがヤヒトに追い付いてくる。


 「よし! 帰るか――――って言いたいところだけど、()()どうしたらいいんだ?」


 『これ』というのは、たった今ヤヒトが倒したオオリスの死体だ。

 オオイノシシの時はウィルフレッドが自分で解体して持って帰っていたが、ロックバードは解体せずに放置して、後でギルドに処理を頼んでいた。


 オオリスはどうだろうか。

 きっと解体して持って帰るのがベストだとは思うが、ヤヒトには魔獣どころか魚を捌く技術すらない。

 かといって、このサイズの魔獣でわざわざギルドに処理を頼むのも気が引けてしまう。

 しばらく悩んだ後、ヤヒトはこのオオリスの処遇を決める。



 ▲▽▲▽▲▽



 「うわっ! おいあれ……!」


 「ん? どした? って、ああ、まじか……」


 「さすがに()()()持ってくるのはどうなんだ?」


 「あ、ちょっと! 血が垂れてるじゃない! 汚れたらどうすんのよ!」


 「やめなよ……。きっとおかしな人だよ……」


 エレガトルの往来はいつもの賑わいの中、普段とは違うざわつきが交じって喧騒を奏でる。

 ひそひそと話す者、大声で文句を言う者、反応は人によって違うが、皆一様にある人物に視線を注ぐ。


 「あ、ヤヒトさん!」


 聞き慣れた声に呼ばれたヤヒトはクルリと振り返る。


 「おおシリル! 買い物か?」


 「きゃああああ!」


 「うおっ!?」


 ヤヒトの顔を見るなり、シリルは悲鳴を上げる。

 周りの人々もなんだだなんだと二人に注目する。


 「おいおい、あの()()()()()()、女の子に何かしたのか?」


 「えー、不審者ってまじ? わたし警備の人呼んでこようか?」


 「逆上して襲ってきたらどうすんの? あ、でもそれじゃあ、女の子が……」


 最初は遠巻きにヤヒトを見ているだけだった人達が、シリルの悲鳴によってあらぬ誤解をしてししまう。

 シリルの方を窺うが、目を見開いたまま驚いた顔で固まってしまっている。


 「え、ちょっと! シリル!? どうした!? 俺なんもしてないよね!? シリル!」


 「はっ! あ、ヤヒトさん!? ああ、えっと、その、ごめんさい!」


 「いや、今謝られるとまた誤解が……!」


 「ねえ見て!? 女の子があんなに頭を下げてるのにまだ怒鳴ってる!」


 「うっそ。怖あぁ」


 二人を取り囲む聴衆の誤解はさらに大きくなり、膨らんだ誤解は人づてにどんどん伝播し、尾ひれはひれをつけながら新たな誤解を招く。


 「ちょっ! だから違うって! クソ、このままここにいたらダメだ……。――シリルごめん!」


 「あ、ヤヒトさん!? ちょ、わっ!!」


 ヤヒトは片手でシリルの手を引いて、その場を全速力で離れる。

 幸い、人々はヤヒトの行く手を阻もうとはしない。

 というより、むしろ汚物でも飛んできているような反応をしながら、逃げるように道の端に避けてゆく。


 人混みを避け、狭い道を縫って、辿り着いたのは宿屋鈴の音。

 我ながら、ここら辺の地理にも詳しくなったものだ。

 ここまでくれば大通りのように人に囲まれなんてことはない。

 それでも、チラホラと歩く人は皆怪訝な顔でヤヒトを見る。


 「はぁ、はぁ。ここまでくればいいだろ。ごめんなシリル」


 「はぁ、はぁ……。だ、大丈夫です。それより、こちらこそすみません! いきなりあんな大声をあげてしまって……」


 「あ、ああ。まあ、ビックリはしたけどさ。ていうか、何に驚いたんだ?」


 「えっ? えっと、それは――――」


 本当にわからないのかとでも言いたげな表情でヤヒトの全身を見るシリル。

 どう言葉にしていいのかわからないというようなシリルの様子にヤヒトは首を傾げ、自分の体を確認する。


 「うぇ!? うわぁ、まじか……。全然気付かなかったわ。どおりでみんな変な目で見てくるわけだ」


 ――血塗れ。


 今のヤヒトの見た目を表すなら、その一言に尽きる。

 いつも背負っているリュックを部屋に置いて来たため、解体できないオオリスをそのまま抱えて持って帰ってきたのだが、ヤヒトが切ったオオリスの傷口から流れた大量の血が服を汚していたのだ。

 ずっと胸に抱えていたせいで、自分がどれだけ汚れているかなんて気付きもしなかった。


 「いや、ほんとごめんシリル。服汚れてない?」


 「はい。私は大丈夫ですけど、ヤヒトさんは大丈夫なんですか? ぱっと見はその……魔獣……? から出た血にみえますけど、怪我とかしてないですか?」


 シリルにそう言われて、オオリスに指を齧られたことを思い出した。

 戦闘中の緊張感やその後の達成感のせいで、妙に気分が高揚していて、ろくに痛みも感じていなかったためすっかり忘れていた。

 シリルに勘繰られないよう、チラリと目だけを動かして確認すれば、もう元通り新しい指が生えていた。

 違和感なく動かせるので、神経にも異常はなさそうである。


 「ああ、うん、平気。治った治った。それより、この血なんだけど、初めて討伐依頼を受けてさ。倒せたはいいんだけど、俺魔獣の解体ができないし、いつものリュックは剣と盾背負うのに邪魔になるから部屋に置いて行っちゃったんだよね」


 「あ、それでそのまま抱えて持って帰ってきたせいで……。何と言うか、お疲れさまでした……。ギルドへの報告はこれからですか?」


 「そうそう。今から行って報告と、これ売れるか聞いてみるとこ」


 シリルにも見えやすいようにオオリスを前に出そうとしたが、少し動かしただけでまた血が溢れてきたので慌てて引っ込める。

 いったいこのオオリスにはどれだけ血が詰まっているのだろうか。


 「では、帰って来たらすぐに体を洗えるようにお風呂を沸かしておきますね! ちなみにそれって、オオリスですよね? オオリスの毛皮は人気ですからいい値段で売れると思いますよ」


 「まじか! よかったぁ! 苦労して持って帰っって来た甲斐があるよ! じゃあ、風呂頼んだ! 俺ギルドに行ってくるな!」


 いったいどれくらいの値になるのか楽しみで、思わず走り出そうとしたところをシリルに呼び止められる。

 「ちょっと待ってて下さい!」と言って鈴の音の中へと走って行ったシリルは、大きな袋を持って戻って来た。


 「もうあんまり意味ないと思いますけど、一応。皆さんからの目も多少はマシになるんじゃないかと思って」


 オオリスを入れて持っていけということだろう。

 ヤヒトにこれ以上血が付かないようにというよりも、周りを血で汚さないようにという配慮である。

 シリルは本当にしっかりしている娘だが、これでまだ十四歳だと言うから驚きである。

 セツナもそうであったが、この世界の女の子は皆こんなにしっかりしているのが普通なのだろうか。



 シリルの配慮のおかげで道行く人からの視線が気にならなくなった――ということはさすがになかった。

 服に着いた生乾きの血液はそのままなのだから当然だろう。

 それでも、聞こえてくる陰口は最初に比べて随分少なくなったと思う。

 冒険者であれば返り血を浴びて帰って来る者は珍しくないのだが、「今回は派手に浴びたな」くらいに考える人が多いのかもしれない。


 「アリッサさーん。依頼報告に来ましたー」


 「あ、ヤヒトさんですね。お帰りなさ――。うわぁ……」


 ヤヒトの姿を見るなり、明らかに嫌そうな声が漏れるアリッサ。

 意図せず心の声が漏れてしまったのだろう。

 アリッサはハッとして、一度コホンと咳ばらいをすると、何事もなかったかのようにいつもの笑顔に戻る。


 「ヤヒトさんが受けていたのは――オオリスの討伐ですね」


 「はい! 何とか倒せました! ほら!」


 ヤヒトが袋を広げて見せると、アリッサはそれを覗き込んで、「確かに」と一言。


 「オオリスの討伐を確認できましたので、今回の依頼は達成になります。お疲れさまでした。あと、討伐証明は対象魔獣の耳があればできますので、死骸を丸々持ってこなくても大丈夫ですよ」


 「あ、そうなんですね。今度からはそうしま――そうしたいです」


 耳を切り取ることくらいならできるが、やはりそれでは死骸の大部分は残ったままになってしまう。

 結局、解体ができないことには丸々運ぶしかないようだ。


 「そうだ、ちょっと聞きたいんですけど、このオオリスの死骸ってどこかで買い取ってもらったりできるんですか? 見ての通り解体とかは一切されてないんですけど」


 「はい。ギルドの裏に素材取引所がありますよね? ヤヒトさんがよく薬草や鉱石を持ってきてくれるところです。その隣の施設で魔獣の解体や買取をやっているのでそちらにお持ちいただければ大丈夫です」


 「ああ! あそこってそうなんだ! なんか取引所にデカい建物があるなぁとは思ってたんですよ! そっか、魔獣の解体とかもやるからデカいんだ! ありがとうございます!」


 ヤヒトは依頼達成の手続きと報酬を貰うとギルドの裏手へ回り、アリッサに教えてもらった施設に向かう。

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