30話 武器の持ち方
ウィルフレッドがエレガトルを去って早一か月――。
ヤヒトは薬草採集や食料調達、迷子のペット探しなどの簡単な依頼をこなしながら、相変わらず宿屋鈴の音を拠点に生活していた。
「あら、おはようございますヤヒトさん。今日も冒険者ギルドへ?」
階段を下りるとシリルの母――サラが食堂の掃除の最中だった。
寝たきりだったサラは、無事メディンの花の薬が効き、ここ一週間でグンと容態が回復した。
今では少しずつではあるが、宿屋の業務にも復帰している。
「おはようございます! はい、そのつもりです! あ、でも今日はその前に寄りたいところがあるのでそっちに行ってからですね」
「あら、寄りたいところってもしかして?」
「はい! ようやくお金が貯まったので!」
「そう! やったわね! ヤヒトさん毎日依頼頑張ってたものね! 今夜はお祝いしなくちゃ! あ、長々とごめんなさいね。今日も気を付けていってらっしゃいませ」
「ありがとうございます。ご飯楽しみにしてますね。サラさんも病み上がりなんだからあまり無理しないでくださいよ。じゃあ、行ってきます!」
サラに見送られ、鈴の音を出たヤヒトが向かうのは冒険者ギルドとは別の方向。
サラとの会話でもあったように、今日は向かうところがある。
大通りからは外れた細い道を歩けば、表の往来とはまた違った喧噪が辺りを覆う。
大小様々な荷物を運ぶ男達や、大きな魔獣を解体し、食用と加工用に分ける作業員の掛け声、素材を加工して、家具や服なんかを仕立てる音――。
表の大通りが商人の縄張りであるとするなら、ここは間違いなく職人のそれだろう。
だからといって、この通りでは買い物ができないというわけではない。
小物やアクセサリーを売っている店や、調味料を売る露店なんかもチラホラと見受けられる。
それに、ヤヒトがここに来たのも見学や散策が目的というわけではなく、ある物を買うためにやってきたのだ。
「ここが職人通りってやつか。ダグじいさんの工房はこの奥だな」
どの店や工場もヤヒトにとっては新鮮で、まるでお上りさんよろしく、辺りをキョロキョロと見渡しながら通りを進んで行くと、喧噪に交ざって、新しくカンカンとかバンバンという一定のリズムで何か硬い物を叩くような音が聞こえ始める。
ヤヒトが吸い寄せられるようにその音を辿って歩けば、やがて今日の目的地に到着する。
「ここだ! ダグ爺さんの工房!」
看板に書かれた文字は読めないが、それっぽい絵というか、地図記号のようなものが書かれているので合っていると思う。
全開にされた大扉の中からは熱気が放たれており、硬いものを叩く音と一緒に、「フンッ! フンッ! ダァッ!」という力のこもった声が聞こえるのがわかる。
中を覗けば、立派な髭を貯え、ずんぐりとした老齢の男性が振り上げた金槌を赤熱した金属に叩きつけているところだった。
それを見て、やはりここが目的地で合っていたとヤヒトは胸を撫で下ろす。
「ダグじいさぁん! 俺ぇ! ヤヒトだけどぉ! ようやく金が貯まったからぁ! 来たぁ!」
ヤヒトが音に負けないように大きな声で叫ぶと、ダグ爺さんと呼ばれた老人は手を止めるどころか、振り向くこともせず、より大きな声で叫び返す。
「おお!? ヤー坊かあ!? もうすぐ終わるから、ちょっとその辺で待っとれぇい!! ――フンッ!」
仕事の邪魔をしてはいけないと、ヤヒトは言われたとおり近くにあった椅子に腰をかけてダグ爺さんを待つ。
初めて来た場所で落ち着かず、ソワソワと工房の中を見回したり、外を歩く人を眺めたりしていると、一定の間隔で鳴り響いていた金属を叩く音が止む。
「よく来たなヤー坊。ここは随分奥まった場所に構えてるが、迷わなかったか?」
一仕事を終えたダグ爺さんは、汗を布で拭いながらヤヒトを改めて出迎える。
「おはようダグ爺さん。金属を叩く音を辿ってきたら大丈夫だったよ。道も真っすぐだし。それより、ようやく金が貯まったぞ! 食べ歩きとか、よさげな小物とか買うのを我慢してようやく!」
「ハッハッハッハ! そうかそうか! じゃあとっておきのを打ってやらんとな――と言いたいところだが、もうお前さん用のは作ってある!」
「え!? なんで!? ただの口約束だったのに、俺が本当にここに来るって信じてくれてたのか!? そんなんじゃあいつか騙されちゃうって!」
「小僧が言いよる! お前さんに心配されなくても、ここで長年商売できてるわい! そんなら、今持ってくるから、またここで待っとれ!」
ヤヒトの心配も豪快に笑い飛ばしながら、ダグ爺さんは工房の奥から布に包まれた物を二つ抱えて持ってくる。
「うおおお! ダグ爺さん見てもいいか!? 布とってもいい!?」
「ハッハッハッハ! 好きにせい!」
ヤヒトははやる気持ちを何とか抑えながら、丁寧に布を剥す。
そして、しっかりと巻かれた布から出てきたのは――
「かっけえ!! これが俺の武器か!!」
一振りの片手剣と盾――。
そう、鍛冶職人であるダグ爺さんがヤヒトのために打ったヤヒトの武器だ。
ウィルフレッドがエレガトルを出てすぐの頃、ヤヒトとダグ爺さんはギルドの酒場で出会った。
ヤヒトとしては暇つぶしと何かの情報でも聞けたらいいなくらいのつもりで、楽しそうに酒を飲むダグ爺さんに話しかけたのだが、話してみればどうにも気が合い、最終的にはダグ爺さんが鍛冶屋を営んでいることを聞き、ヤヒトの武器を通常の半値で打ってくれるという流れになった。
ただ、その時ダグ爺さんは酒を飲んで酔っぱらっていたし、ちゃんとした書面での契約でもなかったため、今日来てみるまでその約束が有効だったのかは少々不安だったところもあるが、それは杞憂だったらしい。
まあ、もっと早くに改めて話をしに行けば、その不安もすぐに解決しただろうが、ヤヒトは嬉しいのとお金を稼ぐのが忙しかったのとでそんな暇がなかったのだ。
決して行くのが面倒だとか、いざ行ってみて断られたら嫌だなあと二の足を踏んでいたわけではない。
とにかく、ダグ爺さんはあの日の約束を覚えていてくれて、来るかどうかも怪しい新米冒険者のヤヒトのために武器を打って待ってくれていたのだ。
こんなに嬉しいことはない。
「あ、そうだお金。本当に半額でいいの? こんなに立派でカッコいいのに」
いざ実物を目の前にすると、半値で買うことを躊躇ってしまうほどに良い出来の武器だ。
もっとも、ヤヒトに武器の良し悪しがわかるはずがないが、素人目でもそう思えるほどに魅力的に見えたのである。
尻込みをするヤヒトを見たダグ爺さんは一瞬きょとんとしたあと、大声で笑いだす。
「おう! 構わん構わん! その代わり、ワシの武器を使っておいて簡単におっ死んだりするんじゃあねぇぞ! そんで一流冒険者として有名になってくれや! そうすりゃあ、『あの冒険者ヤヒトが使ってる武器』ってのでワシの宣伝にもなるってわけよ! ハッハッハッハッハ!」
ダグ爺さんの気持ち良いくらいに豪快な笑い声を聞けば、変に遠慮していたことが馬鹿らしく思えてしまう。
このダグ爺さんの人当たりの良さといったらこの上ない。
「じゃあ――」とヤヒトが用意したお金の入った革袋を差し出すと、それ受け取ったダグ爺さんは中身を確認することすらしなかった。
それだけヤヒトを信頼してくれているということだろうが、ほんの少し話しただけのヤヒトに、なぜそこまでの信頼を置いてくれているのかもわからない。
商人、いや、職人の勘というやつだろうか。
まあ、これを追求したところでまた笑い飛ばされるのが目に見えているので、ヤヒトは何も言わなかった。
「さて、代金も貰ったことだし、そいつらはヤー坊のものになったわけだが、最後に握りの調節がしたい。大事な時にすっぽ抜けたら大惨事だからな。ほれ、握ってみろ。細いとか太いとか、何か気になるところがあったらすぐに直してやる」
ダグ爺さんに言われるがまま片手剣と盾を持つ。
ずっしりとした重さがプラスチックの玩具なんかではなく、本物であるということを強く主張する。
しかしながら、そもそも剣も盾も持ちなれていないヤヒトには、握りの細い太いの具合がわからない。
ただ、何となく手に馴染んでいない気がする。
その原因がわからず、色んな角度から眺めてみたり、握り直してみたりしていると、ダグ爺さんが「うん?」と不思議そうな声を出す。
「ヤー坊、お前さんは左利きなのか?」
「え? いや、右利きですけど?」
ダグ爺さんの質問に、片手剣を持った右手を上げてみせる。
するとダグ爺さんは、「ああそうか。ヤー坊は武器を扱うのも初めてだったか」と呟くと、少し考えた後、ヤヒトの横に立ち、腰を落として構えをとる。
「右利きの奴が片手剣と盾を使う時はこうだ」
「ん? こう?」
ヤヒトはダグ爺さんの見様見真似で剣と盾を構える。
右手で持った剣を前に、左手に持った盾を横やや後方を向けるという変な構え方だった。
「違う違う! 右手が盾で左手が剣だ! ――ヤー坊も簡単には死にたくないだろう?」
ダグ爺さんの口から出た物騒な言葉に驚いたヤヒトの心臓は大きく跳ねる。




