29話 突然の別れ
確かに矢を深く突き刺せた手応えはあった。
ロックバードに振り落とされそうになった時、それにしがみ付いても、微塵も抜ける気配がなかったくらいにはよく刺さっていた。
しかし、ウィルフレッドの言い分は少し大袈裟ではないだろうか。
赤黒のツノグマのように刃も通さないような剛毛に覆われているならまだしも、ロックバードの羽はそこまで硬くない。
ヤヒトがロックバードにくっついたまま落下した時も、その柔らかなクッション性のおかげで助かったと言っても過言ではない。
だから、思い切り力を込めれば、矢のように鋭い物であれば突き刺すことは難しくないと考えられる。
「い、いくらロックバードがデカいって言っても、鳥は鳥だろ? 近くに寄れれば矢だろうがナイフだろうが刺すくらいわけないって」
「いえ――」
ここでヤヒトの意見を否定したのは、いつの間にか図鑑のような本を広げていたシリルだった。
シリルは、ロックバードの絵が描かれたページを開き、それをヤヒトに見せながら言う。
「この『魔獣・魔物図鑑』によるとですね、ロックバードは柔らかく軽い羽で全身を覆っているが、その下にある皮膚は岩のように硬く刃物の類で傷をつけるのは困難――だそうです。この硬皮は、定期的に石や鉱物を摂取することで維持しているらしいのですが、それがロックバードの名の由来とも言われているらしいです」
「へぇー。よく石なんて食えるなあ――じゃない。えっとつまり、普通は硬くて矢なんか刺さらないってこと?」
「そういうこと。もっと硬い矢とか特殊な矢だったら別だけど、俺の使ってるのはそこらの武器屋で売ってる一般的な物だ。だからこそ、魔力強化でもしないと素手でロックバードに突き刺すなんて普通できないんだよ」
「そんなこと言われてもなあ。たまたま柔らかいとこに刺したとか、ロックバードが石食べ忘れててそもそも硬くなかったとかってことはない?」
「ない。ヤヒトが使った矢を回収する時に調べたけど、ちゃんと硬かった」
であれば、もうヤヒトはお手上げだ。
ウィルフレッドが何と言おうと、ヤヒトには魔力強化なんてできない。
原因がロックバードにないのなら、この件はもう迷宮入りである。
「じゃあ、もうあれだな。火事場の馬鹿力ってやつだな。命が危険に晒されたせいでものすんごい力が出たんだ。多分。ウィルだって最初に言ってたじゃん? 『どんな馬鹿力してんだよ』って。俺魔法だのなんだのは本当にわからないからさ。馬鹿力だってほうがまだしっくりくる」
「そうか? 俺としてはあれが馬鹿力だって言うならそっちのが怖いけどな……。まあいいか。ここで問答したってどうなるわけでもないしな」
どうにも腑に落ちないといった様子のウィルフレッドだったが、最後には馬鹿力だったということで納得してくれたようだ。
というより、ウィルフレッドが言った通り、問答したところで意味がないと、考えるのをやめただけなのかもしれない。
「――で、最初の質問『習えば魔法強化はヤヒトでもできるか』ってやつだけど、多分できるんじゃないか? 一応魔力を使うわけだからある程度の練習は必要だけど、できないって奴は今んとこ見たことない。冒険者やってれば絶対に必要になってくる技術だしな」
「そっか、やっぱりできて損はないよな。じゃあ暇な時でいいから俺にもやり方教えてくれよ」
「あ、無理。ごめん」
「――――」
優しいウィルフレッドのことだから、二つ返事で教えてくれるだろうと思っていたが、あっさりと断られてしまったことにヤヒトは驚いた表情で固まる。
まさか、今の言い合いで機嫌を損ねてしまったのだろうか。
いや、ウィルフレッドが怒っているようには見えないし、不機嫌な様子も全くない。
今もシリルと、
「魔力強化ができたらお料理も楽になりそうですね!」
「お、そうだな! 固いお肉も小麦で作ったフワフワのパンもギコギコしないでスーッと切れるぞ!」
なんて笑いながら話している。
それならば、どうしてヤヒトには魔力強化を教えてくれないのか。
単純に、教えるのが下手だからか。
それとも、やはりヤヒトに怒っているからか。
このまま話をなかったことにして過ごすのも気持ちが悪い。
ヤヒトは恐る恐るウィルフレッドに尋ねる。
「――なあ、ウィル? なんで魔力強化のやり方を教えてくれないのか理由を聞いてもいいか? もし俺に思うところがあるならごめん。それは謝る」
すると、ウィルフレッドが驚いた顔をして固まった次の瞬間――
「アッハハハハハハ! ヒァーごめん! あまりにも真剣な顔で言うからつい。そっかそっか、言ってなかったっけ。――俺、明日エレガトルを出るんだよ」
「はぁあ!?」
「えええぇぇええぇえぇえぇぇぇ!?」
散々笑い転げた後、ウィルフレッドの口から放たれた予想もしなかった言葉に、ヤヒトは驚きの声を上げるが、それよりも大きな声を出して驚愕を顔に浮かべたのはシリルだった。
その反応から、シリルもウィルフレッドが明日出ていくという話は初耳だったようだ。
「なんで前もって言ってくれなかったんですか!? もし言ってくれたらご馳走とか用意できたのにぃ!」
「ごめんごめん。てっきり言ったと思ってたんだよ。でも、別にわざわざご馳走じゃなくても大丈夫だって」
「でもぉ……」
ウィルフレッドはシリルにとって母の薬を入手してくれた恩人の一人なのだ。
きっとお礼をしたいという気持ちがあったのだろうが、今日の明日ではそれも難しいだろう。
シリルは肩をガクッと落としてしまう。
しかし、ウィルフレッドは暗い顔をしたシリルの頭をわしわしと撫でながら、いつもの笑顔で言った。
「俺が鈴の音に泊まってたのはさ、ここの料理が気に入ったからなんだ。お高い店みたいに見た目を気にした料理とか、大勢に売るために味よりも量を意識した料理とかとは違う。ここの――シリルちゃんの作った料理は、金儲けのためでも事務的に作った料理でもない、食べる人のことを思って作られた本当に美味しい料理なんだよ。だから、俺にとっては毎日がご馳走なんだ。どれ食べても美味しすぎて幸せなんだ。だから、大丈夫!」
「ウィルさん……。ありがとうございます! そんなことを言ってもらえるなんて、とても、とても光栄です! 今からでは食材の準備が間に合わないので豪勢なものは作れませんが、ウィルさんが遠くに行っても忘れられないような美味しいご馳走を作りますね!」
「ああ! ありがとな!」
元気を取り戻したシリルは、さっそく張り切って料理の下準備をしに厨房に入っていく。
きっと、今夜の食事はとても美味しいご馳走になることだろう。
「にしても急だな。エレガトルを出てくなんて」
「そうか? ああ、まあヤヒトは最近来たばかりだから余計にそう感じるのかもな。それに、冒険者ってのは色んな所を転々としてることのほうが多いぞ。俺も結構色んな国を見て来たし、それが冒険者って職業の醍醐味でもあると思うんだ」
確かにウィルフレッドの言う通りだ。
ヤヒトやウィルフレッドはあくまで冒険者で、エレガトルの衛兵でも何でも屋でもない。
もちろん一つの国に定住する冒険者だって珍しくないが、いろんな国や土地を旅する者の方が大抵だ。
それでも、冒険者だろうが、せっかく仲良くなった人が急に遠くに行ってしまうのは寂しく感じる。
そんな気持ちが知らず知らずのうちに顔に出てしまっていたようで、ウィルフレッドは「ハハハ」とまた軽く笑うと、
「何だよヤヒト! シリルの次はお前までそんな顔しちゃって! どうした? 俺と離れるのがそんなに寂しいか? ん?」
「は!? 何でだよ! ちげーよ! 俺は、ただ……そうだ! 魔力強化を教えてらえなくて残念だって思っただけだ!」
ウィルフレッドのおちょくるような話し方にイラっとしたヤヒトは強く反発する。
もちろん、シュンとしているヤヒトを元気づけるためにわざと挑発したのだということはすぐにわかった。
「そうかそうか! まあ、冒険者にとって出会いと別れってのは付き物だ。新たな土地で新たな仲間と出会い、別れを告げてまた新たな土地に向かう。、それが今生の別れになるかと言えばそうじゃない。思いもよらない所で再会したり、またその地に行く用事ができたりってことも珍しくない。だから、俺たちもまた会える! それこそ、ヤヒトだって冒険者なんだから、依頼先で会うことだってあるかもな!」
ウィルフレッドの言葉には、不思議と人を前向きにさせる力がある。
きっと、ウィルフレッドの言う通り、またどこかで会うとこがあるだろう。
「じゃあ、それまでに俺ももっと冒険者らしくならないと。魔力強化だって余裕で使えるくらいにな!」
「そりゃあいい! まあ、まずは装備を整えるところからだな!」
「そ、そうだな」
そんな会話をしていれば、食堂からいい香りが漂ってくる。
「ウィルさん! ヤヒトさん! もうすぐできますからね!」
シリルが厨房からチラリと顔を覗かせて笑う。
待ってましたとばかりに、ヤヒトとウィルフレッドはテーブルの上を片付け、特に決められたわけでもないが、いつもなんとなく座る席に移動する。
「よし! ヤヒトも元気になったみたいだし、湿っぽい話も終わりにしよう! 何せ今日もご馳走らしいからな!」




