23話 薬草 オオイノシシ 矢
「お、ここにもあった! ここにも! これは、違う――」
冒険者登録が済んですぐ、『薬草採集』の依頼を受注したヤヒトは、エレガトルの町から出て、東の道沿いにある森に来ていた。
薬草の絵や特徴が依頼書に書かれているとは言え、山菜取りもしたことがないヤヒトは正直なところ、他の雑草と見分けがつかないんじゃないかと不安に思っていたのだが、それは杞憂だった。
実物を見ると意外と判別がつくし、依頼書に描かれた「根元が少し黄色い」という特徴のおかげで似た草があっても間違うことなく採取することができる。
「ふぅ、結構いい量じゃん? 腹も減ったし、町に戻って納品してみてもいいかもな」
かれこれ三、四時間くらいは黙々と薬草を集めており、背負っているリュックは口が閉まらないくらいパンパンに膨らんでいる。
まあ、リュックの半分はオニガ村から持ってきた着替えが入っているわけだが。
「この量でどれくらいの値段になるんだろ。食事代だけで全て消えるなんてことになったりしなきゃいいだけど……。やっぱもうちょい採ってくか? 詰めればまだ――」
――ガサッ。
「――――」
相場も何もわからないヤヒトが後ろ髪を引かれていると、突然近くの茂みから音が鳴る。
明らかに風のせいではないその茂みの動きに、ヤヒトは既視感を抱く。
「――ツノグマ?」
――違う。
ヤヒトにとってトラウマであるあのツノグマも、初めは茂みから出現したわけだが、今回とツノグマの時とを比べれば音の大きさや激しさが全く違う。
ここが森であることも考えればウサギやリスの類だろうか、いや、さすがにもっと大きい動物によるものだ。
例えば――イノシシとか。
「フゴッ!」
「――まじか」
ヤヒトの予想は見事に的中する。
正体はイノシシだ。
ただ、想像していたイノシシよりもずっと大きい。
口の左右からは湾曲した二対四本の牙が飛び出しており、こちらをジッと見つめながら大きな鼻をせわしなく動かしている。
そして、イノシシだと認識してすぐ、ギルドで紹介された依頼書が頭を過る。
「オオイノシシ……だよな? 猪神達の王かよ。さすがにマズイ状況ってのはわかるけど、野生のイノシシと出くわしたらどうすればいいんだ。クマだと『目を逸らさないでゆっくり後ろにさがる』とか聞くけど、これってイノシシにも有効なのか?」
「フゴフゴ」
ヤヒトはオオイノシシが様子を窺っているうちに、ゆっくりと後退りを始める。
あのツノグマよりはマシだろうが、こんな大きなイノシシに襲われたらタダでは済まないことくらい容易に想像できる。
絶対に刺激をしないよう、慎重に慎重に――。
「――――あ」
どんなにヤヒトが慎重であっても、ここは草の生い茂る森の中――。
ろくに足元も見ずに後ろ歩きをしていれば、石か木の根か、いずれ何かに引っ掛かって転んでしまっても不思議なことではない。
ヤヒトもその例外に漏れず、草に隠れた大きめの石に当たって尻もちをつく。
「フゴッ!? プキィー!!」
警戒していたオオイノシシは、驚いたのか大きな鳴き声を上げ、倒れたヤヒトに向かって突進を開始する。
「うわぁあああああ!!」
まるで軽自動車でも突っ込んでくるかのような迫力に、恐怖で絶叫するヤヒト。
リュックの重みのせいで咄嗟に避けることができないため、それならせめてと目をギュッと瞑り、頭を守るように手で覆い、足を縮めて体を丸くする。
「くぅぅぅぅ……!」
「プキィィィ!!」
オオイノシシの鳴き声と蹄が地を抉る音が恐ろしい速さで近づく。
オオイノシシに対する恐怖と突進を受けた後の痛みへの恐怖に、思わず空っぽの胃が嘔吐しようとするのを必死に我慢する。
そして、音がヤヒトのすぐ前にまで接近し――
「――――」
歯を食いしばりながら突進の衝撃に備えていたのだが、なかなかその時が訪れない。
さすがにおかしいと思い、薄く目を開けてオオイノシシの様子を確認する。
「うぉわあ!!」
腕の隙間から見えた光景に、今度は恐怖ではなく驚愕して絶叫する。
なんと、オオイノシシの鼻先がヤヒトに触れるか触れないかという至近距離にまで接近していた。
しかし、不思議なことにオオイノシシはこれ以上進んで来る様子はなく、ピタリと固まったまま動かない。
それに、ヤヒトの眼前にある大きな鼻からは微かな息遣いすら感じない。
まるでオオイノシシとの間に透明なガラスの壁でもあるのではないかと錯覚してしまいそうだ。
「なん……だ? これ……。は? どうなって――」
目の前の出来事に思考が追いつかず、腰を抜かしたまま呆然と座り込んでいると、オオイノシシの鼻からツーッと血が流れ出す。
理解が追いつかずとも、オオイノシシの全容を把握しようと無意識に視線が上に向く。
「――矢だ」
オオイノシシの額には角のように深々と矢が突き刺さっていた。
それを見ればおおよその見当はつく。
誰がどこから射ったのか、オオイノシシの突進に合わせて命中させたこの矢がオオイノシシの動き否、オオイノシシの生命活動を止めたのだ。
一度深呼吸をしてようやく落ち着きを取り戻したヤヒトは立ち上がると、辺りをキョロキョロと見渡す。
この矢の射手が近くにいるはずだ。
さすがにこんな獲物を撃ち殺してそのまま帰ったりはしないだろう。
危機を救ってもらったくせにそのまま逃げ帰るような不義理なことはしたくないヤヒトは、お礼を言うためにオオイノシシの亡骸の横で矢の射手が来るのを待つ。
間もなくして、ヤヒトの前に姿を現したのはヤヒトと同い年くらいの青年だった。
一目で冒険者とわかる装備を身に纏い、矢を番えた弓を持っていることから、オオイノシシを仕留めたのか彼であることがすぐにわかった。
「この矢を射ったのってあなたですよね? おかげで助かりました。ありがとうございます」
ヤヒトが頭を下げると青年は番えていた矢を矢筒に戻して「いやいや」と手と首を振る。
「こっちこそ何か囮にしたみたいで悪かった! オオイノシシは逃げ足が早いし頑丈だからどうしても一撃で仕留めたくてさ」
確かに、さっきの突進してきたスピードで森の中を走り回られれば、矢で仕留めるのは困難だ。
それに、この巨体であれば上手く急所に当てないと殺し切るのも難しそうに思える。
「それでも助かりました。俺はまだ武器も防具もなくて、魔力も使えないし、戦う手段がなかったので」
「いいっていいって! てか、敬語もやめてくれ。多分、年もそんな変わらないだろ? ああ、そうだ。自己紹介がまだだったな。俺はウィルフレッド。ウィルって呼んでくれ。冒険者ランクは二だ」
そう言ってウィルフレッドは冒険者カードをヤヒトに見せる。
嘘は言っていないようだし、とても良い人そうだ。
「ウィルだな。わかった。俺はアマモリ・ヤヒト。ヤヒトが名前でアマモリが家名。さっき冒険者になったばかりで、とりあえず薬草の採集の依頼を受けて来たんだ」
ヤヒトも簡単な自己紹介をした後、ウィルフレッドに薬草でパンパンになったリュックを傾けて見せる。
「すげえ! 大量だな!」
「まあ、リュックの半分は服とか荷物が入ってるけどな」
「あ、そうなのか。でも、それでも結構な金になりそうだな。最近は薬草の需要が多いらしいし」
それは良いことを聞いたと、ヤヒトは内心でほっとする。
もしもこれで金にならなければこれからの生活が大変なことになるところだった。
「で、俺はこいつの討伐が目的だったからもう町に戻るけど、ヤヒトはどうするんだ?」
「んー、そうだな。俺も帰るよ。もう薬草も入らないし」
「お、じゃあ一緒に帰ろうぜ! 町に着くころには夕飯時だし、危ない目に合わせたお詫びに飯でも奢らせてくれ! おすすめのがあるんだ!」
「いいのか!? それは本当に助かる! 今結構金に困っててさ」
一食分の食費が浮くのは、今のヤヒトにとってとてもありがたい話である。
ウィルフレッドが討伐証明であるオオイノシシの牙と、別の依頼で頼まれていたオオイノシシの肉を剥ぎ取るのを待って、二人は町に戻る。




