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20話 悪臭と暴力の巨人

 身長を最後に計ったのは高校二年生に進級して間もない春のことだった。

 ヤヒトの身長は中学生の頃にグンと伸びたきり、高校に上がってからはあまり伸びなかった。

 それでも、一七三センチというおおよそ日本人男性の平均身長まで伸びてくれたことはありがたい。

 クラスの男子も大体がそのくらいの身長前後だったと思う。


 中には、遺伝によるものなのか生活によるものなのか、高身長の人間もいて、ヤヒトの隣のクラスの高橋君は、一九〇センチ目前だったのを覚えている。

 高橋君はバスケ部のエースで、顔も良ければ友達も多く、細かな気遣いまでできるという正にモテる男というやつで、ヤヒトからみても素直にカッコいいと思えるやつだった。


 何が言いたいかというと、高身長というのは、ヤヒトの思う『カッコいい男性』の要因の一つであり、自分の意思と力だけでは高身長(そう)はなれないことから、強い憧れを抱くものであるということだ。


 しかし、そんな憧れは今この瞬間に崩れ去った。

 そもそも、顔立ちはもちろん、声や話し方、振る舞い、性格――様々な要因が集まってようやく『カッコいい男性』は完成するのであって、高身長という一つのステータスだけではカッコよくはなれないのだ。

 むしろ、高身長というのは『カッコいい男性』に対するスパイスや付加価値に過ぎないのかもしれない。

 もちろん、これは全てヤヒトの持論であり、人によってカッコいいの感じ方や基準は違うということはわかっている。

 

 だがそれでも、これだけは声を大にして言わせてほしい。

 ヤヒトの目の前に立ちはだかる、推定身長()()()()()()()()()()のこの男は、誰の目から見てもブサイクである。


 「クソガキ! 今俺のことをブサイクって言ったよなぁ!! どこがだよ! どこがブサイクなのか言ってみろよ!」


 「うっ!」


 大きな足を曲げて、顔を覗き込むような姿勢で睨み付ける巨人に、ヤヒトの顔はひどく引き攣る。

 間近で見た大きな顔に恐怖したからではない。

 確かに全く怖くないわけではないが、それよりも気になったのは巨人の臭いだ。

 生ゴミ、いや、牛乳を拭いた雑巾の方が近いだろうか。

 何れ、かなり不快な臭いが巨人から漂ってくる。


 口臭――ではない。

 口も臭いがもっと凶悪な臭いがどこかから放たれている。

 途切れることなく続く悪臭から逃れるため、ヤヒトは涙目になりながら後退りする。


 「おい! クソガキ! どうした!? 俺にビビッて泣きだしちまったのか!? おぉ!?」


 そんなヤヒトの様子が余程面白かったのか、巨人は腹を抱えて笑い出す。

 上を向いたりヤヒトを見て体をくの字に曲げたり――。

 巨人が動く度に異臭は周囲の空気を汚染していく。

 そしてついに、臭いの発生源に気が付く。


 「頭……。髪か!」


 「――ヒェアハハハハ! ん? 髪がどうしたクソガキ? ああ、神か! ついに神に助けを求めちまったか!?」


 「いや、神じゃなくてその髪がくさ……じゃない。えっと、その頭って何か整髪料とか使ってるんですか? それか、香水とか――」


 ヤヒトは巨人の機嫌を損ねないよう、だましだまし質問を投げかける。

 すると、大笑いしていた巨人はニチャァっとした笑みの得意顔になりながら、妙にテカテカした髪をワシャアァっとかき上げる。


 「おっ! クソガキにしちゃあ目の付け所がいいじゃねえか! これはな、雄牛の脂を塗ってあるのよ! どうだ? 良い匂いがするだろう!?」


 「う、牛の脂……。と、トッテモ、イイニオイ、デス、と思いまス。はい」


 正直今にも吐いてしまいそうだが、この場を安全に切り抜けるためにも、ヤヒトは耐える。 

 このまま時間を引き延ばしていても、股間を押さえて蹲る巨漢がいつ復活するかもわからない。

 どこかに逃げ込める細道はないか――。

 愛想笑いを顔に貼り付け、逃げ道を探そうとした時、


 「お頭ァ! この兄ちゃん、お頭の髪が臭いって言ってました! 『臭いし汚いしブサイクだし、こりゃあ女に嫌われるのも当然だな』って! あと『いびきはうるさいし食べ物も金も分け前が少なすぎる! このドケチが!』っても言ってた!」


 「おい待てガリガリ!! 確かにそう思うけど、口に出したのはブサイクだけだ! 臭いも言いかけたけど頑張って耐えてただろうが!! それに後半はまじで知らねえ!」


 ここぞとばかりに、痩せ男は巨人に対しての悪口をさもヤヒトが言っていたかのように叫ぶ。

 痩せ男もかなり鬱憤が溜まっているようだが、濡れ衣を人に着せるようでは同情できない。

 この状況であれば尚更である。


 怒りに身を任せて、もう一度痩せ男を殴り飛ばしてやろうかと思ったがそうもいかない。

 ブサイクと聞こえただけであれほど怒っていた巨人のことだ。

 これだけ立て続けに悪口を並べられては大変なことになるのではないだろうか。

 ヤヒトは恐る恐る巨人の顔を見上げる。


 「――――」


 「――あれ?」


 しかし、ヤヒトの予想と反して巨人の顔は全く怒っていなかった。

 かと言って、笑っているわけでも泣いているわけでもなく、全くの無表情なのである。

 きっと恐ろしい形相に変わっているだろうと思っていたヤヒトは、拍子抜けしたかといえばそうではない。

 むしろ、わかりやすく怒っていてくれたほうがどんなにマシだったか。


 散々悪口を言われた物言わぬ無表情の巨人は、その大きな瞳でしっかりとヤヒトを捉える。

 何を考えているのかわからない巨人に対する恐怖から、ヤヒトの足はすくんでしまう。


 初めて赤黒のツノグマと出会った時と似た感覚――死の直感とでも言えばいいのか、心臓が早鐘を打ち、警鐘を鳴らしているのに、プレッシャーのせいで上手く脳が働かない。

 荒い呼吸で無理やり酸素を補給し、何かを考えなければと思考を巡らせようとしたその時――


 「ヵヒュッ……」


 景色が勢いよく前に流れ、巨人の姿が少し小さくなる。

 次いで、背中を中心に体全体が壁に打ち付けられるような衝撃が広がり、気付いた時には埃と土煙が舞うカビ臭い廃屋の中で、仰向けになって倒れていた。


 「ヒュー……ヒュー……!」


 背中を強く打ったせいで肺が痙攣し、呼吸がうまくできない。

 痛み我慢して上体を起こしてみれば、二、三メートル先にはポッカリと穴の開いた壁――。

 どういうわけか吹っ飛ばされたヤヒトは、この壁を突き破って来たらしい。


 ヤヒトは立ち上がろうとするが、痛みのせいでカクンと膝から力が抜け、再び厚い埃の積もった床に倒れ込む、


 「ハッ……ハァ……。クソッ!」


 せめて呼吸だけでも整えようと、埃を吸い込まないように口と鼻を手で覆い、うつ伏せのままジッとしていると、壁の穴から差し込む光がフッと何かに遮られる。


 「――――っ! うぐ!」


 それが大きな手だと認識できたのは、すでにヤヒトがそれに捕まった後だった。

 手はそのまま屋外へとヤヒトを引き出すと、廃屋の屋根くらいの高さで停止する。

 そこが、手の主――巨人の目線の高さだ。


 「クソガキ、俺はブサイクか?」


 「ぅ……!」


 巨人がほんの少し手に力を込めるだけでヤヒトの体が軋む。


 「俺はそんなにブサイクか?」


 巨人が無表情のまま同じ質問を繰り返す。

 ヤヒトは痛みと髪の悪臭で今にも失神してしまいそうになるのを何とか堪える。


 「クソガキ答えろ! 俺はブサイクか!?」


 質問に答えないヤヒトに、巨人は声を荒げる。


 痛み、悪臭、拘束、怒鳴り声――。


 悪口を言われた巨人が怒るのもわかるが、そもそもの発端は巨人の一味がヤヒトの金を盗ろうとしたことだ。

 その考えに至った時、ヤヒトは恐怖や苦痛よりも怒りが勝った。


 「ああもう! ブサイクだよ! 髪も臭え! 牛の脂とか付けてねえでちゃんと洗え!」


 「――――」


 「聞こえなかったか! このブサイギュ――!?」


 怒りに任せて言葉を吐くヤヒトの顔面に、巨人はデコピンをくらわせる。

 巨人は手加減をしているようだが、それでもヤヒトからすれば、顔にバスケットボールを全力で投げつけられているような威力だ。


 「ガッ! グッ! ゥブッ! ヴェッ! ――」


 何度も何度も巨人はデコピンを繰り返す。

 鼻血が出ても、唇が裂けても、瞼が腫れても巨人は止まらない。


 「ヒェアハハ! これでお前の方が俺よりもブサイクだぁ!」


 バチンッベチンッとヤヒトの顔面が鳴ること数分――。

 どこから持ってきたのか、氷の塊で巨漢の股間を冷やしながら、ヤヒトが一方的にいたぶられる姿を眺めていた痩せ男だったが、突然、あのニヤニヤとした憎たらしい笑みが消え、見る間に顔が青ざめていく。

 そして、焦った様子で巨人の下に駆け寄ると、


 「お、お頭ぁ!! ストップ! ストップ!! もうやめてください!! その兄ちゃん、もう呻き声も出てねえ! 殺しはまずいですよ!!」


 「ヒェアハハハハ! んあぁ? このくらいで死んだりしないだろう。……あれ?」


 痩せ男の声で我に返った巨人。

 手に握ったヤヒトはピクリとも動かず、どこが鼻でどこが口かもわからないほどに顔がグチャグチャになっている。

 微かに息をする音が聞こえることから、死んではいないようだが、これ以上暴行を加えれば本当に殺してしまいかねない。


 「チッ、これだからクソガキは」


 「――――」


 巨人はヤヒトを廃屋の中に軽く放ると、代わりに蹲る巨漢を優しく持ち上げる。


 「お頭、この兄ちゃんはどうするんです?」


 「ほっとけ。警備の連中もどうせ貧民街までは回って来ねえ。それに、俺も人殺しはしない主義だ。最も、俺が手を掛けた後に勝手にくたばるのは知ったこっちゃねえがな」


 「そうですか。それじゃあ――」


 痩せ男は廃屋に飛び散ったヤヒトのリュックの中身から金貨の入った革袋を見つけ出すと、それを拾い上げる。


 「兄ちゃん、悪いけどこれは貰うぜ。全部は気の毒だから――九割な。じゃあ、また生きてたら会おうな。ハハハ」


 数枚の金貨を動かないヤヒトの傍に積んだ後、痩せ男は手をヒラヒラと振りながら巨人の後ろに付いて去って行った。

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