19話 チンピラ
確かにヤヒトは宿を探しているが、それを口に出した覚えはない。
ならば、どうしてこの瘦せ男は初対面のヤヒトに対して宿探しの話題を真っ先に出してきたのだろうか。
「はい、確かにそうですけど、何で俺が宿を探してるってわかったんですか?」
警戒心を隠すことなく、ヤヒトは痩せ男を睨み付ける。
しかし、男はヤヒトの警戒など何処吹く風で、ニヤニヤとした表情を崩す様子はない。
「まあまあ、そんなピリピリすんなって。兄ちゃん、さっきギルドにいただろう?」
「――――」
それが宿探しと何の関係があるのか、ヤヒトは無言で痩せ男の言葉を待つ。
「それくらい返事してくれてもいいと思わない? まあいいや。俺もそん時ギルドにいたんだけどさ。たまたま兄ちゃんと受付の話し声が耳に入っちまってな。そんな大荷物担いで冒険者登録するなんて、町の外から来たばかりってことくらい安易に想像つくだろ?」
「……確かに」
痩せ男の言っていることは最もだ。
逆の立場だったとしてもヤヒトだってそう思う。
宿を取っているのなら、こんな大荷物を背負って歩き回ったりしないだろう。
だからと言って、警戒を解くかどうかは別の話だ。
痩せ男の言葉に反論の余地がなくとも、怪しいことに変わりはない。
「あなたの言う通り宿は探してますけど、自分で見つけるので大丈夫です。ご親切に声をかけて頂いてありがとうございました。では失礼します」
明確な断りを入れ、ヤヒトはその場を立ち去ろうとするが、痩せ男も簡単には引き下がらなかった。
「まあまあ」とヤヒトを宥めるような言葉を並べながら、ガシリとその細腕でヤヒトの肩を組み、耳打ちをする。
「兄ちゃん、大きい胸が好きなんじゃない?」
「っ!?」
突然肩を組まれたこともそうだが、宿がどうのという会話の流れから思いもよらない発言が出てきたことに何よりも驚く。
「べ、別に嫌いってわけじゃないけど! それは関係ないだろ! 離れろって!」
「いやいや、大好きでしょ。代筆中に前かがみになった受付の胸をあんなに必死でみてたじゃない」
「ん!? だ、だから! それは今関係ないでしょ!?」
「――店主の胸が大きい宿屋、紹介しようか?」
「さあ、案内してくれ」
別に店主の胸に流されたわけではない。
ただ、宿を紹介してくれると言うから、人の善意を無駄にしてはいけないと思っただけだ。
本当に、他意はない。
▲▽▲▽▲▽
痩せ男に連れられ、いくつかの狭い路地を通り抜ける。
そうすれば、必然的に町の中心からは離れることになり、人通りも少なくなっていく。
「なあ、道合ってる? 全然人いないけど、こんなとこに宿屋ってあるもんなの?」
ここが観光地か何かであれば別だが、そうでないならこんな閑散とした地域で宿屋を営む理由はあるだろうか。
それに、町の中心とは違って、ちらほら見かける住民の服装はどこかみすぼらしい。
スラム街とまではいかないものの、それに近しい印象を受ける。
「大丈夫だって兄ちゃん。もうすぐ着くから」
「それならいいんだけど……」
やはりこの痩せ男に付いて来たのは間違いだったかもしれない。
そう思い、後悔の念が押し寄せてきた頃、痩せ男がくるりと体をこちらに向け足を止める。
「兄ちゃん、着いたぜ」
「着いたって……これ――」
二人の目の前にあるのは、手入れのされていないおんぼろの小屋。
まさかと思い、周囲を確認するがやはり宿屋らしき建物は見当たらない。
「おい、宿屋は――」
ヤヒトが問い質そうとした時、
「お頭ぁ! いいカモ連れて来やしたぁ!」
「――――ッ!」
「あれ? お頭ぁ! あー、お出かけ中かな?」
痩せ男の大声に、ヤヒトは息を吞む。
「騙された」その答えに辿り着くまでに時間はかからない。
ヤヒトはすぐにこの場から逃げ去ろうとするが、
「おっと! どこ行く気だ小僧!」
「ぅおわ!」
いつの間にか後ろに立っていた巨漢に突き飛ばされ、大きくよろめく。
考えるまでもなく、この巨漢も痩せ男の仲間なのだろう。
後ろには痩せ男、前には巨漢――。
正直、力はあるが動きが遅そうな巨漢からは、荷物を捨てて全力で走れば撒けるかもしれないが、そうするわけにもいかない。
リュックの中身は、オニガ村で詰め込んだ荷物――主に着替えがほとんどだが、何よりも金貨が詰まった革袋が入っている。
貯金も仕事もないヤヒトにとって、その金貨が全財産であり、町で生活する上でなければならないものなのだ。
「お前ら! 目的は何だ!? 金か!?」
「なんだ兄ちゃん、わかってるじゃん! そう! お金! そりゃあ、兄ちゃんみたいに冒険者でもない弱そうなのが金貨いっぱいの革袋を持ってたら狙われるのは当たり前でしょ?」
瘦せ男が相変わらず腹立たしいニヤニヤとした笑みを顔に張り付けたまま、早口でそう捲し立てる。
痩せ男に言われてヤヒトはハッとする。
いくらこの世界のお金の価値がわからなかったとはいえ、公の場で金貨がパンパンに詰まった革袋を広げるのは失敗だった。
そもそも、こんな大金が入っているのならアクラも「生活費」だとか「装備をそろえる資金」とかじゃなくもっとわかりやすく言ってほしかった。
と言うのはあまりにも身勝手かもしれないが、そうやって他責思考になってしまうほど、今ヤヒトの置かれている状況は切迫している。
「クソッ! 誰か! 誰か助けて下さい! だれゥムグっ!」
「うるせえぞ小僧が! こんな貧民街にまで来て助けてくれる奴がいるわけねえだろ!」
ヤヒトは自分の力ではどうにもならないと判断し、大声で助けを呼ぼうとするが、巨漢のその大きな手によって、目から下を覆うようにガシリと鷲掴みにされてしまう。
何とか巨漢の手から逃れようともがくが、ヤヒトの力ではビクともしない。
「はぁせ! おえ! もごぉお!!」
「兄ちゃん兄ちゃん、あんま暴れるなって。ジッとしててくれないなら――」
スッと近づいてきた痩せ男がヤヒトの腕と肩に手をかけると、
――ガゴッ。
「――――!!」
耳元で聞こえた嫌な音と同時に、右肩に激痛が走る。
腕をグイッと後方持ち上げるように捻られ、肩を外されたのだ。
思わず、塞がれた口で声にならない悲鳴を上げるヤヒト。
痛みのあまり、その場で暴れまわりたい衝動に駆られるが、そうすると肩の痛みは勢いを増し、意識が飛びそうになる。
「そうそう。暴れたら痛いからな兄ちゃん。――えっと、金貨はリュックの中かなぁ」
「むぐぅ!!」
痩せ男がヤヒトのリュックを漁る。
ヤヒトも抵抗しようとするが、外れた肩ではそれも叶わず、むしろ激痛のせいで動く気力すらも削がれていく。
無事な左手も巨漢に掴まれ動かせない。
ヤヒトが蹴りを入れようにも、後ろに回った痩せ男には当たらないし、巨漢の筋肉に覆われた体には大した効き目もなく、拘束は解けそうにない。
いや、いくら筋肉が凄いからと言って、どこもかしこも筋肉で覆われているわけではない。
生き物には必ず急所が存在する。
人間であれば目や顎、みぞおちなど様々な急所が存在するが、今ヤヒトが置かれている状況で、一番確実に狙えて、大ダメージを与えることができる部位がある。
幼い頃から誰しもが潜在的に知っている急所――。
「モガァ!!」
「ガッ……!! カッ……。ァ……!」
ヤヒトは渾身の力を振り絞って、巨漢の股間を蹴り上げた。
たかが田舎丸出しのガキ一人と侮り、反撃など警戒していなかった巨漢は、不意の金的に目を白黒させながらうずくまる。
「ふっ!」
巨漢の拘束が解けたヤヒトは、後ろを振り向く勢いを拳に乗せて、痩せ男の頬を殴りつける。
「えっ!? イダァ!!」
体重の軽い瘦せ男はそれだけで大きな尻もちをつき、痛む頬を摩りながら、もう片方の手では鼻血が流れる鼻をつまむ。
最悪の状況を脱することに成功したヤヒトは、大急ぎで漁られたリュックを閉めて、その場から退散する。
否、走り出そうとしたヤヒトだったが、巨漢に続き、またも行く手を遮られる。
「ぅお! っぶね!」
今度はヤヒトが行く手を阻む存在に早く気付けたこともあり、ぶつかったり突き飛ばされることもなく、サッと相手との距離を取ることができた。
しかし、どういうわけか違和感を覚える。
相手を正面に捉えているはずなのに、顔が見えないのだ。
いや、この表現では語弊がある。
真正面を見たヤヒトの視野では相手の胸から上が収まらないと言う方が適切だろう。
ヤヒトがしゃがんでいるのなら別だが、両足を使ってしっかりと立っているし、それに加えて相手とヤヒトとの間には距離がある。
手を伸ばしたりリュックを持って振り回したってかすりもしない距離だ。
つまるところ、相手の大きさが規格外にデカいということだ。
股間を押さえて蹲る巨漢などそれに比べれば子供のようなものだ。
「――――」
背中に冷たい汗が伝うのを感じながら、ヤヒトはゆっくりと目線を上へとずらしていく。
無骨な金属のプレートで覆われた胸部、体躯に見合った太い首、そして――
「ブッサイク……。あ、すいません。つい……」
「あぁあん!? 今なんつったクソガキ!!」
ヤヒトの目線の二メートル上から野太い怒声が降りかかる。




