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17話 行ってきます

 今となっては見慣れた天井――。

 窓から差し込む光が顔を照らし、外では農作業をする人の声や、名前の知らない鳥の声が鳴っている。


 「――――」


 ――朝だ。

 感覚的には午前八時くらいだろうか。

 いつもなら早朝、水汲みの時間にセツナが起こしに来てくれるのだが、今日はそれがなかった。


 むくりと上体を起こし、大きなあくびをしながら体をググっと伸ばせば、微睡みの中、朧気だった意識が一気に覚醒する。

 ついでにもう一つ小さなあくびをすると、喉の渇きと空腹を感じる。

 ヤヒトはもぞもぞと寝間着を着替えると、朝食を求めて食堂へと向かう。


 「おはようございます」


 「おう、おはよう。ゆっくり休めたか?」


 「まあ、はい」


 食卓には村の管理に関する書類をまとめるアクラが座っていた。

 ヤヒトの席には、焦げた黒パンと同じく焦げた目玉焼きが用意されている。


 「いただきます。――セツナはまだ?」


 料理の出来を見ればそれがセツナが作ったものではないことはすぐにわかる。

 焦げた黒パンにかじりつきながら、セツナの席に目をやる。


 「ああ。そのうち腹が減れば戻って来るだろう」


 昨日、アクラとの話しの後、村中にあいさつ回りに行くと、親切と言うか情に厚いと言うか、オニガ村の村民総出で、ヤヒトの送別会を催してくれたわけだが、そこにセツナの姿は無く、夜寝る時間になっても帰って来ることはなかったのだ。


 「リーナも怒らせたままだ。もう町に帰っちゃったのかな」


 後で改めて謝ろうと思っていたのだが、リーナもセツナ同様、送別会にもこの家にも顔を出すことはなかった。


 「リーナなら今朝早くに村を出たぞ。元々ギルドへの報告もあるから今日発つ予定だったみたいだ」


 ヤヒトの独り言が聞こえたのか、アクラからリーナが街へ戻ったことを伝えられた。

 せっかく赤黒のツノグマを討伐できたというのに、なんだかうまくいかない。


 モヤモヤとした気持ちを抱えたまま食事を終えたヤヒトは、一度自室に戻り、掃除を始める。

 定期的に掃除しているため、別に汚れているわけではないが、ただ、世話になった部屋を綺麗にしておこうという気持ちからだ。


 「ふう、こんなもんかな。掃除も終わった。支度もオーケー。そろそろ出るか」


 数日分の着替えを詰めたリュックを背負い、部屋に一礼をしてアクラのいる食堂に向かう。

 書類仕事が一段落ついたのか、アクラはお茶を飲みながら新聞を読んでいるところだった。


 「アクラさん、そろそろ行きます」


 「ん、そうか。ちょっと待ってろ」


 食卓から立ち上がったアクラは、ノシノシと自室に引っ込むと、大きめの風呂敷と革袋を手に持って食堂に戻ってきた。


 「ほれ、路銀だ。冒険者になる手続きに必要な金と装備を整えるのに必要な金、あと、一週間分くらいの生活費が入ってる。宿代と食事代な」


 そう言って、硬貨の入った革袋をヤヒトの前に出す。

 この世界の通貨は初めて見たし、いくら入っているかなんてわからないが、装備代や一週間分の生活費という言葉から察するに、恐らく他人にポイッと渡すには非常に大きい額であることは確かだ。


 「え、ちょっと待ってください! ありがたいですけど、こんなにはさすがに――」


 「いいから持ってけ。そりゃあ報酬だ」


 「報酬って……。俺世話になりっぱなしで何もしてないですよ!?」


 「一か月、家事や水汲みしたり農業手伝ってもらったり、色々やってもらったからな」


 アクラはそう言うが、それはヤヒトが居候させてもらっている代わりにやっていたことだ。

 ヤヒトがしたことなど労働にも満たない些細なことばかりで、ほとんどセツナが一人でできてしまうことに、毎日くっついていただけに過ぎない。

 一か月の食事代や宿代で考えても全く見合っておらず、ツノグマだ何だと問題まで持ち込んで、挙句、セツナまでも危険に晒して――。


 「やっぱりこんなにいっぱいは――」


 「()()が村を出て働くって言うんだ! これくらいさせろ!」


 「――――」


 頬を染め、そっぽを向きながらアクラが怒鳴った。

 おっさんの照れ隠しなど誰得なんだとは思わなかった。

 ヤヒトの両親は既に他界しており、両親がいない人生が半分以上を占めている。

 そのため、両親と過ごした記憶や思い出はあれど、いないのが当たり前になっていた。

 だからと言って、何も思うところがないというわけではない。


 学校行事や休日、誕生日、ふとした時に感じる寂しさがどうしようもなく辛かった。

 父親が生きていたら、色々な所に連れて行ってもらって色んな経験ができたんだろうか。

 母親が生きていたら、愛情のこもった手料理が毎日食べられたのだろうか。


 父親が、母親が――それが無理だとわかっていても、たくさん考えて、それで、平気なふりをして学校やバイトで心の隙間を埋める。

 それがヤヒトの当たり前だった。


 しかし、アクラはヤヒトを息子だと言った。

 もちろん、息子同然の親しみを持っているという意味で、実はヤヒトが自分の子だったとか衝撃のカミングアウトではないことぐらいわかっている。


 たったの一か月、寝食を共にした得体の知れない他人であるヤヒトを心から信頼してくれたのだ。

 もしかしたら、これは路銀を渡すための口実で、建前なのかもしれない、嘘なのかもしれない、たまたま口から出ただけの言葉でしかないのかもしれない。

 だとしても、そのアクラの言葉で、ヤヒトの心の奥底にある何かが温かさを取り戻したのは確かだった。


 「ほ、本当にもらってもいいんですか?」


 「ああ、そう言ってるだろう」


 「――ありがとう、ございます」


 ヤヒトは深々と頭を下げ、受け取った硬貨入りの革袋を決して落とさないよう、大切にリュックにしまい込む。

 それを見届けたアクラは「これも持ってけ」と、黒パンと干し肉もヤヒトに差し出し、最後に路銀と一緒に持ってきた風呂敷に手をかける。

 包まれていたのは木でできた箱だった。


 「こいつは俺からってわけじゃない。元々お前のものだから遠慮しなくていい」


 「俺の?」


 町へ行く準備は既に整っており、忘れ物はないはずだが。

 首を傾げるながら箱の蓋を外してみれば、


 「あ、これって――」


 日の光を受けて黒く煌めく立派な角が箱には収められていた。

 それは見紛うことなく、あの赤黒のツノグマの角だった。


 「ツノグマの死体はその日のうちにギルドで回収してもらったが、そいつは気絶したお前がどうしても離さなくてな。討伐報酬ということにして貰っておいた」


 「そ、そうなんですね。なんかすいません」


 腹に刺さっていたのを抜いたところまではヤヒトの記憶にあるが、まさか気を失った後もずっと離さなかったなんて、どれだけ強く握りしめていたのだろうか

 爆発やら怒りやらで脳が馬鹿になっていたのかもしれない。


 「これだけ上等なものなら売ればまとまった金になるだろうし、冒険者やるなら加工して装備にしたっていい」


 「なるほど。――――でも、これは置いていきます」


 ヤヒトにはこの角にどれほどの価値があるのか想像することもできないが、アクラの言葉を信じるならそれなりの物なのだろう。

 だが、お金ならアクラに路銀を貰ったし、装備もそれで整えられる。


 だから、この角にどれだけの価値があっても、ヤヒトは欲しいとは思わない――というのは建前。

 そりゃあお金はあるに越したことはないし、装備だって強い方が良いに決まっている。

 ではなぜ受け取りたくないのか。

 答えは単純――


 「これは俺からのお礼ということにしてくれませんか。アクラさんは気するなと言ってくれますけど、それだと俺の気が済まないんです。アクラさんがいらないなら、セツナにあげることにします。そもそも、セツナが川で俺を拾ってくれなきゃ今俺はここにいないと思います。だから、そのお礼です」


 「いや、だが――」


 「これは()()()()あげました。だから返すならセツナからでお願いします」


 アクラの反論を遮り、強引に角をアクラに押し付ける。

 ヤヒトの暴論をさらに返そうとアクラは「だが……」「しかし……」と考えているが、とうとうヤヒトを丸め込むことは叶わず、渋々といった感じで受け取ってくれた。


 ヤヒトはリュックを閉じ、背中に背負うと、一度深呼吸をする。


 「――では、本当にお世話になりました。セツナには俺が『ごめん』って謝ってたって伝えてください。あ、あと『ありがとう』も」


 「おう。まあ、これから大変だと思うが頑張れ。別に町に行ったからといって二度と村に帰ったらいけないなんてことはないんだ。いつでも遊びに来い。ってより、畑を手伝いに来い」


 「はい! 行ってきます!」


 まだアクラとゆっくりしていたいところだが、そろそろ発たないと山を下りる前に暗くなってしまう。

 後ろ髪を引かれる思いを気合いで断ち切り、一か月世話になったアクラの家を出る。


 村を出るまでに会った人は皆、「頑張れよ」とか「寂しくなるねえ」というような言葉をかけてくれた。

 まるで卒業式の後の門送りの時のような気分になってしまう。

 オニガ村の出入口まで来たヤヒトはくるりと振り返る。


 「お世話になりました。行ってきま――」


 誰にというわけではなく、村に向かって深く頭を下げた時、凄い速さで近づいてくる足音が聞こえた。

 昨日、「発つ時間はわからないから見送りは要らない」と村の皆に伝えたはずだが、誰かが見送りに来てくれたのだろうか。

 足音の主を確認するために顔を上げようとするが、その足は予想よりもかなり速かったようで、気付いた時には突撃を許していた。


 「うぐっ!」


 大きなリュックを背負っていたおかげで、背中や尻を地面に打ち付けるということはなかったが、衝撃の発生源である腹部には未だ何かが押し付けられているような違和感が残っている。

 恐る恐る目を下に向けると


 「セツナ……?」


 「――――」


 この村に来てからずっと一緒にいたのだから、ヤヒトがセツナを見間違えるはずがない。

 しかし、当のセツナはヤヒトが声をかけても何も答えようとせず、ヤヒトの腹に顔を押し付けたまま、しがみつく手に力を込めるだけだった。

 ヤヒトはどうしていいのかわからず、セツナの頭に手をのせて優しく動かす。


 「いきなり出てくなんて、ビックリしたよな。ごめん」


 「――――」


 「セツナのお母さんのこと、アクラさんに聞いたよ」


 「――――」


 セツナの体にキュッと力が入るのがわかった。

 アクラの予想通り、ヤヒトが冒険者になることを反対する理由は、冒険者として亡くなった母親の過去があるからだろう。


 「でも、俺は冒険者になるよ。強くなる。せめて、俺の手が届く人だけは守れるくらいには強くなる」


 きっとこんな目標などセツナにとってはどうだっていい。

 他の誰かを守れても、セツナが生きていてほしいのはヤヒト本人だから。


 今ここで大層な目標や理由を語ってもセツナは納得しない。

 建前や詭弁だって意味をなさない。

 だから、ヤヒトは心の底から思っていることだけを伝える。


 セツナが川で見つけてくれなければ、きっと大変な目に遭っていたかもしれない。

 セツナがいなければオニガ村のみんなと出会えず、異世界に身寄りのないヤヒトは一か月経っても孤独だったかもしれない。

 セツナが駆け付けてくれなければ、ツノグマのとの戦闘の末、最悪な未来が訪れていたかもしれない。

 セツナがいてくれたおかげで、たくさんの人と出会い、やりたいことが見つかり、そして生きていられた。


 たくさんの言葉と時間を使ってそれらを伝えたいが、セツナとヤヒトの間でそうする必要はない。

 ただ一言、ヤヒトは告げる。


 「セツナ、ありがとう」


 「――――」


 顔を押し付けられた腹に、じんわりと温かいものが染み込んでくるのを感じる。


 「冒険者は危ないんだよ」


 「うん」


 顔を埋めたまま吐き出される言葉をヤヒトはちゃんと受け止める。


 「いくら強くたって人は簡単に死んじゃうんだよ!」


 「うん」


 「ここで暮らさない? みんな優しいし、たまには町にも遊びに行けるよ」


 「ごめん」


 「……どうしても?」


 「どうしても」


 「――馬鹿」


 「――――」


 問答を追うごとに、セツナの手から力が抜けていく。

 そして、少しの沈黙の後、セツナは顔を上げる。

 いつもより赤い目から流れる涙はまだ止まっていない。


 「怪我をしたら嫌だよ」


 「俺ならすぐに治るから平気だ」


 「死んじゃったら嫌だよ」


 「セツナの知らないとこでは死なない」


 「――寂しいよ」


 「たまには戻ってくるよ。アクラさんにも畑手伝いに来いって言われたし、もうここは俺の故郷だから」


 「――――」


 「そうだ、ツノグマの角はセツナにあげることにしたんだ。何かに加工してもいいから、大切にしてな。あ、もちろん売ってお金にしたっていいけど」


 「売らない! 大切にする!」


 「そっか」


 話しているうちに、セツナの涙も止まり、声も少し元気になった。

 まだセツナとは話していたい。

 ヤヒトにとって、異世界での家族――妹のような存在であるセツナと別れるのはとても辛い。

 とても辛いが、


 「――もう行かなきゃ」


 「――――うん」


 冒険者になることをセツナが受け入れてくれたことに一安心する。

 村に留まるという選択肢はなかったにしろ、喧嘩別れのようにならなくてよかった。


 「最後にセツナと話せてよかったよ。じゃあ、行ってきます」


 「――ちょっと待って!」


 背を向け、歩き出したヤヒトをセツナが呼び止める。

 何かと思い振り向けば、セツナは握った手を突き出していた。

 最初は、別れのグータッチ的なノリかとも思ったがそんな雰囲気でもないし、握られた手の隙間から、ヒモが出ているのが見えたため、何かを差し出しているのだと察する。


 「これって、セツナがいつも着けてるやつだよな?」


 渡されたのは、セツナがいつもつけている赤い鉱石でできた首飾りだった。


 「うん。お母さんが私の七歳の誕生日に合わせて職人さんに頼んでたんだって」


 「ってことは、それって――! いやいや! そんな大事なもの貰えないって!」


 セツナのお母さんが亡くなったのはセツナの七つの誕生日の直前。

 つまり、この首飾りはセツナのお母さんからの最後の贈り物(誕生日プレゼント)であり、形見でもある。

 もしもこれがツノグマの角の代わりだとか言うのであればさすがに釣り合わないし、釣り合っていたとしても、簡単に受け取れるほどヤヒトも薄情ではない。


 両手を上げて受け取らない意を伝えるヤヒト。

 それでもセツナは引かない。


 「これは御守りなの! これのおかげでこんなに丈夫に育ったんだから! ヤヒトは冒険者になってこれから私よりもずっと危険な仕事もすることになるでしょ? だからこれを持ってて!」


 「いや、でもそれはセツナの大切なもので――」


 「もう! 分からず屋!」


 遂に痺れを切らしたのか、セツナはヤヒトの腹に魚雷のような頭突きをお見舞いをする。

 そうして、ヤヒトが堪らず体をくの字に曲げた瞬間を見計らって、セツナは首飾りをヤヒトに掛ける。


 「じゃあ元気でね! 大好きだよヤヒト!!」


 そう言って、一度ヤヒトを抱きしめた後、首飾りを返される前にとセツナは走って行ってしまった。


 「うぐぅ……。全く、分からず屋はどっちだよ。セツナ! ありがと! 行ってきます!」


 それが聞こえたかどうかはわからないが、ヤヒトは今度こそオニガ村を背に、町を目指して足を踏み出す。

次の投稿は21時予定です

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