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13話 治癒能力

 「は? いや……。え?」


 さっきまであんなに動き回っていたのに。

 後は村まで逃げ帰るだけだったのに。

 倒れたセツナの周りには赤い水溜まりができつつある。


 「グフゥ、ゴフゥ……。ゴガアアアアアァァ!!」


 立ち尽くすヤヒトの後ろでは耳がキーンとするほどの叫び声。

 振り返れば、痛みのせいなのか片目を失ったせいなのか、よろよろとバランスを取りずらそうにするツノグマの姿。

 残った片目をこれでもかと見開いてこちらを睨みつけるツノグマは、口から血と唾液をダラダラと流しながら興奮している。

 日の光を反射して黒光りしていた角は、どういうわけか紅をさしたように真っ赤に変色していた。

 しかし、そんな体色の変化などヤヒトにとっては些細なことでしかない。


 「ああ、そうか。お前がやったのか」


 「ゴアアアア!!」


 怒るツノグマをジッと見つめたままヤヒトがそう呟く。

 そういえば、セツナの背中の傷は、リーナがツノグマにやられた傷と似ている。


 ヤヒトはリーナを背中から降ろして近くの木に預けると、その隣にセツナを寝かせ、自分の服を包帯代わりに止血を試みる。

 ツノグマは威嚇しながらその様子を遠くから窺う。

 片目を潰されて頭に血が上っているにも拘らず警戒は怠らない。


 「獣のくせに獣らしくねえなお前。俺みたいな弱者にもそんなに気を張ってるなんて」


 処置を終えたヤヒトはツノグマの正面に立つ。

 いざ真正面で顔を合わせると、ツノグマというのは本当に恐ろしい顔をしている。

 初めて遭遇した時、至近距離でこの顔面を見て失神しなかったのは自慢になるのではないだろうか。


 「初めてって言えば、お前に襲われたのもここの辺だったよな? 覚えてるか?」


 「ガアアァ」


 「あの時は本当に痛かったし怖かったぞ。でもおかげでセツナやみんなと会えたのは感謝して――いや、別にお前に襲われなくても普通に山下りてオニガ村に着いてたか。じゃあ、やっぱりお前と会ったのは最悪だ。感謝の一つもない」


 ヤヒトの言葉をツノグマは理解しているのかわからない。

 まあ、理解していなくたっていい。

 これはただの独り言で、ヤヒトに対話をする意思は微塵もないのだから。


 「グゥルルル……?」


 ヤヒトとの距離が縮まる度に、威嚇だけをしていたツノグマがしきりに匂いを嗅いだりヤヒトの顔を食い入るように見つめるようになった。


 「――グフゥ!」


 手を伸ばせば指先が触れる距離になった時、ツノグマは大きな牙を見せつけるようにして笑った。

 いや、笑ったように見えただけかもしれない。

 まあ、どちらだっていい。

 ツノグマのがどんな感情を抱こうとヤヒトにとっては関係のないことなのだから。


 「なんだ覚えてるんじゃん。そうだよ。一月前にお前が襲った吹けば飛ぶようなザコだよ。いや、正確にはお前が軽く小突くだけで飛び散るようなザコだ」


 「ゴフゥ、ゴフゥ! グォルルルルル……」


 ヤヒトを警戒する必要もない存在だと判断したのか、ツノグマから出ていた圧が少し減った気がする。

 ツノグマの判断も正しい。

 ヤヒト自身が言うように、ヤヒトはただのザコだ。

 魔力の使い方も知らなければ戦う術も逃げる術もない軟弱な人間がツノグマの脅威になるはずがない。


 現に一月前がそうだった。

 そしてそれは今だって変わらない。

 しかし、ヤヒトはツノグマの前に立つ。

 取り乱すことも喚き散らすこともせずに。

 

 「――――」


 「グォアア!」


 変わらずツノグマはおぞましい笑みを浮かべたまま唾液を垂らす。

 いきなり噛みつくことも爪で切り裂くこもせず、次はどうやって遊ぼうかと考えてでもいるのか。


 「お前は頭が良いよな。相手の強さ見極めたり、危険な攻撃にには警戒したり。でも、いくら頭が良くたって結局のところ――獣だ」


 ヤヒトは拳を握り締めてツノグマを殴りつける。

 何度も何度も殴りつける。


 「お前のせいで! 俺の異世界生活は! 最悪だ! まだ何もしてないのに! 何もできてないのに! 俺の周りの人は! お前に殺されて! 結局俺も! 殺される! でも! 何もしないで殺されるのは! 嫌だ! だから――」


 そう言ってヤヒトは殴り続ける。

 拳を振るう、打ち付ける、叩く、殴る――。


 戦闘経験がなければ格闘技をしたこともないヤヒトの拳は、リーナのように早くない。

 魔力を使えないヤヒトの拳は、セツナのようにツノグマを押す力もない。

 むしろ、殴っているヤヒトの拳は、針金のように硬いツノグマの毛のせいで、皮膚が裂け、捲れ、血が滲む。

 殴ることに慣れていないせいで、手首も肘も、関節の至る所が悲鳴を上げる。


 それでもヤヒトは殴ることをやめない。

 それでもツノグマには一切通用しない。


 「この! 野郎が!」


 ヤヒトが無意味な攻撃をする姿を楽しそうに眺めていたツノグマも、しばらくすると鬱陶しくなったのか反撃に転ずる。


 「ガアアア!」


 ――――たった一歩、ツノグマが足を踏み出す。


 その行為を反撃と呼ぶにはあまりにも物足りない。

 きっとそれは、人が目の前を飛ぶ虫を払うのと同じで、ツノグマにとっては攻撃ですらないのかもしれない。

 それでも、その些細な動きはヤヒトをどうにかするのには充分。


 「っぐ……!」


 拳を振り上げるヤヒトのみぞおちにツノグマの深紅の角が突き刺さり、貫く。


 「ぐぅぅああああ!」


 溢れ出る血液が、角を伝ってツノグマの頭に新しい赤を色付ける。

 痛みとショックで意識が飛びそうになるのを必死で耐える。

 耐えて、耐えて、痛みに慣れたのか、それとも単に痛覚が麻痺しだしただけなのか、頭を働かせるだけの余裕ができたヤヒトは、首を動かして自分の()()()()()()()

 そして――――


 「だよな。やっぱりそうだよな――」


 一か月前、ツノグマに襲われたヤヒトの体はバラバラになったはずなのに、気付いた時には体には傷一つなくなっているという不可解な出来事。

 一番あり得るのは、ヤヒトのただの記憶違いや夢という話。

 そうでないとしたら、傷どころか千切れた手足や首まで治癒したなんていう馬鹿げた話だ。

 だから、きっと前者だろうと決めつけ、深くは考えないようにしていた。


 しかし、どうにも納得できない自分がいた。

 あんな恐ろしい出来事、川に落ちた瞬間まで覚えていて、実際にセツナからは川から救出された。

 服だって、ただ崖から川に落ちたというにしてはボロボロすぎる。

 ツノグマに攻撃されたのが事実であるなら体に傷一つ無いのはやはりおかしい。


 そうやって、記憶に散りばめられた違和感をヤヒトはずっと無視できなかった。


 ――だから、試したのだ。

 ツノグマの硬い毛皮を殴り続けることで自分の拳を傷つけ、簡単にかさぶたもできないくらいに出血させ、これがすぐに治るのかどうかを。


 一見、突拍子もない賭けに出たと思われるかもしれないが、実際それしかヤヒトに出来ることがないのだから仕方がない。

 もちろん、反撃されてズタズタのボロ雑巾みたいにされるんじゃないかと予想もした。

 それでも、どうせ賭けに勝ったら四肢がもげても首がちぎれても再生するのだからそんなリスクは有って無いようなもの。


 仮にそんな馬鹿馬鹿しい治癒能力なんかがなかったとしても、ズタズタにされたらきっと苦しむことなく即死できるだろう。

 まあ、実際はズタズタにされることなく、胴体の中心に穴を空けられるという比較的シンプルな反撃内容だったわけだが。


 そんなことより、今は結果だ。

 胴に角を突き刺されたまま宙ぶらりんにされるヤヒトの右手は――


 「――治ってる……。治ってる……!」


 流れ出た血はそのままだが、その出所はどこにもない。

 ほんの擦り傷さえ残さずに、ヤヒトの右手は元通り傷一つ無い状態に戻っている。

 治癒能力は夢でも記憶違いでも思い込みでもなかった。

 馬鹿げた話は現実で、つまりは、手足がひしゃげてバラバラになっても胴に穴が空いたても治るということだ。


 これで、魔力も無ければ並外れた筋力も、戦闘技術の一つだって持ち合わせていないヤヒトでも戦える可能性がグンと上がる。

 幸い、ツノグマとは密着している。

 これなら避けられない。


 「なあ、ツノグマ。お前は、本当に強いな。多分、あっちの世界から銃を持って来たって、俺じゃ敵わないかもな……」


「グオオオオォ」


 「ヶハ! ゲホッ!」


 ツノグマは角にヤヒトを突き刺したまま頭を軽く揺さぶる。

 黙れということだろうか。

 それでも、すぐに止めを刺そうとはしない。

 まだヤヒト(おもちゃ)で遊びたいようだ。


 「痛っ! 暴れんな畜生。何で早く殺さない? 俺なんかいつでも殺せるってか? 頭が良いせいで弱者をいたぶる楽しさでも知ったか? それとも、魔獣ってのはみんなそうなのか? ――でも、お前の敗因はその余裕だ。頭は良いみたいだけど、使い方は下手だ。所詮は獣だってことだろうな」


 「ガアア!」


 頭を振るツノグマの角が自分から抜けないようにしっかりと握り、ヤヒトはポーチから爆火魔石を取り出す。

 

 「お前、内側は柔らかかったな――」

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