11話 走るセツナ
「んぁあああ」
セツナは睡眠で固まった体を大きな伸びでほぐす。
目が覚めたのはいつもの自室ではなく、父であるアクラの部屋。
セツナの部屋は現在、療養のためにリーナに貸しているからだ。
外は暗く、水汲みに出るにはまだ早い時間だ。
寝直そうにも、アクラのいびきのせいですぐには寝付けそうにない。
「おしっこ……」
セツナは、催してきた尿意の解消のついでに夜風にでも当たろうとトイレから玄関に向かう。
「あれ?」
そこで、ある違和感を覚える。
玄関にはリーナの装備が置いてあったはずだが、それが見当たらないのだ。
リーナが部屋に持っていたのかとも考えたが、アクラから、「トイレに行く以外極力動かないように安静にしていろ」と言われていたし、わざわざ移動させる意味もない。
「一応確認しといたほうがいいよね。村に盗むような人はいないけど、万が一ってこともあるもんね」
念のためリーナが寝ている自分の部屋に行き、そっと中の様子を確認すると、装備どころかリーナの姿さえもなくなっていた。
トイレに行ったのならセツナとすれ違っているはずだし、もちろんアクラの部屋にいるはずもない。
「ってことはヤヒトのところかな?」
しかし、またもやセツナの予想は大きく外れる。
「ヤヒトまでいない!」
寝台に手を触れてみれば、まだ少し温もりが残っている。
抜け出してから三十分も経っていないと思われる。
「いったい二人ともどこに行ったんだろう? こんな時間に水汲みに行くはずないし、夜の散歩にしてはリーナの装備が無くなってるのはおかしいよね」
セツナが腕を組んで考えること数分――
「もしかして――山!?」
セツナは慌てて家を飛び出す。
リーナは自分一人だけ逃げ延びたことを気にしていた。
ヤヒトもデュアン達の死に責任を感じていた。
セツナの杞憂であればいいのだが、もしも二人が復讐かそれに類似した何かを考え、ツノグマのところに向かったのだとしたら、
「リーナはあんな体じゃ戦えないし、ヤヒトはそもそも戦えないよ!」
駆けるセツナの足により一層力が入る。
リーナ達がどこでツノグマと交戦したのかは、セツナは水瓶と荷車を片付けていたせいであまりよく聞いていない。
しかし、ヤヒトの遭遇情報を頼りに捜索していたのは確かである。
「ってことは、ヤヒトが流れてきた川を辿ればいいんだ!」
暗い夜の山を走る走る。
山育ちのセツナは夜目が利く。
周囲を警戒しながら走っていれば、つい最近誰かが通ったであろう足跡が目に入る。
足跡の数は五人分――いや、四人分の足跡の上に新しい足跡が二人分。
「ヤヒトとリーナだ!」
確証はないが、状況的にまず間違いないだろう。
二人の痕跡が見つかったのはいいが、それはつまりツノグマのところへ向かった可能性が高まったことを意味する。
しかし、ツノグマだってずっと同じところに留まっているとは限らない。
もうずっと山奥に引っ込んで行っているかもしれない。
「きっと大丈夫だよね……。ううん! 絶対大丈夫!」
不安を自らの言葉で無理やり押さえつけて、どうか二人がツノグマと遭遇することなく無事でいてほしいとセツナは心の中で祈る。
足跡を辿ってしばらくすると、木々が倒れ、見晴らしの良くなった地帯があった。
抉れた土や焦げた木がここで戦闘があったことを知らせる。
「――――」
表面が乾いて黒くなった血はきっとリーナの仲間のものだろう。
顔を覗かせ始めた朝日が過去の惨状を照らし出していく。
「ヤヒト達は……いない」
日の光のおかげで視界は良くなったが、ヤヒトとリーナの姿はここにはない。
キョロキョロと周囲を窺いながら歩いていると、
――バキバキバキバキ!!
「なに!?」
少し離れたところから大きな音が鳴る。
見れば、土煙を上げながら木々が大きく動いているのがわかった。
――――多分、例のツノグマだろう。
今セツナがいる地帯のように、向こうでも周囲の木をなぎ倒したに違いない。
つまりそれは、ツノグマが狩りか戦闘をしていることを意味するのだが、相手はきっとセツナの探し人の二人だ。
「――――」
到底ツノグマの仕業とは考えられない威力だったが、まさか今ので二人はやられてしまったのではないか。
そんな最悪な想像をしてしまうくらいには恐ろしい規模の攻撃だった。
呆然と立ち尽くすセツナは頭をブンブンと振って嫌な考えを追い出すと、急いで土煙の上がる方へ向かって走る。
「ヤヒト! リーナ!」
地面には二人の足跡が続いている。
足跡が向かっているは今の轟音がした方向だ。
二人が無事であることを信じて一心不乱に走れば、やがて誰かの声や何かが爆発するような音が聞こえ始める。
「ヤヒトとリーナだ! よかった! まだ生きてる! でも――」
二人が危機的状況であることは変わらない。
正直、このままセツナが追いついたところで状況が変わるかとは限らない。
むしろセツナまでやられてしまう可能性だってある。
今頃になって、アクラを起こして二人がいないということを伝えればよかったと、セツナは自分の短絡さ加減に後悔する。
「私が何とかしなくちゃ! 二人とも死なないで!」
木が折れる音や数回の爆音、一歩踏み出すごとにヤヒトの声が鮮明になる。
ようやく二人の姿がセツナの視界に入った時、それはまさに絶体絶命という状況だった。
倒れているリーナとそれを庇うように抱きかかえるヤヒト。
対するは、赤い血混じりの唾液を垂らしながら片腕を大きく広げるように構えた赤黒い毛をしたツノグマ。
双方の距離は離れているものの、これがツノグマの攻撃が届く間合いであることがセツナには容易に想像できた。
何故なら、掲げられたツノグマの腕に大量の魔力が集中しているのが見えるからだ。
単純に筋力を強化するだけならここまでの量の魔力は必要ない。
であれば、考えられるのは――
「魔法だ!! どうしよう! ここからじゃ間に合わない!」
ツノグマを叩いて魔法を止めるか、せめて二人から照準を逸らすことができればいいのだが、慌てて家を飛び出したセツナには武器もないし魔法も使えない。
このまま足を動かしていても二人にセツナの手が届くころにはとっくに魔法を放った後だろうが、だからと言って足を止めることもできない。
「どうしようどうしよう!! このままじゃ二人が死んじゃう!!」
頭と足を必死で回転させるセツナ。
人の手が入っていない山の中を考え事をしながら全力疾走していれば、盛り上がった木の根に足を引っ掛けるということも珍しくないだろう。
「あぅ! イデッ! もう! こんな時に……あっ!!」
派手に転んだセツナの目と鼻の先、橙色をした手ごろな大きさの石に気がつく。
セツナも実際に見るのは初めてだが、冒険者がよく使う魔石ということで知識だけはある。
「爆火魔石! これなら!」
セツナは爆火魔石を手に取るとガバッと立ち上がり、そのまま大きく振りかぶると、
「おーりゃああああ!」
全身全霊を込めた投擲は、セツナが走るよりもよっぽど早い速度でツノグマに向かって一直線に進む。
直後、ツノグマが腕を振り下ろす動作を見せるが、セツナの投げた爆火魔石がツノグマの横っ腹に当たる方が早かった。
――ドパアアアン!
不意の爆発はツノグマのバランスを崩すには十分な威力があった。
振り下ろされる腕はヤヒト達から外れ、すぐ近くの木々を派手に切り開く。
「やった!!」
何とか手遅れにならないで済んだことを喜ぶセツナは、投石をした勢いのままヤヒト達所まで走り切り、遂に念願の合流を果たす。
未だに何が起こったのかわからないといったふうなヤヒトに向かってセツナは大声で怒鳴りつける。
「もう! 勝手にいなくなったらダメでしょ!! リーナは安静にしなきゃだし、ヤヒトは弱いのに! 私が間に合わなかったら死んでたよ! って、リーナどうしたの!? まさか間に合わなかった!? どうしよう!!」
「ご、ごめんセツナ! 助かった! あとリーナはまだ生きてる! けど倒れちゃってる! 気絶! それと、このツノグマはどうしたらいい!?」




