余裕の勝利。
「馬鹿にしているつもりはなかったのですが、そう聞こえたならごめんなさいね、筋肉坊や?」
「なんだとォォオオッ!!」
「く、クラウスさんっ! 落ち着いてください!」
安い挑発に乗せられた坊やは、雄叫びを上げながら私を睨み付けてきました。
彼の体から発せられる熱気がより一層強くなったことで、眼前に佇む筋肉坊やが完全に臨戦態勢になったことが理解できます。
この展開は願ったり叶ったり。
冒険者というものをなめたような私の態度に、愚直に突っかかってくるイノシシがいて、助かりました。
なにせ、この冒険者ギルドに置いて、手っ取り早く自分の実力を示す方法というものは、昔も今も変わりません。大昔に来たときも、子供だと見くびって来た相手を撃退した結果、先代さまに拾っていただけたのです。
良くも悪くも弱肉強食。
実力さえ示せれば、子どもだろうが老人だろうが拾って貰える。
それが、冒険者。
ここは、完全実力主義の世界です。
当然、私は74年前――6歳の時の再現を狙うつもりでそこまでやってきました。
「ゥがぁアアアアア!!」
筋肉坊や――受付嬢の子はクラウス、と、そう呼んでいましたか。彼女の呼び方を少し変えて、これからは、クラウス坊やと呼ぶことにいたしましょう。
そんなクラウス坊やは、この雄々しい雄叫びと共に、私目掛けて木の幹のような太腕を振り下ろしてきました。
正直、それは何の技術の欠片もない、力任せな動きとしか言えないものです。
けれども動き自体は中々に早く、これに技術が追いついてくれば、彼はそれなりに名の売れる冒険者になることでしょう。とはいえ、現状はそれには遠く及ばず。
早いだけの単調な動きなど、こぶしの動きをこの目で見る必要すらありません。拳を突き出すたびにグラグラと揺れる 重心を見れば、彼がどこに攻撃しようと思っているのかなど、一目瞭然です。
拳をフェイントにして、蹴りで私の足を破壊したいのが見え見えなんですよ。
「畜生何で当たらねェんだ!?」
「あなたの技量不足です。あなたの見え見えの攻撃を食らう 馬鹿なぞ、それこそ、ワイルドゴブリンくらいしかいないのではありませんか?」
「バカにしやがってェエエッ!!」
「すぐ頭に血が昇るその癖、改善した方がよろしいですよ。冒険者に限らずいかにして常に冷静でいられるかが、とっさの判断で間違いを起こす確率を減らすのですから」
「……ッ!!」
完全に冷静さを失ってしまいました。彼は今、前が見えていない。そんな中で これ以上続けても不毛でしょう。
そろそろ終わりに向かう時です。
振り下ろされる坊やの腕へ、手を伸ばします。
そして坊やの手首へそっと掌を宛がって。
「うおぉおおっ!???」
ごろん、と。
その巨体を転がしました。
観衆からどよめきが上がります。
彼の立派な体格も相まって、さながら闘牛士の気分です。
「な、何をしやがった!?」
「私が何をしたのかもわからないようでは、あなたが一流の冒険者になるのは不可能ではないでしょうか?」
「んだとこの野郎ッ!」
「おそらく、今の場面を見ていらっしゃった冒険者の皆様は、私があなたに行ったことについて、明確に理解できているはずです」
「…………!」
「なんせ、今のは体術の中でも初歩中の初歩なのですから。…………もう終わりにしましょう。私があなたより強いことは、証明できたでしょう?」
「……へっ。まだだ。投げられたのは偶々かもしれねェだろ? それに、こんな中途半端なところで止めるなんぞ、俺の道理に反するんでなァ!!」
全く、力を無駄に使うのもまだまだ彼が荒削りであることを明確に証明しています。ですがあそこまで 一方的に投げられてもまだ私に向かってくる度量その一点では、立派な冒険者と言えるでしょう。
「オオオオオッ!!!」
再び獣のような雄叫びを上げながら、右肩を前に出して腕を組んだ坊やが突っ込んできます。
所謂、タックルです。
昔ならば、そのまま受け止めて力勝負の押し合いに持ち込む所なのですが、今の私では到底受け止められませんし、押し返すことも儘ならないでしょう。
老いというのは、本当に恐ろしいものです。
と、言うわけで。
私は彼の肩に触れ、力の軸を前から横へとズラします。
しかし、いくら 荒削りとはいえ、彼も冒険者という死亡率の高い職にありながら、ここまで生き続けている猛者の一人です。そう何度も、同じ手を食らってはくれません。
力の軸をズラしていなそうとした瞬間、彼は畳んでいた右腕を広げ、私の顔面目掛けて、やや変則ながらもエルボーを仕掛けて来ました。いい対応策です。
確かに普通の人間ならば、反応が追いつかず、まともに攻撃を食らったかもしれません。
しかしそれでもまだ動きが若い。
猪突猛進なのは良いことですが、多少のフェイントは入れるべきです。
「うぉっ!? ――……ぐァアッ!!???」
伸ばされた腕をさっと取って極めながら引っ張り込み、彼の体の軸を徹底的に崩した瞬間に腕を解放して、突進のために作り出された力を思い切り下方向へ放出させます。
これも、過程が違うだけで先程と同じ技と言えるでしょう。動き的に言えば、モロに闘牛士のそれ。
第2の人生、闘牛士という選択も、もしかしたらあったのかもしれませんね。認可されるかはともかくとして。
「ぐぅううっ……痛ェなぁ、オイ…………!」
本当はゴロゴロと転がすつもりでいなしたのですが、体勢的に受け身が取れなかったのか、受け身を取るだけの反射神経が無かったのか、坊やは地面と熱いキスを交わしました。
投げ技なんて、数十年ぶりに使いましたよ。
「ところで、あなたはまだ続けるつもりですか? 頭から落ちたせいで、脳震盪気味のようですが」
「当たり前、じゃねぇかァ!!」
「クラウスさんこれ以上は危険です! あの方の言う通り、今のあなたには脳震盪の症状が……!!」
「関係ネェ。 ――行くぞババァ!」
本来なら、かかって来なさい――……とでも言ってやりたいところですが、さすがに 脳震盪を起こされていると少し困ってしまいます。
私たちは、それはそれは派手に荒々しく喧嘩をしていますが、殺し合っている訳ではありません。それに喧嘩と言っても、初撃をいなしてからは敵意をほとんど感じません。
それどころか、今はこの状況を楽しんでいるかのような雰囲気さえ、感じます。脳震盪気味なのにも拘らず、私と交戦する意思を見せるのですから、相当な戦闘狂なのでしょう。
とはいえ、です。
このまま続けるのは普通に危ないですし、下手をすればセカンドインパクト症候群を発症する可能性も大いにありますから、ここでケリをつけましょう。
私は親指と小指で輪を作り、残った3本の指を彼に向けて、柔らかく息を吐きました。私の息は白い靄となり、未だ鼻息荒い彼を飲み込むと、壁に当たって霧散する。
坊やは私を焦点の合わない目で見つめながら、ぼーっと その場に立ち続けています。
「ク、クラウスさん……? どう、されたのですか……??」
受付嬢の子が彼に声をかけますが、何の反応も起こしません。当然です。彼は立ってはいますが、脳みそは眠っている状態なのですから。
「そう 心配せずとも大丈夫ですよ。彼には私の魔法で少しばかり眠っていただきました」
「ま、魔法!? あなたは魔法が使えるんですか!?」
「ええ、使えますとも。――……それでは 改めて」
一度大きく息を吸い、受付嬢の方を見る。
「私はリナリア・スカビオサと申します。この度は 冒険者登録の手続きをお願いしたく、冒険者ギルドへと馳せ参じました。手続きをお願いできますでしょうか?」
「は、はい。こちらへお座りください……!」
あぁ、よかった。
これで しばらく生活に困ることはなさそうです。
さあ、これからは心機一転。
冒険者としてバリバリと働いて行きましょう。