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カラス令嬢は幸せになりたい  作者: 朝食ダンゴ
8/20

婚約

「茶を淹れるか?」

「結構です」

 部屋で飲んできたばかり。これ以上は胃が重たくなる。

「そうか」

 それきり公爵は口を閉ざす。テーブルを指で叩いたり、時折こちらをちらりと窺ったり。重苦しい沈黙が続いた。

(なんなのよ?)

 なかなか話を切り出さない公爵にしびれを切らした智花は、うんざりしながらも助け舟を出すしかなかった。

「お父様。何か御用がおありなのでは?」

「ああ……そうだ」

「ではどうぞお話になってください」

 僅かに驚いたようなそぶりを見せ、公爵はこめかみを触る。

「お前の婚約が決まった」

「婚約、ですか」

「お相手はジェラルド王太子殿下だ」

 智花は内心で舌打ちをする。

 小説内でもレイラは王太子の婚約者だった。エリーとジェラルドの愛を育むための当て馬である。

「婚約記念品をもらってきた。見てみなさい」

 公爵はテーブルに置かれているジュエリーケースを開く。中にあったのは、大粒のエメラルドをはめ込んだ銀の首飾り。

「どうだ。美しいだろう」

「はい。とても」

 公爵はどこか得意げである。それもそのはず。レイラは王太子との婚約を切に望んでいた。王太子妃、また未来の王妃ともなれば、自分を蔑ろにする者はいなくなるに違いない。誰よりも敬われ、大切にされるに決まっている。そう信じていたからである。

 レイラは事あるごとにジェラルドにしつこく言い寄っていたが、決して彼に気があったわけではない。ただし周囲はそう見ていなかった。レイラ・シュネーグランツは王太子ジェラルドに恋慕し、身の程知らずにも婚約を望んでいると、令嬢達は陰でレイラを笑い者にしていた。

(あんな奴と婚約? まっぴらごめんだわ)

 その婚約の末路を、智花はよく知っている。ジェラルドはレイラという婚約者がありながら別の女を愛し、果てにはレイラを追放してしまう。悪事を働いたレイラの自業自得と言えばそれまでだが、智花の脳裏に貼りついたジェラルドへの悪印象は拭えない。

 智花は無意識のうちに脚を組んでいた。

「どうした? 嬉しくないか」

 実の父とはいえ公爵を前にして無礼な振る舞いである。だが彼は娘の浮かない表情の方が気になるようだった。

(嬉しいわけないでしょうが)

 とはいえ本心をそのまま口にするのは憚られた。多くの日本人の例にもれず、智花は角の立つ言い方を厭う傾向にある。

「正直……戸惑っています」

「何故だ。あれほど王太子との婚約を望んでいたではないか」

「本当に叶うとは思っていなくて。ほら、私なんかが王太子妃なんて、恐れ多いといいますか」

「なにを言う。お前はシュネーグランツの令嬢だ。十分にその資格がある」

「ですが殿下が私との婚約を望まれないかと。それに……こんな髪の女が一国の王妃では、王室の求心力も落ちましょう」

 公爵が眉を寄せた。

「お前の髪や目をとやかく言う連中がいることは知っている。だがそんな奴らには構うな。お前は間違いなくこのシュネーグランツの血を引いているのだ」

 そう言うならまずは家の中での扱いを改善しろ。喉元まで出かかった思いを、智花はぐっと堪えた。

「その連中に、殿下も含まれていることをご存じですか?」

「それは……」

「隠されずともいいんです。殿下は私との婚約を嫌がっておられたでしょう。それでも了承したのは、王室とシュネーグランツの利害が一致したからでは?」

「レイラ」

「みなまで仰らないでください。貴族に政略結婚はつきもの。よく心得ております」

 この婚約はレイラが望んだから実現したのではない。その如何を問わず、ジェラルドとレイラの婚約は必然であった。

 智花は作中で語られた事情を思い返す。

「四大家門が力を持ち始めてから、王家は以前までの輝きを失いつつあります。シュネーグランツは四大家門のひとつではありますが、勢力は他の後塵を拝している」

 スピリタス王家は繁栄しているように見えて権威に欠いている。現国王アンリは、精霊信仰の聖地である聖国への巡礼を怠り、教皇の祝福を得られなかった。祝福を受けない国王は歴史的に例のないことであり、精霊信仰の根付いた文化圏での宗教的権威を失ってしまった。

 対してシュネーグランツの血は、その権威を有している。かつてのシュネーグランツ公爵は教皇の娘を娶り聖国との繋がりを強めた。雪のような銀の髪は聖なる血の証とされ、代々シュネーグランツの宗教的権威を象徴してきたのである。

(大昔のシュネーグランツ公爵に嫁いだ教皇の娘ネロが、伝説に語られる銀の乙女だったんだっけ)

 結局のところ、この婚約には政治的な思惑が絡んでいる。王家が強くならなければ国家はひとつにまとまらないし、王も公爵もそれを憂いている。

「この婚約の目的は、王家とシュネーグランツの結束を強め、お互いの欲するものを分け合うこと。流石はお父様。臣下の鑑です」

「……よく、勉強しているな。誰に教わった?」

「考えればわかることです」

 公爵は面食らっていた。政治と関わりのなかった娘が国と王家の問題に通じていることが意外なのだろう。レイラが知らずとも、智花は知っている。

「王家に嫁ぐことで国が救われるなら私も本望です。ですが銀の乙女が現れたとなれば、話は変わってきましょう」

 智花はあえて悩ましげな表情を作る。

「精霊の啓示がどういったものかは、私も人伝に聞きました。未来の王と共にこの国を治めよ、でしたか?」

「あれは力を合わせろという意味であって、夫婦になれということではあるまい」

「聞くところによれば、殿下はすでに銀の乙女を見初められたとか」

「なに? そんなことは」

 公爵が知らないのも無理はない。ジェラルドは物語中盤までエリーへの想いを秘めていた。レイラと婚約していたし、そもそも恋愛に奥手な性格だった。けれど智花は、ジェラルドがエリーに一目惚れをしていたことを知っている。作中で本人がはっきりそう言っていたから。

「待てレイラ。どうしてお前がそんなことを知っている」

「さて。そんな気がしただけです。女の勘とでも言いましょうか」

 追及するような公爵の視線から、智花はぷいっと顔を背けた。

「殿下のお相手には、私より銀の乙女が相応しいかと。彼女が王太子妃になれば、王家は権威を取り戻せます」

 その結果、シュネーグランツが目論む王妃輩出は成立しなくなるが、智花の平穏な暮らしに比べればなんてことはない。

「レイラ。なぜ父を困らせるようなことを言うのだ」

「ですが。こんな状況で殿下との婚約など、私が恥をかいてしまいます。私の恥はすなわちシュネーグランツの恥。お父様もそれは本意ではないでしょう?」

「……この話は保留にしよう。後日、殿下と顔合わせの場を設ける。決めるのはそれからでも遅くあるまい」

(え、めんどくさ)

 と心の中で呟きながら、

「では、その時、その首飾りを持って参ります」

「ああ、それがいい。お前によく似合うだろう」

「ありがとうございます」

 智花はにこりと微笑んだ。

 持っていくとは言ったが、着けていくとは言っていない。

(婚約記念品? 笑わせないでほしいわ)

 顔を合わせたら、箱ごと投げ返してやるつもりだ。

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