公爵家②
「仕方あるまい。今年は折悪く乙女の生誕祭と重なってしまった。そんな日にパーティなど開いても顰蹙を買うだけだ。陛下の覚えも悪くなろう」
事もなげに言う公爵に、智花は呆れ果てた。
乙女の生誕祭とは、神話に語られる銀の乙女の讃嘆するお祭りである。ある者にとっては宗教的意義の深い厳粛な日であり、ある者にとっては年に一度大騒ぎできる歓楽の日である。いずれにせよ、国家にとって最も大切な祝日だった。
(事情は分かるけど、すこしは申し訳なさそうにしなさいよ)
理由があるから仕方ないという公爵の態度は気に入らない。謝罪のひとつでも口にすれば、レイラの心もすこしは救われただろうに。そう思わずにはいられない。
「ああ、なんて可哀想なの。十六歳の誕生日なのですよ? 今年はデビュタントも控えているのに」
大袈裟な所作で嘆くオリヴィアが、内心ほくそ笑んでいるのは間違いない。
「延期すればよいのでは?」
ぽつりと口にしたのは、智花の斜向かいに座る青年だった。レイラよりいくつか年上だろうか。公爵と同じ髪色で、顔立ちはどことなくオリヴィアに似ている。公爵家の長男バージルだ。
(わ、イケメン)
文句なしに端整な顔立ちである。前世で目にしてきた画面内のハンサム達と比べても遜色ない。むしろ銀髪と瑠璃色の目という異国情緒は、バージルをより魅力的に演出していた。
(あれがバージルか。エリーに惚れて、レイラの嫌がらせから守ったりしてたっけ。主要人物の一人だけあって男前ね)
中盤でジェラルドとエリーの固い絆を知って自ら身を引く。いわゆる負けヒーローと呼ばれる立ち位置の登場人物だった。
(でも嫌いだわ。レイラを島流しにするよう王太子に提案したのは、ほかでもないこいつだったし)
「あらバージル。それはとってもいいアイデアだわ」
抜け目なく、オリヴィアが愛息子の発案を拾い上げる。
「乙女の生誕祭はもう終わったのだから。レイラちゃんの誕生日パーティはこれからやればいいじゃない」
「それは無理だ」
公爵がぴしゃりと言う。
「あら? どうして? 少しくらい日がずれたってみんな気にしないわ」
絶妙に失礼なオリヴィアの発言に、智花は誰にも聞こえないように鼻を鳴らした。
「それどころではないのだ。これから宮廷は騒がしくなる。パーティをしている場合ではない」
公爵の言い分に、バージルが興味を示した。
「銀狼が降臨したと耳に挟みましたが、本当なのですか?」
「事実だ」
「とても信じられません」
「実際に見たという者が多くいる。ジェラルド殿下もその内のお一人だ」
「王太子殿下が……?」
「居合わせた娘が精霊の啓示を受けたと仰っていた。いずれ正式に発表されるだろう。といっても、すでに巷では大変な騒ぎのようだな」
精霊の啓示を受けた娘。まず間違いなく小説の主人公であるエリー・ヘンバートンだろう。
智花は『銀の乙女』の冒頭シーンを思い出す。
生誕祭の夜。夜市の出店で働いていたエリーは、街の広場に降臨した精霊の使いから啓示を受ける。、銀の乙女として精霊の力を振るい、未来の王と共にこの国を救い治めよという内容だった。お忍びで夜市にきていた王太子ジェラルドも現場に居合わせ、二人は精霊の下で運命の出会いを果たすのだ。
(今は、物語がちょうど始まったあたりか)
これからエリーは、銀の乙女の再来として国家の問題解決に取り組んでいくことになる。それは同時にレイラとの対立を生み、ひいてはレイラの破滅への始まりを意味する。
(別に関わるつもりはないけど)
わざわざ面倒事に首を突っ込まずともよい。これが現実で、このまま公爵令嬢として生きていかなければならないのなら、物語のレイラのようになるのはごめんだ。
「残念だわ。銀の乙女が現れたばっかりに、今年はレイラちゃんのお誕生日パーティはできないのねぇ」
智花が思案しているのをどう捉えたか、オリヴィアが頬に手を当てて呟いた。
周囲の顔色を窺って生きてきた智花は、他人の感情の機微を察することにかけては人一倍鋭かった。オリヴィアにとっては面白半分、残念半分といったところだろうか。壁際に侍るメイド達がこの光景を楽しんでいるのも肌で感じられる。
「かまいません。毎年あまり楽しいものではありませんでしたので」
智花の淡々とした言い様に、場の視線が集まった。公爵などは、ほんの僅か驚いているようにも見える。彼が何か言いかけたところで、
「あら。そんな言い方はよろしくないわ。祝って下さる方々に失礼でしょう?」
すかさずオリヴィアが口を挟む。
「あなた。どうやらレイラちゃんは拗ねてしまったようです。まだ子どもですから、そういうこともありますわ」
「……うむ」
レイラが誕生日パーティを楽しんでいなかったのは、日記を読んだ限り本当だ。公爵家主催のパーティとなれば多くの貴族を招待する。誕生日パーティといっても、招待客はレイラを祝うためではなく、公爵あるいは夫人との繋がりのために参加する。それだけならよくあることだが、彼らはレイラを腫れ物ないし見世物のように扱った。オリヴィアはそれを知った上で、とりわけレイラの誕生日パーティを盛大に執り行ったのだ。表向きは義娘想いの義母として、その実レイラを貴族社会の晒し者にするために。
(そんなことにも気が付かなかったの、レイラ。あんた鈍感すぎるわよ)
どこまでも純粋で愚か。だからこそ悪にも染まるのだろう。
朝食をすべて食べ終えると、智花は早々に口元を拭いて立ち上がった。
「まだ本調子ではありませんので、私はお先に失礼します」
これ以上ここにいると気分が滅入ってくる。
「レイラ。待ちなさい」
呼び止めたのは公爵だった。
「落ち着いたら私の書斎に来なさい。話がある」
「……わかりました」
この場では言えないようなことなのだろうか。
面倒事の気配を察し、智花は口元をへの字にしながら食堂を後にした。