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カラス令嬢は幸せになりたい  作者: 朝食ダンゴ
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エマ・コルターク

 その後。

 智花は部屋に籠ってレイラの日記を読み耽ったが、それがなかなかの苦行であった。分量が多いのはまだいい。問題は内容である。レイラの日記はそのほとんどがネガティブな感情で埋められている。憎悪、苦悩、怨恨、慟哭。それらを読み続けるには相当な忍耐力が必要だった。

 それでも智花が読むことをやめなかったのは、なによりも共感が勝ったからだ。

「どうして私がこんな目に遭わなきゃならないの。どうして私だけ」

 何度となく書かれたフレーズを読み返す。

「みんなが私を責める。誰も助けてくれない」

 震える手で書かれたであろう字。

「幸せになりたい。世界中の人たちが羨むくらい幸せに」

 指でなぞっていると、レイラの心情が直に伝わってくるようだ。

「精霊様。精霊様。どうか私の願いを聞いてください」

 そこで智花は、文字をなぞる指をぴたりと止めた。

 屋上から飛び降りた時に聞こえてきた声。

(あれはレイラの祈りだったのね)

 何の因果か智花がそれを受け取り、レイラ・シュネーグランツとして目を覚ました。

(あの時……生きたいと願った私の祈りを、レイラが叶えてくれたのかも)

 だとすれば、レイラの声を聞いた智花は精霊様なのだろうか。世界の調和を保ち、生きとし生ける者を見守るとされる超越的な存在。

「なんてね。私も大概ロマンチストね」

 自分がそんな御大層な存在であるものか。レイラと同じく無力な小心者に過ぎない。

 だしぬけに部屋の扉が開けられたのと同時に、智花は日記を閉じた。

「まだ着替えてなかったの? もうお昼よ」

 半笑いで現れたのは赤毛のメイド。エマ・コルタークだ。

「いい御身分よねぇ、公爵家のご令嬢って。朝から夜までのんびりして、お茶会やパーティに行ってればいいんだから」

 嫌味たらしく言いながら近寄ってくるエマにかまわず、智花は日記を引き出しに仕舞う。

「一日中せわしなく働くあたし達に、なにかご褒美があってもいいと思わない? カラスのお嬢様?」

 デスクにつく智花の両肩に、後ろからぽんと手がのせられた。

 冷えた背筋に、薄ら寒い恐怖と痺れるような怒りが迸った。

 エマは事あるごとにレイラから金目の物をせびっていた。

 冷遇されているとはいえ、レイラが対外的に必要とするドレスやアクセサリは常に新しいものが用意されていた。それらを下賜という形で懐に収めるのが、メイド達が作り上げた習慣であった。

(まったく……馬鹿げてる)

 仮にも公爵令嬢であるレイラを、どこまで軽んじれば気が済むのか。

 智花はエマの手を押しのけるように立ち上がり、振り返りざまに椅子を蹴り倒した。静かだった部屋に大きな音が響く。

「なによ。またみっともなく暴れようっての?」

 想定外の事態に、エマの表情は引き攣っていた。

「ねぇ」

 智花はエマに詰め寄る。意図せず見下ろす形になったのは、レイラが長身だからだ。

「ろくに仕事も出来ないメイドに、どうしてご褒美をあげなきゃならないの?」

「なんですって?」

「あんたは無能よ。食事一つまともに用意できないノロマ」

「こ、このっ――」

 エマが衝動的に掴みかかってくるが、智花は一切たじろがない。

「殴ってみれば? あんたにそんな勇気があるならね」

 メイド達はレイラに暴力を振るわない。小説を読んでいた智花にはそれがわかる。作中では大きく肌の露出したドレスを着ていたレイラだったが、その体には些細な傷痕ひとつなかった。黒い髪と瞳に不釣り合いな陶器のような肌、と描写されていただろうか。日記から読み取っても、レイラは身体的虐待は受けていない。貴族は世間体を重んじる故、令嬢の体に傷がつくことをよしとしないからだ。

 たとえ手をあげられたとしても大した問題ではない。智花の人生において殴られることは日常茶飯事だったし、嫌でも痛みには慣れなければならなかった。今さら女の細腕に殴られるくらいどうってことはない。

「いつまでそうしているつもりなの? 無礼にもほどがあるわ」

 エマはぱっと手を離して後退った。

 レイラの黒い瞳は、ただ睨むだけで相手に忌避感を与える。呪われているとでも言わんばかりに。

 甚だ癪ではあったが、相手を威圧したい時は便利だと思った。

 エマは耐えきれず目を逸らす。そうなれば、この場の支配権は智花が握ったも同然だ。

「跪いて謝罪なさい」

「は、そんなの」

「私が血を流すようなことになれば、必ずお父様のお耳に入るわ。そうなれば公爵家の威信にかけて責任を追及するでしょう。けれど、一メイドが怪我をするくらい誰も気に留めない」

 デスク上の花瓶を取る。

「今度は手じゃなくて、顔に傷を作ってあげるわ」

 なにげない口調だったからこそ、その声は真実の響きをもってエマの心に届いた。エマの手の甲にある古傷は、かつて幼いレイラが癇癪を起こした時につけたものだ。エマの記憶には、未だそのトラウマが染みついているらしかった。

「申し訳ありませんお嬢様。ほら、これでいいんでしょ――」

「跪けと言ったわ」

 花瓶を振り上げると、エマは喉を引き攣らせ、倒れ込むようにして両手両膝をつく。

「生意気なことを言って申し訳ございませんでした!」

 許しを乞うエマの顔は屈辱に歪んでいた。

 心にもない謝罪であることは明白だが、エマ自らが非を認めたという事実は後々になって彼女の矜持を蝕むだろう。

「謝罪の仕方まで下手くそなのね」

 笑い交じりに吐き捨て、花瓶を下ろす。

「出ていきなさい。今後は顔を見せないで。私の身の回りの世話はすべてニコルにやらせなさい」

「そんな!」

 エマは公爵令嬢付きのメイドという立場に執着している。レイラを自身の装飾品か何かのように考えているのだろう。

「仕事のできるメイドが欲しいの」

 エマの歯ぎしりの音が聞こえた。

「あ、あたしがあの子より劣っていると仰るんですか」

「少なくともあの子はレディに対する礼儀を弁えていたわ」

 エマが言葉に詰まったのを、智花は見逃さない。

「話は以上よ。下がって。何かあればニコルを介して聞くわ」

「……失礼いたしますっ」

 反抗的な目のまま、エマは逃げるように部屋から出ていった。

 溜息。

(まったく。とんだ茶番だわ)

 公爵令嬢ならばメイド一人やりこめるくらいわけないだろうに。レイラは地位という力の使い方を知らなかったのか。

(いいえ。そんなはずない)

 アカデミーでは、レイラは父の権力を笠に着て好き放題やっていたのだから。

(メイド達に後ろ盾がいるってことか)

 なんとなく予想はついている。レイラの日記にちらりと書かれていた公爵夫人だ。レイラの母ではなく、第一夫人の方である。

(妾の子をいじめる。よくある話ね)

 けれど日記には夫人の悪口は書かれていなかった。自分は手を汚さず、人を使ってレイラを苦しめていたのかもしれない。

「最低」

 吐き捨てるように呟いて、智花はベッドに飛び込んだ。胸に渦巻く苛立ちを消化するには、横になってぼうっとするのが一番。

 今までずっと、そうやって苦痛をやり過ごしてきたのだから。

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