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カラス令嬢は幸せになりたい  作者: 朝食ダンゴ
3/20

メイドのニコル

 レイラの日記には、公爵家での苦衷が記されていた。そのほとんどは自身を蔑ろにする人間への怨嗟である。この恨み忘れてなるものかと言わんばかりに、受けた仕打ちが事細かく書き綴られていた。

(いじめられてたの? レイラが?)

 傲慢で悪辣な公爵令嬢。それがレイラの役どころであるはずだ。それがまさか家で使用人達に虐げられていたなんて。

「ありえない」

 黒い髪と瞳のせいで忌み嫌われようと、敵役としての品格を失わなかった誇り高き悪役令嬢。アカデミーでも社交パーティでも、いつだってレイラは居丈高な笑みを浮かべて主人公の前に立ちはだかった。財力と権力を振りかざし、気に入らない者達を一声で平伏させた。

 そんな彼女が、家ではメイドごときにいいようにされていたというのか。やりかえすこともできず、鬱憤を文字にして吐き出すしかなかったのか。

 智花の抱いていた強いレイラ像が、音を立てて崩れていく。

 けれどそれは失望ではなかった。むしろ親近感が増していくような気さえした。

 辛い本心などおくびにも出さず、なんでもないような振りをして、誰も知らないところで涙を流し不幸を嘆く。その果てに待っているのが、どうしようもない破滅だとわかっていても。

「ふふっ……」

 共通点をまた一つ見つけられたことに、智花は自嘲じみた笑みを漏らした。

 ふいに、部屋にノックの音が鳴った。

(なに? さっきは勝手に入ってきたじゃない)

 叩かれた扉をじっと見つめていると、控えめに扉が開き、先程とは別のメイドが顔を覗かせた。

「あの、お嬢様。お部屋に入ってもよろしいでしょうか?」

 おずおずといった風に尋ねてくる。赤毛のメイドとは違って、こちらの少女は幾分か礼儀を弁えているようだった。

「どうぞ」

 ぶっきらぼうな返事になってしまったのは、智花も多少なりとも緊張しているからだ。見知らぬ場所でメイドと接する訓練は受けたことがない。

「失礼します」

 配膳カートを押して入室してきたのは、栗毛色の髪をした若いメイドだった。今のレイラよりすこし年下くらいだろうか。伏し目がちでいかにも大人しそうな雰囲気の少女である。

 だがそれよりもっと気になったのは、彼女の頭から生えた特徴的な耳だった。

(ネコミミだ)

 髪の中からぴょこりと立った三角の耳に、智花は目を丸くした。獣人は作中にも登場していたが、実際この目で見られるなんて。

「朝食をお持ちいたしました」

 テーブルの前までカートを押したメイドはぺこりと一礼する。それから顔を上げ、智花の手が目の前に迫っていることに気付いて素っ頓狂な声をあげた。

「お、お嬢様っ……?」

 いつものように殴られると直感したメイドは、肩を震わせ目を瞑る。しかし、いつまでたっても痛みはやってこず、代わりに猫耳を撫でられる感触が伝わってきた。

「ふわふわ」

「へ……? あ、あの……お嬢様」

「あ」

 智花は完全に無意識に、メイドの耳を撫でていた。人間に猫っぽい耳がついている物珍しさと、小動物のふんわりした手触りを好むな性質が相俟って、すこし理性を失っていたようだ。

 流石にぶしつけ過ぎただろうか。智花は何事もなかったかのようにこほんと咳払いをしてごまかした。

「朝ごはんね。体調が悪いって伝わってるはずだけど」

「も、申し訳ございませんっ」

 智花の淡々とした物言いが不機嫌ゆえのものかと思ったか、少女は慌てて腰を折った。

(別に怒ってるわけじゃないけど、まぁいいか)

 あえて訂正する気も起きない。

「旦那様から、お嬢様にお食事を運ぶよう言いつけられまして……それで、その」

 言い訳がましく早口になるメイド。その狼狽ぶりを見て、智花は冷静さを取り戻す。

(公爵が? 娘を心配する父ってキャラだっけ?)

 レイラの日記を読んだ限りではそんな素振りは一切なかった。なにせ、いじめられている娘を助けようともしない父だ。小説では宰相として有能だと描かれていたが、家のことは夫人に任せっきりで、最低限の関与しかしない主義のようだ。

 智花の父もそうだった。家事も子育てもすべて妻任せの、家庭を顧みない仕事人間だった。そのせいで智花と母がどれだけ苦労したことか。思い出したら腹が立ってくる。

「すみません、すぐにお下げします」

 智花の怒気を感じたメイドはそそくさと退室しようとしたが、

「待って」

 その一言でぴたりと動きを止めた。

「食べるわ。置いていってちょうだい」

 どんな状況でもお腹はすくものだ。どんな料理を運んできたかにも興味があった。

「ですが……その……」

「なに?」

「いえ。準備いたします」

 ニコルは気まずそうに、食事の準備を進める。智花は彼女の猫耳を横目に、椅子についた。

「……ハッ」

 思わず笑ってしまった。

 テーブルに配膳されたものは、パンとスープ、それにサラダ。ところがパンは切れ端。スープは見るからに水で薄められており、サラダは廃棄処分するような野菜くずであった。間違っても大貴族の令嬢が口にしていいものではない。

「ねぇ」

「は、はいっ」

「あなた名前は?」

「ニコルと申しますっ」

「そう」

 先程からニコルは怯えた様子で智花を窺っている。その理由は明白で、レイラは事あるごとに彼女に八つ当たりをしていたからだ。

 公爵家の使用人ともなれば、それぞれが下級貴族ないし富裕層の子女である。その中でニコルは珍しく奴隷の身分であった。なぜ奴隷の彼女がメイドをしているのか甚だ疑問ではあるが、その身分ゆえ公爵家でも立場が弱く、メイド達からはいじめられ、レイラからは八つ当たりをされる毎日を過ごしていた。

 レイラもニコルの境遇を理解していたようだったが、奴隷を慮る余裕などなかったのだろう。ニコルへの八つ当たりは、公爵令嬢としての矜持を保つ数少ない手段の一つでもあった。

 自分より不幸な者を見つけ、それを足蹴にしては安心する。

(なるほど。たしかに悪役っぽいわね)

 レイラの行いが愚かであることは疑いようもない。同じことを智花がやってこなかったかと聞かれれば、はっきりと否定できないが。

「ニコル。これを見てどう思う?」

「申し訳ありません。お嬢様」

 ニコルは諦めたように俯き、悄然として謝罪する。

 いつもならレイラはニコルを叱責するのだろう。どこかでそれを見て笑っている者がいることに、智花は沸々と湧き上がる怒りを覚えた。同時に、ニコルに対する憐みも生まれる。

「謝らないで。怒っているわけじゃないから」

 智花は努めて笑顔を浮かべる。ニコルははっとして目をしばたたかせていた。

「父が私にこれを食べさせろと言ったの?」

「い、いいえ。旦那様はお食事を持っていくよう仰っただけで」

「じゃあ誰の指示でこんなものを持ってきたの?」

「それは……」

「答えて」

「……ミス・コルタークです」

「それって、エマ・コルタークよね? 気の強そうな、赤毛の」

 首肯するニコル。

(やっぱりね)

 先程の無礼なメイドに違いない。使用人の中でもそれなりの地位なのだろう。姓を持っているからには、どこぞの下級貴族の娘か。レイラの日記にもエマ・コルタークの所業は殊更多く記録されていたし、レイラいじめの中心人物なのだろう。

 智花は大きく溜息を吐いた。現実でもファンタジー小説の世界でも、人間の醜悪な行為は変わらない。

(咲希。こんなのがあなたの描きたかった世界なの?)

 物語には綴る者の心が表れるという。まっすぐで純粋に見えた咲希にも、淀んだ部分があったのだろうか。

「ニコル。怒らないから率直に答えて。これを下げて、まともな食事を持ってくることはできる?」

「……難しいと思います」

「どうして?」

「厨房は料理長が管理されていますし、メイドが勝手に食材を持ち出すことはできません」

(料理人達もグルってことね)

 この調子だと満足な食事にもありつけない。これが短い夢であればそれもいいが、残念ながらここは紛れもない現実のようだ。

「わかった、ありがとう。これはもう下げていいわ」

「……えっ」

 ニコルは、今までで一番驚いた表情をしていた。

「なに?」

「あ、いえ。なんでもありません。失礼しますっ」

 そそくさと退室していった小さな背中を見送ってから、智花は腕と脚を組む。

「嫌われてるなぁ」

 そんなに恐ろしい顔をしているだろうか。

 改めて鏡を見る。何度見てもとんでもない美人だ。長い黒髪と純白のネグリジェの組み合わせは、白無垢を身に纏った大和撫子を彷彿とさせる。

「けど、あなたの気持ちもわかるわ。レイラ。あなただって、私の気持ちがわかるでしょう?」

 尋ねてみても、もちろん返事はなかった。

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