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カラス令嬢は幸せになりたい  作者: 朝食ダンゴ


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19/20

 レイラが令嬢となって間もない頃、部屋からブレスレットがなくなるという事件があった。

 それほど高価なものではなかったが、公爵家に入る際に母から貰ったプレゼントであり、他のどんな物よりも大切にしていたものだ。

 会えなくなった母の想いが込められたブレスレットを失ったレイラは、錯乱して暴れ回り、部屋に出入りしていたメイド達を一人一人詰問した。怒り狂ったレイラは加減を忘れ、椅子や花瓶を振り回してメイド達に殴りかかり、エマ・コルタークに至っては火かき棒で手の甲を引き裂かれ、骨が見えるほどの大怪我を負った。

 屋敷中が大騒ぎになってようやく公爵が介入し、レイラは男の使用人達に取り押さえられたが、なくなったブレスレットはついぞ戻ってこなかった。

 公爵は悲嘆に暮れる娘を慰めようとはせず、高価な宝飾品を数多く与えることで問題を解決しようとした。そんなものでレイラの心が晴れるはずもない。質素なブレスレットに込められた母の愛には、どんな金銀宝石も敵わなかった。

 レイラが公爵に父の愛がないと悟ったのはこの時だった。親の愛情を渇望していたレイラは、代わりに高額な宝石を求めるようになった。高い物をたくさん買わせて、この家からお金をなくしてやろう。幼いレイラにできる精一杯の反撃だった。

 改めて日記を読み返したレイラは、溜息を吐いて天井を仰いだ。

(そうやって管理できなくなったドレスやアクセサリに、メイド達が目を付けたってわけね)

 レイラへの仕返しの意味もあったのだろうか。

 けれどこれではっきりした。メイド達がレイラの貴重品を奪っても咎められないのは、レイラ自身の贅沢のせいだ。ドレスやアクセサリがメイドの手に渡るのは日常茶飯事。公爵の無関心と、オリヴィアのメイド贔屓も原因の一環だろう。

(予想通り、高級品がなくなったところで誰も気にしない)

 これがレイラの所有物でなければ話は別だ。貴重な物が溢れている高位貴族の家では、食器一つから絵画一枚に至るまで厳重に管理されている。物がなくなれば屋敷内をくまなく探すのは当たり前。もし使用人の盗みが発覚すれば、厳しい罰が待っている。

(ブレスレットがなくなった時にそうならなかったのは、レイラが必要以上に暴れたせいね。そもそもそんな高いものでもなかったみたいだし)

 物の価値はそれを見る者によって大きく変わる。市場価値ばかりに目を向け、誰もレイラの心を理解しなかったのだ。

(ま、今度ばかりは逆でよかったわ)

 ジェラルドからの婚約記念品は、市場において破格の値がつき、世間的にも大きな意味を持つ一品だ。ところがレイラにとってはゴミ同然。百害あって一利なしの呪物に等しかった。

(精々活用させてもらうわ)

 公爵の執務室へと足を運ぶレイラの背中を、ニコルがせっせと追いかけている。

「お嬢様。本当に大丈夫でしょうか?」

「やる前から不安になってはだめよ」

「でも、持っていったのはボクですし」

「だから決定的な場面を押さえるの。私に任せなさい」

 レイラとて不安だ。上手くいくかどうかはやってみなければわからない。けれど、それ以上にレイラとニコルを蔑ろにするメイド達を懲らしめてやりたい。

「もしあなたが追い出されるようなことになったら、私も一緒に家を出るわ。そしたら一緒にお菓子屋さんでも開いて暮らしましょう」

「お嬢様……」

 感極まったニコルを見て、それも悪くないかもと思う。前世の趣味がお菓子作りだったし、咲希にもしょっちゅう振る舞っていた。咲希が作ったこの世界なら、前世と同じ食材もあるに違いない。

 執務室の前まで来ると、ちょうど部屋から出てきた執事長と出くわした。

「これはレイラお嬢様。旦那様に御用ですか?」

「ええ。お父様はご在室かしら」

「ただいま執務の最中でございます。時間を改められたほうがよろしいかと」

 老練な佇まいの執事長は、無分別な子どもを見る目つきでレイラを見下ろした。

「急ぎの要件なの。取り次いでちょうだい」

「御用ならこのメルビンがお聞きいたします」

 カラス令嬢の言うことだから、どうせ公爵を煩わせるだけの小事だろう。そんな内心を隠そうともしない。目は合わず、レイラの首あたりを見ている。

 ニコルは執事長のまなざしに触れ、ついレイラの後ろに隠れた。

(奴隷を連れ歩くなんてどういうつもりだって目ね)

 バージルも同じことを言っていた。この世界の常識ならそうなのかもしれないが、レイラにとっては違う。

(執事長のメルビン。この人も他の使用人と一緒か)

 家事と使用人を取り仕切る立場であるから、レイラの素行は逐一耳にしているだろうし、問題の後処理に追われてもいるだろう。彼がレイラをよく思わないのは当然だ。それにしても、令嬢に会って一礼もしないのは、筆頭使用人としていかがなものか。

「急ぎの要件と言ったはずよ。取り次ぐ気がないのならどいて」

「お嬢様。旦那様のお仕事を止めてまでの御用なのですか」

「そうよ」

 メルビンの脇をすり抜け、レイラは執務室の扉を開く。

「失礼いたします」

 ニコルの手を引いて入室すると、デスクについていた公爵がふと顔を上げた。

「レイラ? 何の用だ。この忙しい時に」

 大量の書類に囲まれている公爵。

 上司に押し付けられた書類を深夜まで処理していた前世を思い出し、レイラはふっと笑ってしまう。

 そんなレイラの前に割って入ったメルビンが、公爵に一礼した。

「申し訳ありません旦那様。すぐにお連れいたします。さぁお嬢様。御覧の通り旦那様は御多忙でございますから」

 と、扉に手を向ける。

 その手首を、レイラは容赦なく握りこんだ。

「出ていくのはあなただけよ」

 メルビンはレイラのか弱い力より、その黒い眼光にたじろいだ。

「お、お嬢様」

「娘が父に会うのに執事の許可が必要? いったい誰の前に立ち塞がっているのかしら。どうやら、シュネーグランツを甘く見ているようね」

「め、滅相もございません!」

 公爵の前だからか、シュネーグランツの名を出しただけで顔色を失うメルビン。眼鏡がずれるほどの勢いで頭を垂れた。

「出過ぎた真似を致しました。どうかお許しくださいお嬢様」

 白髪の後頭部をしばらく見下ろして、レイラはやっと手を離した。

「いいわ。今後は分を弁えることね。出ていきなさい」

「……ありがとうございます。失礼いたいます」

 メルビンは公爵とレイラに一度ずつ深々と一礼し、そそくさと部屋を出ていった。

 やり取りをじっと観察していた公爵は、厳格な表情は変わらず、どことなく愉しそうに鼻を鳴らした。

「あのメルビンを怯ませるとは。中々やるようになった」

 レイラは何も言わず、ニコルを連れてデスクの前に立つ。

「ご相談がございます」

「なんだ?」

「ジェラルド殿下から頂いた婚約記念品を、紛失しました」

「……なに?」

 公爵の顔つきが変わる。

「部屋に保管していたのですが、いつの間にかなくなっていました」

「最後に見たのはいつだ」

「昨日の朝です。殿下にお返しするものですから、忘れないようにと見えるところに置いておりました。それがいけなかったのかもしれません」

「どういう意味だ」

 レイラはニコルの背中に手を添えた。

「この子は数日前から私の世話を任せているニコルです。あの首飾りが昨日の朝まであったことを一緒に確認しています」

 ぺこりと深く礼をするニコル。

「婚約祈念品を頂いて以降、他のメイドには部屋に入らないよう言いつけています。私はここ数日部屋に籠りきりで、部屋を出たのは昨夜のディナーの時だけ。その時もこの子を連れて行きました」

「それで?」

「私は、メイドが盗んだと考えています」

「何故だ」

 レイラはニコルに優しく頷いた。レイラの意を汲んだ公爵もニコルの発言を待っている。

 ニコルは緊張の面持ちで声を絞り出した。

「お嬢様が夕食から戻られるすこし前、お嬢様の部屋の近くでメイドを見たんです。とても急いでいて周りを気にしているような素振りだったので、記憶に残っていました」

「ニコル。それが誰だったかわかる?」

「すみません。そこまでは」

 ニコルが頭を下げると、獣人特有の耳がぴこぴこと動いた。

「お父様、いかがでしょう。この際メイドの部屋をすべてひっくり返してみては。婚約記念品がなくなったとなれば、誰も文句は言わないでしょう」

「ふむ」

 レイラの言う通り、定期的な使用人の調査は必要だ。しかし事前に告知しては意味がない。この緊急事態を利用して一挙に捜索するのは願ってもない機会だった。

 公爵は黙りこんだまま、見定めるような視線を向けてくる。

(就活の圧迫面接に比べたら、これくらいなんともないわ)

 レイラには公爵を動かす自信があった。感情に訴えるのではなく、家門の利益を考える。今回の場合、婚約記念品の紛失を利用して使用人をふるいにかけ、また引き締める効果がある。無論、婚約記念品の捜索も重要だ。なくしたままでは、シュネーグランツの名に傷がつき、王室にも借りを作ることになる。

「仮にメイドが盗みを働いたとして、目星はついているのか?」

「証拠もないのに口にするのは憚られますが。あえて申し上げるなら……以前の私は不要になったアクセサリを幾人かのメイドに下賜しておりましたが、生誕祭以降は何一つ与えておりません。それに不満を抱いた強欲な者が手を付けたのではないかと考えております」

「……ふ」

 公爵の口元がにやりと歪む。それまで見せたことのない狡猾な笑みだった。

「いいだろう。騎士を使って宿舎を調べさせる」

 それが、次の瞬間には元の表情に戻っていた。見間違いだったのかもしれない。

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