信頼
「誰が謝れと言ったの? 私は何をしていたかを尋ねたの」
「どうか……どうかお許しください……!」
「三度目はないわ。なぜ引き出しを開けようとしていたのか答えなさい」
「……お嬢様の、装飾品を探していました」
ニコルは泣きそうな声になっていた。
「なぜ」
「ミス・コルタークに、持ってくるように言われて……」
「盗もうとした」
「ごめんなさい。ごめんなさい! もう二度といたしませんっ……! ですからどうか命だけは」
嗚咽交じりに許しを乞うニコルを、レイラは冷めた目で見下ろしていた。
「泣けば許されると思ってるの? あなたは、同僚に唆されて主を軽んじたのよ」
レイラはあえて厳しい口調で問い詰めた。たとえ脅されたとしても、令嬢の私物に手をつけようとした重罪は見逃せない。
ニコルは涙を流しながら謝罪の言葉を繰り返した。その姿はあまりにも惨めであり、同時に前世での自分を思わせた。
中学時代。いじめっ子に恐喝され母親の財布から現金を抜き取ったことがあった。すぐに気付いた母親に烈火のごとく叱られたが、その後に浮かべた母の悲しそうな顔は今でも忘れられない。臆病ゆえに悪事をはたらき、一番大切な人を傷つけた。ずっと消えない後悔の記憶。
「ほんとバカな子」
誰に向けた呟きだったか。
レイラはバスタブから出ると、体を拭いて部屋着に着替える。
その間、ニコルはずっと平伏したままだった。
「後始末をしてから来なさい」
浴室を出たレイラは、テーブルの上に無造作に置かれたいくつかのアクセサリを見た。今日着けていた宝飾品だ。手を付けられた様子はない。その中からエメラルドの首飾りを取り上げる。
(返却はまたの機会ね)
これが手元にあるうちは安心できない。できる限りジェラルドとの繋がりを消しておきたい。
(それとも公爵に頼もうかしら。破談の意志は伝えたわけだし、わざわざもう一度会いにいくこともないわよね)
それにしても美しい首飾りである。一体どれくらいの価値なのか。皇族と公爵家の縁談に用意されたものだから、とてつもない額なのだろう。レイラには想像もできない領域だ。
(ん? 待てよ。これ、使えるかも)
しばらく首飾りを眺めていると、ニコルが戻ってきた。濡れた床に平伏していたせいで全身びしょ濡れである。
「お嬢様、片付けが終わりました」
「こっちに来て」
「……はい」
「顔を上げなさい」
青ざめた顔で俯くニコルを見て、レイラはようやく同情の念を抱いた。死を恐れる気持ちはよくわかる。ましてニコルは十代半ばの少女。いつまでも怯えたままにさせておくのは心苦しかった。
「悪い子にはお仕置きが必要ね」
なかなか顔を上げないニコルの頭にそっと手を乗せる。血の気が引いて白くなった額に、力いっぱいのデコピンを打ち込んだ。
「あだっ!」
小気味よい音と共にのけ反るニコル。
「え……えっ?」
目に涙にためて赤くなった額を押さえている。
いたずらが成功した少女のような笑みで、レイラはからからと笑った。
「はいおしまい」
「あ、あの。お嬢様?」
「反省した?」
「もちろんですっ。って、ええと……」
ニコルは状況が呑み込めていないようだ。
実のところレイラはそれほど怒ってはいない。怒りより憐み。苛立ちより慈しみが勝っている。無論ニコルのやろうとしたことは許せないが、それは感情ではなく道理の話だ。正しい判断ができず選択を誤ったニコルをどうすれば戒められるのか。過去の自分自身に照らして、頭を悩ませている。
「ま、私も散々あなたに酷いことをしてきたしね。今回はこれで勘弁してあげる」
「お嬢様。お怒りになっていらっしゃらないんですか?」
「怒ってるわよ。あなたじゃなく、エマにね」
あの悪意は捨て置けない。彼女もまたレイラの幸福を妨げる障害だ。
「だから、懲らしめなくちゃいけないわ」
レイラはテーブルの上のアクセサリから適当なものを一つ取り、ニコルへと差し出した。ガーネットの指輪だった。台座には一目で一級品だとわかる精緻な彫刻が施されている。
レイラの意図が掴めず、ニコルは委縮した。
「私はこれから何日か風邪をひいて寝込むから。その間にここにあるものを全部エマに持っていきなさい」
「ええ! そんなっ」
「いいから。私に考えがあるの」
ニコルのピンと立った耳にそっと耳打ちする。それを聞いたニコルは目を丸くして口を押さえた。
「いい作戦でしょ?」
「でも、上手くいくでしょうか?」
「ニコル次第ね。申し訳ないと思っているなら、私のメイドとしてしっかり成果を出しなさい。誠意は行動で示すものよ」
先程の恐怖を思い出したのか、ニコルの表情が強張った。
「ニコル。どうしてあなたがいじめられるかわかる?」
「それは……ボクが獣人で、奴隷だからです」
「そうかしら」
智花は長い脚を組み、頬杖をついて微笑んだ。
「私は公爵令嬢なのにいじめられているわ。あなたをいじめてるのと同じ奴らにね。どうして?」
ニコルの肩が緊張感を帯びる。当の本人がいじめられていると口にし、次に何を言い出すか。ニコルは気が気でなかった。
「この髪のせい? それとも瞳? そうじゃないなら、妾の子だからかしら? いいえ違う。あのメイド達はいじめたいからいじめてる。自分より弱い者を見つけては、それらしい理由をこじつけて日頃の鬱憤を晴らしたいだけ」
自分を高める努力をせず、弱者を攻撃することで虚栄心を満たそうとする邪な者。
「そんな奴らに負けてられないでしょ」
レイラの目には力があった。ただならぬ決意に溢れていた。
「だから一緒に戦うのよニコル。私達が、二度と虐げられないように」
人間、何かを成し遂げるためには協力者が不可欠だ。
幸福の希求も同じだろう。誰かの助けなくして、不幸からの脱却はない。ならば境遇の似た者同士で力を合わせるのも悪くはない。きっとお互いの心を理解し合えるはずだ。
レイラはニコルの小さな手を取り、にこりと微笑んだ。
「ニコル。あなたを正式に私の専属メイドにするわ。精進なさい」
「あ、ありがとうございます! 誠心誠意お仕えいたします!」
極限の恐怖から解放されたせいだろうか。ニコルは畏まりながらも、感極まった面持ちで深く腰を折った。
「信頼してるからね。じゃあまずは、濡れた服を着替えてきなさい。そのままじゃあなたまで風邪をひいちゃうわ。ついでにこれも持っていくのよ」
ニコルの手にガーネットの指輪を握らせる。
「くれぐれも怪しまれないように」
「はいっ。お任せください!」
改めて一礼し、ニコルは慌ただしく部屋を出ていった。
「ほんとに大丈夫かしら……?」
すこし心配になりながらも、レイラは清々しい気持ちだった。
部屋を出たニコルも同じく、晴れやかな心になっていた。
(信頼してるって言ってくださった。奴隷で獣人の、ボクのことを)
これほど励みになる言葉があるだろうか。
辛さや悲しみでなく、嬉しさで涙が出ることを、ニコルはこの時初めて知った。




