4・変わらない
一度目の人生。
この城に住んでいる魔法使いを訪ねて、私はデュークと出会った。生まれた時から背中に、身体を蝕んでいく黒い片翼のアザを持っていた私は、彼に助けを求めた。助けてもらうはずが、私が彼に世話を焼いて二十五歳で死んだ人生だった。
二度目の人生。
初めての転生。今回も前世同様に不治の病を患っていた私はデュークに会いに行った。彼はまたひどい生活をしていたが、「私」だと気がつくとちゃんとした生活に戻って、今度は驚くくらい過保護にされた。今度は大切にすると言ってくれた彼と私は結婚したが、幸せな日々を過ごしてその七年後に死んだ。
三度目の人生。
また転生したことに驚きを隠せないまま、私はとりあえずデュークに会いに行った。彼は不老不死の身体を元に戻す研究をして暮らしていたが、私がまた転生したことを知るとかなり動揺していた。それから、どうして転生するのか調べる日々が続いたが、手がかりは掴めないまま。覚悟を決めたデュークに不老不死の薬を飲んでくれと頼まれたが、私はそれを口にした瞬間死んだ。二十一歳だった。
四度目の人生。
またデュークに会いに行った。貴族の娘に生まれた私を、彼は最初拒んだ。私はこの人生も不治の病にかかっていた。魔法で若くなった彼と一緒に全寮制の学校に通うことになり、卒業後は魔術研究会へ。結局病気というか呪いは消えずに、研究会の一室で生涯を終えた。
五度目の人生。
デュークに会う前に、魔物に襲われそうな子どもを庇って死んだ。この時はまだ十三歳だった。
六度目の人生。
城が残っているのを望みに、デュークに会いに行った。百六十三年ぶりに会った彼は、全てを悟った顔で私を迎えた。私が長生きするために、彼は一生懸命手を尽くしてくれた。でも、やっぱり私は二十八で死んだ。
七度目の人生。
会いに行くのを少しためらった。転生しても会いに行かない方がいいのか、悩んだ。でも、二度目の人生では結婚していた彼を、私はまだ好きだった。デュークの顔を見にだけ城を訪れた。遠くからこそこそしてたら、デュークに見つかった。また彼を悲しませて、二十六歳で死んだ。
そして迎えた、八度目の人生――。
「…………」
長い夢を見ていた気がする。
目を覚ますと、隣に幼い顔をして寝ているデュークがいた。
状況が分からず、寝ぼけているのかと思って彼に手を伸ばしてみると、パチリとその目が開く。
「……おはよう。やっと目を覚ましたか……」
「お、起きてたんですか」
ふかふかのベッドの上。デュークは上体を起こすと、魔法でカーテンを開ける。
眩しい朝日の光がたっぷり部屋を満たして、彼の美貌を鮮やかに引き立てた。
これは夢ではない。
私は昨日、またデュークのもとに戻ってきたのだ。
(そうか……。私、倒れたのか)
どうしてベッドに寝ているのか思い出した私は、ゆっくりと起き上がる。
「すみません。ここに着くまでずっと気を張っていたから、安心して力が抜けてしまったみたいです」
「しばらく安静にしてろ。お前、丸二日寝てたんだぞ」
彼はベッドから降りると、横に置いてあった水差しを手に取ってコップに水を注ぐ。
優秀な魔法使いの彼でも、個人の心労ばかりはどうにもできない。到着して早々面倒をかけて申し訳ないと思いながら、私はデュークを見つめた。
「ほら」
「ありがとうございます。どうりで、喉が渇いてるわけです」
魔法で冷やしてくれたのだろう。冷たい水で喉を潤すと、生き返った気分だ。
すると、ぐうぅ〜と腹の虫が鳴って、何とも言えない空気が一瞬流れる。
「……お腹、空きました……」
「だろうな。――ユン」
デュークはパチンと指を鳴らし、ユンを呼ぶ。
「リオラさま! お目覚めになられましたか!」
ユンはデュークの隣に現れると、ぴょんとベッドに飛び込んでくる。元は普通の猫だからか、すごく身軽だ。
「うん。すっかり寝坊しちゃったみたい」
私はユンの頭を撫でる。
「腹が空いたらしい」
「わかりました。準備します!」
ユンは切り替えると、厨房へ消えていった。
「今気がつきましたが、ここはデュークの部屋じゃないですか」
私は辺りを見回して、この大きなベッドがデュークの部屋にあるものだと気がつく。
彼が休むための、プライベートな空間だ。
「別にここでもいいだろ? 嫌なのか?」
「いえ……。優しい匂いがして、久しぶりによく眠れました」
私が昔好きだと言った香水の匂いがほんのり香る。デュークの匂いだ。
「……嗅ぐな」
「ええ。好きなのに」
毛布に顔を埋めたら、それを剥がされた。
デュークは顰めっ面である。私は苦笑した。
「じゃあ、その間に私はまたお風呂に入ってきてもいいですか?」
「わかった。くれぐれも――」
「もう十分寝たので大丈夫ですよ」
私はデュークが全てを言い終わる前に答えた。
今回はさっとお風呂に入って、すぐに上がる。
「あれ、ぴったりだ……?」
今回ユンが用意してくれた着替えは、先ほどまで着ていたものと違ってサイズがぴったり。
寝ていた二日で用意してくれたみたいだ。
再会する度に思うが、中身は同じでも姿が違う私を受け入れるのがスムーズ過ぎる。
何とも言えない気持ちになりながら、私は浴室を後にした。
「どこに行く」
「ん?」
食事の準備ができているだろうから、ダイニングに行こうとしたのに。廊下を歩いていたらデュークに引き止められた。
「病人はベッドで寝てろ」
「病人なんかじゃ――わっ」
宙に身体が浮いて、足が床から離れる。
デュークの魔法で私はふよふよ空に浮いたまま、廊下を進み出した。
「あの、自分で歩けま――」
「大人しくしてろ」
自分で歩けるのに、問答無用と言わんばかりにいなされて、部屋のベッドに座らされ。
「失礼します!」
すると次は、首尾よく料理を乗せたカートを引いて、ユンが部屋に入ってくる。
死に際になるとベッドに寝たきりになるので、病人の世話にも慣れてしまったか。迷いがない。
「……その。私、すごい元気なので大丈夫ですよ?」
しかし、今は別に体調を崩している訳ではない。
まるで仮病なのに、こんな風にしてもらうと逆に申し訳なかった。
「いいから。今日一日くらいゆっくりしてろ」
デュークはベッドの隣に少し大きめのサイドテーブルを置き、ユンと一緒に食事の準備をしている。
「食え」
「……えっと……」
彼は椅子に腰掛けると、料理の載った器を左手に。右手にはそれを掬ったスプーンを持って、私の口に向ける。
まだ看病されるには早いと思う。そして、元気な時にやられると、なんだか恥ずかしい。
戸惑っていると、デュークが眉間にシワを寄せる。
「嫌か……?」
「いただきます!」
彼の悲しそうな表情を見て、私はすぐに口を開けてスプーンを食む。
肉の少しこってりした出汁が効いていて、すごく美味しい。本当に病状が進行して食べるお粥とは全然違う。
「おいひいです」
「よかったですね、ご主人! ユンと一緒に料理の練習をしておいて!」
「え……?」
素直に感想を述べると、ユンがすかさずそう言って。
私は目を丸くしてデュークを見た。
「デュークが作ってくれたんですか?」
「少し手伝っただけだ。暇だったからな」
「……まさか、再会してこんな風に手料理を振る舞ってもらえるようになるとは思いませんでした。七回生き返ってみるものですね」
ぱちぱち瞬きを繰り返していると、彼は私を黙らせたいのかまたスプーンを差し出す。
「美味しいです、デューク。作ってくれてありがとうございます」
ちゃんと美味しいと伝えられる今が、どれだけ幸せなことか。
私は笑って、デュークの作ってくれた料理を平らげた。
「ごちそうさまでした。今度は私がお返しをしなくてはいけませんね」
「……シチューがいい」
「わかりました」
リクエストをしてくれる彼に、私はすぐ頷く。
味の好みも変わらないらしく、シチューを作るとデュークは必ずお代わりしてくれる。
これは腕に縒りをかけて作らねばならない。
ユンは空になった食器を片付けに行き、私はデュークとふたりきりになった部屋で口を開いた。
「ねぇ、デューク。私、全く眠くないんですが、ベッドにいないとダメですか?」
材料さえあれば、今日のお昼にでも料理をしたいくらいなのだが、彼は首を横に振った。
「お前が倒れるのを見て、俺がどれだけ焦ったか、わかっているのか?」
「……焦ったんですか?」
「当たり前だろ、馬鹿。絶対に過労でなんか死なせてたまるか」
デュークが珍しく怒っている。本当に嫌だったようで、ひどく顔を歪めていた。
心配させて申し訳なく思う気持ちもあるが、つい、嬉しさが勝ってしまう。
「へへ……」
「何笑ってる。栄養失調で倒れたんだぞ。あれだけ人に健康的な生活をしろと言ってた癖に、どうして自分のことになると疎い?」
つい笑ってしまったら、真顔でお説教が始まってしまった。こうなるとしばらくデュークの怒りは収まらない。真摯に受け止めるのが最善だ。
「お前はいつも危機感が足りていない。今回だって帝国から女の一人旅なんて、どう考えても無茶をしすぎだ。それも船旅。転覆でもしたら水死だぞ。どうして毎回、連絡を先に取るという選択肢を後回しにする。転生したことさえわかれば、すぐにでも迎えに行くのに。もっと自分のことを大事にしてくれと、あれほど……」
黙って話を聞いていると、デュークは言葉を止めた。まだ言いたいことはありそうな雰囲気だったけれど、彼はハァとため息を吐いて口をつぐむ。
部屋が一気に静まり返って、私は言葉を探した。
「……迎えに来てくれるんですか?」
「ああ」
「どんな場所でも?」
「ああ」
「何年、時間が経っていても?」
「ああ」
「どんな姿の私でも?」
「当たり前だろ」
あれこれと質問を繰り返しているが、デュークはどの質問にも当然のように即答していく。赤い瞳は全くブレない。
「……七百年も生きてるのに、他の人に揺らがないんですか? 恐ろしい精神力です。もしくはすごく鈍感なんですかね?」
「お前だって、通算百五十年くらい生きてるのに毎回自分の足でわざわざ俺のところに来るだろ」
「……」
ご尤もである。わかっているのなら、聞かないでほしい。私はどの人生だって、デューク一筋なのだ。他の選択肢なんて考える余地もない。
だが、こちらは短命なのだ。空白の時間がある転生者と長い時を過ごす不死身を比べないでいただきたい。
「だいたい、魂の片割れを迎えに行かない奴がどこにいる。結婚した時に交わした言葉を忘れたとは言わせないぞ?」
「……ん?」
私は文脈の予想範囲からずれる言葉が聞こえて固まった。
どうして今、二度目の人生で結婚したことの話が出てくるのだろう。
頭の中で荒く噛み砕き、私はデュークに尋ね返す。
「忘れていませんが、あれってまだ有効なんです? 結婚した時の私は死にましたが?」
不思議に思ったことを、そのまま口に出せば。
「――――は?」
沈黙の後、驚愕の表情を浮かべるデューク。
「……え?」
私はそれで初めて、自分が何かとんでもない間違いをしているのではないかと気がつく。
デュークの切長の目は、一番大きく見開かれていた。
「……お前……まさか……自分が死んだら俺たちの関係もリセット。とか思ってないだろうな……?」
「…………」
図星なので、全く言葉が出てこない。
だって、そうだろう。
死んだら、私の人生はそこで一度終わりだ。
毎回これが最後の人生だと思って死んでいる。決して転生は約束されていない。
私の死はひとつの区切り。そしてケジメ。長い時を生きるデュークを、死んだのに縛ることはできない。
すぐそばの王宮では一夫多妻が認められているというのに、妻を亡くした夫が別の人と結婚して幸せになることを、一体誰が責める。少なくとも私は、デュークが他の誰かと幸せになることを責める気はない。だって、彼と結婚した私はもう死んだのだから。
部屋には、微妙な空気が流れようとしていた。気まずさにデュークから目を逸らした私は、そこでもうひとり、ドアの間から驚愕の表情を浮かべている猫を見つけてしまう。
「――えええええ!! おふたりは結婚なさっていたんですかあぁ!!!」
三度目の人生で助けた黒猫ユンの絶叫が、さらに追い討ちをかける。
その驚きに満ちた声にデュークはびくりと肩を震わせ、後ろを振り返った。
彼は口をぱくぱくして信じられないものでも見ているユンと、どんな顔をしていいか分からない私を交互に見遣る。
「……嘘だろ……」
こぼれ落ちた小さな言葉は、広いデュークの部屋でよく響いた。