3・帰る場所
「わぁ、美味しそう!」
久しぶりの再会で食卓に並ぶのは、ユン手製の料理たち。ほかほかな食事からは湯気が上り、いい匂いを私に運んで来る。
どれも私好みの料理ばかりだ。食欲が刺激される。
「好きなだけお召し上がりください!」
ユンは椅子の上に立って尻尾を振りながら、キラキラと大きな瞳を輝かせている。「早く食べて!」と、そう表情が語っていた。
「座れ」
「ありがとうございます」
ぶっきらぼうな言葉と共に、紳士にも椅子を引いてくれたデュークに礼を言って、私は席に着く。
四角いテーブルの角に座って、できるだけ三人で食事をするのが決まりだ。私の前に子供用の椅子に座ったユンがいて、斜め隣にデュークが座る。
「いただきます」
七十年ぶりの彼らとの食事は、私の声を合図に始まった。
具沢山の野菜スープを頬張ると、胃が空腹だったことを思い出したようで、料理を運ぶ手が止まらない。
「すごく美味しいよ、ユン。腕は落ちてないみたいだね」
「はい! 毎日練習して、ご主人に食べさせてたのでばっちりです」
ふふん、と胸を張るユン。デュークの生活がよかったのは、ユンが頑張ってくれていたみたいだ。
デュークの使い魔になったことで、ユンは彼が死ぬまで死なない。一番デュークのことを知っているのはこの子なのだ。小さな身体で彼のことを支えてくれていて、私はユンがいるから安心して死ねる。
デュークはもう、私がいなくても独りにはならない。
「働き者の使い魔に恵まれてよかったですね」
「本当です!」
ユンがうんうんと、私の言葉に同意した。
デュークは知らん顔で鶏肉のソテーを食べている。
「――それで、今回はどこに生まれたんだ?」
彼はユンと私の目から逃げるように、そこで話の流れを変えた。
「今回はすごいですよ!」
絶対に聞かれるだろうと思っていた問いが来て、私は待ってましたと身を乗り出す。
「なんと今世は海の向こうから来ました。生まれはノシュガーン帝国のティエンタです」
転生した中で、この城から一番遠かった。
路銀を稼ぎながら、ここまで辿り着くのに約三年。これでも一日でも早く着くために、他を削ってきたのだが、何しろ貧乏なもので時間がかかってしまった。
人生最大の長旅を達成して、私は少し自分が誇らしい。なかなか頑張ったと思う。
「……ノシュガーンだ、と?」
デュークもこれには流石に驚いたようで、唖然として食事の手を止めてしまう。
「この大陸の反対側にある国だぞ……?」
「そうですよ。大きな船で通訳とか雑用をしてこっちに渡りました。初めての船旅は知らないことがたくさんで楽しかったです。――そうだ!」
私はそれで思い出して、横に置いておいたボロボロのバッグを漁る。
「これ、お土産です。あまり高価なものは買えなかったので、許してくださいね」
取り出したのは、船が途中でとまった海町で拾った貝殻。黒い砂浜で有名なその海では、まるで星のように輝く貝殻が落ちていて、すごく綺麗だった。
デュークにも見せてあげたかったのだが、それは難しいのでこうして貝殻をいくつか拾って来たのだ。
私はテーブルの上に、貝殻が割れないようにハンカチで包んで瓶に入れておいたそれを広げる。
「きれいです! ユンはこんな貝殻、初めて見ました!」
「そうでしょう? 私も初めて見つけてびっくりしたから、拾って来たの」
キラキラ輝いている貝殻を見て、ユンが目をうっとりとさせている。この顔を見れただけで、持って来た甲斐があったというものだ。
「……こっちの大陸には、こんな貝殻は落ちていない……。売ればもう少しだけマシな旅が出来たんじゃないのか?」
デュークはじっとその貝殻を見つめて、静かにそう呟いた。
せっかくお土産に拾って来たのに、なんてこと言うんだ、と思ったけれど。
私は彼の顔を見て、そうは言えなくなった。
「あまり見せびらかせるようなものではなかったので。下手に売ってカモにされては困りますし、これでよかったんです。私は喜んでもらいたくて拾って来たんですから」
どうしてか、泣きそうに見えたデュークに私は笑って声をかけるしかない。
私はそんな顔を見たかったんじゃないのに。
少しでも彼の笑っているところが見たくてやっているのに、なかなか上手くいかないものだ。
「ご主人がいらないなら、ユンが全部もらいます!」
デュークが貝殻に触れようとすらしないのを見て、ユンが手を広げる。
すると、デュークはそのもふもふの手を掴んで、それを阻止してしまう。
彼は無言のままもう片方の手で貝殻を一枚取ると、ユンの手に乗せた。
「お前の分はそれだ。残りは身につけられるように少し加工してやるから待て」
「わーい! ありがとうございます、ご主人! リオラさま!」
ユンは両手に貝殻を乗せて、光の当たる角度で色を変えるそれを堪能している。
「喜んでもらえたみたいでよかったよ」
「はい! ユンは感激しています!!」
あまりにも嬉しそうにしているユンを見て、私も自然と笑みが溢れた。
「加工するって、どうするんですか?」
「……この数なら、装飾品には十分だ。なんでもできるだろう」
「デュークは意外と器用ですからね。ぜひ素敵にアレンジしてください!」
「……ひと言余計だ」
いつもの調子が戻って来たのか、デュークはこちらが溜息を吐きたいほど、綺麗な呆れた顔をする。
彼はもともとあまり感情を面に出さないタイプだ。だから、いつも通りその綺麗な凛とした眼差しで、クールにあしらってもらわなくては、私の調子が狂う。
「で。お前は何がいいんだ?」
「え?」
デュークに何を聞かれているのか分からなくて、私はきょとんと首を傾げる。
「装飾品。どの形にしたいんだ?」
それ以外に何がある、と。
彼は当たり前のように尋ねてくるけど。
それは彼とユンにあげるために持って来たのに、どうして私の分まで作る前提なのか。
一瞬、そう疑問に思ったが、デュークは昔からこうなのだ。
自分がいいと思ったことは、必ず私たちにも分けてくれる。
そして私は、彼のそんなところが心の底から好きだった。
「……はあぁ〜、もう……」
全然変わっていないデュークに、思わず溜息が出て。私は顔を覆うと俯いた。
「……どうした?」
私がいきなり声をあげるので、彼が心配そうにこちらを覗くが、そうじゃない。決して、怒っている訳ではない。
ただ、デュークが変わっているのではないかと、怖くて夜も眠れないくらい不安に思っていた自分が馬鹿らしく思えただけで。
「本当に。あなたのそういうところ、不思議なくらい変わっていません」
「……?」
声が震えないように気をつけるが、全く隠せていないだろう。
「……悪かったな。全然変わっていなくて」
デュークの不貞腐れた声が聞こえるが、何だか彼の全部が涙腺を刺激してくる。
私は言葉が詰まって、頭を横に振った。
「いいえ。そうじゃなくて……。正直、すごく安心しました」
これだけは誤解されたくなくて、私は覆っていた手から顔を出す。涙が邪魔で、デュークの顔がぼやけて見える。
早く泣き止めと心の中で訴えながら、私は余っている袖で目元を拭こうとすると、冷たい手が優しく涙をさらっていく。
「擦るな。目が腫れる」
デュークの大きな手が、私の頬に添えられていた。
今優しくされると、涙が止まらなくなりそうなので、やめてほしい。
私は歯を食いしばって涙を堪える。
「……馬鹿だな。再会したのもこれで六回目だろ。それくらいわかれ」
確かに私も、もう八度目になる人生を送っているけれど。それとこれとは話が違う。
私はデュークの人生からすれば、ほんの僅かな時間しか彼と一緒にいることができない。
彼のことを信じていない訳ではなく、時間の流れを私は信じることができないのだ。
何しろ、三回目に会った時は、追い出されているし。城ではなく学校で時間を過ごして、最後は就職した魔法研究会の病室で死ぬことになったし。
実際、私たちの関係だって、転生をする度に少しずつ形を変えている。
ネガティブなことばかりが頭の中でぐるぐる回って、何も言えずにデュークの赤い瞳に捕まっていると、彼は言った。
「お前はまたここに来た。俺もまだここにいる。それで説明は十分だろ」
――ああ、そうか、と。
私の中で彼の言葉がストンと落ちていく。
私はまだ、ここに帰って来ていいんだ。
「おかえり。今世こそ、長生きしてもらうからな」
「……ただいま。お手柔らかにお願いしますね」
ありふれた言葉だけれど、彼からの「おかえり」は私にとってすごく特別だった。
誰も知っている人がいない故郷で、唯一戻れる安息の場所。それがデュークの隣だった。
心から安堵して、張っていた気がぷつりと音を立てて切れる。
「――あ、」
「リオラ!」
目の前が暗くなって、身体がぐらりと横に倒れた。