2・死ねない魔法使い
「あれ? デューク。どうしてここに?」
お風呂から上がってユンが用意してくれた服に着替えて部屋を出ると、扉の横にデュークが立っていた。
「別に。ゆっくりしろとは言ったが遅いから、のぼせているのかと思っただけだ」
「うわ!」
急に私の濡れたままだった茶色い髪が、ぶわりと広がって視界を隠してしまうから驚く。
デュークが風の魔法で髪を乾かしてくれたみたいだが、すごく荒っぽい。
「デューク。もしかして風の魔法、下手になりました?」
「さあな? 誰かの髪を乾かすなんて久しぶりにやったから、加減を間違えたんじゃないか?」
風が止むと私は自分の髪をかき分けて、彼を見つけた。
デュークは腕を組んだまま、肩をすくめている。
確かに七十年も経てば、やり方を忘れてしまうかもしれない。
ふむ、と納得していると、彼は壁に預けていた背を離した。
「服が大きいな。明日か明後日にでも街に下りて買いに行くか」
「そうですか? 私は気になりませんが?」
少し袖が余ってしまっているが、これくらい不自由はない。自分で後で仕立て直せばいいだろう。
「それが何年前の服だと思ってる……。お前はいつも変なところで遠慮するからな」
「親しき仲にも礼儀あり、ですから」
やれやれと溜息までついて呆れるデュークに、私はちょっとギクリとした。彼に何か買ってもらうことを遠慮してしまうのが、見透かされている。
「今回もこの城で家事をして働くつもりなんだろ? それともお前の服が買えないくらい俺が金に困ってるとでも?」
「……デューク、ちゃんと今使えるお金があるんですか……?」
「…………」
何故かむすっとした顔で睨まれるが、私が死んでから七十年が経っている。
時間の流れは、人の営みを簡単に変えてしまう。
彼はお金が必要になると、伝説の怪物やら秘宝やらを採りにいく。何事もなかったかのように、すごい額の報酬をたんまり持って帰って来たことは記憶にあるが、そのお金がたとえ残っていたとしても使えるとは限らないのだ。
「誰かが死に際にちゃんと人間らしい生活をしろって言うから、俺は毎日新聞を読んで、街で買ったものを使って生活してるんだがな?」
しかし、それは無用な心配だったらしい。
私は目を瞬かせ、彼を見た。
「なんだ……?」
「驚きました。あのデュークがそんな素敵な生活を続けられているなんて、別人みたいですね」
「俺だって、これくらいやればできる」
デュークは食事をしなくても、寝なくても、刺されても、猛毒を飲んでも、何をしても死なない。否、死ねない。
一度目の人生に出会った彼の生活は、それはそれはひどいものだったし、その後も何度か生活リズムを崩して私の前に現れた。
でも今回は、毎回十年ほどしか生きられない私からの宿題を、律儀にこなしてくれたようだ。
まるで幼い少年みたいに報告するデュークに、私は思わず笑ってしまう。
「すごいですね。それじゃあ、お言葉に甘えて買ってもらいましょうか?」
「そうしとけ。どうせ俺はあまり金を使わないんだ」
歩き出したデュークの隣を、少し小走りでついて行く。
「今回は私の背が低いので、デュークが大きくなった気がします。身長、伸びましたか?」
「残念ながら全く変わっていないな。俺の時間は止まったままだ」
デュークの身体は、彼が二十六歳の時から成長を止めている。
耽美な容姿をしているので、もっと若く見えるが、まとう気品はアンティーク。いまいち歳が読めないのがデューク・ルカインという男だ。
この彼が、まるで亡霊のような身体をしていた時があったと知っているのは、私とユンくらいなのだろう。
初めてデュークと出会ったのは、彼がすでに百年を生きた後。
やせ細ってひどい顔色をしていたデュークはまるで生きる屍で。成長はしないものの、生存できるギリギリの状態で城にこもっていた男を見つけた時は、悲鳴も上げれずに息を呑んだ。
つまり、歳はとらないが、肉体自体の時間が全て止まっている訳ではないのだ。
髪は伸びるし、爪も伸びる。食事をしなければ痩せるし、睡眠を取らなければクマもできる。
それなら身長だって伸びてもおかしくないと思うのだが、それは許されないらしい。
とはいえ――。
「そうですか。でも、たぶんデュークの身長がそれ以上伸びることはないでしょうね」
たどり着いた答えを口にすると、デュークは怪訝な顔でこちらを見下ろした。
「……これが、俺の身長の限界だと?」
「はい。だって、二十六歳にもなれば普通は身長が伸びるのも止まります」
「そういえばそうだったな……」
優れた魔法使いだというのに、彼は人間の普通を忘れがちになる。
自分も元は魔法を極めたいだけの人間だったのに、長生きすると感覚も麻痺していくのだろう。
「それだけ高ければ十分ですよ。私はまだ育ち盛りなので、これから伸びる予定ですけどね」
私の成長はまだ止まっていないはず。今は頭ひとつと少し距離があるが、あと二、三年もすればちょっとだけ近くなる予定だ。
自慢気にそう言ってみるが、デュークは澄ました顔のまま。
「なら、ちゃんと食べて肉をつけろ」
返ってきたのは、無粋な言葉で。
「……デューク、もう少し他の言い方はなかったんですか?」
「じゃあ、太れ」
「それはもっと駄目ですね」
本当に七百年近く生きているのか疑わしい語彙力である。もう少し女性の扱いを学ぶべきだが、そもそも彼は私のことをそんな風に意識していないのだろう。
六回も人生の最後を看取ってもらった仲なので、仲の良い友人や恋人、夫婦と言うよりかは、気を許した家族みたいな感覚になってきている。
何度も転生して、関係が曖昧になっているが、そんな感じだ。
多少気になることはあれど、少し遠慮がないくらいが、私たちの会話にはちょうどよかった。
「もう食事の準備はできている。すぐに食べられそうか?」
「はい。今食べないと寝てしまいそうなので、その方が嬉しいです」
私はあくびを噛み締める。
身体がぽかぽかして、瞼が重い。お風呂が気持ちよかったので、本当はこのまま寝てしまいたいくらいだ。
「……やっぱりお前、風呂で少し寝てただろ?」
「あれ、ばれちゃいましたか?」
湯船でのんびり脱力していたら、いつの間にか目が閉じていた。寝過ごしたかと思って焦ったけれど、二十分だけだったのでバレないと踏んでいたのだが、忠告した人には分かってしまったらしい。
デュークは本日何度目かになる溜息を吐いた。
「気をつけろ。お前は俺と違って簡単に死ぬんだ」
赤い宝石の瞳に光が差して、透き通っている。
私のすべてを見通してしまいそうな目だ。
「――わかっていますよ」
本当にわかっているのか、とその赤い目は語っていたが、私だってちゃんと分かっている。
デュークと違って、私は今ただの人間だ。
魔法使いの彼と比べれば、それは弱いに決まってる。
どうせ転生するなら、私も天才的な魔法使いの素質を持って生まれ変わりたかったが、いつもその願いは叶わない。
どの人生だって私の能力では、彼を治すことも、自分自身の呪いと呼ぶべき病を治すこともできないのだ。ちゃんと分かっている。
「だから、今回もこうしてあなたに会いに来たんです」
にこりと笑ってみせると、デュークは目を見開いた。
「私が頼れるのは、デュークくらいしかいませんからね。知りませんでしたか?」
今更驚くことでもないだろう。
呪いの病を治せる可能性がある優秀な魔法使いの知り合いなんて、デュークしか知らない。
何回も転生していることを理解して信じてくれるのだって、彼しかいない。
孤児に転生した今回は、本当に天涯孤独なのだ。
だから――。どうか、突き放さないで欲しい。
上手く笑えているかは分からないが、私はそれでも口角を上げた。
こんな子どもみたいな我が儘を、彼に全て吐き晒してはいけない、と。甘えそうになる自分をなけなしの理性が抑え込む。私はまだ十六歳(?)だが、八回も多様な人生を二十年くらい送っているのだ。子どもではないし、デュークと会う時は死んだ時とあまり変わらない自分でいたい。
「……!? な、何するんですか!?」
反応を待っていると、いきなりデュークの手が私の頬を摘んだ。皮が引っ張られて痛い。
「だったら、すぐに手紙くらい寄越せ」
いつもより少し低い声が。眉根を寄せた眼差しが、静かな怒りをはらんでいた。
「……そ、れは……」
デュークの言うことは尤もだが、私にだって事情はある。転生した身体がある程度大きくなるまで時間がかかるし、時代の変化を感じるほど会いに行くのが少し怖くなる。
デュークが住んでいた城があるのか。
そこに彼はまだ住んでいるのか。
果たして生きているのか。
私はそれを知るのが、毎回怖い。
デュークだって人間だ。
ちゃんと人の心を持っている。
私にあれだけ世話を焼いてくれるのだから、他に優先すべき大切な人ができている可能性は十分にある。なんの役にも立たない、面倒な呪いを持った娘がまた転生したと知って、消えてしまうかもしれない――。
だから私は、自分の心を守るために「期待をするな」と自分に言い聞かせ、何も連絡をしないでこの城を訪れる。
「……もし、次があったら……。考えておきますね……」
それが今できる精一杯の返事だった。
デュークも、それ以上は何も言わなかった。