1・8回目の人生
短編のつもりが少し長くなったので分けました。
楽しんでいただければ、嬉しいです。
お手柔らかにお願いします。
「――また、なのか?」
「はい。“また”みたいです」
まるでそこだけ時が止まってしまったかのような古城には、悪魔が住んでいると言われている。
しかし、実際にそこへ足を運んでみると、迎えてくれるのは真っ黒な髪に赤い瞳をした人間の男だ。
それも、揺れる短い髪は艶めき、陶器の肌に、赤いガーネットの目を持つ彼は、まるで理想を全て叶えた絵画のような美青年である。
(変わらないな……)
あまりにも顔が整っている男に呆れた表情をされると、凄味があって圧倒されてしまう。
こんな感覚も懐かしいな、と思いながら。
でも、ぶっきらぼうなところも、最後に見た時からちっとも変わっていなくて。そんな彼を見て、私はどうしようもなく嬉しかった。
目頭が熱くなったのは気のせいにして、私はグッと口角を上げて笑う。
「今回は七十年ぶりですね。デューク。まだ死ねないんですか?」
「正確には七十三年ぶりだ。お前の方こそ、また天に還れなかったのか。――リオラ」
もう彼以外、誰も知らないその名前は、私が私であることを証明してくれる最後の鍵。
姿が変わっても私を呼んでくれるその声が、ずっと。ずっと聞きたかった。
今世で初めて顔を合わせた彼と、もう五度目にもなる恒例の挨拶を交わす。安心して気が抜けたのか、じわりと視界が霞んで、慌てて服の袖でそれを拭った。
「相変わらずですね、あなたは」
「お前もな」
彼の名は、デューク・ルカイン。
自分で作り上げた不老不死の薬を摂取して死ねなくなった、もう七百年近く生きている哀れな魔法使いだ。
そして私はこの世界に記憶を持ったまま七回転生し、毎回その男に会いに行く、ただの愚かな娘である。
◇◇◇
長い足をしている彼が、こちらに歩幅を合わせてくれるようになったのは、確か二度目の人生のことだ。
ちゃんと掃除がされているが、人の気配を感じない静かな城の長い廊下を進みながら、デュークがちらりと赤く透き通った瞳を私に向ける。
「また最期の言葉が無駄になったな」
「本当ですよ。毎回これが最後だと思って真剣に言葉を残して死んでいるというのに、また転生してしまった時の私の気持ちも考えてみて欲しいです」
私はどの人生も二十五歳くらいで死んでしまう。
もうこれで八度目の人生だというのに、三十歳まで生きた試しがない。
前回も引き続き不治の病――というか、「呪い」により死んだのだが、私は毎回死ぬ時にはこれが最後かもしれないと思って、いつも隣にいてくれる彼に言葉を残す。
あの時は「ちゃんと幸せに死ねるといいですね。先に逝って待っています」なんて言ったのに、例の如く彼はまだ生きているし、私もまた転生してしまった。
昔は一体どの面下げて会いに行けばいいのかと悩まされたものだが、今や、もうそれにも慣れてしまった。
「今回は長生きできるといいな」
「そうですね。ぜひ、デュークが死ぬところを看取ってから死にたいものです」
「お前な……」
私がどこに生まれても、毎回デュークがいるこの城を目指すのは、そんな短命な私の寿命を伸ばしてもらうためと、まだ死ねない彼の様子を知りたいからだ。
デュークがどんな手を尽くしても、私は若くして死ぬので、私の死を研究すれば彼が不老不死ではなくなる手がかりも掴めるのではないか。という微妙な理由をつけて居座らせてもらっている。
「――今世はいつ?」
デュークは立ち止まると、初めて会った時とは見違えるほど凛々しい顔つきで私のことを見つめた。
転生して初めて会った時に聞かれる、お決まりの言葉だ。こんな会話をしているのは、世界中を探してもきっと私と彼くらいだろう。
「たぶん十六年くらい前に。自我を取り戻した時には孤児院にいたので、年がよくわからないんです」
「……そうか」
今世の私は親には恵まれなかったらしいが、容姿は恵まれていた。
小さな顔に大きな緑の瞳。バランスよくパーツが並び、可愛らしい顔立ちをしている。
どんな自分も嫌いじゃないが、今回は化粧をしなくても気分が上がる顔だ。あまりお金に余裕がない生活をしていたので、それは嬉しいことだった。
「少し早いが夕食にするか。風呂に入ってゆっくりして来い。話はそれからだ」
「ありがとうございます。今回はすごく遠かったから、少し大変だったんです」
「…………」
せっかく美人に生まれたので、本当はきちんと綺麗にしてから会いたかった。
しかし実際は、余力がなくて着古した服とすり減った靴でこの城に上がることになってしまった。昔とは違って掃除が行き届いた城を汚してしまって申し訳ない。
一日でも早く着こうと思ってここまで来たが、本当にぎりぎりだった。あと少しでも遅かったら、また彼の元にたどり着けないで今世を終えることになったかもしれない。
少し分厚い他の部屋と材質が違う扉の前で、デュークはじっと私の身体を見る。
「今まで見た中で、一番ボロボロだな」
「……それ、本人を目の前に言います?」
思ったことをそのまま口に出してくる彼に、私は思わず突っ込んだ。長い付き合いだが、一応こちらの身体はまだ若い娘なのだ。少しくらい気を遣っていただきたい。
そう思っていると、スッとデュークの腕がこちらに伸びてくる。
ぽんと頭の上に置かれた手に困惑していると、魔法の発動に特有の淡い光が私を包んだ。
「傷は治した。ちゃんと湯船に浸かって来い」
「わ、わかりました……」
今世では初めて、久しぶりにかけてもらった魔法は、すごく温かかった。もうどこにも痛みを感じない。
どうやらまだまだ、魔法使いとしての力は衰えを知らないようである。
寧ろ、年々強くなっている気がした。
不老不死から元の身体に戻るため、彼は技術の進化を期待している。ずっと勉強を欠かさないデュークは、間違いなくそこらへんの魔法使いとは格が違った。私が転生して少し努力したくらいでは、到底追いつけない。
「ユン、出て来い。またお前の恩人が帰って来たぞ」
「……!」
ぼんやりとそんなことを考えていたら、デュークのパチンと指を鳴らした音で我に返った。
「リオラさま!」
すると突然目の前に現れたのは、二足歩行のしゃべる黒猫。
私はその可愛らしいもちもちフェイスの不思議な生き物を見て、目を見開いた。
「ユン! 元気にしてた!?」
その場にしゃがみこむと、エプロン姿の黒猫が胸に飛び込んで来る。
ユンはデュークの使い魔だ。
三度目の人生で、私が拾った死にそうになっていた黒猫である。ひどい傷で危険な状態だったが、何とか助けられないかとデュークに尋ねたら、使い魔の契約をして彼と共に生きる不思議な猫に姿を変えた。
「変わりなく元気にしていましたよ! またお会いできて嬉しいです。おかえりなさい!」
ユンは誰かと違ってとっても素直な性格なので、尻尾をふりふり揺らしながら喜びを露わにしてくれる。本当に可愛い。
私も嬉しくて本能のままに甘えてくるユンを撫でていると、グスンとくぐもった音が聞こえる。
「ユン?」
気がつけば、ユンは可愛い手で自分の顔を押さえて泣いていた。
「もう……会えないかと、思っていました」
「ははは。普通なら、もう会えないはずだったんだけどね」
本来ならこんな風に再会することなんてあり得ない。会えたことを喜んでくれるのは嬉しいのだが、私は複雑な気持ちを笑ってやり過ごす。
「今回もまた素敵なお嬢さんに生まれ変わったのですね。今、お洋服を準備してきますので、お風呂に入って待っていてください」
「うん。ありがとう」
当たり前のように世話を焼いてくれることに、私は安堵した。もふもふなユンをずっと撫でていたい。
「ねぇ、ユン。デュークは今もあなたとふたりだけでここに住んでいるの?」
「はい、そうです。いつも通り、ずっとふたりだけでしたよ。リオラさまのお部屋はそのままにしてありますから、遠慮なくこの城でお寛ぎください」
ユンは私が気になっていたことを的確に答えて安心させてくれる。
古い付き合いだが、流石にデュークが他の人と一緒に暮らしているところに居候する訳にはいかない。とりあえず、しばらくの間はまたここにお世話になれそうだ。
「どうせまた、他に行くところはないんだろ? 気が済むまでここにいればいい。いつものことだ」
静かに佇んでいたデュークの声が上から降って来て、私は彼を見上げた。
綺麗な容姿をしているのに、城に引きこもってばかりで勿体ない男である。外に出れば彼に惹かれる女性はたくさんいるのに。
「あれ? 今回は三回目の転生した時みたいに追い出さないんですか?」
「……一体いつの話をしている。もう忘れた」
ちょっと昔のことをからかってみると、デュークはそっぽを向いてしまう。
その反応は絶対、忘れてないだろう。
ちなみに私はショックだったので、かなり記憶に残っている。
三回目の転生をして、四度目の人生でこの城にまた来た時。彼は会いに来た私を城に入れてくれなかった。
(あの時はずっと城の前で粘っていたら、空腹で倒れて気がついたらベッドの上だったんだっけ?)
彼曰く、「こんなところで一生を終えないで、普通に暮らして幸せになれ」とのことだったけれど、四度目は捨てられた令嬢だったので、すでに普通は望めなかった。結局、他に帰る場所がないことを知ったデュークはこの城に泊めてくれたが、その後すぐに私は学校に通うことになった。
初めて転生して会いに行った時や、二度目と三度目の人生では死に際で涙をこぼした男がやることだとは到底思えなかったので、衝撃は大きかったものだ。
自分だけ取り残されてしまった感覚は、できればもう味わいたくない。
「へぇ? 私はかなりショックだったので、全然忘れないんですけどね?」
「ユンも覚えています。あの時のご主人は自分じゃリオラさまのことを幸せにできな――んん!」
「早く準備をして来い。ユン」
言葉の途中でユンの口は、デュークの魔法で塞がれてしまう。
「……ぷは。わかりました……。廊下で長話はよくありませんし、リオラさまも早く身体をお休めください」
「うん」
大人しくなったユンは、私の膝から降りてぺこりと頭を下げる。
「ほら」
デュークは床に膝をつけていた私に手を差し出す。
「ありがとうございます、ッ……」
その手にぐいっと引っ張られて立ち上がると、身体がよろけた。
辺境にあるこの城まで、ひたすら森の中を歩いて来た。何日も野宿をしていたので、自分が思っている以上に身体は疲れていたらしい。
「ご、ごめ――」
ぽすんとデュークの胸にぶつかって、私は慌てて顔を上げた。
「今回は苦労したみたいだな。軽すぎる」
そこには眉間にしわを寄せて赤い瞳を不安気に揺らしているデュークがいて。ドキリとする。
本当にいつ見ても私好みの綺麗な顔だし、そんな顔をされるとどう反応していいか困る。
「ユン。今日の夕食は張り切りすぎるなよ」
「はい! 仰せのままに。ご主人!」
ユンはその場からシュンと消えた。
猫の手をしてるが、ユンは魔法が使える。働き者なので、すぐに色んな準備をしてくれることだろう。
「お前は風呂で寝るなよ?」
「気をつけます……」
デュークに忠告されて、私は頷くと大きな扉を押して浴室に向かう。
少し熱めの温泉にゆっくり浸かり、数日ぶりのお風呂を満喫した。