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今日の真昼間のことだ。今日は空模様、気温、風の強さどれをとっても、散歩する以外に他はないといった天気だった。特に重要な予定もなかった僕は、近所の街をあくび交じりのスピードで散歩した。今日の僕は遅起きで、この散歩をするすぐ前に目を覚ましたのだが、この街の煩わしくないくらいの喧騒は寝起きの僕にとても心地よかった。
それから数十分ほど歩いたころだ。その時にはすでに眠気が飛んでいて、時と共に次第に大きくなっていった喧噪にも苛立ちはなかった。
「すみません。」
と、聞知らぬ女性の声に声をかけられた。僕は声にはうるさい方で、見た目よりも声で人を記憶する節がある。一体なんだろうと思い振り向くと、まさにその声の通りの女性がいた。その通りというのも、声の波形を生成したら彼女自身を描きそうなくらいぴったりだった。
それに驚きつつも、用があるのは彼女だけではなさそうだった。女性の後ろにいる一人の眼鏡をかけた男性と、そのすぐそばにいる男の子と女の子一人ずつが、こちらの様子をうかがっているのが確認できた。なんとなくその4人は、4人でワンセットという具合、且つこの街に馴染んでいなかった。つまりは4人家族で旅行に来たのだろうと予想がついた。家族旅行、母親らしき女性のみが声掛け、この要素が思いつけば女性が話しかけてきた理由もおのずとわかるというものだ。実際それは的中した。
「写真を撮ってもらいたいのですが、いいですか。」
そう言ってカメラを手渡してきた。ちなみにこちらの世界でもカメラは発明されていて、デジカメではなく、使用者の魔力を吸引して動力とするマジックカメラ、マジカメが今は主流だ。一般的な家庭用マジック製品は莫大な魔力を必要としないため、ほとんどの子供から大人が問題なく使用できるようになっている。また、セーフティー機能が標準搭載されているものも増えているので、際限なく魔力を吸い取り、製品の爆発や使用者の失神が起こることも少なくなっている。前の世界とは違って、エネルギー生成がタービンの仕事ではなく個人の仕事となっているのは面白いところだ。
長くなったが、もちろん断る理由もない僕はそれを許諾し、彼女の手からマジカメを受け取った。
このあたりのランドマークを背景に、家族4人は横一列に並んだ。母親は「お願いします。」と準備完了の合図を出し、それを受けた僕も撮影の合図を返した。そして僕は、目線上にカメラを移動させ、その先の4人をカメラから覗き見た。
僕はこういう、覗くという行為に及ぶ際、反射的に思うことがある。
覗くためには例外なく覗き穴が必要だ。形や大きさに種類はあるだろうが、ともかく穴なくして覗きはありえない。では覗き穴はどういった意味を持つのか。小学校の頃、理科の実験といって虫眼鏡で太陽光を絞り、紙上の黒点を焼いたのを覚えているだろうか。要はあれと同じで、普段は視界いっぱいに(偏りはあれど)拡散している視線が、覗き穴によってある一点に集中することになる。覗きは、覗き役の視線を暴力に変換する効果を持つのだ。
さて、覗き役がいれば覗かれ役が発生するのが必然だ。覗かれ役というのは文字通り、覗き役が覗く対象のことを指す。これは、覗かれることを知らなければ、気を抜いて外面を解除し、それを知っていればいつも以上に気合を入れて外面を強化するといった行動をとるようになっている。
例えば僕が覗かれ役だとして、家中に隠しカメラがしかけられ覗かれているとする。僕がそれを知らない場合、やはりトイレでは簡単にズボンを下ろすし、嫌なニュースがあれば舌打ちをしたりぼやいたりするだろう。また逆に僕がそれを知っている場合、むしろ良いように思われようと、いつもより掃除を丁寧にしたり、ご飯はいつもより手が込んだものにしたりするだろう。これが外面の解除と外面の強化だ。正反対のベクトルを持つ行動に見えるが、どちらも覗き役が、普段目にする僕から離れた僕を覗くことができるという点では同じである。覗き役は僕に暴力を集中させ笑っている。
しかし、覗かれ役は一つだけ、覗き役の暴力に抵抗する唯一の手段を持っている。それは覗き返すという手段だ。覗き返しは非常に強力で、いわば相手の視線を跳ね返すようなものだ。覗き役は今まで送り続けた暴力を急激にくらい、さらには覗き役と覗かれ役の交代という事態まで引き起こす。その後はお互いに見つめ合いになってしまうため、元覗き役の反撃はありえない。まさに一撃必殺のカウンターだ。
さて、僕は家族をカメラ越しに覗いている。この時点では僕が覗き役で、家族らが覗かれ役だ。しかし、次の瞬間には、マジカメに映る家族らはこちらを向いて笑っていた。
記念撮影をする際、被写体全員が笑顔を見せるのはなぜだろう。カメラを向ける前から笑顔を見せることは中々ない。いつも決まって、カメラを向けてから全員が笑いだすのだ。
彼らは、覗いている僕を見て笑っているのではないか。言われてみれば、カメラという、僕を隠す壁もない覗き穴から覗いているのは少しおかしいかもしれない。そうでなくても、笑いは暴力の変形という話がある通り、やはり彼らは僕を覗き返し、それをさらに笑いに変換して僕に送っているとも考えられる。
僕は写真に写るのが嫌いで、前の世界にいたころから撮影役に回ることが多かった。そんな僕が長年、覗き覗き返されを反復して感じたことがこれだ。そしてこれは、僕が覗くという行為に及べば必ず瞬時に頭に湧いてくる。だからなんだということはないが、合図からこれまで1秒、僕は彼らの表情が変わらない内にマジカメのシャッターを切った。