第八話「車上の話合」
『ガタンガタン、ガタンガタン……』
僕達を乗せた馬車は、険しい旧道をひた走っていた。
熟練した御者のお陰で、この道を使う事が出来る。
ここを抜ければ、普段通る道より、早く村に戻る事が可能だ。
今は一刻も早く、王城から離れたかった。
「うっ、気持ち悪い。吐きそうだ」
揺れが僕達を苦しめている。
「もう、だらしないわねマシューうっぅぅ……」
レベッカは確実に強がっている。
「……」
ダイアさんは何も言わない。だが顔は青ざめている。
お尻も痛いし、ちょっとでも喋ろうものなら、舌を噛んでしまいそうだ。
しかし、
「外に顔を出すと危ないから、吐きたくなったら、この袋にゲーしなさいね」
あの母さんの余裕は何だ?
「もう少しの辛抱じゃ。ここからは揺れもマシになるからのぉ」
馬車を操るのは、僕が幼い時から祖父のように慕っている、ハド爺こと【ハドラー・ダントン】だ。
冒険者を引退後に始めた農場を、徒弟であった父に譲って、今はのんびりと隠居暮らし。たまに農場を手伝ってくれている。
母はハド爺と一緒に馬車を隠して、王城から逃げる算段をつけていた。
つまり、逃げなければいけない状況を、予測していたって事になる。
しかし、母は一体何者なのだろうか。
今思えば、僕は母の事を、母の経歴を詳しくは知らない。
そして今回、僕たちの側に立ってくれたダイアさんの事も、計りかねていた。
元冒険者の魔法使い。暁の賢者の異名。活躍は何度も耳にしてきた。
母の衝撃に隠れてしまったが、物凄い魔力光も目の当たりにしたし、その力は疑いようも無い。
だけど、何かの思惑で王国に潜んでいた事は、会話からも明らかだった。
ダイアさんの目的は? 彼女は王国で何を成そうとしていたのだろうか。
そして一番判らないのが、僕自身の事だ。
僕の中には別のボクであるレンが存在する。アイツが語った言葉……。
異世界からの生まれ変わり? 転生の失敗? その意味すら理解できていない。
様々な出来事が、一気に起こりすぎて、情報が大洪水を起こしている。
振り返えってみれば、レベッカは天才的なスキル使いだった。
レベッカには本当に助けられた。それだけは紛れも無い真実だ。
今の僕らに必要な事。
……それは情報の共有と、状況の整理なのかもしれない。
「揺れも、落ち着いたみたいですね。じゃあ、まだ時間がかかるというし、それまでに情報交換をしませんか?」
調子を取り戻してきたダイアさんが提案してきた。
それは僕も同意見だ。
「僕もそうしたいって、思ってました」
「私も、知りたい事ばっかりです」
「確かに。お互い、秘密がいっぱいだものね」
他の皆も、同意見のようだった。
先陣を切ったのは、提案者のダイアさんだ。
「王国中枢が、教導国の思想を受け継いだ者達に、侵食されているという情報を得て、私は王国に潜入していました」
「教導国って、あの?」
レベッカが身を乗り出した。
「そう。かつて革新的な魔法技術【スキル】と、それを至上とする過激な思想で、全世界を支配していた」
「繁栄の裏側で、沢山の人々が犠牲になったと、学びました」
「そうね。それを主導した教導国の暗部は生き残って、歴史の陰に隠れて力を付けていた」
ダイアさんはそう言って、組んだ手に力を込めた。
「今は【教団】という名で活動しているわ」
嫌悪感から来るものなのか、顔を歪めていた。
「……という事は、貴女は【職業組合連合体】の人間なのね?」
母さんがダイアさんを見詰めながら、胸の前で腕を組み上げた。
「仰る通り。私達こそ、教導国の、【教団】の天敵ですから」
「百年程前に教導国を滅ぼしたのが【ギルド】だった。その対立関係は今も続いているという事ね」
「【教団】に関わって、姿を消してしまった姉を探す為、冒険者だった私は諜報員となりました」
これまでのやり取りで、ダイアさんの素性が大分判ってきた。
【職業組合連合体】は、冒険者ギルドや鍛冶屋ギルドなど、多くの職業組合を傘下に置く、国を跨いだ大きな組織だ。
教導国の独裁が教訓となり、今は国家とお互いに監視しあう協調関係を築いている。
ダイアさんも、そこに身を置いて、少しでも多く、お姉さんの情報を得たかったに違い無い。
「冒険者は私の夢だった。だけど、それより大切なものがあったの」
「その気持ち、何だかわかります」
そう言って、僕はレベッカを横目に見た。
「ん? マシュー、どうしたの?」
視線に気付いたレベッカの問い掛けに、
「いやダイアさんは立派だな、って」
僕は返す言葉が言えなくて、照れ隠しに、少しズレた答えを返した。
「確かにそうね。ダイアさんのお陰で、私も得るものが多かった」
レベッカのお陰で、僕の隠したい照れを有耶無耶にする事が出来た。
「ありがとう。でも、それはレベッカの才能よ」
「おばさんも見てたけど、レベッカちゃん凄かったわね~」
「あ、どうも……ありがとうございます」
母さんが褒めたせいで、レベッカは頬を赤らめながら、こめかみを掻いている。
「私が二人のスキルを測る事になったのも、裏で【教団】の意思が働いていた気がする」
ダイアさんは眉間に寄った皺を隠すように、額に手を当てた。
「なぜでしょうか? 王国を奪うため、騒動の発端とする為、ですか?」
と、レベッカは肩を竦めた。
「……結果を見るに、マシューやレベッカも一緒に捕らえたかったのかもしれない」
ダイアさんは少し考え込んで、そう言った。
「【教団】は、子供達を利用しようとしていたのね……」
母さんは、ダイアさんの方に身体を向け、
「息子とレベッカちゃんを守ってくださって、ありがとうございます」
深々と頭を下げた。
「いえ、顔を上げてください! 結局は、お母様に救って頂いた訳ですし」
ダイアさんは恐縮した様子で、両手を差し向け、
「今回はしてやられました。【教団】の力が王国を簒奪出来る程、強大になっていようとは」
その表情からは、悔しさが滲み出していた。
「【教団】って、平和な王国ではあまり聞かなかったけど、貧富の差が大きい地域では信奉者が多いって、夫から聞いた事があったわ」
「古くから信仰されている【聖教】とは違って、救いを神に求めず、スキルに求めている。教導国のスキル絶対主義の名残を感じる教義です」
母さんとダイアさんの話が、教導国とギルドの事に及んで、熱を帯びてきていた。
だが、そもそも情報の共有からは脱線しているので、
「あの、確かに、興味深いけど……」
僕は話の舵を戻そうとした。
「あっ、ごめんなさい」
ダイアさんは、申し訳なさそうに笑みを浮かべた。
僕の意図は伝わったようだ。
そして、水筒を手に持ち、
「じゃあ改めて、話を進めていきましょう」
蓋を開けて、喉を潤した。
「まず最初に、マシューの異常なスキル。そこから始まった流れだったわね」
ダイアさんの言葉に、
「そうでしたね。確か、騎士団長が【使えない者】だとか言って……」
僕は頷いた。
「でも、マシューはスキルを使っていた。私は見たの、金髪の女とスキルで戦っている姿を」
「あの、それは……」
僕は、捕らえられてからあった話を、判らない事は判らないまま、皆に伝えた。
支離滅裂になってしまう部分もあったが、それは僕も理解していない事だから仕方が無い。
レンの事、異世界、転生、スキルとは違う術式。
そして混ざり合って変質した、僕の精神の事を。
皆が、その事を理解しようと考え込んでくれているのだろう。
そして、長い沈黙が訪れた。
「そっか。何だか少し大人びた様子だったのは、それだったのね。息子の変化は、母親が一番わかるから」
母さんが沈黙を破り、口を開いた。
その言葉を聞いて、改めて実感した事があった。
やはり僕の精神は、今もレンと混ざり合った影響が残っている。
牢で目覚めた時と同様に、僕は、今の自身に年齢不相応な精神的成熟を感じていた。
もちろん、それは僕とレンの状態に左右される、とても不安定なものだが。
「わかります。私も幼馴染だから。きっと、マシューの中に潜む、レンって奴の影響なんでしょうけど」
レベッカの一言が、母の言葉に上乗せされる。
そうか、そうなんだな……。
僕は、僕の精神は、レンの影響を受けて、変わってしまった。
これが悪い変化とは思わない、が。
……何だか、言い知れぬ寂しさが僕を包み込む。
「そうだね、僕は変わった。でも、僕は僕だよ」
この言葉が、今の率直な僕の気持ちだった。
「そうね。マシューはマシュー。それは変わらないわ」
レベッカがそう言った。
「私は短い付き合いだけど、今のキミから邪気は感じない」
ダイアさんがそう続けた。
「私にとっては、何も変わらないわ。大切な息子だから」
母さんの言葉で、僕の涙腺は崩壊した。
「ありがとう、皆……」
僕は、笑みを浮かべ、涙を流していた。
内包する不安を、母と、幼馴染と、憧れの人と共有できた安堵感。
その気持ちが、表に溢れ出したのだ。
そして、僕が平静を取り戻した時だった。
「マシュー、とりあえず、異世界について、私に当てがあるの」
母さんから、意外な一言が投げられた。
「異世界から来た転生者って言っている人を、知っているのよ」
「「「ええっ!」」」
皆が一斉に驚いた。まったく母さんは……。
まさか、僕の謎にまで繋がる伝があるなんて。
「お母様、本当に、本当に貴女は……」
ダイアさんは最早、理解不能といった様子だった。
「そうね、話し合いの最後は、私の事を皆に――」
『ヒヒヒーン』
その時、馬が嘶き、馬車が突然停まった。
「ラフィー、もうすぐ村に着く辺りなんだが……」
と、御者台からハド爺の声が飛んできた。
「見ろ、道の端を」
僕は、その言葉に従い、視線を前方へと向けた。
道端は鬱蒼と茂る木々が、正天の太陽に照らされて、深い影を落としている。
そして、その影には男が潜んでいた。
その男は外套で身体を包んでいる。
だが、その重厚な趣から外套の下には鎧が潜んでいるのは明らかだった。
「あれは、王国の騎士だな」
ハド爺が呟いた。
「まさか、先回りされたの!?」
ダイアさんが確認するように、馬車から身を乗り出した。
すると、男は外套を翻しながら近づいてくる。
「お前達を待っていた」
その騎士から、低く響くような声が放たれた。