第六話「大きな誤算」
明かり取りの窓から差し込む陽光が、薄暗闇のベールを少しずつ剥がしていく。
そして、露になった女騎士の姿。それはまるで愛玩人形のように可憐だった。
金糸のような長い髪が、照らされた部分だけ、より輝きを増している。
「ふふっ、様子見に来ただけなのに、ラッキーね」
嬉々とした声は、幼さすら感じさせた。
「随分と、戦いが好きみたいだな」
僕は、皮肉を投げかけた。
「まあね。私は戦乙女だから」
「戦乙女?」
「戦場に降臨した女神。戦場で生きるも死ぬも、私次第」
戦乙女は構えたまま、
「我こそは、王国近衛騎士団長、ジュリア・ローレシア!」
決闘開始の合図が如く、名乗りを上げた。
「私のスキル【戦乙女】の力、魅せてあげる!」
そして、獲物でも見るような目で、舌なめずりをしていた。
僕は、その様子に既視感を覚えた。
この伝わってくる狂喜……ジュリアード騎士団長だ。
ジュリアも、奴と同じような狂気と狂喜を孕んでいた。
「お前、王国騎士団長の――」
「ああ、それは弟よ」
「あ、姉なのか!?」
僕の口から、驚きが零れた。
名前や髪色こそ似ているとは思った、が。
「私達、双子なの」
「双子!?」
「うふふ、よく似てるでしょ?」
言われてみれば腑に落ちた。
性別や体格こそ違えど、伝わってきた二人の本質は同じものだ。
血に狂い、理性を捨てて、超越者となる。……その代償は人間性だ。
そう判るのも、僕の中にレンが居るからだろうか。
アイツもきっと、コイツらと同じ類の人間だから。
「愚弟の後始末をさせてもらうっ!!」
その声と共に、刺突剣の切っ先が僕に迫る。
【術式:明鏡止水と解析眼】の効果で、慌てることなく見切る事が出来た。
……が、身体がついてこない。
感覚と動きのアンバランスさで、僕は後ろに大きくよろけてしまった。
『ゴウッ』
それが功を奏し、ジュリアの一撃を寸での所で躱す事ができた。
「あら、外されたわ」
牢屋の厚い石壁に、大きな穴が穿たれた。
誰もが想像するような、刺突剣での一撃では無かった。
ジュリアの放った一撃は、一言で言い表すなら、荒ぶる魔獣の突進。
まさに一撃必殺の重撃だった。
不恰好でも躱せた事は、幸運に過ぎない。
今の僕がマトモに受ける止める事は、到底不可能だ。
「次は外さないわ」
ジュリアが再び構えをとった。
僕は素早く起き上がる。
背筋が凍り、冷や汗が肌を伝った。
マズイ。
僕は一人で戦えると思っていた。
現に、異世界のスキル【術式】は切り札となる。
だが、身体がついていかない。
発動しようにも刹那の間が必要だ。
そして僕は、戦いに置いての最適解が判らない。
冒険者でも無い僕に、そんな経験値は一切無い。
そうか。
これがレンの真意だったのか。
力は渡せても、それを役立てる経験がなければ意味はない。
そもそもが借り物の力だ。自分で努力して習得した力ではない。
きっと、レンじゃなければ使いこなす事はできない力。
レンはそれを見越していたのかもしれない。
これは、大きな誤算だ。
窮地に追い込まれれば、僕は絶望する。
それは生物が抗いようの無い本能だ。
僕は絶望に抗う術を知らない。
「こんな狭い所じゃ僕の力は発揮できないな」
このまま閉所で戦い続けてもジリ貧だ。
どうにか外に出たい。
「僕の、本当の力を見たくないか?」
三文芝居も甚だしいのだが、
「丁度良い出口を作ってくれたからな」
ジュリアの背後に空いた穴を指差した。
「あら、面白そうね。いいわ」
ジュリアは振り返らず、後ろ跳びで穴から外に飛び出した。
よし、掛かってくれた。
しかし、これは時間稼ぎに過ぎない。
これから僕は、どうすればいいんだ?
『どうだ? 俺の力が必要になっただろう?』
レンの声が聞こえる。
『お前は俺を頼りにした。無意識にな』
そんなつもりは無い。
……はずだが。
『拒絶の因子はどうなった?』
その言葉を振り切って、僕はジュリアの空けた穴から外に出た。
ここが刑場か。
城壁に囲まれた中庭の中央には、威嚇するように断頭台がそびえ立っていた。
王国は平和な国だ。近年、処刑が行われたなど聞いた事は無い。
しかし、それは明らかに使われた痕跡があった。
「血の痕がある」
僕のその呟きに、
「文官共の血よ。即刻処刑されたから」
答えは嬉々とした声で返ってきた。
「文官派閥は、有力貴族との繋がりが強い」
ジュリアは、一瞬、表情にわざとらしく憂いを浮かべ、
「私達の計画には邪魔なの」
冷たく言い放った。
僕は心の中で、文官達の冥福を祈った。
薄々察してはいたが、僕たちは政変に利用されたのだ。
「ねぇ、貴方とは身体で語り合いたいんだけど」
ジュリアが苛立っている。
今は目の前の敵に集中しなければ。
『大丈夫か? いつでも変わるぜ』
レンの声が頭の中で大きく響く。
「黙れっ!!」
思わず、焦りが声に出た。
煩い。全く集中が出来ない。
「ふん、少しはヤル気になったのかしら?」
レンに言った言葉を勘違いさせてしまったようだ。
「次は外さないよぉ!」
また、あの構えだ。
おかしい。
何かが違う。
上手く考えが纏まらない。
『そろそろ【明鏡止水】の効果が切れてきたな』
効果が、切れるだって?
思わず頭の中のレンに聞き返した。
僕は、異世界のスキル【術式】の常識がわからない。
でも、この世界のスキルは永続的なはずだ。
『【術式】は効率化されているからな』
レンが得意そうに語り出す。
『ちゃんと管理しなきゃ駄目なんだよ』
管理だって!?
『どの道、使いこなす事は、無理だった……』
「お前にはな!」
僕は、そう叫んだ。
「何だ? どういう事?」
ジュリアが、また聞き返す。
それは、レンが言ったんだ。
……遂に、僕の口から、レンの言葉が発せられた。
そう、僕とレンは入れ変わってしまった。
「お嬢さん、お待たせ致しました」
レンが鼻歌混じりで、上機嫌に言った。
入れ替わりは、もちろん無意識だ。
だけど、命の危機に、死の恐怖に、僕の生存本能が反応してしまっている。
「子供が、ふざけた事をっ!!」
あの突きが来る! その刹那。
僕が、ジュリアの間合いにスゥっと踏み込んだ。
『ドカッ』
僕の拳が、ジュリアの胸部軽装甲を凹ませて、
『ドガガガガッ』
地面は抉れ、中央の断頭台まで吹っ飛ばした。
その衝撃で、土煙が舞い、断頭台が傾き、後ろに倒れていく。
「がはっ!」
ジュリアの口から鮮血が吹き出した。
「よぉし! この身体でもイケるじゃないかぁ!」
レンの喜びが伝わってきた。だが、
「痛っ!?」
突然、尋常じゃない痛みが走った。
僕は、その痛みの発信源である右腕を見た。
手が、腕が、折れ曲がり、骨が、肉を突き破っている。
「ぐわあああああ!!」
その激痛で、身体の主導権が僕に帰ってきた。
『畜生! 駄目だ! 身体が持たない!』
痛い! 痛い!! 痛いっ!!!!
頭の中を痛みだけが支配する。
『マシューの、生存本能が! 痛みが! 俺を!!』
僕の心の中で、レンが大声をあげた。
そして、声が消えた。
僕に残ったのは、気を失いそうな激痛。
その痛みに我を失い、倒れ、呻き、のた打ち回る。
『【再構築】を使うの』
突然、頭の中に、新しい声が聞こえた。
その声を聞いた瞬間、痛みが少し和らいで、僕は我を取り戻す。
誰か判らないけど、とても穏やかな、女性の声だった。
「リ、【再構築……】」
声に従って、僕はその【術式】を発動させた。
すると、僕の右腕はあっという間に元に戻り、痛みも無くなった。
だが、その治癒力の代償なのか、僕の身体から【術式】の力が消え失せていく。
それを感覚として理解できた。身体は力を失い、僕は前の僕に戻った。
「うう……」
身体が重い。もう何も考えられない。考えたくない。
例えようの無い疲労感に、今にも地面に突っ伏してしまいそうだ。
「どうしたんだ!!」
「何があった!」
今更、騒ぎを聞きつけて、何人かの刑務官や騎士が駆けつけてきた。
「うるせぇ!!」
その怒声と殺気に、彼らの進む足が止められた。
血を吐きながら、ジュリアが起き上がった。
そして、狂気に満ちた表情で、僕に迫ってくる。
あれほどの衝撃を食らったとは思えない動きだ。
結局、レンが出てきても、どうにもならなかった。
僕はここで終わりなんだ。
痛みも、恐怖も、何もかもが吹き飛んだ。
目を閉じて、ただ眠りたい。
これが、諦めの境地かもしれない。
「諦めないで!!」
その声と共に、太陽が尾を引いたような一撃。
『ドゴン』
ジュリアは吹っ飛んで、今度は側壁に突き刺さった。
「<流火炎蹴撃>」
ま、まさか。
「……とでも名付けようかしら」
「レ、レベッカぁ!」
そこには、朝日を背に、光を纏うようなレベッカの姿があった。
「ど、どうして、逃げ出せたの?」
「マシュー、大丈夫?」
「うん。大丈夫。ちょっと疲れてるけど」
「手を貸すわ」
「ありがとう。それより、どうやって?」
僕の視線を促すように、レベッカは、口噤んだまま、彼方に視線を送った。
「か、母さん!?」
その視線の先には、母さんと、守るように立つダイアさんの姿があった。
二人は、僕を見て安堵したように微笑んでいる。
「そう、おば様よ」
「母さんが?」
「ええ、運よく逃げ隠れることが出来て、チャンスを狙っていたって」
「本当に、母さんが?」
「私達を解放してくれたのよ。しかも看守に変装してね」
「ええっ! 本当に母さんがぁ?」
「ホント、私もびっくりしちゃった!」
確かに、昔から母さんの度胸には驚かされてきた。
農場に迷い込んだ魔獣を、どうにかして追い払ったり、数えたらキリがない。
「良かったぁ……」
僕の心からの言葉。
気が付いたら、目からポロポロと涙が零れ落ちていた。
「ダイアさんが居るなら、何とか逃げ――」
その時だった。
『ドンッ』
突然、ダイアさんが吹き飛ばされた。
「なんだお前等? 邪魔なんだよぅ!!」
「アイツ! いつの間に!!」
傷を負い、怒り狂って、我を失った狂者だった。
「死ねよぉオラァ!!」
「おば様ぁっっ、危ないっっっ!!!!」
ジュリアが、背後から、無防備な母さんに襲いかかった。