第五話「溶け合った心」
「またここだ」
見渡す限り真っ白い、只々、音も無い空間。
「そう、またここだ」
それは僕の中に居る、別の誰かの声だった。
いや、回りくどいな……。
「お前も……僕なんだろ?」
何故だか感覚的に、そうだと思った。
そして、目の前に、その男が現れた。
「ほう。どうしてそう思った?」
「何となく、だけど」
ここはきっと、僕の頭の中だ。
そして、そこはこの僕じゃないボクの住処でもある。
ここでは頭の中に思うだけで会話が出来る。
つまり、そういう事だ。
「ご名答。だが、少し違うな」
違う? じゃあ一体何なんだ?
「俺の名はレンと言う」
ということは、僕の頭の中に、別人が居るのか?
「まあ、何というか、同居人みたいなもんさ」
そこまで聞いて、
「じゃあ、あの変なスキルは、お前のせいなのか!」
レンに怒りをぶつける。
そうだ。
だって、そうとしか思えないのだ。
僕の中の異変は【成人の儀】から始まった。
そして、その儀式で気を失った時に、初めてこの場所に来た。
だから、そう思うのが当然だ。
そして、その結果、僕は処刑される。
レンと名乗った男は、懐に手を入れて
「そう怒るなって。落ち着くぞ、吸うか?」
と、僕に尋ねてきた。
「一体、何の事だ!」
「まあ、ガキが吸うもんじゃないか」
その言葉を聞いて、ピンときた。
「そう、煙草だよ」
取り出された、見慣れない喫煙具は光を放っていた。
「こいつは有毒物質が排除された【無害煙草】」
レンはそれを吸い込むと、
「模造品、代用品、偽物だな」
と、煙を吐き出した。
「つまり、お前と一緒だよ」
すると、レンは口を尖らせて、煙を僕に吹きかけた。
「俺こそが本物のはずだ!」
突然、意味不明な怒声を上げた。
何だか様子がおかしい。
少なくとも、前のレンはこんな感じじゃなかった。
ベテラン冒険者みたいに、余裕綽々で知的な印象だった。
「あの何とかっていう騎士団長に、良いようにヤラれやがって……」
『パンッ』
レンは己が掌に拳を打ちつけた。
「俺なら、あの【術式】を使いこなし、あいつらを瞬殺できた!」
「何だ? スキルの事を言っているのか?」
「さあな! 俺にも説明できん! 俺の世界ではそう呼んでいた」
「俺の……世界?」
「おっと……」
レンの言葉が止まった。
だが、それはもう無意味だ。
少しずつ、思考が混ざり合っているのだろうか。
レンが感情的になった後から、レンの、心の声が僕にも聞こえていた。
だからレンの考えも、筒抜けだ。
「レン、お前は誰だ? 【異世界転生】って――」
「俺は、俺の世界から、この世界に生まれ変わって……この世界を制圧する予定だった」
堰を切ったかのように、レンが語り始めた。
「ところが、何故か解らんが、俺はお前の中でずっと眠っていた」
レンの思考が、感情が、止め処なく流れ込んで来る。
【転生兵士】【魔軸戦艦】……意味の判らない単語ばかりだ。
「俺は、生まれ変わって、人生をやり直すはずだったんだ!!」
その語り口は、感情的なものに変わった。
「命懸けで志願したのに、目が覚めたのは儀式の時だった。それもガキの頭の中でよぉ……俺の転生は失敗だったんだ! とんだ人身御供になっちまったぜ! クソっ!!」
レンの目は血走って、薄っすらと涙を浮かべていた。
「だけど、まだやり直しが出来るんだ」
と、急にレンが沈静した。
涙が頬を伝い落ちる。
目の前の男の、激しい感情の起伏に、それがとても不安定に思えた。
「マシュー、俺は言ったよな? お前は絶望すると」
レンは涙を袖で拭いながら、
「お前の絶望が! 諦めたときが!」
「えっ?」
「俺は、お前と入れ替わる!」
レンは両手を広げ、天を仰いだ。
『お前は絶望するだろう。その時、俺の力を欲する。必ずな』
僕はその言葉を思い出した。
その言葉の裏に、そういう腹積もりがあったのか。
「時間の概念も無い、退屈な世界はウンザリだ!!」
渦巻いた憎悪、そして不愉快な思考が流れ込んできた。
だが、判った事もある。
レンはこの世界を侵略する為に、別の世界からやって来たんだ。
だけど、それに失敗して、僕の頭の中に閉じ込められているという事。
そして、そこから抜け出したいと、強く思っている事も。
「わかったか? 少しでも哀れに思うなら、俺と変わってくれよ」
「嫌だ! そんな事、出来るもんか!」
「いいのかそれで? お前は処刑されるんだぞ?」
「煩い! 僕は、僕は……」
八方塞だ。それ以上、言葉が続かない。
「まあ聞けよ。俺に提案がある」
レンの言いたい事が、僕の中に直接入り込んできた。
「そんな事、無理だ!!」
レンの提案。それは、
「僕の身体をお前に貸す、だなんて!!」
「それが一番手っ取り早いんだ」
「戻れるかも解らないのに!」
「いや、皆を救うにはそれしかない!」
「嫌だ!」
「もうその手しかない!!」
「だって!」
「だっても糸瓜も無い!」
気付けば、表現として、それが正しいかは判らない。
だが、確かに僕たちは溶け合っていた。
最早、思考の伝達は一瞬となった。
曖昧で不確かな一体感。
希薄で濃厚な二人の距離。
高揚と消沈が同居しているような……。
僕たちの境目が無くなっていく。
『いいか、目覚めたら、処刑なんだぞ?』
僕になったレンが、レンになった僕を畳み掛ける。
『レベッカは? 母親は? 憧れのダイアさんはどうなる? お前が俺を認めれば、あの【術式】を俺が使ってやる。皆を助けてやれるんだ!』
『さあ、認めろよ!』
「さあ!」「さあ!」「さあ!」「さあ!」「さあ!」「さあ!」
「さあ!」「さあ!」「さあ!」「さあ!」「さあ!」
「さあ!」「さあ!」「さあ!」「さあ!」
「さあ!」「さあ! さあ! さあ!!」
『さあ、俺を認めろよ?』
レンの思考が、願いが、繰り返しされる。
でも、レンを認めるわけにはいかない。
アイツは僕じゃない。
二人を隔てる因子があるとすれば、それは拒絶心だけだ。
レンは侵略者だ。そして不安定だ。
そんな奴に身体を任せれば、どうなるか解ったものではない。
溶け合った心が、それを確信させる。
すると、真っ白な音の無い空間は、暗黒に変わった。
▼ ▼ ▼
「……痛っ」
頭が、痛い。
『ジャラッ』
鎖? 手が重い……手錠か。
ここは、牢の中だ。
「目が覚めたようだな」
見上げると、そこには男が一人立っていた。
鎧の造りが違う。位の高い騎士なのだろうか。
「こんな子供が国家転覆を企む一味とは、到底信じがたい」
どうやら体面的には、そうなっているようだ。
「ジュリアード団長を、王を疑うわけではないが……」
態々口に出して、己に言い聞かせている。
きっとこの人は、子どもを処刑する事に、納得していないのだろう。
それを打ち消すために、そう零しているのだ。
「とりあえず、報告はする……」
騎士は表情を変えず、外套を翻して、廊下の奥へと消えた。
そういえば、何だか……少し変わった気がする。
レンと思考が混ざり合った影響なのだろうか。
自分の中にある、相応だった幼さが薄まっているような……。
というか、それに気付いている時点で明らかに変わっている。
副次的変化だけど、それに関しては良かったような気がする。
あの子供心で、こんな不遇には耐えかねるからだ。
このままでは、王国騎士団に成す統べなく処刑されてしまうだろう。
そうか、レンもそれが嫌で、強引に――
「!?」
……夢の中の事、何も忘れていない。
レンの事を、あの空間であった事を覚えている。
頭の中で起こったやり取りも、全て記憶にあった。
それより何より、だ。
何故だか死ぬ気がしない。
焦りも不安も消し飛んでいる。
心に涼やかな風が吹いている。
凪いだ水面のように穏やかな心。
【明鏡止水】
そんな言葉が頭に浮かんだ。
『何のわだかまりもなく、清らかで澄みきった心境』
異世界の言葉だろうか。
【術式】明鏡止水:緊急時に冷静な判断を促す為の、思考鎮静効果。
そうか、頭に浮かぶこれは、異世界のスキル【術式】だ。
少しは、使えるようになったのかも……しれない。
もちろん、レンの事を認めたつもりは無い。
ただ、レンと僕は思考空間で溶け合って、混ざり合った。
レンが持つ力も、流れ込んできたような気がする。
「みんなを、助けなきゃ」
僕は立ち上がり、
『ガシャン』
まるで飴細工のように、簡単に鎖を引きちぎった。
【身体能力上昇】
「溶けろ」
突き出した掌から、熱球が放たれて、鉄格子を消し去った。
【火炎球】
「みんなは何処だ?」
僕の目は壁を通り抜け、奥の檻に閉じ込められたレベッカ達を発見した。
【解析眼】
凄い力だ。
これが異世界のスキル【術式】なのか。
全てではないけど、幾つかの力は使えた。
「よし、これなら――」
その時だった。
『カツ、カツ、カツ』
硬いヒールが床を叩く音だ。
「何が【使えない者】よ!」
そして、幼い少女の声が、夜明け間近な薄暗闇の中から聞こえた。
「この力って……【転生兵士】だ!!」
姿を現したのは、軽装鎧を纏った、黄金色の長い髪をなびかせた、碧眼の小さな女騎士だった。
「イイねぇ~! 【転生兵士】なら、楽しめそうじゃん!」
小さな女騎士はそう言って、鋭い刺突剣を構えた。
「キャハッ! さあ、戦ろう!!」




